〜調和を紡ぐ者たち〜 第9話









 エリウッドは街の広場から空を眺めていた。
 天候は快晴。一点の曇りもない澄みきった青空だ。
 しかし考えているのは、不安の影を落とすこと。この前出会ったキアラン公女リンディスとその一行のことだ。
 このカートレーで噂を聞いた。
 侯弟ラングレンがリンディスの名を騙る者を討伐するために協力を要請したということだ。
 事情を知っているエリウッドはラングレンの仕掛けた罠だと思う。
 だが事情を知らない他の諸侯はこれを信じるだろう。
 今頃どうしているのか、そんなことを考えていると。
「…?」
 曇りなき上空に見える影。その影が近づいて来る。あれは――天馬だ。
「エリウッド様っ!」
 聞いた声が耳朶を震わせた。周囲のどよめきと共に天馬が地上に降り立つ。
 彼女の傍にいた天馬騎士見習いの少女フロリーナと、軍師を務めているイーリスがまたがっていた。
「よかった。まだカートレーにいらっしゃったんですね」
「ああ。どうしたんだい?」
「力をお貸し下さい。フェレの公子であるあなたのお力が必要なんです」
「…ラングレンの援軍要請についてかな?」
 うなずくイーリス。
「宿で話をしよう。来てくれ」
 エリウッドが歩き出す。イーリスとフロリーナはその後を追う。
 宿の一室で彼は話を切り出した。
「僕も話を聞いた。ラングレンの仕掛けた罠だろう」
「はい。このまま援軍が来れば私達は確実に敗れます。それでエリウッド様のお力を貸して頂くために、
 私とフロリーナが先行してカートレーへ戻ってまいりました」
「うん。僕でよければ力を貸すよ。それで僕はどうすればいい?」
「そうですね…周辺諸侯のラングレンへの干渉を封じれば状況はこちらに傾きます。
 キアランの正規兵を擁しているのでこちらが不利に変わりありませんが、そうせざるをえなかったのでしょうから、
 封じられれば焦りを生むことができます。その隙につけこむ事ができるでしょう」
 状況を整理しながら話すイーリス。その姿にエリウッドは思う。
(彼女、状況をよく見ている)
「だとすれば、僕はキアラン周辺の諸侯にキアランへの干渉を止めるようにすればいいのかな」
「はい。ラングレンは彼女を偽者としましたが、それは確たる証拠がないため。
 逆に考えれば奴にも偽者と糾弾する証拠がありません。そこにつけこむのです」
「! なるほど。ラングレンの言い分に証拠はない。彼女は本当にキアランの公女だ。
 確たる証拠がない以上、諸侯もうかつには動けない…」
 彼女はうなずいて続きを引き継ぐ。
「その通りです。不確かですから、下手にどちらかに肩入れして後に自分が糾弾されてはどうにもなりません。
 自分を守るためと考えるならどちらにも干渉しない――つまり不干渉が最善策でしょう」
「…そうだな。しかし僕もそれ以上は手を貸せなくなる。それでもいいのかい?」
「…多分、リンなら「自分達の問題だから自分達でやる」と答えると思います。
 彼女は誇り高きサカの民ですから」
 クスリと笑う。その笑みにつられてエリウッドも少々笑った。
「そうかもしれないな。…さて、僕のやるべきことは、周辺諸侯への不干渉のとりなしだね?」
「はい。えっと、キアラン周辺の領地は…」
 地図を広げて確認する。キアランに隣接する領地は五つ。このカートレーにトスカナ、タニア、ラウス、サンタルス。
 この五つの領主――侯爵にキアランへの不干渉をとりなしてみる。
「サンタルスは問題ない。ヘルマン殿は実の息子のように良くしてくれた。
 カートレー、トスカナ、タニアも大丈夫だろう。ラウスは…なんとかやってみよう。一応ラウス公子は知り合いだし」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 すぐにエリウッドは動いた。書状をしたため、即座に諸侯の元に送る。
 返事を待つのみ。その頃…。
「ヒューイ、頑張ったね。さあ、お水よ」
 二人を乗せてほぼ休み無しで飛んだ天馬にフロリーナは労いの言葉と共に水を与える。
