Dark and Real(4)
時は、過ぎる。あっという間に。
明日が、イリア地方に向けての出立の日。
荷造りをとうに終えたせシリアは、窓からアクレイアの街並みを見ていた。
(明日は、もうこの街を離れてしまうのね)
少し寂しげな顔を見せる。
華やかなこの街は、好きだ。
芸術大国とも言われるエトルリアの王都にふさわしいこの街が、好きだ。
いや、この国そのものが好きなのだろう。
(私は、この国の者。そして、戦場にいた)
どのような過程で戦場にいたかは判らないけれど、セシリアはおおよその見当はつけてある。
それで重傷を負った衝撃と恐怖から、記憶をなくしているのだろうと。
情けないような気もするがそれだけのことでもあったのだろう。
だからこれから彼らと行動を共にするのには三つ、理由がある。
一つは助けてくれた恩に応えるため。
一つは自分の記憶を取り戻すため。
そして、もう一つは…。
「…パーシバル様…」
今更ながら気付いた恋情のため。
かつての自分は気付いていなかった。
いや、気付いていたのかもしれないが、隠していたのだろう。
彼を愛しているという事実を。
だからあの時、目が合ったあの時、心が揺れたのだ。
会えて良かった。
会いたかった。
そう、思ったのだ。
「…あの方は、私をどう思ってくださるのかしら」
贖罪だと言う彼は辛すぎて。
決して悪い感情は持っていないと思うがどうしても不安になる。
でも、あの温もりは。
とても温かかった感覚は錯覚と片付けるには済まない程の衝撃で。
不安に怯える自分を救い上げてくれる――そんな風にすら思ってしまうのだ。
彼の気持ちを聞こうとは思わない。
ああしてくれただけで、十分だ。
まだほとんど思い出せない自分に対してあそこまでしてくれるのだから、
それ以上を望んではいけない。
「…無事に…戻れるかしら」
目を閉じて、不安混じりのため息と共に呟く。
明日からイリア地方への遠征に赴く。その後はベルン王国だ。
長期の遠征の中、どのようなことが起きるかわからない。
先は全く見えない。暗闇と称すのにふさわしい。
でもそれを恐れてはいけない。
現実を恐れていては、何もできない――。
「…?」
ふと、扉が叩かれる音を聞いた。誰か尋ねるとすぐに声が返ってきた。
「セシリア、私だよ。少し話があるからいいかな」
エルフィンだ。
ピクリと肩が反応する。
あの一件以来ギクシャクした関係で、話もしにくくなっている。
自分を想ってくれているのは嬉しいのだが。
けれど、話があるというからには断るわけにはいかない。了承の返事を出した。
すぐにエルフィンは部屋へと入って来た。
周りを見まわし、荷作りされた荷物に目を留める。
「もう、荷造りをしたのかい」
「ええ。明日は朝早いのでしょう。出来るうちにしてしまいました」
「…そうか。でも、しなくても良かったのだが」
エルフィンの言葉にセシリアは翠の瞳を瞬かせた。
不吉な予感がしたからだ。
その通りで、少し間を置いてエルフィンは彼女に残酷な宣言をした。
「ロイ殿に、君を連れて行かないと進言してきた」
その言葉を受け止めるのに、数秒を要した。
怒りに似た感情が、ふつふつと自分の中から湧き上がってくる。
「…どうしてですか?」
しかし尋ねる声は以外にも冷静そのもの。自分でも頭がどこか冷めていると思う。
「このまま軍に同行したのでは、君は苦しみ、耐えられない。
それを考えた結果だよ。…前にも言ったはずだ。私は君が苦しむ姿を見たくないんだ」
セシリアの中で感情が湧き立つ。裏腹に、言葉を静かに返した。
「…それほど、私は弱い女ですか?」
静か。けれど、強い力を持つ言葉。まるで魔法の詠唱に似ている。
圧倒されてしまいそうな言葉の力にたじろぐもエルフィンは返した。
「そうとは言っていない。しかし、君はあまりにも辛いことを経験してしまった。
同じようなことをなぞるのは君には辛いだろうと思って、進言したんだ」
「ですけど、それでは何にもなりません。
私は、あの中でしか自分の記憶が戻らないだろうと思っています。
…逃げていては、何も変わりませんわ」
首を横に振ると、エルフィンは同じ動作の後に答えた。
「逃げるのとは違う。新しい道を進めばいいんだ。
君は生まれ変わったんだ。過去に捕らわれないでくれないか」
「では、私はここで皆さんの帰りを待てと仰るのですか?」
「そうだね。私は参謀として同行しなくてはならないけれど、本当なら君と共にいたい。
君を幸せにしたいんだよ。辛いことを忘れ、幸せに生きる権利が君にはあるのだから」
聞けば聞くほど、思う。
自分を気遣っているのは確かだと思う。
しかしこれでは何にもならない。
「…あなたは、私を思いのままにしたいのですか?」
「なっ」
これには、エルフィンが驚きを隠せない。
続けてセシリアは言った。
「聞けば聞くほど、そうとしか聞こえないのです。逃げてもいいんだと。
何もかも忘れて自分の元に来ればいいのだと」
「なぜ辛い記憶を取り戻そうとするんだい? 忘れていた方が幸せな時もあるんだ」
「けれど、何もかも忘れることも辛いです。…幸せな記憶も忘れるなんて…」
このところ見る夢が思い出される。
かつての自分。幸せな自分。
おぼろげな夢でしかないから、どんな人間であったかはわからないけれど。
それでもとても充実した、幸せな日々だった。
「全てを捨てろと仰るのですか?
