信念の牙  前編







 イーリスは、ベルン王国西部の街道を歩いていた。
 茜色に染まった空は、時刻が夕方と示している。彼女は地図を眺め、これからのルートを確認する。
「えっと…このまま真っ直ぐ行けば町があるわね。今日はそこに泊まりましょうか」
 急ぐかな、と思って足を速める。
 イーリスがベルン王国に足を踏み入れたのは軍師修行のためだった。
 この国は軍事大国だ。戦術書も参考になるだろう物が入手できるだろうと思ったし、
 山が多く隠れた賊もなかなか多いと聞いた。そんな賊たちを倒すために結構多くの傭兵たちがこの国にいるらしい。
 普通なら国の領主や騎士達が対処するのだが、最近のベルン王国は上がダメらしいとの噂を聞いたことがある。
 上がダメでは下の叫びなど届かない。よって自分たちで何とかするしかないのだ。
 そのために傭兵たちが雇われることもある。どこかの傭兵団に加わって軍師修行をしようと考えていた。
 ふと、はるか前方に煙が上がっているのを見る。普通、家庭が火を使えば煙は上がるが、何か変だ。
「…煙…にしては変だわ。妙に黒いし量も多い…。まさか…!」
 不安なものを感じてイーリスは町へ向かって走った。
「…!!」
 惨状に、イーリスは言葉を失った。
 火を掛けられて無惨にも黒く変わり果てた町。木や石で出来た家々は崩れ、そこらじゅうに瓦礫の山がある。
 活気があったであろう面影などどこにもなく、ある者は切り刻まれ、またある者は焼かれて殺されたであろうか。
 数々の死者が横たわっていた。
「……」
 リンディス傭兵団にいた時でも、こんな惨状は見たことがなかった。
 あまりにも凄惨な光景に胸の奥から嫌なものがこみ上げて来る。だが、イーリスはそれを抑えて町の中に入った。
 まだ、生存者がいるかもしれない。
 町の中は火こそ消えていたものの、まだ熱があった。日も落ちかけているがそれでもわずかな望みをもって町中を捜す。
「誰かいませんか!? いたら返事をしてください!」
 小さな町であったが、町中を廻るのは時間がかかる。
 やがて日が落ちた頃。声を枯らしかけてまで叫んでいたイーリスの耳に、呻き声が入ってきた。
 魔法で光の玉を出して辺りを照らす。周りを見まわして捜せば――いた。
 瓦礫の下に一人、男性が倒れている。急いでイーリスはその瓦礫をどかして救助作業に入った。
 しかし、これは彼女には困難な作業だった。小さな瓦礫ならどかせるが、大きな瓦礫は彼女の細腕では無理だ。
 男性の両足にのしかかっている瓦礫が大きすぎてどかせない。
 どうすればいいか考える。
(剣で壊せるかしら。魔法を使うって手もあるけれどこの人を巻き込みそうだし…)
 だが事は一刻を争う。
(…あの時のような力が出れば、簡単に壊せるでしょうけど…)
 辛い思い出がよみがえる。この剣が力を発揮したと同時に、戦いたくない人を殺めたあの時を。
 あのあと自分で色々試したが力を発揮することが出来なかった。
 だからどうすればあの力が発揮されるのかよくわからない。
 頼ることが出来ない。
 そんなことを思っていると。
「おい、どうしたんだ?」
 声にイーリスは振り返った。
 魔法の光に照らされた影は、二人の男。
 両者とも剣を持った傭兵風。裾が少し古びたコートを着ている。
 二人とも背は高いし、片方の男は大柄で逞しい身体の持ち主だ。
 無精髭を生やしたもう一人の男は比べれば体格はないが、それでも一般的な男性から比べれば大柄だ。
 相当鍛えた人間だろう。
「…人命救助か」
 無精髭の男が、言う。灰で煤けたイーリスの姿と瓦礫の下に埋まっている男性から判断したようだ。
 大柄な男の方に向かって、言った。
