Dark and Real(3)
激戦の末エトルリア王都、アクレイアは解放された。
クーデター派の残党がイリア地方に逃れたとの報告もなされているが、
同盟軍の将兵はまず喜ぶ時間が欲しかった。
と、言うことで遠征準備期間の中でも僅かな間だけ思い思いの時間を与えられていた。
「…」
その中で、セシリアはロイが手配した宿の一室から、王都の賑やかな街並みを見ていた。
本来ならば実家に帰るのが普通であるが、家族に下手な心配を掛けたくないのと、
本人を混乱させないようにとの提案で、宿に泊まることになったのだ。
もちろんそれを本人は知らない。
通りを行き交う人の山。嬉しそうな人の顔。
思わず自分も笑みがこぼれる。
コンコン。
「はい、どうぞ」
扉を叩く音に応える。扉が開いて一拍後から入ってきたのはエルフィンだ。
「何をしていたんだい?」
尋ねられると即座にセシリアは答えた。
「街並みを見ていたんです。皆とても嬉しそうで、見ている私も嬉しくなってしまって」
ふふ、と笑うセシリアに、エルフィンも笑みがこぼれる。
「ならば街を見て廻るかい?」
「え、よろしいのですか?」
突然の提案に少々瞳を丸くするものの、断る理由もないのでセシリアは了承した。
「はい。喜んで」
そうして二人はアクレイアの街へと繰り出すことになった。
アクレイアは通りからして他の街とは比べ物にならない。
広く舗装された地面は十人横に歩いていても余裕が悠々とある。
通りに面した店の数々は新鮮な果物から交易品まで品揃えも幅広い。
まさに大陸一の街と言ってよかった。
何本もある通りの中の一本を、エルフィンとセシリアの二人は歩いていた。
旅装束姿の二人だが、美男美女が仲良く歩いているということでとても目を引く。
何人かはその姿を目にすると、彼女のことで囁きあっていた。
――エトルリアの魔道軍将殿ではないかと。
だが、そうしたらこのような所を誰かとも知らぬ者と一緒に歩いているわけがない。
そうやって疑問を打ち消した。
公式には事情を考慮して「重体で今だ目覚めず」としてある。
たしかにあの傷では生きているほうが奇跡なのだ。
「すごく大きくて、どこまで街が続いているのかわからないぐらいですね」
「そうだね。だから一気にすべてを見るのは無理だよ」
苦笑混じりに言うエルフィン。
その苦笑の意味を、今の彼女はわからない。
「街を全部見るのに丸一日はかかってしまいますわね。今日はどの辺りを見て廻るのですか?」
「なるべく色々な所を見て廻ろうかと思っているのだけれど、いいかな?」
「ええ。それで構いませんわ」
二人は様々な店を見て廻った。
一般的な雑貨を扱う店から交易品を扱う店など。薬草の専門店にも足を運んだ。
途中、エルフィンはセシリアのために服や装飾品を買った。
どのようなものが彼女の趣味だったか思い出しながらではあったが、
それでもセシリアは贈り物に華やかな笑みで感謝した。
そして日も暮れて夜になろうかという頃。
「もう、日暮れですね」
少し休憩していて、セシリアが言葉を掛ける。
「そろそろ宿に戻らないといけないね。夜はまだ物騒だし、夜は怖いだろう?」
当たり前のように言うエルフィン。
するとセシリアは少しだけ瞳を瞬かせて返した。
「あら、今はもうあまり夜は怖くないんです」
「? どうしてだい?」
「…少し前に、パーシバル様とお話ししたのです」
「…どんな風にだい?」
尋ねる声に間があった。
それが持つ意味を彼女は、知らない。
たとえ元の記憶があったとしても。
「闇は、現実。その現実から目を逸らさずに生きろと」
「…それが、苦しくても?」
「はい。過去は変えられないもの…逃げても何も変わりません。
ならば、立ち向かってその苦しみを克服する方がいいのだと」
「しかし…時には逃げてもいいと思う。
あまりにも辛い過去があるのなら、なおさら――」
「…エルフィン様…?」
エルフィンは、少し前に聞いた話を思い出していた。
(ソフィーヤ、セシリアさんの記憶は戻ったりするのかい?)