誰も私を知らないならそれでもいいのかもしれません。
しかし私を知っている人たちがいる。私を必要としてくれる。
それらに応えなければなりません」
変わったな――いや、本来の彼女に戻りつつあるのか。
エルフィンは心の中では嬉しくも、複雑な思い。
「…けれど、君がこれ以上苦しむのは、私は見ていられない。
もし、従軍してまた恐怖を味わう事になれば、今度こそ君は壊れてしまう。
頼む。頼むから…どうかここで私たちの帰りを待っていて欲しい」
絞り出すような声だった。
しかし、それでも彼女の意思を変えるまでには至らない。
緩やかに、首を横に振ってセシリアは否定の意思を示した。
「――いいえ、私は参ります。ここで逃げれば、何も変わりませんもの」
強く強く、言い切った。
何もかも切り裂いてしまいそうなほど、その言葉は強かった。
「…セシリア」
「私、ロイのところへ行きますわ。従軍する事を伝えます」
睨むように一瞥し、扉へと向かう。だが――。
「待つんだ」
腕をとられ、足を止めざるを得ない。
華奢な身体に似合わぬ力で引き戻された。
「何を…」
「君は、ここにいればいい」
部屋の中へ戻される。キッ、と、今度は睨んでセシリアはエルフィンを見た。
怯まずに声がきた。
「駄々をこねない。聞き分けがないなら、大人しくしてもらうよ」
「えっ」
視界が急に動いた。
腕を引かれ、押され、倒れた先は、ベッドの上。
背筋に悪寒が走り、懸命にもがく。
「な、何…を…」
「大人しくするんだ。暴れれば痛いよ」
「…!」
危機を悟ったセシリアは、対策を講じる。
――勝負は、一瞬。
徐々に近づく彼の顔。
距離が縮まると同時に、暴れるのを止める。
緊張が高まる。機会を、うかがう。
(――!)
やがて、抵抗しなくなったからか腕の力が弱まった。
その隙を、セシリアは逃さなかった。
何とか右腕だけ勢い良く引き抜き、その束縛から逃れると――。
パンッ!