「ライナス、どかすぞ。手伝え」
「分かったよ、兄貴」
 どうやらこの二人は兄弟のようだ。確かに顔つきは似ている。
 二人が手伝ったくれた事で男性を救助することが出来た。イーリスは荷物から傷薬を出して応急処置をする。
 しかし足の骨が折れている。きちんとした場所に連れて行って処置をしないと危ない。
 イーリスは二人に尋ねてみた。
「すみません。近くに町があるかご存知ですか?」
「ああ。ここからだいたい南に二日行けば街がある」
 二日…。
 判断し切るとイーリスは二人を見上げ、言葉を出した。
「お願いがあります。この人をその街に連れて行って、手当てをさせてあげてください。
 私では時間がかかってしまいますから…」
 返事に若干時間があった。しかし返事は彼女にとって嬉しいものだった。
「わかった。――ライナス、お前が街まで連れて行ってやってくれ」
「いいのか? 兄貴」
 訝しげに尋ねる弟ライナス。声音からして、その決定で良いのかと聞いているようだ。
「構わないだろう。こういう連中を助けるのも、俺たちの役目だ。俺はこの子と一緒に他に生存者がいないか見る。
 街の入り口で落ち合おう」
「分かったぜ」
 男性を抱えて街へ向かうライナス。男一人抱えているのに足が速くイーリスは驚く。
(相当の体力と身体能力の持ち主ね…)
「さて、と」
 彼の呟きに我に帰る。彼の方へと向き直るとイーリスは礼を言った。
「ありがとうございます。見ず知らずなのに」
「それは、君も同じじゃないか?」
「…それは、そうですけど…見過ごせなかったので」
「俺も同じさ。とりあえず生存者を捜そう。二手に分かれるか」
 言葉にうなずくイーリス。
「その方が早いですね。…私、イーリスって言います。あなたのお名前は…?」
 尋ねると、ほんの少しだけ間があったが彼は答えてくれた。
「俺はロイドだ」
「それではロイドさん。行きましょう」
 二手に分かれてイーリスとロイドの二人は生存者を捜しに闇に包まれた町を歩きまわった。




 捜索を終えて町に着いた二人はきちんと入口で待っていたライナスと落ち合った。
「どうだった? 兄貴」
 尋ねられるとロイドは緩く、首を横に振った。
「…あいつしか生存者はいなかった。今、どうしてる?」
「教会に運んで手当てしてもらってるぜ」
「そうですか。ありがとうございます、本当に」
 恭しく礼をするとライナスは少し照れた様子になった。
「対したことはしてねーよ。で、どうするんだ?」
「…あんなこと、許せません…。事情を聞きたいと思っています」
 そう言うと、ロイドが同意するように言う。
「確かに、普通の人間をあんな風に虐殺するのは許せないな」
「それじゃ、仕事か?」
「そうなるな。報酬はあまりないが、そのために仕事してるんじゃないからな」
 背負った剣をちらり横目に見る。
(…ただの傭兵じゃ、ない…?)
 イーリスは思うのだが、自分もあまり人のことは言えない立場だと気付く。
「と、いうことはお二人も事情を聞く事に…?」
「ああ。じゃ、教会まで行くか」
 そうして三人は男性を運んだ教会まで行く事にした。
 男性は手当てを受けたので意識は戻っており食事もきちんと摂れるようになっていた。
 ただ足の治りはまだで、ベッドから離れられない生活だ。
「大丈夫ですか?」
「あなたたちは…僕を助けてくれた人たちですね。ありがとうございます、お礼を言います」
「いえ。ですけど…聞かせて欲しいんです。誰に町全体が襲われたのか…」
 男性は押し黙る。迷っているようだ。
 だが、ロイドが言う。
「事情を話せば少しは楽になるかもしれないだろう? それに俺達は――『牙』だ」
「…!!」
 男性の顔が一気に変わった。
(…『牙』…?)