「フロリーナ」
「あっ、イーリスさん」
 そこに彼女が現れる。イーリスは天馬の首を撫でながら尋ねる。
「この子、名前はあるの?」
「はい。ヒューイって名前です」
「そう。ありがとう、ヒューイ。あなたのおかげでなんとかなりそうよ」
 喜んだように天馬は軽くいななく。
「後は結果とリン達待ちね」
「そうですね…。…リンがいないの、久し振りです」
「…サカでもフロリーナは一緒だったのよね。
 でも思うんだけれど、リンってちょっとフロリーナに対して過保護な気がするのだけど」
「…そうですか? …でも、確かに今までもリンと一緒だったから…」
 フロリーナは思い返す。
 傭兵団として一緒に旅をしていた中で、リンはずっと傍にいた。
 何かあればすぐに彼女は自分を近づけないようにしていた。その様相は過保護に見えるほどに。
 だからイーリスは言ったのだが。
「この旅で、少しは自信ついた?」
「あ…す、少しは」
「そう。私、フロリーナには偵察や援護ばかりお願いしているから、どうかなと思っちゃったんだけれど」
「そんなことないです。私にもちゃんとできることがあるんだって…わかったんですから」
「ありがとう、フロリーナ」
 ゆっくり話をする機会もなかったので、穏やかな時間の今二人きりで話せるのはいいと思う。
 談義に花が咲く。
「この前、ニニアンさんとお話したんですよ。私、仲良くなれる気がします」
「あら、どうして?」
「故郷が同じなんです。イリアで生まれたって。それで…仲良くできればいいってお話したんです」
「良かったわね。…やっぱり、人は一人立ちするのよね。フロリーナだってそうだし、私もそう」
 それにフロリーナは瞳を瞬かせる。
「イーリスさんも…?」
「ええ。リンには話をしたのだけれど私、家出して…」
「家出…」
 フロリーナの顔が暗くなる。どうしたのか尋ねると彼女は答えた。
「私、二人お姉ちゃんがいるんですけど、一年前に…真ん中のファリナお姉ちゃん、家出しちゃったんです…」
「……ごめんなさい。辛いこと、思い出させちゃったわね」
「あっ、イ、イーリスさんは悪くありません…。ごめんなさい…」
 逆にフロリーナが謝り、泣き出しそうになる。それをイーリスはなだめる。
「とにかく、フロリーナ。一人立ちをしたいとは思わない? ずっと干渉されっぱなしじゃ迷惑とも感じるだろうし」
「いえ…私、そんなこと…リンがいてくれて嬉しいし…」
「今はそう思わなくても、そのうち感じるかもしれないわ。好きな人が出来たら」
「えっ」
 ポン、とフロリーナの顔が赤くなる。
「で、でも…私…男性恐怖症ですし…」
「それを克服できるような人に会うかもしれないってことよ。未来のことはわからないけれど」
 フフ、とイーリスが笑う。フロリーナは変わらず顔を赤くしていた。




 リン達と合流して、待つこと二日。
 エリウッドが返事を持ってきた。
「…キアランに隣接する五領地すべてに、キアランへの不干渉の意思を確認した」
「本当!? ありがとう、エリウッド。なんとお礼を言えば…」
「僕がやったのはどちらにも手を貸さない…そのことのとりなしだ。…リンディス、大丈夫かい?」
「…ええ。おじい様にお会いするためにはそれしかないから…。やってみるわ」
 リンディスの瞳には強い意思が見えた。確かに彼女なら何とかする――わかってエリウッドはもう言わない。
 それに彼女の傍にはイーリスがいる。あそこまで頭の切れる軍師がついているのだ。
 きっと大丈夫だろう。
「…それでは、僕はもう行く。友人として君達の無事を祈っているよ」
「ありがとう。あなたの思いやり…決して無駄にしないわ!」
 彼の好意を無駄にしないためにもこの戦いには負けられない。
 改めて彼女は決意をした。
「さあ、キアランへ向かいましょう!」
 再びキアランへの行軍を開始するリンディス傭兵団。
 返事待ちの二日以外はほぼ休み無しで行軍。ハウゼンの命は今日明日とも知れないのだ。
