Dark and Real(6)
少し、パーシバルは夢見心地だった。
目が覚めても、内側に残る温もりは決して消せなかった。
いや、消すなんて事は自分が許さなかった。
幸福をかみ締める。
けれど、不安だった。
真実を確かめる事ができないからであった。
ゆっくりと起き上がり、いつもの黒い軍服に着替えつつ身支度を整える。
(――セシリア)
鮮明な記憶。忘れようとしてもできない記憶。
けれど過ちとも思う記憶。
本来の彼女が、自分をどう思っていたのか。それが分からないからこそ、不安になる。
部屋を出ると城はまだ静まり返っている。
それもそのはず、夜が明け始めたばかりなのだ。
交代で見回りをしていた兵士達に声をかけながら、城の訓練場へと向かう。
朝早く起きての訓練は彼の日課だった。
稽古用の木人形相手に、模造刀で打ち込みを始める。
ヒュン、と空を切る音。
このときの彼には誰も声をかけても無意味だ。誰の声も聞こえないほどに集中しているからだ。
しかしそのようにしなければ、不安が消せないという焦りも今日はあった。
一通り打ち込みを終えた彼は呼吸を正し、訓練場を出る。
その途端、よみがえってきた。
(私も、あなたを愛しています)
…愛しているから不安になる。彼女の真実が聞きたい。
本当の想いを。
「……」
ふと、思った。
自分が望んでいるのは、以前の彼女ではなかろうかと。
記憶を無くす前の、戦乙女。
今の彼女ではなくて、前の彼女――。
いつ戻るかわからない記憶。もしかしたら一生戻らないかもしれない。
想いに変わりはないはずだけれど。
…彼女の言ったとおり、贖罪も含まれているのかもしれない…。
「…失格、だな…」
顔に手を当てて、ため息を深く一つ。
すると。
「…パーシバル様…?」
はっと振り向く。
朝早くだというのに、彼女がそこにいた。
いや、普段の彼女はこのぐらいにはもう起きていたがそれでも驚いてしまった。
「…どうか、なされました?」
「あ、いや…済まない。それより、早いな。どうした?」
平静を保ちつつ、尋ねる。セシリアはこう答えた。
「早くに目が覚めてしまって。いつもはそれでもまだベッドにいるのですが、
少し外に出たいと思ってしまって」
苦笑しながら答えるセシリア。
やっぱり、変わらないなと思いながらも、その部分を求めてしまっていることに気付く。
「…そうか。では――」
これ以上、彼女の傍にいてはいけない。
思って去ろうとしたが――。
「待ってください!」
呼び止められる声に、足を止めてしまった。
「…どう…なさったの…ですか…?」
途切れる声ながらも彼女が尋ねる。
「何がだ?」
しれっと答えてまた去ろうとする。しかし今度は服を掴まれて止められてしまった。
「…どうして…私を避けようとしているのです?」
「…!」
見抜かれた。どうして、彼女はこんなに勘が鋭いのか。
それが今ばかりは恨めしい。
「仰ってくださったでしょう? 私を…私を…!」
「声を抑えろっ」
彼には珍しく露骨に動揺を表して口を塞ぐ。セシリアは抗議の瞳で彼を見た。
それがいたたまれなくて、素直に答えることにした。
「…済まない。あれから考えたが…やはり、私は以前のお前を引きずっている」
口を塞ぐ手をそっと離して、静かに語る。彼女も静かに聞いていた。
「…本当に済まない。私は…お前の傍にいる資格はない…」
彼女は、首を横に振った。
「そんなこと、仰らないで。私は…あなたがいてくださるから…」
ポロリとこぼれる涙。震えてくる、身体…。
「…済まない」
「だから…そんなこと…仰らないで…」
震える声で、言葉を紡ぐ。
「…自分を責めないで下さい…自分を傷つけないで下さい…。私…そんなの望んでいません…」
「セシリア…」
自分を傷つけないで――。
脳裏によみがえる言葉。
(将軍はお優しいから、自分を傷つけて他人を癒そうとする…。
でも、それであなたが苦しむのは誰も望みません。抱え過ぎれば壊れてしまう。
そんなこと誰も望みませんわ。私もそんなこと…)
「…」
端々に見える在りし日の彼女。
うかがえる言葉が出て来るのは彼女だから。
たとえ記憶を失っていてもそれは変わりない彼女自身の魂から出て来る言葉。
彼女自身を司るものからの言葉。
(お前が愛しているのは彼女だろう?)