甲高い音が、部屋の中に木霊した。
渾身の平手を左頬におみまいしたのだ。
思わぬ反撃にエルフィンは顔をしかめ、痛みに手で頬を押さえる。
「…っ」
「自分の事しか考えないで…そんな我侭は私、嫌ですっ!」
「ま、待っ――」
体を払い除け、走って部屋を出て行ってしまう。
追おうとしたが、心に突き刺さった言葉にその気力を無くす。
「…我侭、か。そうだな。欲しくて仕方なかったが、嫌われてしまったな」
はは、と自嘲する笑い声が部屋の中に木霊した。
「……」
しまったと、セシリアは思った。
道に、迷った。
無我夢中で走っていってしまったためか、どこの通りでどのあたりにいるか、全く分からない。
ただ普通の通りと違って、高い塀に囲まれた通りであることからして、
高級住宅街のあたりだとは思う。
「はあ…」
激情に任せてしまったこともあって、気が重い。
気を遣っていてくれたことは確かなのだが、それでも少々我侭だ。
それに嫌気が差したのだろう。
「さて…どうしましょう」
周りを見回してみる。
高い塀のせいで、周りの景色はほとんど同じにしか見えない。
どこをどう行けばいいのやら。
その前に自分はこれからどうするか整理する。
まずはロイのもとへ行き、従軍する旨を伝えることだ。
彼は確か王城に部屋を与えられているらしい。
ならば王城に行けばいいが、どこの誰とも分からぬ人間がいきなり行っても
門で追い返されるが関の山。
ならば誰かに仲介してもらうのがいい。そうなると心当たりはある。
だが、どこに屋敷があるのやら…。
考えていると、後ろから馬の嘶く声がした。
「!?」
突然の声に振り向く。
後ろで嘶いていたのは漆黒の馬。
そして乗っていたのは、同じく漆黒の軍服に身を包んだ、彼だった。
「あ…」
「どうした、こんなところで」
「いえ…道に、迷って」
逡巡したものの、素直に答える。
するとパーシバルは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに納得した様子になった。
「道に? …ああ、この辺りは似たような風景ばかりだからな」
「ええ。気が付いたらどこにいるのか分からなくなってしまって…。
ロイに話があるから、王城へと行こうと思うのですけれど」
「城へか? なら、後ろへ」
目線で彼は自分の後ろを指した。
「え、よろしいのですか…?」
「構わない。私もこれから少々用があって行く所だ」
「あ、はい。では…」
差し出された手を取り、足を掛ける。
後は一気に引き上げられ彼の後ろに落ち着く。
きちんと乗ったことを確認して、パーシバルは馬を走らせ始めた。
揺れに驚き、慌てて両腕を回してしがみつく。
(…あったかい…)
触れ合うところから感じる温もりが心地よい。
離したくなくて腕の力が少し強くなる。
…優しい人。
普段の厳しい表情からは分かりにくいだろうけど、本当は。
周りを慈しむ人。
「どうかしたのか」
様子がおかしい事に気がついたのか、振り返らずだが声を掛けてきた。
はっと我に返り頭を振る。
「いいえ。何でも…ありません」
「…そうか」
言葉の間に気にかかるものはあったが、言及しないのでそのままにした。
これ以上気を遣わせてはいけない――無意識にそう思っていたからだった。
ロイに従軍する旨を伝えると、彼は元々連れて行く気だったらしく大丈夫と返事を出してくれた。
どうしてなのか尋ねると。
「僕は、セシリアさんに恨まれたくないですから」
と、苦笑混じりに答えた。
「――用事は終わったのか」
部屋を出て少し、目の前にパーシバルがいた。
「はい。パーシバル様も用事の方は済んだのですか?」
「今しがた済んだ所だ」
「そうですか。…ありがとうございます。王城へ行くのにどうしようかと思っていましたから」
苦笑に近い笑み。
先ほどといい不思議に思ったパーシバルは尋ねてみた。
「何か、あったのか?」
ぴくんと反応した。身体を少し強張らせる。
図星か――。
間を置いて、セシリアは正直に告げた。
「…エルフィン様と、少し」
「? で――いや、エルフィン殿とか?」
「…はい。エルフィン様はロイに、私を今度の遠征に従軍させないように進言したと。
そのことで…揉めてしまって」
縮こまる彼女を見つつパーシバルはらしい、と思う。
理不尽なことなどには誰であろうとも意見した人間だ。
記憶が無くともその部分は健在らしい。
「ロイ将軍への話はその件か?」
「そうです。従軍すると伝えましたら了承してくれました」
それはそうだ。彼にとって恩師なのだから、頼みを断るなど出来はしないのだろう。
セシリアがそれから話の続きを語ってくれる。
「…お気遣いは嬉しいのです。ですけど、私のことを本当に考えてくれているかと考えれば…。