アクレイア攻略直前、ロイがソフィーヤを呼んでその話を始めた。
その場に自分もいた。
(…はい…。時が経てば…生命力の安定と共に…記憶も…戻ります…。
…しかし…セシリア様の場合は…)
表情を暗くして、ソフィーヤはうつむいてしまう。
(どういうことですか? はっきり話してもらえますか?)
エルフィンがそう言うとソフィーヤは意を決したように話した。
(…セシリア様の場合は…精神的なものがあって…記憶が戻るのを拒んでいます…。
本来なら…もう…生命力も安定している頃なのに…)
これにはロイとエルフィン、二人とも顔を見合わせる。
(精神的に…って、一体何が…)
(具体的には…わかりません…。ですが…根底にある…恐怖が…源だと…)
根底にある恐怖は間違いなくあの戦い。
なす術もなく倒されたあのことだろう。
あまりにも大きな恐怖が記憶を取り戻すことを拒んでいる。
ならば、新たな人生を送ってもいいのではないだろうか。
そうエルフィンは思っていた。
だから彼女に何も過去のことは言っていないのだ。
なのに、どうしてあえて苦しませることを言ったのだろうかと疑問に思う。
このまま戦いをせずにすごせば恐怖を感じることも無い。
苦しまなくて済むのだ。
苦しむ姿を見たくない。
それはエルフィンの心からの願いであった。
「セシリア。私は君が苦しむ姿を見たくない。
過去のことより、これからどうするかが大切だと思っている」
「…それは、もっともだと思いますが…」
少し表情が曇った。
自分の中で考えをまとめているようだ。
しばし経ち、目を閉じて口を開いた。
「私がしようとしているのは「過去を振り返ること」です。
あなたが仰っているのは「過去に捕らわれること」ではないですか?
過去があって、今があって、そして未来があるのです。
二度と苦しまないためにも振り返ることは大事ではありませんか?」
目を開いて、続ける。
「たしかに過去に何か怖いことがあったというのは、おぼろげながらわかります。
けれど怯えていては…何も変わらない。苦しみを受け止めて進む強さを、持つべきなのだと。
私はあの方から、それを教わりました」
「…セシリア…」
同じだ――。
記憶を無くす前の、あの二人の強い信頼。
決して立ち入れなかったその絆。
彼女の心の中にはすでに彼が深く入り込んでいる。
本当は自分がそうしたかった。
以前から持ちつづけた淡い想いを成就させたくて。
嫉妬も入り混じった感情が、爆発した。
「…君は、やはりそうなのか?」
「え?」
急に腕を引っ張られる。
視界いっぱいにエルフィンの顔が映る。
「私は君をずっと前から想っていた。焦がれていたのに、君は応えてくれなかった」
「え、あ、あの…エルフィン…様…」
唐突な告白に、顔を赤くする。
「君はずっと彼しか見ていなかった。先に、私のほうが出会ったというのに」
(彼?)
