信念の牙  中編







 ガーン、ガーン、ガーン。
 響き渡る、金属の鈍い音。
「ライナスさーん!」
 呼びかける声。間近で響いていたのでうるさく、寝ていたライナスは飛び起きた。
「なんだよ、うるせーな…」
「やっと起きた。もう朝ご飯出来てますよ」
 寝ていたライナスをたたき起こしたのはイーリス。朝食の準備が出来たというのに起きないので
 フライパンとお玉を使ってガンガン音を鳴らしていたのだった。
「なんだ、飯か。…兄貴は?」
「俺ならここだ」
 ロイドはすでに起きており、すっかり支度も整えている。
「少しはロイドさんを見習ってください。朝食の手伝いだってしてくれましたから」
 ジーッとジト目で見るイーリス。「分かった」と言って謝りながらライナスは出来あがった朝食に目を向ける。
 いい匂い。食欲をそそる。
 的確に香辛料を使った料理は見た目も香りも美味しそうに思える。
「早く朝飯にしようぜ。腹減っちまった」
「わかりましたから」
 はいはい、とため息を少々ついて、朝食へ。
 大の男二人は食べる量も尋常ではない。始め作った時、作る量にイーリスも驚いた記憶がある。
 自分がいつもの量を食べる合間に、二人は倍以上食べるのだ。
 しかも、ライナスは自分の料理を気に入ってしまったようで子供のようにお代わりを求めることも。
(食費、かかるわね…)
 と、頭が痛い。
 食べ終わって、片付け。これは三人の共同作業。
 近くの小川から水を汲んできて、食器と器具を洗う。
 終わって一息ついてから、三人は地図を広げた。
「さて、今までに情報を集めた結果だが…」
 地図上に書かれた赤い印を次々と示す。
「ほとんど無差別だな、これは」
「そうだな。かなり広い範囲にあるよな」
 ロイドとライナスが地図とにらめっこ。
 デビル・ヴァルカンに滅ぼされたと思われる町や村の場所を聞き込みした結果得られたのだが、
 活動はかなり広範囲に及んでいる。ただ、ベルンの北西部が多い。
 それ以外にも被害はほぼ全域にあると思われるが、気になる。
「…気に、なるんですけれど…」
「? なんだ」
「…被害は大体全域。しかし地方別…いえ、領地別に分けてみた場合…
 多い場所と少ない場所があるように思われませんか?」
『!!』
 言われてロイド、ライナスは地図を改めて見返す。
 ベルンは王国制を取っているが、地方は貴族たちが治めている。
 これは西のエトルリアも同様だが。
「…兄貴、確かにそうだな」
「ああ。領地によっては少ない場所と、多い場所がある。これが意味する所は、なんなのか…」
「襲われた場所はどのような所だったのか、いつ頃襲われたのか、それも詳しく調査する必要がありますね…」
 方針が決まって、再び三人は聞きこみを開始することにした。





 聞き込みをすること、三日。
 だいぶ情報も集まり、判断には十分。地図に改めて書き込む。
 するとあることが分かった。
「…襲われた町や村は、その領主たちに対し不満を持っていた…。
 それが意味することは一つ。ベルンの貴族と繋がっている」
 三人の結論はそうだ。
 自分たちに仇なそうとする者がいれば、全滅させる。
 なんという非情な人間たちなのだ。
「けれど結構これはリスクも抱えていますよね。税収とかが少なくなるのに…」
「大方、奪った金品を回収しているんだろう」
「なんて連中だ。兄貴、こいつら全滅させようぜ。『牙』の名にかけて許しちゃおけねえ」
 ライナスが憤る。
(…『牙』…。また、出てきた)
 特別な意味を持つ言葉。意味する所はなんなのか。
 聞き込みをしているときも、何度か出てきた。
 二人は『牙』と言われていた。だがそれは二人だけを示している言葉でもない。
 何かの組織を表す言葉なのか。
 疑問を解決しようと、イーリスが口を開いた。
「…お聞きしたいのですけれど、『牙』って、何ですか?」
『……』
 二人が黙る。空気が一変したのがよく分かった。
 張り詰めた、剣のような空気。
「…世の中には、知らなくていいこともある」
 ロイドが「聞くな」と言うように言う。
 しかしそれはイーリスに一つのことを判断させた。
「…それって、その『牙』が裏の組織だって言っているようなものですよ?