心の中で自問する。
――そうだ。
(では、彼女のどこをだ)
……その、すべて。
姿から心…いや、魂までも。
セシリアと言う存在すべてを。
(二度とセシリアを悲しませるな)
主の言葉がよみがえる。続けて、弟代わりの人間の言葉も。
(だからこそ、あなたが支えるべきなんです)
瞑目し、心の整理をしていく。
記憶があろうかなかろうが、その根底――魂は変わりはしない。
彼女自身であることは決して変わらない。
記憶がない今の彼女も本来ある部分の一面であり、それが強調されて前面に出てきている。
それを変わった――と解釈してしまっていたのか。
いかに自分が愚かだったか。
「…セシリア、済まない」
「…パーシバル、様…?」
さっきとは違う様子に潤んだ瞳を瞬かせる。
優しい抱擁が華奢な身体を包み込んだ。驚くものの、その温かさに安心感が生まれる。
確信を求めたくて、セシリアは腕を彼の身体に回す。
そして何度も何度も繰り返す。
「愛してます、あなたを。あなたを愛してます…」
私を離さないで。お願いですから。
本当に、愛してますから――……。
心の声が聞こえたのか。彼は応えた。
「ああ。愛している。私もお前を愛している。もう離さない。失うものか…二度と」
彼の腕の力が強くなる。
やがて、二人はどちらともなく口付けを交わした。
同時に朝日は昇っていく……。
朝食の後、いつもより嬉しそうにしてクラリーネと歓談しているのを見た二人の人物。
互いに顔を見合わせた後、こう提案する。
「おやおや、これはこれは。話を聞いてみるかな」
「…殿下…セシリア将軍に謝りました?」
ふと思った片方の人物――クレインは尋ねてみる。彼は少々はてと思った後に答えた。
「? もちろん。でないと後が怖い」
本音だ。クレインは思った。
だがそれには何も言わずに彼はただ後をついていく。
来ると、彼女一人だけになった。どうやらクラリーネはどこかへ行ってしまったらしい。
「やあ、セシリア」
「おはようございます」
「あ、エルフィン様。クレイン」
にこやかに答えるセシリア。本当にいつもより嬉しそうな顔だ。
「今日はどうなされましたか?」
「いや、特に何も。ただいつもと少し違うように見えたのでね」
「そうですか?」
微笑で彼女は応える。だがその華やかさは比ではない。
眩しさすら感じられるほどである。
「…元気な姿を見せてくれるのが一番いいね。皆君のことを心配しているから」
「…そうですわね。みんなに心配かけないようにするのが一番よろしいですものね。心配かけて済みません」
くすくすと笑みを称えながら彼女は答え、続ける。
「クラリーネにも言われましたもの、久し振りにそんな顔を見たと。もう、大丈夫です。私なら」
その笑みに暗い影は微塵も感じられない。精神が安定している証拠であった。
「それは良かった。では、私達はこれで」
「はい」
応えて、去っていく二人を見送るセシリア。
ふう、と一息ついた後彼女は目を閉じる。
「あっ、セシリアさん」
ふとそこに声を掛けたのはリリーナ。
「リリーナ。どうかしたの?」
「いえ、ちょっとこんなものを見つけたんです」
彼女が見せてくれたのは、翠の宝玉がはめ込まれた表紙を持つ本。
見るだけでわかる、力。
「これは…魔道書?」
「ええ。輸送隊の中から出てきたそうなんですけど、見ました?」
「いいえ…でも…」
なんだろう。感じる力を知っている。そんな気がする。
「セシリアさん? どうしたんですか?」
「あ、いえ。なんでもないわ」
その言葉に疑問を抱くもリリーナは続ける。
「これ…すごく高位の魔道書らしいんです。風系の。
誰も使えないみたいですし、誰のものかも判らないしどうしたらいいのかわからなくて」
「他の魔道士たちには聞いたの?」
「はい。ルゥやヒュウさんに聞いてみましたけど、わからないと…」
「あら…どうしたものかしら」
考えて首を傾げるセシリア。しばししてピン、と思いつく。
「そう言えば、護身程度でもクラリーネも魔法が使えなかったかしら。あの子には聞いた?」
「あ、まだです…。わかりました。聞いてみます。ありがとうございます」
ペコリと一礼してからリリーナは去ろうとする。
途中で彼女は振り返った。
「セシリアさん」
「? なあに?」
「今日、すごくキレイですよ。いいことあったんですか?」
「フフ…内緒」
手を振ってリリーナを見送る。
それからセシリアはあの魔道書について少し考えた。
風を思わせる力。それに同調するような感覚。
(私は…あれを…知っている…? だとすれば、あれは…私が…?)