誰のことだろう――。
一瞬だけよぎる顔。
でもほんの一瞬で、わからない。
「でも、もう今は関係ない。これからを作っていけばいい。
私の元に来るんだ。君を飲みこむ闇は私が消す」
端整な顔に混じった嫉妬。そして狂気。
恐れを抱いたセシリアは、反射的に手を払った。
「……」
「…エルフィン様…。私は…応えられません。
あなたをどう思っているかすら、わからないのに。以前の私が…」
「過去は関係ない。大事なのは、今、君が私をどう思っているかだよ」
確かに目の前の人は優しい。けれど、奥深くまで入りこんではいない。
慰めはしたけれど、根本的解決になるような手助けはしてくれただろうか。
――答えは――。
「…申し訳ありません…私は…そうとは…」
「…今は、それでもいい。じきに想うようになってくれればいいんだよ」
笑った。
けれど、その笑みはどこか狂気を含んでいて。
思わず後ずさる。
「…もう、戻りましょう。夜ですわ」
周りを見ればすでに夜。
民家の明かりがぼんやり所々光っているだけだ。
「そうだね。戻ろうか」
エスコートする形で、宿へとエルフィンが先導する。
しかし差し伸べられた手を、セシリアは取ることが出来なかった。
それからエルフィンとセシリアは少しギクシャクした関係になっていた。
変わらずにエルフィンは彼女の元へ来るのだが、少し引いてしまう。
人を想うが故の狂気なのだろうか。
そんな折。
「セシリア様、お茶でもいたしませんか?」
クラリーネとクレインの二人が、馬車で泊まっている宿へと来た。
「二人とも、どうしたの?」
「せっかく天気のいい日なので、お茶会でも開こうかと。
それでお呼びしたくここまで来たのです」
「まあ、私なんかが呼ばれていいのかしら」
「大丈夫ですわ。私達のお屋敷で開きますもの。何も問題はありませんわ」
嬉々としたクラリーネはセシリアを連れて行こうとする。
それをクレインがなだめた。
「ほら、クラリーネ。まだお返事を頂いていないだろう?
どうですか? ゆっくり歓談でもしながらお茶というのも気が休まりますよ」
その通りだと思った。
この所はギクシャクした関係のせいか、気を張り詰めている節がある。
ならば少し出かけてゆっくりした方がいいだろう。
判断すると笑顔でうなずいた。
「ええ。ではご相伴に預かろうかしら」
「はい! では参りましょう」
と、言うわけで外に待たせてある豪華な馬車に乗る。
行き先は二人の家、リグレ公爵家。
…の、前に少々寄り道。
馬車が止まったのは、とても広い屋敷の門前。
ひらりとクレインが馬車から降りる。
「少しお待ちいただいてよろしいですか?」
「ええ、構わないけれど。…ここはどなたのお屋敷なの?」
答えるのに戸惑いのような間があった。
けれどクレインは快く答えた。
「こちらはパーシバル将軍のお屋敷なんです」
「そうなの?」
「はい」
「…」
馬車の窓から屋敷をじっと見る。
見たことがあるような…そんな気がする。
それ以上にセシリアは、ここに彼が住んでいることに強く心を惹きつけられた。
あの時以降、言葉を交わすことはほとんどなかったが、よくこちらを見ている気がしていて。
答えてはくれないだろうが、会いたい。
再び彼に会いたい――そんな思いがあった。
「せっかくなので、将軍も誘ってゆっくりしようかと思ったんです。
将軍は、こういう休暇のときでも執務をする方ですから」
クレインが肩をすくめ、ため息混じりに呟く。
「これからうかがいますので――」
「ねえ、私も一緒に行って構わない?」
これにはクレインと、聞いていたクラリーネ。二人とも目を丸くする。
一瞬だけ。
「…構わない?」
「あ、はい! 大丈夫ですよ」
了承の返事をもらって、セシリアもひらりと馬車から降りる。
「クラリーネはどうする?」
「私はお待ちしておりますわ。お兄様、セシリア様、行ってきてくださいまし」
「ごめんなさい、クラリーネ。では行って来るわ」
クレインのエスコートを受けて、セシリアはパーシバルの邸宅へと足を踏み入れたのだった。
案の定、パーシバルはわずかな休暇だというのに自室で書類に目を通していた。