 彼女の疑問をよそに彼はすがるように、話し始める。
「僕たちの町を襲ったのは、「デビル・ヴァルカン」…ベルンではかなり有名な盗賊団です」
『……』
 ロイド、ライナスの表情がわずかに変わる。どうやら知っているようだ。
「…いきなりのことでした。一団が押し寄せてきたかと思ったら町を破壊し、火をつけ、逆らった男達は皆殺しにされ…。
 女は慰みものにされた上で連れていかれたり、殺されたり。子供も殺されました…」
「…なんて酷いの…」
 なんと言う冷酷さなのか。
 かつてリンから聞いたタラビル山賊団と同じぐらい残酷だ。
「僕だけは瓦礫に埋まってしまったため、死んだと勘違いされたようで無事だったのですが…。
 お願いです。何も僕からは礼が出来ませんが…どうか奴らに裁きを…」
 最後まで言わせず、ロイドが言った。
「…礼はいらないさ。そんな悪人は、俺達が裁きを下す。朗報を待ってな」
「…は、はい。ありがとうございます…」
 涙を流して、男性は感謝していた。




「…あんたは、どうするんだ?」
 教会を出て、イーリスは尋ねられた。
 すぐに答えた。
「…そちらが良ければ、私もご一緒させて頂けませんか? …あんなことをする連中…許せない…」
 あの人の大切な場所を、家族を奪った連中だ。
 大切な友人は家族を賊に奪われている。その時の彼女の悲しみは、よく知っている。
 同じ事が起きている。なら、その人のためにも倒すべきだ――。
 イーリスはそう思っていた。
「…なあ、お前剣は持ってるが戦えるのか?」
 ライナスに言われる。ちょっとムッと来たが答えた。
「あなた方には劣るでしょうが、それなりに戦えます。それに私の武器はこれだけじゃありませんから」
 魔道書を見せるイーリス。
「魔法剣士か。珍しいな」
「そう言われます。…それに、私の本業は軍師ですから」
 それには、意外との反応を見せるロイドとライナス。
「軍師か。…なら、状況を見るのは得意だな」
「ええ。前にいた傭兵団でも頼りにされていましたし」
 前の傭兵団は、言うまでもなくリンディス傭兵団だ。あの厳しい戦いを勝ち抜いたことは自分にも自信になっている。
「…よし、なら組もうか」
「兄貴、いいのか?」
「彼女を止めることは出来そうにないからな」
 瞳を見れば分かる。強い意思が宿っている。分かったのでライナスは何も言わない。
「…決まり、ですね」
「ああ。改めて自己紹介しよう。俺はロイド。こっちは弟のライナスだ」
「よろしく頼むぜ」
「イーリスです。よろしくお願いします、ロイドさん、ライナスさん」
 こうして、イーリスは二人と組むことになった。
 ベルン王国の地図を広げて作戦会議に入る。
「最終目標はその「デビル・ヴァルカン」の壊滅…ですよね。
 ですけど、町一つを壊滅させるぐらいですから規模は結構大きいですよね」
「そうだな。本拠地も判明させないといけないからな。それに心配しているのは戦力か?」
「はい。三人だけではどうしても無理が生じてきますから」
「…それなら俺らに心当たりがある。仕事仲間に頼んでみよう。本拠地を突きとめられるかもしれない」
「本当ですか?」
 いきなり話がかなり進む。それにイーリスは驚く。だが気を取り直して言う。
「…とは言っても、ベルン王国は広いですからね。どの辺りに本拠地を構えているのか探る必要がありますよ。
 …聞きこみでもします?」
「時間かかっちまうぜ」
 ライナスの言うことはもっともである。さてどうするか。
「…確かに時間がかかりますね。ただ、それは無作為に情報を集めるからで、限定すればもう少し早まるとは思いますよ。
 …破壊活動の手口とかがハッキリしていれば特定しやすいですし」
「手口については聞いたことがある。徹底的に破壊して火をつける。その様相は火山のように」
「…だからデビル・ヴァルカン――「悪魔の火山」なんですね。
 それだけ手口がハッキリしていれば遠くの街でも話を聞けるでしょうね。
 ある程度は場所を特定出来ると思いますよ」
 これには二人、顔を見合わせる。イーリスは続けた。
「町一つを潰すのですから大勢になりますし、目立ちます。本拠地はどこかの山でしょう。
 そして破壊活動の範囲を調べれば大体特定出来ると思います」
「なるほど。目立ってしまえば戻る際に本拠地が特定されてしまう。そのために活動範囲が限られると言うことか」
「その通りです」
 ロイドの簡潔な言葉にうなずく。
「連絡は取ってください。詳細なことは綿密に調べないといけませんし」
「じゃあ兄貴。あいつに連絡するぜ」
「ああ、頼む」
 ピーッと口笛を吹くライナス。一羽の鳩が飛来する。伝書鳩だ。
「悪い、紙と書く物持ってないか?」
「あ、どうぞ」
 荷物から紙とペンを差し出す。
 ロイドは急いで紙に内容を書きつけ鳩の足に結ぶ。確認するとライナスは鳩を飛ばした。
 空へと羽ばたく。
「じゃ、連絡を待つ間…」
「聞きこみ、ですね」
 相談の結果分かれて聞きこみへと走ることにする。
(…許せない。あんなこと…。絶対に…)
 イーリスは思っていた。なんの罪もない人を虐殺する連中が許せない。
(…でも、『牙』ってなんなのかしら。…なんだろう…何か、引っかかるわね…)
 心のどこかに何か、ささくれのようなものがある。
 不思議に思いながらもイーリスは目の前のことを解決するために出きる限りのことをしようと思った。






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