考えても記憶の無い今、結論は出ない。
とにかく前に進むしかない――と結論を出した。
エトルリア軍はイリアの森林地帯に足を踏み入れた。
針葉樹林が生い茂り、深い雪に包まれたこの森は進軍には不便。
冷気に耐え、雪を掻き分け道を作りながらの進軍に速度は遅くなる。
防寒具を着用していても寒い。参加している人間のほとんどがリキア人かエトルリア人なのだ。
ただこの軍にはイリアの傭兵騎士たちも在籍している。彼らの助言によって幾分かは進軍もましになる。
やがて城が遥か遠くに見えてきた。
「索敵を怠るな。奇襲を受けてはこちらが不利だ」
ロイから激が飛ぶ。敵は待ち構えているだろう。その場合地の利が向こうにある。
加えて雪中戦闘に慣れていない人間が多い。想定しての訓練は行われていたがそれでも明らかに不足している。
相手もそれを承知しているだろう。いかに奇襲を防ぐことにかかっているとロイは判断している。
「…寒いですわ…」
防寒具を着込んでいても寒さに震えるクラリーネ。
いつもは短いスカートだがそうも言っていられない。膝までのスカートにスパッツとロングブーツだ。
上も貴族らしくレースがあしらわれていたりするが、長袖で厚手。その上から防寒具を着ている。
「冬のイリアは本当に寒いわね。着込んでいても寒いなんて」
ふーっと息を吐きながらセシリアは同意する。
吐いたそばから息は白く、凍ってしまったのではないかと錯覚すらしてしまう。
彼女も厚手の長袖ワンピースにスパッツとミドルブーツ。その上から防寒具だ。
手袋もしているのに冷える。何かして動かしていないと感覚がなくなってしまう。
「こんな時に戦争をするなんて、考えられませんわ…!」
「ベルンに余裕を与えてはいけないのでしょう。時間を与えれば少しでも体勢を整えてしまうから」
状況からセシリアは判断していた。
時間を与えてしまえばベルンは体勢を立て直してしまうだろう。その場合進軍も困難を極めてしまう。
崩れかけた今が好機なのだろうと。
「…それでも、レディには過酷ですわ…」
寒い寒いと手をすり合わせる。
その瞬間――二人は魔力を感じる。直後に雷が近くに落ちた。
「なんですの!?」
「敵だわ…!」
突然の奇襲で軍は混乱した。転移魔法で後方に人員を送り込んだ後、長距離魔法でこちらを混乱させる。
それから本隊の進軍。敵将はなかなかの策士だ。
木々で敵の姿が見えない中魔法が来る。迎撃をしようにも補足できない。
負傷者の手当てに追われるセシリアたち。
だがいつ来るかとも知れぬ魔法に警戒しながらになってしまう。
また一人、リライブの魔法で手当てを終える。
浮かんだ脂汗を拭う。勝てるのか不安に思いながらも杖を握り締める。
刹那。
「え…!?」
空中に浮かび上がっている魔方陣。それは六つの黒い球体を生み出し収束させる。
「――!!」
足元に、魔方陣。収束された球体は輪を回しながら自分を飲みこんでいく。
そして集結。意識が、遠のいていく。
「セシリア様っ!」
クラリーネの悲鳴も遠い。
彼女の意識は闇に飲まれていった……。
自分以外見えない世界。そこに落ちていく自分。
やがて辿りつく闇の底。けれど上下左右の感覚がない。
まだ落ちているのか。それとも浮いているのかそれすらもわからない。
闇。限りのない深淵の闇。まるで混沌が渦巻いているかのよう。
その渦中に自分はいる。
闇の一部が、揺らめいた。
形を成す闇。巨大な存在が自分の前に立ちはだかる。
ゾクリと背筋に寒気が走る。
――知っている。
この存在を、私は知っている。
ジリジリと後ずさる。だが影は自分と距離を保っている。
自分の中でその影が色を帯びる。存在をはっきりとさせる。
(あれは…)
刹那、影が動く。
剣状の影が自分の左肩から身体を捉える。
「…!!!」
左肩から全身を襲う激痛。また意識が遠のきそうになりガクリと膝をつく。
どこまでも深い闇に自分が飲み込まれていく。
もう二度と戻れない。
(前にも…こんなことが…あった…)
色を帯びた影に、覚えがある。
今のように何もできずにただ斬られるしかなかった――。
足が震える。怖い。
斬られて赤くなった視界。そして自分は闇に落ちた。
怖い。とてつもなく怖い。二度と体験したくない。
(もうやめて! 怖い…闇に落とさないで…!)