執事に来客を伝えられ、ようやく手を止める。
「将軍…やはり、執務中でしたか」
「クレイン。何か用か?」
単刀直入な物言いだ。そんな彼の様子にため息をついて、クレインは返す。
「いえ、せっかくの休暇中と思いまして。だというのに将軍。それではいつか倒れますよ」
「仕方ないだろう。魔道軍の件もある。今は私とダグラス殿が――」
「将軍!」
クレインの剣幕に、何事かと目と瞬かせる。
彼が扉の後ろに視線を動かしたのを見て、合わせて視線をそこにやると――。
「……」
気が付かなかった。
そこに本来魔道軍を統括するはずの人物がいたのだ。
「こんにちは」
視線にペコリと、一礼して彼女は挨拶する。
言葉では答えずにパーシバルは目礼して返し、中に入るように促す。
「…で、何の用だ?」
話を本題に戻す。
クレインは少しホッとした様子で本題を告げた。
「今日はせっかく天気もいい休暇の日ですから、我が家でお茶でもどうかと思いまして。
将軍はたまの休暇でも執務に追われる方ですからね」
皮肉混じりの言葉に、わずかに眉根を寄せる。
構わずにクレインは続けた。
「どうでしょうか。今ここで休養を取らないと、いつ次休めるかわかりませんよ?」
「……」
考えた。
確かにその通りである。弟代わりである彼の提案を断る理由はない。
しかし答えを阻んでいるのはセシリアの存在。
下手に刺激をしてはいけない。罪を犯した自分が傍にいてはいけない。
主の命と、自分の罪から判断して導いた答えを出そうとした時――。
「せっかくの休暇ですから、ゆっくりお休みになるのもよろしいと思いますわ。
クレインもそう言っていますし、お身体に良くないのではありませんか?」
いつも、彼女に言われていた。
(執務に熱心なのはよろしいですけど、休息も取らなければ気も滅入りますし、
なにより身体に良くありませんわよ)
その時の彼女の表情を覚えている。
本当に自分を気遣ったような、そんな瞳。
それに勝てずに、よく二人で休憩していた。
一人で執務に打ち込む自分に、彼女はよく言った。
(将軍。決して一人で全てを抱え込むような事はしないでください。
…ダグラス殿やクレイン…それに、私もおりますから)
あの時は主君を失ったとばかり思っていた。
現実から逃げようと、執務に打ち込んでいた。
彼女はそんな自分にこうも言った。
(悲しむのは当たり前ですが、振り切ろうとするあまり、自分を痛めつけるのは良くありませんわ。
それこそ、殿下は悲しみますわ。……)
言葉の最後は聞き取れなかった。
けれど、瞬間瞳に悲しみが宿ったのをよく覚えている。
その記憶がひどく遠く感じる。
感傷――というべきなのか。
記憶を求めてか、パーシバルは半ば観念したような口で言った。
「…分かった。久々にリグレ公にもお会いしておきたい。行くとするか」
「はい。外に馬車はありますので、お支度が済み次第どうぞ。
それでは私達は外で――」
「待て、クレイン」
セシリアとうなずき合い、部屋を出ようとした時クレインは鋭い声に止められた。
紫の瞳を瞬かせて、彼を見る。
「話がある、少し残れ」
「は、はい。…わかりました」
戸惑いがちな返事だ。クレインはそれからセシリアの方をちらりと見る。
その仕草だけで心情を判断したパーシバルは即座に言った。
「先に外で待っているといい。少し話をしてから行く」
「はい。ではお待ちしております」
ペコリと一礼して、部屋を出る。
程なくして扉が閉められた。
(どんなお話をするのかしら。すごい剣幕だったけれど)
先ほどの声が頭の中で繰り返される。
「……」
どんな話をするのだろう。
好奇心に駆られてセシリアは息を潜め、扉に耳を当てた。
(どうして、あいつも連れてきた)
苛立ったようなパーシバルの声が聞こえてきた。
後にクレインの困った声も聞こえてきた。
(どうしてと仰られましても。ご本人が行くと仰ったので…)
もしかして、私?
自分のことで話をしている。
続きが気になって、セシリアはさらに聞き耳を立てる。
(お茶の話はクラリーネの発案です。父上や母上も、心配していたというのもありますが。
…将軍、最近のあなたはどこかおかしいですよ?