 表に出せないことを請け負う、裏稼業の組織だと」
「……」
「でも、あなたたちの性格から判断すれば、義賊――。
 法で裁けない者たちを、裁く組織。そうではないですか?」
「……その通りだ」
 観念したようにため息をついて、ロイドは言う。
「兄貴、いいのかよ」
「そこまで分かったなら、隠しても仕方ないだろう。確かに俺たちの組織は暗殺を生業にしている」
「…!」
 暗殺者…。
 背筋に寒気が走る。
「俺たちは『黒い牙』。ベルンじゃ知られた暗殺集団だ。弱者を食いものにする貴族たちを狙う、義賊だな」
「…だから、街の人たちは喜んだ顔だったんですね」
「俺たちが裁くのは悪人だけだ。今回のような件を起こす連中も許されない。だから、今回の件に乗った」
「そうだったんですか…」
 感慨深げなイーリスの言葉。その言葉や、彼女の表情などには侮蔑などの感情はない。
 それが気になったか、ロイドが今度は逆に聞いてきた。
「――さて、こっちが答えたからには、答えてくれないか? 君は、何者なんだ?」
 彼女はすぐに返してきた。
「旅の軍師――それではご不満ですか?」
「当たり前だろ。俺達はちゃんと正体を明かしたのによ。公平じゃねえだろうが」
 ライナスが突っかかる。
 仕方ないかなと思ったイーリスは二人に他言無用としっかり言い聞かせてから、事情を明かした。
『……』
 二人が呆ける。
 それはそうだろう…。事情が事情だから。
「言っておきますけど、今は家出中ですから。それと決して他言無用でお願いします。
 私も、他言しませんから」
「いいだろう。だが、もう一つだけ、聞きたい。どうして、正体を知った俺たちを恐れない?」
 彼女は、ニッコリと答えた。
「あなたたちが、いい人だからですよ。法で裁けぬ人間を裁く――私も、以前そうしましたので」
 …なんという経験をしているんだ、彼女は…。
 ロイドは心の中で、そう思った。
「だから、今回の件はデビル・ヴァルカンの壊滅と、裏にいる貴族たちに非道を止めさせることが目的になりますね」
「それで止められるのか?」
 ライナスの問いにイーリスは答える。
「口ぶりからすれば、『黒い牙』は相当貴族たちから恐れられていると思います。
 だから、狙っているとの動きを見せれば大人しくなると思いますよ」
 ニッコリと、有無を言わせない笑みで彼女は言い切った。
 人間我が身が可愛い。暗殺の警告をすれば大人しくなるはず…。
 だが、手を下さない考えを示したのは、さすがに死なせることはないだろうという優しさか。
(…頭は切れる。けれどあいつのように優しい子だな…)
 と、ロイドは心の中で呟いていた。




「よお。ロイド、ライナス」
 あれから本拠地を突きとめようとして二日。森の中の街道を歩く三人の前に突然一人の男が現れた。
 紺色のバンダナを額に巻いた、長い薄紫色と銀色が混じったの髪の男。
 左目のほうに、傷が長く走っている。
「なんだ、可愛い子連れてよ。隅に置けねえな」
「冗談言ってんじゃねえよ、ラガルト」
 ライナスが飄々とした態度に不満そうな声を出すが彼――ラガルトは意に介さない様子。
「ラガルト。どうだった?」
「なあに、バッチリさ。奴らの本拠地を突き止めたぜ」
「さすがだな」
「……あの〜」
 置いてけぼりを食らったイーリスは、自分の存在を主張するためにも声を出す。
 それで三人、彼女の存在を思い出す。
「おっと。済まない。――紹介しておこう。こいつはラガルト。俺たちの仕事仲間だ」
「よろしく」
 何を考えているのか、わからない感じの人間。けれど、悪い人間ではないのは分かる。
 仲間だと言うなら、彼も暗殺者だろうに。そんな人間ではないと思わせてしまう。