カクン、と落下感。深く闇に落ちていく。
嫌…。
誰か…。
誰か…っ!
(恐れるな)
声がよみがえる。
あの人の、声。
(闇を――現実から目を逸らすな)
力強い声。力を取り戻させる声。
――目を、逸らすな。
誓ったはずだった。決めたはずだった。闇を恐れぬように、現実を見るようにと。
(セシリアさん)
(セシリア様)
(セシリア)
周りの人たちの声。とても温かい声がまた、力を自分に取り戻させる。
立ち止まっていてはだめ。落ちてしまってもだめ。
なら、立ち向かわなければ。
(――どうやって?)
自問すればすぐに答えが返ってきた。
戦う。現実と。自分の闇を恐れないで。
私にはその力がある。
落下感が止まる。目の前にはあの影が。
セシリアは手をギュッと握り締めて見据える。
戦わなくては。
私は、私は―――!!
「セシリア様…!」
目を開ければ、涙目のクラリーネが視界に入っていた。
「クラ…リーネ」
「良かったですわ。ライブをかけても目をお覚ましになられないから…セシリア様…」
「ごめんなさい…心配掛けてしまって」
ふるふるとクラリーネは首を横に振った。それから彼女の手を借りて身を起こして立つ。
状況を見ればまだ、戦闘状態が続いている。意識を失う前のことを考える。
ハッと、視界に魔道士の姿が入った。自分たちに向けて魔道書を構えている。
「! クラリーネ!」
ドンッ、と突き飛ばされる。直後炎がセシリアに命中し火柱を上げる。
「セシリアさまぁっ!!」
クラリーネが悲鳴を上げた。燃えあがる火柱は今だ消えない。雪を溶かしながら燃やし尽くそうとしている。
「直撃だな。次はそっちだ」
彼女に向けて魔道書を構える敵の魔道士。対して護身用のサンダーの魔道書で迎え撃とうとする。
しかし。
『――!?』
魔力をお互いが感じる。しかも、桁外れの。
「な…この…魔力は…」
突然感じたとんでもない魔力に敵魔道士は怯える。
感じるのは――火柱の中。
炎が、消えた。見えるのは全く変わらぬ姿で、不可視の壁に守られたセシリア。
「無傷…だと…」
突き飛ばした直後に防御壁を張ったというのか。だとすれば相当の早業。
相当の実力者でなくてはできない芸当。
「その程度では、私を倒すことはできなくてよ」
凛とした声が響く。場を支配するような声が。翠の瞳は冷たさを見せる。敵を排除する軍人の目だ。
クラリーネは、気付いた。
彼女の全身を纏うオーラが違う。とても力強く、また柔らかくもあり。
敵には絶望を与え、味方には勇気を与える存在――戦乙女を思わせる。
「クラリーネ、魔道書を!」
「は、はいっ」
声にクラリーネは魔道書を渡す。セシリアは渡された魔道書を構え敵を見据える。
「くそっ!」
魔道士は再びエルファイアーの魔法を放った。しかしまた防御壁の前に弾かれる。
彼女の唇から精霊の力を行使する言葉が紡がれる。
――雷の理よ、ほとばしる雷となれ!