 行軍ルートを確認しながらきたるべき戦いに備え戦術を練るイーリス。リンやケントも補佐に参加。
 それ以外の面々は武器の確認などを行う。疲れが各自に見えてきているが誰も何も言わない。
 「疲れる」と零しながらもセーラもよくついて来ている。
 そうしてようやくあともう少しでキアラン城へたどり着くという距離まで来た。
 雲は暗く天気は危うい。湿度がある。
「嫌な天気ですね…この辺りは霧になりやすいんですよ」
「でも、躊躇していられない。少しでも進みたいわ。ケント、進路は?」
「このまま南へ。キアラン城にたどり着くためには、最大の難関であるイーグラー将軍の館を抑えねばなりません。
 …進めば館が見えてくるはずです」
 ケントの説明でリンが南へと指示を飛ばす。
「…ケントさん」
「はい、何かございましたか? イーリス殿」
「いえ、お聞きしたいのですが…イーグラー将軍は、どのような将軍なのです?」
「……聖騎士の称号を持つ、キアラン屈指の名将です」
 ケントの間に、イーリスはさらに問い詰めた。
「…答えて下さい。ケントさん。…イーグラー将軍を、あなたは知っているのではないですか?」
「……」
「ケント、イーリスさんに隠し事は良くないぞ!」
 と、セインが来る。
「セイン…お前…」
「仕方ないだろう? …何か、策を講じてくれるかもな」
 そのセインの言葉は、二人にとってイーグラーが知り合いという証拠になった。観念してケントは話す。
「…私とセインが初めて配属された部隊の隊長で…恩師です」
「…恩師…」
 最後の「恩師」の言葉は暗く、重い。
「…ですが仕方ありません。戦で敵味方に分かれるのは…」
「感情は否定できないだろう、ケント。俺も本当なら戦いたくない」
「…セイン」
「…なんとかイーグラー将軍と話し合えないかしら。良識ある人物でしょうし…リンが本物だとわかれば…」
「イーリス殿」
 彼女の言葉にケントが反応する。
「…本来なら敵対することのない者同士が敵対するのはあってはならないこと。
 無益な戦を回避するのも軍師の役目ですから」
「…ありがとうございます、イーリス殿」
 ケントは彼女の優しさに深く、頭を下げた。




「――来たか」
 突然、一行の前をなにかが遮る。
「げっ! あなたは…!」
 セインの顔が青ざめた。
 目の前に現れたのは重厚な甲冑を身に着けた重騎士だ。体格はほぼドルカスと同じ…下手をしたらそれ以上。
 髪のない頭が印象的でちょっと怖い感じがする。
「あなたは…ワレス殿!」
「え、誰?」
 リンが尋ねるとケントが答えた。
「かつてキアラン騎士隊の隊長を務めておられた方です」
「でも、今は引退されて畑を耕してるはずじゃ?」
 セインが言うとワレスはうなずいてから答える。
「うむ。わしもそのつもりだったがな。ラングレン殿から騎士隊に、そして引退したわしにも命が下った。
 「公女リンディスを騙る不届き者を討て」とな」
「! あなたまで我らを疑うのというのですか!?」
「リンディスと名乗る娘をわしの前に出せ」
 警戒して、セインとケントがリンの前に出る。
「…断る、と言えば?」
「力ずくでもするまでよ」
「…我らにも誓いがあります。疑うというのならば、戦うまで」
 緊迫した空気が流れる。このままでは戦闘に入る。
 仲間同士が争うという状況を見かねたリンは二人の間から飛び出した。
「待って!」
『リンディス様!?』
 二人が驚く間にもリンは三人に訴えかける。
「私がリンディスよ! お願いだから仲間で争うなんて止めて!」
「…ほう」
 ワレスが、見定めるように視線を動かす。顔をしげしげと見て、深緑の瞳を見て止める。
「…ふむ。きれいな目をしておるな」
「え?」
 リンが瞳を瞬かせて尋ねるとワレスはしみじみと答えた。
「わしは三十年騎士として生き、気付いたことがある。お主のような澄んだ瞳を持つ人間に、悪人はおらん」
「ワレス殿、それでは…!」
「まさしくリンディス公女! わしはキアランに仕える身。正当なる主君に仇なす者を蹴散らそうぞ!」