「イーリスです。よろしくお願いします」
 会釈をしてイーリスは挨拶をする。
「それじゃ、本拠地まで行くか?」
「ああ。ウハイの奴も一緒だ」
「なに? あいつもいるのか?」
 これには驚いた顔をするロイド、ライナス。
「すぐそこで待たせてある。そんじゃ行きますか」
 と、ラガルト先導で進む。
 確かにすぐそこにいた。
 少し進んだ街道の分かれ道の所に、そのウハイはいた。
 馬にまたがっているが、その馬は普通より脚が太くしっかりしている。
 下げているのは馬上でも使えるようにした短弓。
 そして独特の衣装と顔立ち。
「…草原の民…?」
 イーリスは先の経験で、二人の草原の民に出会っている。
 一人はかけがえのない友人もあるキアランの姫、リン。
 もう一人はその彼女を助けるために手を貸してくれたクトラ族のラス。
 二人を彼女は真っ先に思い出していた。
 懐かしくなってその瞳を細める。
「よお、ウハイ。待たせたな」
「……その娘は?」
 ウハイはそれに応えずイーリスを視線で示した。
 ロイドがこれには答える。
「協力者だ。名前はイーリス」
「…そうか。我が名はウハイ」
「…よろしくお願いします」
 口数が少ないなぁ、と思う。
 ラスもそうだったが、草原の男は皆寡黙なのだろうか。
「じゃ、本拠地を確かめるぜ。――ここだ」
 ラガルトが地図にある一点を印す。場所はベルン北西部の山中。
 聞き込みをして被害の多かった地域でもある。
 なるほど、と思った。本拠がここなら近場の被害が大きいのは確か。
 それ以外の場所の被害があるのは自分に反発する領主達からの要請を受けて滅ぼした場所なのだろう。
 一応推測は当たっていたことになる。
「…敵の規模や、本拠の地理はどうなっていますか?」
 イーリスは当然ながら、尋ねてみる。戦闘を仕掛けるのだから戦力などを把握しておかなければならない。
 地の利は敵にある。その場合いかに罠にはまらずに戦うかが勝負。
「大体四十人程度。山中の洞窟を利用したアジトだ。ちょいと崖があるから行く時には気を付けねえといけないな」
「ありがとうございます、ラガルトさん」
「いいってことよ」
 さて、とイーリスは考えた。メンバーは自分を含め、五人。
 使える武器は見たところほとんどが剣。ライナスが多少斧も。ウハイが弓矢。そして自分が理魔法。
 この十数日旅をしていてロイドとライナスの実力は嫌と言うほどわかっている。
 辺りの賊など、まるで相手にならない。とんでもない実力の持ち主なのだ。
 しかも兄弟ゆえにコンビネーションは抜群だ。
 他の二人の実力は判らないが相当だろうと思う。
 実力は自分が一番ないが、その分を補う知力はあると思っている。
「では、行きましょう。奴らを倒しに」
 全員が、それにうなずいた。




 ベルン北西部の山中に、奴らのアジトはある。
 山登りは、体力的にイーリスは少し辛かった。
 なるべく弱音は吐かないようにしていたが、中腹まで来てさすがに限界を感じ、休憩を提案する。
 彼女の体力に納得した四人は提案を受け入れてくれた。
「す、済みません…」
 水筒の水を一気に飲み干す。張り詰めた脚の筋肉を揉み解し、疲れを取ろうとする。
(やっぱりもう少し体力をつけないといけないわね…)
 と、しみじみ思う。
「…イーリス…と言ったか?」
「あ、はい」
 ふとウハイが呼びかけた。それに応えるイーリス。
「馬には、乗れるか?」
「え? はい。乗馬は出来ますけど」
「なら、休憩を終えたら乗るがいい」
「は…はい。ありがとうございます…」
 草原の民は寡黙だが、他者を慈しむ心は強い。