「サンダー!」
向けた指先から一閃する雷。狙いは違わず敵魔道士を貫く。
一撃で敵は絶命した。
「…セシリア…様」
呼び掛けに彼女は振り向き、微笑してから応えた。
「ごめんなさい、今まで。心配掛けてしまったわね」
「…!!」
ポロポロとクラリーネの紫の瞳から涙がこぼれ始めた。
帰ってきた。エトルリアの誇るヴァルキュリアが。
姉のように慕っていた人が。
「セシリア様…っ! 私…私…」
「クラリーネ、話は後。今は敵を退けるわ。魔道書は借りていてもいいかしら」
「構いませんわ。…あ、少しお待ち下さいまし」
何かに思い当たったようで、クラリーネは急いでごそごそと腰に下げたポーチから一冊の魔道書を取り出した。
あの、翠の宝玉の魔道書。
「これは…」
「私がお預かりしていましたの。お返ししますわ」
「ありがとう。今回の戦闘にはちょうどいいわね…」
攻撃を受けている方向を見る。遠くに飛行するものの姿が。敵の天馬騎士団が増援でやってきたようだ。
「…大丈夫ね。クラリーネ、行くわよ」
「はい!」
駆け出すセシリアをすぐ後から追うクラリーネ。
良かった。本当に良かった。
心底クラリーネは嬉しかった。
「あなたたち、下がりなさい!」
この命令に兵たちは初め戸惑った。しかし彼女の瞳が今までと違うことを認識するとすぐに命令に従う。
「魔道士隊にのみ他兵は集中! 天馬騎士隊は私が相手します!」
魔道書を開く。力をはっきりと感じとってから、天に向かって右手を上げる。
風が、舞う。
――疾風の理を司りしセチよ
我が呼び掛けに応えたまえ
風の勢いが増した。
「…セシリアさん…?」
傍に来たリリーナが、呟く。
「もしかして、セシリアさん…」
「ええ。大丈夫ですわ、セシリア様なら」
それにクラリーネが応えながら彼女の詠唱を見守る。
――天をも切り裂きし刃は汝らが示せし断罪
我は願う かの刃を 裁きを下す風を
断罪の風よ 剣となりて我らの敵を切り裂け!!
風が収束する。
そして一気に右手を突き出し魔法を発動させた。
「ギガス・カリバー――――っ!!!」
ロイは、焦っていた。
後方からの敵襲に混乱した軍を立て直しつつ、敵を迎撃している。
指揮系統の混乱もあるし、後方の状況があまり掴めない。
かといって自分が前線近くを抜けるわけにもいかない。
「ロイ様、伝令します! 後方より敵増援! 天馬騎士団です!」
「なんだって? このままでは後方の負傷者たちが…」
ロイの頭の中に後方の負傷者たちが。迎撃にあたっている幼なじみが浮かぶ。
それに、恩師のことも。
(リリーナ…セシリアさん…!)
祈るように後方を見る。しかしその直後。
「な…!?」
ロイは我が目を疑った。
巨大な風の刃が敵の天馬騎士団に襲いかかり、通過した直後にまた無数の風の刃が敵を切り裂く。
敵の天馬騎士団が――全滅した。
誰があのような魔法を放ったのかはわからない。けれどこれは好機だ。
突然の全滅は敵にも打撃を与えたはず。これを逃さない手はない。
「…状況確認を急げ! 合わせて進軍! 城を制圧する!」
ロイの指示に合わせて軍は動き始めた。川向こうの城目指して進軍する。
それにしてもとロイは考える。
あの魔法は最高位に属する魔法ではないのか? だとしたら、一体誰があの魔法を?