 大きく高笑いをするワレスに呆気に取られる全員。
「…相変わらずだな…あの人も…」
 苦笑いをしながらセインが言う。
「…でも、良い人みたいね」
「はい。尊敬できる方です」
 誇りを持った言葉で、ケントは答えた。
「それでは進軍するわ! 霧が出てきたらあまり離れないで。バラバラになってしまったら危険だから。
 マシューは先行偵察を。イーグラー将軍の館を偵察して。できれば内部も」
「了解!」
 返事を出すとマシューは先行偵察に出る。
「フロリーナは飛ばないで。霧が出たら狙い撃ちされる可能性が高いから。今回は全員一丸となっていくわよ!」
『おーっ!』
 また一人新たな仲間を加え、リンディス傭兵団は進撃する。
 やはり途中霧が出てきたので敵の姿が見えなくなる。
 警戒を皆強める。しかし。
「ふははははは!」
 豪快に振りまわす槍の一撃が、敵兵を蹴散らす。
 戦場は半ばワレスの独壇場だった。
 元キアラン騎士隊長だけあって実力は折り紙つき。重厚な甲冑が敵の攻撃を跳ね返しものともしない。
 霧で敵が見えないというのに、関係なく戦っている。
 また一人、敵が倒される。次の敵を倒そうとした瞬間、斧で敵が倒された。
 ドルカスだ。
「わしの邪魔をするでない!」
「だが、単独で進みすぎては危険だ。イーリスが困っている」
「イーリス? …あの軍師の娘か」
「戦いは一人でするものではない。全体に合わせて欲しいと言っていた」
 それには唸るワレス。
「そうだったな。なにぶん久方振りの戦なのでな。それにしてもお主、いい体をしておるな」
「俺からすれば、その鎧でそれだけ動けるあんたの方がすごいと思う」
 もっともな話だ。重騎士はその鎧のためあまり動けない。それでも猛進するワレスには感服の一言。
「鍛え方が違う! どうだ? お主もわし考案のマニュアルで鍛えてみないか? 強靭な肉体が手に入るぞ」
「…後で考えておく。今は敵を倒すことが肝心だ」
「そうだな。行くぞ! ふはははは!」
 ワレスが突撃する。そのフォローのためにドルカスも後を追った。




「…マジかよ」
 マシューが唸る。
「これは早いところ報告しないとまずいな…」
 最悪だ、と思いながら脱出するために慎重に進む。
「…やっぱり、ラングレンの奴に肩入れしなくて正解だな」
 自分の判断が正しかったなと思いながらマシューは館を脱出した。




 森と霧の先に、重厚な館が見えた。
 あれがイーグラー将軍の館だろう。ちょっとした要塞みたいな館で実用性に富んでいる。
 主の軍人気質がうかがえた。
「…イーリス殿」
「なんとかやってみます。行きましょう」
 進軍の指示を出す。
 進むと門の前に、一人の騎士が見えた。立派な髭を持つ壮年の騎士。鎧の装飾から彼がイーグラーだろう。
 黒い甲冑が聖騎士なのに異彩を放っているように見える。
「…おぬし達が、公女の名を騙る一団か」
 槍を構え、こちらを見る。
「あなたが、イーグラー将軍ですね?」
 イーリスの尋ねる声に、彼はうなずいた。
「…イーグラー将軍」
「…セインに、ケントか」
 懐かしい二人の姿に、少しだけ目がほころぶがすぐに軍人の目に戻る。
 ケントが訴えかける。
「我々は侯爵の命に従い、リンディス様を見つけ出したのです! なぜあなたと戦わねばならないのです!」
「そうですよ。俺達が仕えるべきは、ラングレン殿じゃない…。ハウゼン様であり、リンディス様だ」
「……その娘が、リンディスか?」
 イーグラーが目でリンを差す。彼女が答えた。
「そうよ。私がリンディスよ! …信じてくれ、と言っても証拠はないけれど…」
 顔を暗くするリン。証拠もないのに信じてくれと訴えても無理がある。
 一方イーグラーは少し考えるような仕草をするが、槍を構え直した。
「! 将軍!」
「黙れ! 公女の名を騙るならばお前達とて容赦はせん!」
 宣言するイーグラー。しかし、イーリスが尋ねた。
「…キアランの聖騎士であるあなたが、ラングレンの暴挙に気付いていないわけがありませんでしょう?