特に、あの方のことになると、避けている)
逆に苛立ったらしく、クレインが声を荒げた。
…私を、避けている…?
言葉にズキリと胸が痛んだ。
どうして私を避けるの? なぜ?
思っていると、辛そうな…そんな声を聞いた。
(…私は、あいつに会わせる顔がない。今の状況は――私が作り出したようなものだからな…)
あなたが…?
(私は咎人だ。それに殿下の命もある。だから私は、セシリアに会ってはいけない)
(…将軍…)
(…私はそれだけの、罪を犯した。故に生きていてくれた…それ以上を望んではいけない)
…言葉の端々から伝わる、悲しい感情。
私が、あの方を、苦しめている。
今の自分そのものが、重荷。
思った時クレインの声が聞こえてきた。
(そのような事をおっしゃらないでください。それではお二方とも悲しすぎます。
記憶がなくて一番辛いのは、あの方なのですよ)
(…それは、分かっている)
(だからこそ、あなたが支えるべきなんです。
…僕は知っています。実は――)
(待て)
制止の声がかかって、クレインが口をつぐむ。
その直後、鋭い声が外に向けられた。
「誰だ!」
「!」
慌てて扉から離れ、急いでその場を去る。
途中痛々しい感情が、胸を苦しめた。
(私は、あの方を苦しめている)
…私は…何者…?
知りたい。思い出したい。
でも、怖い。
思いを揺らしながら、セシリアは外に待つ馬車へと走っていった。
リグレ公爵家邸宅での茶会は、優雅なものとなった。
兄妹の両親、パント卿とルイーズ夫人も参加したため、華やかさが一気に増したためである。
二人は子供達から事情を聞いているので特にセシリアに対して言及せず、
気遣いながら、時間を過ごした。
その日は一家の好意により晩餐にも預かり、歓談すれば時間はあっという間に夜になっていた。
帰り用の馬車も、リグレ家が用意してくれた。
「どうぞお帰りはこちらの馬車で。将軍もご一緒に」
にこやかな笑みで言うクレインに、パーシバルは顔をしかめた。
しかし、クレインの笑みは有無を言わさない。
「せっかくですから。それに貴婦人のエスコートも、男性の務めですよ」
言われてパーシバルも、何も言えなかった。
「そう言うわけですから。それでは今日はありがとうございました」
「おやすみなさいませ、セシリア様。パーシバル様」
クラリーネの一礼を受けてから、二人は用意してくれた馬車に乗った。
馬車は門を出て、まずはセシリアの泊まっている宿へと行く手はずだ。
ガラガラと車輪が音を立て、アクレイアの街を走る。
窓から街並みを見つつ、セシリアはちらりと横目でパーシバルを見た。
その切れ長の青い瞳からは、感情を読みにくい。
話がしたかったのではないか、と自分を奮い立たせる。
しかしあの話を聞いてしまった今、重荷でしかないのなら下手に話し掛けても
辛いだけではないだろうか。
顔を伏せて、目を閉じる。
「……どうかしたか?」
ふと、彼が声を掛けてきた。
顔を伏せた事で何か思う事があると思ったのだろうか。
実際それは事実なのだが。
「いえ、少し考え事を」
少々無理をして笑った。
だが、それはあっさり彼に看破されてしまった。
「無理をするな。…昼間のあの事を、考えていたんだろう」
「……」
やっぱり、聞いていた事はばれていた。
申し訳なく頭を下げた。
「…申し訳ありません。出来心で…私…っ」
「謝る必要はない。私のほうが、謝らなければならない」
彼が首を横に振る。
「私は、咎人だ。どうしたとしても、消えない罪を犯した」
また聞いた、その言葉。
何に対しての罪か、それが自分とどうかかわりがあるのか。
その疑問に対して真っ向からぶつかろうと思った。
「いったい、その罪とは何ですか? …教えてください」
決意を秘めた眼が、真っ向からパーシバルを捉える。