 さりげない優しさにこの人も本当に、草原に住む人なのだな…と思う。
「…草原の民は、優しい人たちばかりですね」
 そうして呟いた言葉に、四人が目を向ける。
「へえ、お前さんサカに知り合いがいるのか?」
「ええ。と、言っても二人とも旅をしていましたが…」
 今頃本当にどうしているのだろう。
(リンはキアランの姫としてきちんとやっているかしら。ラスは、どこかで傭兵をしているのでしょうね)
 クスリ、笑みがこぼれる。
「…友人か」
「…はい。私の大切な友人です」
 ウハイの問いに、思いを胸に答える。
 その答えに、満足したのか。彼の目が少し柔らかくなった気がした。
「……」
「なあ、イーリス」
「?」
 ラガルトが呼びかける。なんだろうと彼の顔を見ると質問が来た。
「お前さん、どうしてこんなことに首突っ込んだんだ? 面倒にわざわざ関わるなんて、よ」
 彼の言葉は確かにそうだ。
 面倒としか言えないことにわざわざ関わるなど。
 人間は普通、面倒を嫌う。しかし――。
「…許せなかった。それだけです」
 今度は、あの惨状を思い出しながら答える。
 自分の欲望のためだけに、罪もない人たちを虐殺するなどと、誰が許せるだろうか。
 それを煽動しているのが貴族たち。
 …腐った貴族はどこの国でも同じ…。
 奴らが許せない。その怒りをかみ締める。
「…そうか。悪いな」
 感情を察したのか、ラガルトもそれ以上は聞かなかった。
「…足はもう平気か?」
「…はい。なんとか」
「じゃ、行くぜ」
 休憩を終えてまた歩き始める。イーリスは好意に甘えウハイの馬に乗せてもらっている。
(しかし、ベルンは山が多いわね…)
 下を見下ろす。
 崖があり、下には川が流れている。
 死ぬことはないだろうが落ちたらひとたまりもない。
「…敵、だな」
 ロイドが警告の言葉を発する。各々が武器を構えた。
 イーリスは馬から降りて魔道書を構える。入れ替わりでウハイが乗る。
「――!」
 矢がこちらに向かって飛来する。避けたり捌いたりして初派を防ぐ全員。
 だが、空から獣の咆哮が耳を震わせた。
「え…飛竜…!?」
 上空から敵が襲いかかって来る。しかしこれはすかさずウハイが矢を射掛けて牽制したので攻撃は阻止する。
「さすがは、ベルンね…。飛竜が来るなんて」
 飛竜はベルンにのみ生息する生物だ。飼い馴らして人間が騎乗出来るようにし、軍に使用したのが竜騎士。
 攻撃力と機動力を兼ね備えたこの軍は電撃戦に真価を発揮する。
 山の多いベルンでは高低差と斜面という条件を利用することが出来るので、守りにも適している。
 そんな竜騎士だが、弱点もある。
 先ほどウハイが射掛けた矢。そして魔法。同じ飛兵である天馬騎士と違って魔法に対する抵抗が少ないためだ。
 特に弱いのは風魔法。翼を切り刻まれれば、待っているのは墜落と――死。
 すぐに判断したイーリスはウインドの魔道書を手にした。
 だが、しかし。
 敵の飛竜使いは近くの地面に向かって槍を投げ付けた。
 地面にヒビが入り、ガラガラと崩れ落ちる。
「しまっ…!」
 地面の崩壊に巻き込まれないようにと移動するが大勢の敵がその間に来て足場をなくしていく。
 そして、空から襲ってくる。
「ウインド!」
 迎撃に放った風の刃が飛竜の翼を切り裂いた。
 が。
「キャー―ッ!」
 その瞬間、地面が崩れ落ちた。
「イーリス!」
 ロイドが手を伸ばすが、間に合わない。
 彼女はそのまま落ちていく。
(みんな…!)
 衝撃に、意識は遠のいていく。
 同時に大きな水飛沫が河であがった。






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