確かにエルフィン様の仰ることはもっともです。忘れた方が幸せなのかもしれません。
ですけど、私はもう、あなたとお話ししたあの時に決めたのです。
目を背けずに生きるのだと」
決然とした顔をパーシバルに向ける。
主君といえどこんな時の彼女を説得するのは容易ではなかったことを思い出す。
思いにふけっているとこんな言葉を聞いた。
「私を大切にしようとしてくれているのは分かるのです。
ですが…もっと、私の気持ちも、考えてくださればいいのに。
私を想っているのなら、なおさら…」
「!!」
最後はわずかな呟きだったが、はっきりと聞き取ってしまった。
――殿下は、彼女を想っている。
以前、話を本人から聞いたことはある。
(妃にするなら彼女のような決然とした意志を持つ女性がいい。
だが、誰にも代わりは務まらないが)
冗談混じりに言っていたがやはり本気だったのだ。
なんと恐れ多かったのか。
自分もまた、主君の想い人を愛してしまっているのだ。
想い、そして贖罪のために近付いて…そして…。
「…パーシバル様…?」
おそるおそる呼びかけたセシリアの声で、我に返った。
戸惑った瞳は自分を心配している。
これを自分は受けてはいけないのだ。
なんと詫びればいいのか。
「――済まない、用事を思い出した。馬車を用意させておくからそれで宿に戻ってくれ」
「あ」
踵を返し、パーシバルは立ち去る。
自分を悔いて。
一方その頃。月が降り注ぐ夜。
エルフィンはリグレ公爵家へと忍びで来ていた。
「…で、それで飲んでいるのですか」
柔和な美貌に翳りを作り、クレインは大きくため息をつく。
テーブルには空になった酒瓶が置いてある。
エルフィンは杯に酒を注ぎ、一気に飲み干す。その顔はすでに赤く染まっており、酔っている。
「…バカな男だよ、私は。何も彼女のことを考えてやれなかったんだからな」
自分を笑い、また注ぐ。
「確かにその話は、殿下に非があります。セシリア将軍は苦しみの記憶と戦おうとしていらしたのに。
…昔の殿下は我侭だとお聞きしましたけど」
「ああ。唯一の王位継承者ということもあって、父は私を溺愛していた。
周りのことなど、何も考えない愚か者だった。王太子であるという事実から、止める者もいなかった」
「…私に対しても、「弟になれ」と仰ってましたからね…」
苦いため息。
幼い頃、よく父に連れられて行った王宮でクレインは王子に気に入られ、「弟になれ」と言われた。
しかし本人はというと、「ぼくは王子のきしになるからダメです」と即断った。
ただ、あまりにも幼いことなのでよく覚えてはいない。
「欲しいものは望めば手に入った。拒否されても、少し頭をひねれば手に入った。
…それでも唯一無理だったのは、彼女だ」
遠く、はるか遠くを見つめてエルフィンは語り始めた。
「初めて出逢ったのは、彼女の父君が王室主催の行事に連れてきた時だ。
第一印象は母君譲りの可愛い子、だったよ。
しかしそれから話を聞いて驚いた。軍に入ろうとしていると。
不思議に思ったよ。なぜ女が軍に、と。父君の溺愛振りも知っていたからね」
「それは父から聞いた事があります。セシリア将軍の父上は厳しい方ですけれど
娘のことになると途端に性格が変わると」
「そうなんだ。機会を見つけて私は彼女に話を聞いた。
そうしたら、どう答えたと思う?」
クレインが首を傾げると、エルフィンはため息を一つついて解答を出した。
「『国のために働くのに、男も女も関係ない。自分ができることだと思ったから』と答えたよ…」
「…セシリア将軍らしいですね」
「だろう? それからかな、彼女の事が気になっていたのは。
話を聞けば自分の意志をしっかり持っている。気が付けばそんな彼女に惹かれていた。
我侭を抑えて立派な王子になろうとしたのも、認めてもらえる人間になりたかったからかもしれない」
語り口調はしみじみとしていながらも、表情に物悲しさがある。
いかに想いを抱いていたかよく分かる。
「で、自分の気持ちを押し付けた結果…というわけですか。
やはり殿下、セシリア将軍のお気持ちをもう少し考えたほうが良かったと思います。
私はクラリーネの影響もありますが、あの方が戦うなら、それを手助けするまでだと考えましたから」
「…それは、初恋の君への感情かな?」
「……殿下……」
恥ずかしい記憶を引き上げられ、手で顔を押える。
そう、何を隠そうクレインの初恋はセシリアなのだ。
エトルリア名門家の生まれである彼女はリグレ公爵家とも深く関わりがあり、
それに父パントがかつて魔道軍将を務めていた事もあり、弟子としてよくリグレ家を訪れていた。
休憩の時には一家でお茶をする事もあり、その時には兄妹の間にセシリアをはさむ事が多々あった。