「――ロイ将軍」
「! パーシバル将軍」
城へ向かうロイに、パーシバルが声を掛けた。
「先ほどの魔法を見ただろうか」
「ええ。あんな魔法、一体誰が…」
「…今、あの魔法の使い手は一人。…可能性は一つ…」
後ろから馬のいななく声。後ろを見た二人は――確かに見た。
白馬にまたがり、軍服と甲冑を身に着けた翠の髪をなびかせる戦乙女。
エトルリアが誇る魔道の使い手を。自分の恩師を。
「ロイ! パーシバル将軍!」
「…セシリア…」
「セシリア…さん…」
彼女は苦笑して、答えた。
「ごめんなさい、今まで迷惑を掛けてしまって」
「! セシリアさん…!!」
ロイの涙腺が一気に緩んだ。泣きそうになるロイをセシリアは優しくなだめる。
「男の子が泣かないの。それに今は戦闘中でしょう? さあ行くわよ!」
「は、はい!」
白馬を操り先頭をきって駆け出す。そのすぐ後を漆黒の馬でパーシバルが追う。
「――セシリア」
「将軍…今まで、本当に申し訳ありませんでした」
呼び方も、戻っている。本当に、戻ってきた。
「…私も済まなかった。今まで…」
「あら、申し上げませんでした? ご自分をお責めにならないで。
あの事は私の弱さが招いたことですもの。もう…逃げはいたしません」
ハッキリとした意思を見せる声。強い。
本来の彼女――。
「話は後ほどいたしましょう。さあ、参りましょう。将軍」
「そうだな。セシリア、行けるな?」
「ええ。久し振りの戦闘ですが平気ですわ!」
エトルリアの誇る軍将二人が戦場を駆ける。
その二人の前に、敵はいなかった。
その後の戦闘は突然川が凍りつくという事態により敵が混乱し、その好機によって無事制圧できた。
重傷者もいたが死者が出なかったのが本当に幸いである。
戦闘直後の軍議に、彼女も出た。
そして開口一番、セシリアは深く頭を下げた。
「今まで皆様に多大な迷惑をかけ、申し訳ありませんでした」
「そんな、セシリアさん。あれは…」
ロイが口を出したが首を横に振ってそれを止める。
「今回の件はすべて私の不徳が招いた事。お詫びすると同時にこれからの働きで、取り返しいたします」
「――その言葉、信じていいのだな」
口を開いたのは『大軍将』ダグラス。
セシリアは意思の強い瞳を向け、言い切った。
「エトルリア魔道軍将たる私の名にかけて」
しばし沈黙の時が流れる。それを破ったのはダグラスだった。
「…この時をもって、魔道軍の指揮権をお前に返そう。これからを楽しみにしているぞ」
「はい」
「セシリアさん!」
軍議が終わって、リリーナがこちらへ駆けてきた。
「リリーナ」
「良かった…本当に良かった…セシリアさん…」
「ほら泣かないの。ねっ」
泣きじゃくるリリーナをそっと抱きしめる。優しく、とても温かく。
リリーナは泣き止んで離れる。
「…セシリア将軍…」
見れば、クレインとクラリーネの二人が。
「クレイン、クラリーネ。…本当にごめんなさい」
「…」
二人は何も言わない。セシリアは続ける。
「あなたたちよね、一番迷惑掛けてしまったのは。二人ともごめんなさい。そしてありがとう、本当に」
「いえ。僕もクラリーネも、本当に嬉しいです。父上や母上も、この事を聞けば喜びます」
「そうね。パント様とルイーズ様には私から手紙を出しておくわ。お父様たちにも心配かけたでしょうし…」
屋敷の両親たちの事を想像して、苦笑する。
「……」
ふと、柱の影に人がいる事に気がつく。
床にまで着く薄紫色の髪の少女――ソフィーヤ。
「君は…ソフィーヤ」
「…闇を…乗り越えたのですね…」
心を見透かしたような言葉。けれど不快ではない言葉。
セシリアはうなずいて答える。
「ええ。…話は、聞いたわ。あなたが私を助けてくれた事…お礼も今まで言えなくてごめんなさい。
ありがとう、助かったわ」
「…そんな…私のせいで…記憶が…」
「いいえ。たとえそれがなくても私は閉ざしていたと思う。あまりにも大きい恐怖…それに負けてしまっていたから。
でも、もう平気よ。私は進むの。闇を、現実を乗り越えて」
強い人――ソフィーヤはそう思った。この人を助けたのは間違いではなかった。
彼女の周りにいる人物すべてに喜びと強い心がある。
戦乙女と呼ぶにふさわしい女性。
「…お強い…ですね…」
「一人ではないから。あなたも一人ではないでしょう? なら、強くなれるわ」
「…はい…」
ゆっくりとソフィーヤはうなずいた。
三人と別れて、歩みを進める。
一人で城の廊下を進むが、途中でその足を止める。
「――出て来られたらどうですか?」
「…やっぱり、君にはわかるか」