 なぜあなたはそれでも奴に従うのですか?」
 場を流れる、沈黙。
 彼はしばし間を置いて答えた。
「…戦わなければならぬ時もある。大切なものを守るためならば、なおさらな」
「…!」
 その言葉はイーリスに一つの可能性を示唆する。
 まさか…。
 その直感は直後戻ってきたマシューにより、的中する。
「遅くなりました!」
「マシュー!」
「…イーグラー将軍。あんた…奥方と息子を人質に取られているんだろう?」
『なっ!?』
 報告したマシューとイーリスを除く全員が驚愕する。
「…ラングレンのやりそうなことだわ…。自分が爵位を手に入れるためなら手段は選ばない。
 反抗するものは殺すか弱みを握って無理矢理従わせる…」
 全員が怒りを覚える。そのような事をしたラングレンに。
「わしも引けぬ。お前達も引けぬ。ならば戦うしか、道はない」
「イーグラー! 馬鹿者め…」
「…ワレス殿…」
 仕方がないのだ、と首を横に振る。見てイーリスは彼の葛藤を知った。
 彼はリンが本当にキアランの公女だと分かっている。しかし妻と息子を人質に取られているせいで戦うしかない。
 仕えるべき主君も大切だが、自分の家族も大切なのだ。人の心を利用するラングレンに怒りが湧く。
 しかしここでこちらもやられるわけにはいかない。このまま放っておけばキアランはラングレンのものになり、
 そこに住まう人々は地獄を味わうことになる。
 両者引けぬ状況なのだ。
 人質を取り返すという手もあるが、おそらく場所はキアラン城。裏切ったことが知れれば迷うことなく殺される。
 家族を守る為には、正当なる主君にも槍を向けねばならない。
 理不尽だが、戦の現実。
 戦わずに済む相手のはずなのに、戦わねばならない。助けることができない。
 …自分が望んだことは違う。
 大切な人たちを助けるために、この道を選んだはずなのに。だが現実なのだ。今の状況は。
 追い詰められ、追い詰め。どちらも引けない。
 ならば、自分のやるべき事はどうすればいいのか。
 内側に抱える彼の望みを、叶えること―――。
「ならば、せめてわしが――」
「待ってください」
 すっ、とイーリスが手で制する。直後、彼女は自分の剣を抜いた。
「イーグラー将軍。…私が、お相手します」
「ほう、お主がか」
「イーリス!? 何を考えているのよ!」
 リンの抗議の声。しかし首を横に振って、イーリスは制する。
「…大丈夫。…勝たねばならない戦いですもの」
 一度だけ振り返って、イーリスはイーグラーのほうに向き直った。
「イーリス!」
「…いい目だ。…行くぞ」
 イーグラーが馬を走らせる。
 彼の突進をなんとか紙一重で回避するとイーリスは反撃にファイアーの魔法を放った。
 しかしあっさりかわされる。続けて彼女はサンダーとブリザーを放った。これには少し怯む。
 その隙を突こうと駆けるが槍が突き出される。本当にギリギリで横に跳んでかわすが――。
「甘いっ!」
 イーグラーは槍を回転させて石突きの部分をイーリスの脇腹に当てた。
「…っ…!」
 たまらず地面に叩き付けられるように倒れる。
「イーリスっ!! ワレスさん! セイン! ケント! だれか止めてよっ!」
 リンの悲痛な叫び声。しかし誰も止めようとしない。
 マーニ・カティを抜いて助けに入ろうとするが、ワレスに止められた。
「止しなされ、リンディス様」
「どうして!? このままじゃ、イーリスが! イーリスが死んじゃうっ!」
「…戦うと決意したあの娘の目を、ご覧になられましたかな」
「え…?」
 瞬きをしてリンはワレスを見る。
「…一番辛いのは、あの娘でしょう。軍師として奴との戦いを回避しようとしたが、できなかった。
 戦の現実を見ておるのです。たとえ身内であったとしても状況によっては戦わねばならない、非情なる戦の現実を。
 あの娘の目は、悲しみと決意が秘められておりました」
「…イーリス…。でも、このままじゃ…!」
「リンディス様、あの娘を信じなされ。決意をした者は、強いのですぞ」
「……」
 リンは戦う友人に祈りを捧げる。
(母なる大地よ…父なる天よ…どうか、どうか彼女を守って…!)