実際彼女の本音は辛いのだ。
いつも、見る瞳は悲しみを秘めていて。瞳を見るのが自身辛いのだ。
彼は始め、口を開く事に迷っていた。
しかし決然とした瞳を見て、重かった口を開いた。
「…お前を助けられなかった。記憶をなくして苦しんでいる。それが、私の罪だ」
助けられなかった。
その言葉は絞り出したような声で、心からの後悔と懺悔。
「…私を…助けられなかった」
「…ああ…」
それは自分が彼に近しい者であるという証拠。戦場にいた。きっとその事を言っている。
だが、もし自分が戦場にいたとしてそのような事になったとしても――。
「…ですけど、それは私の責任です。あなたが気に病むことはありません」
「…だが、お前のその苦しみを招いたのは、私の責でもある」
目を閉じている。
自分の責任だと言い、苦しみを向けている。
それがとてつもなく嫌だった。
(あなたが苦しむ事はないのに。私の責任なのに)
声をわずかに震わせて、荒げた声で言った。
「そんなに…思い詰めないで下さい…。あなたが傷つくことはありません…。
きっと、記憶があっても私は…あなたを責めはしません。
すべて私のせいです…!」
立ち上がるように身を乗り出した瞬間、ガコンと、馬車全体が揺れた。
バランスを崩して倒れそうなところを咄嗟にパーシバルが支える。
「大丈夫か?」
「あ、は、はい…」
鍛えられて逞しい腕。大きな手。
とても温かい感覚に、途方もない安心感を覚える。
周りからの評価は「冷たい」や、「何を考えているのか分からない」とか聞くが、
そんな事は思わない。
ただ、ちょっと不器用なだけで本当は優しい人だ。
でなければこんなに温かくは感じない。
全てを委ねてしまいたくなるような甘美な感覚を感じる事はない。
きゅっと、いつの間にか服の袖を掴んでいた。
「何があった」
彼女の心情に気がつかず、そのままでパーシバルは外の御者に声を掛けた。
馬車は止まっていた。
「すみません、何か道に転がっていたようでそれが車輪に当たってしまいました。
急いで修理しますので少しお待ちください」
「分かった」
どうやらしばらくこのままらしい。
(いっそのこと、刻が止まればいいのに)
思った瞬間、どうしてそんな事を思うのだろうかと自問した。
(私は…この方の傍にいたいから…?)
でも、苦しむなら。
いっそ自分がいない方がいいならば。
「…私は、あなたにとって、邪魔者なのですか…?」
「な、に?」
戸惑ったパーシバルの声。
腕の中で、まくし立てるようにセシリアは思いをぶちまけた。
「そうでしょう。私がいれば、あなたは悲しい顔しかしません。
ならばいっそ私はいない方がいいので――」
「違う」
強い言葉に、びくりと肩を震わせた。
その腕に篭った力には、セシリアの方が戸惑う。
抱き締める形で深く息を吐いてから、パーシバルが続きを口にする。
「…そうかもしれない。これが私の咎だからな。だが、邪魔だと思ったことは一度もない。
いてくれるほうが、助かる」
「…本当…ですか…?」
目尻が熱くなった。
どうしてだろう。
どうしてこんなにも、涙が溢れてくるのか。
いてくれるほうがいい。こんな女を必要としてくれる。
それが、とてつもなく嬉しかった。
「だからそんなことを言うな。…私も、改める」
「ええ。だから…もう会わないとか…仰らないでください…」
「…ああ。済まない、セシリア」
「…パーシバル…様…っ」
温かい感覚に包まれ、胸の中で泣いた。
嬉しさの涙だった。
戻ってから眠ると、夢を見た。
かつての自分の夢。幸せな自分の夢。
自分が何者かは掴みかねたが、幸せだった。
その源たる者――傍にいたのは、彼だった。
目が覚めて、セシリアは確信した。
一粒の涙を流して。
「…私は…ずっと…あの方を愛していたんだわ…」