クレインは隣にいる聡明な女性に心惹かれていた。
自分が成長してその時隣に立てたらいいなと、思っていた。
クラリーネが少し羨ましかった事もある。同性なので表立って慕う事ができたからだ。
でも、ふと考えて。それは憧れであり、姉のような人だ――その結論に至って、想いは消えた。
それでも大切な人であることには変わりはないが。
「…とにかく、セシリア将軍に謝られてはいかがですか?」
「…それは分かっているし、もう諦めるつもりだ。その前にやる事がある」
「??」
首を傾げるクレイン。エルフィンは憮然とした表情で言った。
「あいつだ。…私が気付かないとでも思うのか」
「え」
「お前なら分かるだろう? はっきりと聞かせてもらわなければ、諦めきれない」
「なるほど」
心当たりを見つけて何度もうなずく。
と、その時。
「クレイン様、お客様がいらしておりますが」
扉越しに執事が来客を伝えた。
即座に扉の方向を向いてクレインは誰か尋ねる。
「来客? 誰だい」
「パーシバル様でございます。クレイン様と、エルフィン様をお訪ねに」
噂をすれば影、というやつである。なぜと思うクレインにエルフィンは言った。
「ララムから場所を聞き出したのだろう。ララムにはここに行くと伝えてあるからね。
私を訪ねてきたというからには、用は想像がつく。通していい」
「はい。こちらにお通ししてくれ」
しばらくの、間。
扉が開くと執事に案内されたパーシバルが部屋へ入ってきた。
一礼して執事は扉を閉める。
「……」
硬い表情をしたパーシバルをちらりと見て、何の用でここに来たかエルフィンは即座に察知した。
「――殿下、お話ししたい事が――」
「パーシバル。私もお前に話がある」
軽く手を持ち上げ、言葉をさえぎる。
主君の言葉を待つ彼に、エルフィンは振り返ることなく言った。
「お前、今のセシリアをどう思っている?」
答えに、間があった。
「…今のセシリアは、精神的に不安定な部分といい、以前からは信じられない――」
「そういうことを聞いているのではない」
鋭い声が再び言葉を遮る。
「お前の本来の想いだ。…お前は、セシリアの良き理解者だった。
それは今も変わらないはずだろう。パーシバル、答えろ」
「……」
沈黙に再度、エルフィンは鋭く言った。
「パーシバル」
「……」
あくまでも沈黙を守るパーシバル。ならばと、エルフィンは三度言葉を紡いだ。
「私は、主として聞いているのではない。一人の男として、
セシリアを想う一人の男として聞いている」
「…殿下…」
エルフィンの表情は険しい。
本当ならば聞きたくないことなのに、聞くことを決意したその心情に、
クレインはただ見て、聞くしかない。
「答えろ、パーシバル。お前の真実を」
…沈黙。
しかし、どれほどの沈黙か。
意志が通じたのかパーシバルが口を開いた。
「私は――彼女を愛しています」
ふっ…と、エルフィンが笑みを称えた。
「それが聞きたかった。一つ、お前に命じる」
「…はっ」
「二度と、セシリアを悲しませるな」
驚きにパーシバルは主君を見た。
その主は苦い顔をしながらも言葉を続ける。
「所詮、無理矢理入ろうとするのは無理だった。
本当に支えとなれるのはお前だけだ。これまでのように支えてやれ」
「殿下、それは…」
「パーシバル。せっかくお前のために諦めてやろうと言っているのだ。
他人の好意は素直に受け取っておけ」
「……」
申し訳ない――。
その思いで言葉が出ない。代わりにパーシバルは敬礼で応えた。
満足そうにエルフィンは何度もうなずく。
「それでいい」
「……申し訳……ありません……」
「謝る必要は無い。パーシバル。元々私の横恋慕なのだからな。
…さて、お前の用事もそれで済んだだろう?
私はもう少しクレインと話をしてから宿に戻る。お前はもう戻っていい」
「…はっ。申し訳ありませんでした、殿下」
敬礼を返し、一礼してパーシバルが辞する。
見送った後エルフィンは酒瓶を持ってクレインに話し掛けた。
「クレイン、付き合え」
「えっ、また飲まれる気ですか。明日は遠征の出立日なのですよ。また飲まれると…」
「いいから付き合え。失恋したんだ。そのぐらいいいだろう」
「…飲みすぎないで下さいよ」
心情を少しは分かるクレインはそれ以上言えず、失恋の酒に付き合う。
途中でクレインは酔ったせいなのか頬を伝わる涙を主君の顔に見つけた。
「殿下…」
「これで、いいんだ。彼女は現実と戦う戦乙女。共に手を携えていける人間がふさわしい」
はは、と笑って涙を拭ったあと、エルフィンは窓から見える月に向かって呟いた。
「愛しているよ、セシリア。だから君は幸せになってくれ――」
(3) (5) 戻る