 状況は、完全にイーグラーが有利だった。
 ただでさえ剣と槍ではリーチのある槍が有利。騎兵と歩兵の戦いでは高低差で騎兵が有利。加えて実力が違う。
 イーリスの実力はその辺の賊や一般兵には負けないが、聖騎士を相手取れるほどはない。
 そんなこと分かっていた。けれど現実を見据えるため、乗り越えるために、自分が戦うしかないと決めたのだ。
(…まだ、魔力は残っている)
 決めると剣を構え、突進。迎え撃つイーグラー。突きは弾かれ、剣は宙に舞って地面に突き刺さる。
 しかしそんな事は分かっている。距離を若干取ると魔道書を二冊同時に開いた。
 ――氷のニニス! 雷のトォル!
 精霊に呼びかけ、その力を借りる。氷の粒が形成されて襲いかかるが、今回は違う。
 その氷の粒に、雷を帯びる。
 初め雷がほとばしり、怯んだ所でその氷が襲いかかった。
「なっ!?」
 これにはイーグラーも思いもせず、手傷を受ける。
 だが、そこまでだった。その後繰り出された槍の一撃をかわしきれずに受ける。続けて薙がれ、吹き飛ばされる。
「イーリス!!」
 リンはもう限界だった。このまま彼女が死ぬぐらいなら、代わって自分が戦う。
 止めているワレス達を押しのける気概だった。
 しかし。
「…まだ、立つのか…?」
 イーグラーの声で一瞬感情が逸れる。続けて彼の視線の先を見れば、立ちあがろうとするイーリスの姿があった。
 その瞳には今だ闘志が燃えあがっている。諦めていない目。
 けれど受けている傷が痛ましい。リンは彼女に訴えた。
「もうやめてっ! 死んじゃう!」
 彼女は答えない。
(…負けるわけにはいかない…。暴挙を止めるためにも…将軍の願いを叶えるためにも…)
 彼の望みは、家族の無事。そのために自分が犠牲になる気概でもあるだろう。
 しかしもし手を抜けば、おそらく監視しているだろうラングレンの部下が報告し、家族を殺すだろう。
 全力で戦わなければならないのはその証拠。
 だがこちらも勝たなければリンをキアランに送り届けられないし、ラングレンの暴挙を許すことになってしまう。
 お互いの主張と信念の戦い。その結果起こる理不尽な戦。その現実をイーリスは見据えている。
(戦わなければならないなら、私はあなたの望みを叶えたい。あなたの家族も守りたい。
 …だから、私は負けるわけにはいかない…!)
 願う。心の奥底から。魂から。
 悲しくも戦いを終わらせるために。


 ――突然、力を感じた。


 自分の手にいつもの感触が。見れば地面に突き刺さったはずの自分の剣――ソードオブイーリスが握られている。
 だがいつもと違う。魔法文字が書かれている白銀の刀身はわずかに光を帯びている。
 その光は輝きを増し、やがて剣全体を飲みこんだ。眩しさにイーリスは目を閉じる。
 光の輝きが収まった頃合いを見て、紫の瞳を開けた。
「…!」
 手に握られているのは、確かに自分の剣。
 だが、白銀の刀身は白い光を纏い、一回り大きく見せる。柄の形状は変化していて開いた二対の翼を思わせる。
 柄頭の宝石は虹色の光を帯びており、一つのことを連想させる。
(…理の…力…?)
 エルクの持っていた属性判断をする金属板で診断した結果出た、自分の属性――理。
 この剣もその力を持っているのだろうか。調和の守り手、理の女神の名を冠する剣ゆえに。
 ふとイーリスは自分を包む温かな力に気がつく。
 傷の痛みが消えていく。それどころか、消耗した魔力も回復してきている。
 さらに、自分の中に力を感じる。大地の大いなる力が自分に恩恵を与えてくれている。
(…これなら…いける…!)