柱の影から出てきたのはエルフィン。肩をすくめるように近付く。
「…やはり、ご存命でしたのね。殿下」
「ダグラスの手引きでね。あれはやはり暗殺だった」
「…否定なさらないのですね」
「いまさら否定もないだろう?」
ふっ、と笑って見せるエルフィン。
「今までありがとうございます。本当に私などを気遣って」
「君のことが本当に心配だったからだよ」
「…しかし、もう少しお考え下さい。…あのような事、たとえ殿下とは言え許しがたい事ですので」
「…」
ニッコリ、笑顔。だが怖い。
手厳しいが自業自得ともわかっているので何も言わない。
「…とにかく、君の記憶が戻ったこと、嬉しく思う。これからも頑張ってくれ」
「ありがとうございます、殿下。…いえ、エルフィン殿…ですわね。この軍では」
「ああ、それで通してくれ」
「それでは、失礼します」
セシリアが、去っていく。それを寂しげに見送るエルフィン。
「…セシリア。君はあいつの元で…幸せになってくれ」
悲しげな声が、場に響いた。
深夜。セシリアは自分の部屋で書類に目を通していた。
魔道軍の指揮権を返してもらった事もあるし、溜まりに溜まった仕事を片付けなくてはいけない。
仕事の鬼となり早急に片付けていた。
そしてようやく、最後の一枚に目を通し…終了した。
「やっと終わった…仕方ないわね…」
机に突っ伏して大きく息を吐く。生活はいつもを取り戻す。自分の心もいつものようになる。
…もう、恐れはしない。影を倒した自分だから。闇を恐れず現実を見据えて生きるのだと誓ったから。
コンコン。
「はい」
扉を叩く音に応える。この時間に誰だろう。
「少しいいか」
この声はパーシバル。了承の返事を出すと彼はすぐに入ってきた。
机に積まれた書類の山にしまったかなと思う。
「仕事中だったか」
「いえ。今終わりましたからお構いなく。どうぞ」
勧められて椅子に座る。しかし話を切り出したのはセシリアだった。
「…将軍。本当に今までありがとうございます。あなたが仰ってくださったから――自分を取り戻せました。
生死の境をさまよい、怯えていた私を引き上げてくれたのは間違いなくあなたですから」
「…セシリア」
「私…本当に怖かった。幾度も幾度も見る悪夢。気が狂いそうなほどで…ただじっと、怯えるしかなく。
ですけど、現実は何も変わりはしない…。向き合う目を、強さを持つこと…あなたがそれを取り戻させてくれた。
あなたがいなければきっと今も怯えて彷徨っていたでしょう」
しみじみと語るセシリア。瞳に宿るのは辛い過去。そこまでなってしまった事実。
「…本当に済まない。あの時、助けに行くことが出来たなら…」
「だからご自分を責めないで。将軍にも立場がございましたし、当然のことをなさったまで。
これは私の弱さが招いたことなのですから。ご自分を責める必要はありませんわ。お願いですから…」
彼女が、うつむく。次の声音が、僅かに震えた。
「お願いですから、ご自分を責めないで…自分を傷つけないで下さい…」
「…」
ああ、と思う。
やっぱり、彼女は彼女なのだ。その魂は何ら変わることは無く。
自分が愛した人に変わりなく。
「…やっぱりそういうところはお前か…」
「あら、私は私ですよ」
「そうだな」
言ったパーシバルに、ほんの僅かな笑みがこぼれた。
久しぶりに見た笑顔。久しぶりに出した笑顔。
お互いが驚いたように顔を見合わせる。
それからセシリアが、クスリと笑みをこぼす。
「…将軍。私――今回の件で一つだけ感謝していることがあるんですよ」
「? 何だ?」
少しだけ、間があった。
彼女は美しい笑みで――言った。
「片想いが成就したことでしょうか」
少し、時が止まったように思った。
「…それ…は…」
「言ったはずですが。…私…ずっとあなたが好きだった。愛していた。叶ったことが一番嬉しかった…」
少し濡れている瞳。喜びをかみ締めながらパーシバルも言葉を紡ぐ。
「…私もだ。セシリア、ずっと…お前を…愛していた」
感極まって翠の瞳からこぼれた涙を椅子から立ってパーシバルは拭う。
距離が、いつのまにか近くなっている。
お互いにうなずいてから二人は深く、深く。
誓いの口付けを交わした。
口付けを幾度も交わして、寄り添った中セシリアが言う。
「…パーシバル将軍」
「どうした…?」
「…どんなことも、二人なら乗り越えられますよね」
「…ああ」
満足したように彼女はうなずいてから彼を見上げ、誓いの言葉を紡ぐ。
「私は永遠にあなたの傍で、あなたと共に生きていきます。どのような闇も恐れず、現実を見据えながら」
(5) 後書き 戻る