 イーリスは剣を構え、突進した。
『!?』
 疾風のごとき速さで駆けた彼女に、全員が驚愕する。防御の構えを取るがイーリスは止まらない。
 ――フッ、と姿が掻き消える。
「!」
 イーグラーが上を向く。なんとイーリスは騎乗したイーグラーの頭上を越えて跳躍していたのだ。
 普通の人間にできる芸当ではない。しかし大いなる恩恵を受けた彼女は通常の人間には出来ないことを可能にしている。
 そのまま彼女は背後に降下。剣を振るう。
「ぬっ!」
 間一髪で彼はそれを防ぐ。が、しかし。
「何…!?」
 光を纏う剣は、防ぐために使った槍の穂先を斬り落とした。金属をも切り落とす切れ味になっているのか。
 もう使い物にならなくなった槍を捨て、剣を抜く。
 そこをイーリスは逃さず追撃する。
「ファイアー!」
 いつの間に魔道書を開いたのか。火球が生まれ一直線に向かう。しかも五連発だ。
 それに向かう一つ一つの威力が段違いに上がっている。すべてを避け切れるはずもなく、受けるイーグラー。
「…ぐっ…」
「やあぁぁぁっ!!」
 イーリスが、再び突進する。懐まで飛びこんで、跳びながら剣を突き出す。
 狙いは――心臓。

 ズシュッ!!

 普通は、鎧を貫く力はない。しかし狙い違わず、ソードオブイーリスは黒い甲冑を突き抜けイーグラーの心臓を貫いた。
「…見事だ…」
 剣を引き抜くと、血が溢れ出た。力を無くしたイーグラーは落馬する。その傍にイーリスは駆け寄る。
「…侯爵は知らずに毒で…弱っている…。早く…キアランへ…」
「…ええ…分かっています。あなたのご家族も…助けます」
「…ありがとう…。…君の…名を…聞きたい」
「……」
 一瞬迷ったが、イーリスは自分の名を名乗った。死する者への手向けとして。
「…そうか…。…どうか…キアランを頼む…。…すま…ない…」
 最期の言葉は、おそらく残してしまう家族に向けてだろう。
 悲しい表情でイーグラーは息絶えた。勇将への手向けにしばし黙祷する一同。
「…イーグラー将軍…。…!」
 離れるように動く影。それに向かって迷わずイーリスはサンダーの魔法を放った。倒れる影。
「…こいつ、監視役…ですね」
 近付いて検分したマシューにうなずくイーリス。そこで、すべての力を使い果たしたのか地面にへたり込む。
「……」
 自分の剣を見る。形状は通常の開かない翼のような形状。
(この剣…一体…)
 家出する際持っていった剣。なのに秘められた力。一体この剣はなんなのだろう。
 思っているとリンが駆け寄って来た。
「イーリス!!」
「…リン…」
「どうして!? どうしてあなたが戦わなければなかったのよ!? あなたが死んだら、私…!!」
「ごめんなさい…でも、どうしても私…」
 自分の手の平を見る。返り血で赤く染まった自分の手。
 ――覚悟していたことなのに、自分が許せない。
 戦わなくてもいい人と戦い、この手で殺めた事。
 だが、この理不尽さが戦の現実。軍師として見ていかねばならぬ試練。
 分かっているのにこみ上げる、涙。嗚咽も混じり始める。
 リンはそんな彼女に自分の身体を貸して泣かせた。初めて出会ったあの時、彼女に貸してもらった時のように。
「…イーリス…」
 リンは彼女を抱き締めながらも、いたたまれずに目を閉じる。
 イーグラーを殺めたくなかった。彼女の思いは自分が一番わかる。
 戦うように仕向けたのはラングレンだ。悲しみと同時にラングレンに対する怒りが湧きあがる。
 激しい感情を露わにしてリンは言った。
「…ラングレンに母なる大地の、父なる天の怒りを!!」
 大切な友人にこのような思いをさせた。良識あった人を戦わせて死なせた。すべてに対し許せない。
「…誰も裁けないなら、私達が裁く…!!」
 烈火のごとき怒りと闘志を瞳に昇らせながら、リンは誓った。
 怒りの声は、空に響き渡った。






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