〜調和を紡ぐ者たち〜 第10話









「ご気分はどうですかな? 兄上」
 勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、ラングレンは床にいる兄に言った。
「…ぐぐ…ラングレン…貴様…」
 キアラン侯ハウゼンはここになってようやく自分が弟によって毒殺されようとしていることを知った。
 起き上がるのが精一杯な身体で、力の限り睨みつける。
 だがそんな事を意に介さず、ラングレンは絶望に突き落とす笑みを浮かべて言った。
「リンディスは死んだぞ」
「…な…に…?」
 今まで、孫娘に会いたいがために命を永らえてきたハウゼンにとって、絶望と死を宣告する言葉。
 涙が溢れ出る。
「絶望したか? だが、元はと言えば駆け落ちした娘の子を認めたのが悪い。
 お前も後を追うがいい。ハーッハッハッハ!!」
 ラングレンの言葉は明らかに逆恨みだ。だが、奴の哄笑に悔しい思いと、天上にいる娘への後悔の念が募るばかり。
 部屋を出たその後、ハウゼンは絶望に打ちひしがれながら思った。
(済まぬマデリン…リンディスよ…わしが…わしが悪かった…)
 後悔の念に囚われながら、ハウゼンは涙を流した。




「リンディス様、山を迂回すればキアラン城が見えてきます」
 ケントが山を示して言った。
「やっと…ここまで来たのね。長かったわ…この二月」
 行き倒れたイーリスを助け、旅に出ようと決心したあのときから、二月の時が経っていた。
 ケントとセインに出逢って自分の出生を聞かされ、リキアを目指す。
 マーニ・カティを手に入れ、フロリーナと再会し、またウィルとも出会い傭兵団として出発。
 道中は賊の強襲や刺客に襲われるなど波乱ばかりだった。しかしそのおかげで良き仲間達と巡り会えた。
 自分だけでは今頃きっと死んでいただろう。リンはこの仲間達に感謝していた。
 そして今、協力してくれている仲間達のためにも、祖父のためにも、キアランに住まう人々のためにも、
 諸悪の根源であるラングレンを倒さねばならない。
「空が暗い…雨になりそうね」
 ふとイーリスが空を見上げる。空はどんよりと曇っていて今にも雨が降りそうな気配。
「それでも私達は進むしかないわ。これですべてが決まる」
「ええ。…イーグラー将軍のためにも、立ち止まるわけにはいかない…」
 布に包まれたものを抱える手に力をこめてイーリスは言う。
 これはイーグラーの剣だ。剣を渡し、彼をこの手で殺めてしまった事を、家族に伝えねばならない。
 彼の願いのためにも立ち止まるわけにはいかない。イーリスの誓いの証でもあった。
「援軍もあてにできない今、ラングレン殿も必死でかかって来るでしょうね」
「そうですね。だからこそ戦術が問われる…」
 おそらく、ラングレンは掌握しているキアラン騎士団をすべて投入する気概ではなかろうか。
 こちらを叩き潰すにはもうそのぐらいせねばならない。なにせ今までの戦いでこちらの戦力は着実に上昇している。
 数だけでなく、質もだ。幾多の戦いでリンも、自分も、仲間達もその実力を伸ばしている。
 それに前の戦いで前キアラン騎士隊長のワレスが加入したのは相手にとって大きな痛手。
 他のキアラン騎士も彼の事を知っているだろうし、存在しているだけで威圧をかけることができる。
 だがそれでも数の差が大きい。それを補完するのが戦術だ。これは、軍師としての自分の実力が問われる。
 数の差を埋め、勝利に導く戦術。それを考えるのが、自分の役目だ。
 キアラン城近辺の地図を広げる。城の後背には山があり、周辺に森がある。
 それらを避けるように迂回して街道が作られていて、川が流れているので途中には所々橋が掛けられている。
「なるほどなるほど…よし、決まったわ」
 ピン、と閃いてイーリスは全員を集めた。作戦会議だ。
「今回の作戦は、まず基本的に全員一丸。フロリーナはいつものように高度を取って偵察を。敵がいたら合図してね」
「はい」
「でも森が結構多いから敵が見えなくて不意打ち、の可能性もあるから…そこはニニアンとニルスの能力に頼るわよ」
「キケンが来たらすぐ知らせるよ」
「頑張ります」
 うなずいて意気込む二人。
「前線はセインさんとケントさん、ドルカスさんにワレスさんの四人。後方援護はエルクとルセアに、ウィルとラス」
「了解しましたっ!」
「承知しました」
「分かった」
「わしに任せておけ!」
 意気込みは十分な前線四人(特にワレス)。
「精一杯頑張ります」
「私でお役に立てるなら」
「俺、頑張ります!」
「…分かった…」
 頑張ると心に決める二人と控えめな二人。
「マシューとリン、そして私で撹乱をするわ。セーラは後方で負傷者がいたらすぐに回復を」
「そういうことは、任せてくださいよ」
「私がいれば大丈夫! 勝利は間違い無しよ!」
 どこかずれているような、セーラの言葉。でもこのぐらいの意気込みは欲しい。
「リン、いい?」
「ええ。でも基本的には、でしょう? なにか発展策でもあるの?」
「それは…」
 自分の戦術を全員に説明し、細部を全員で相談して詰めていく。
 やがて作戦を決定したそのとき、雫が空から落ちてきた。
「雨だわ」
「…こっちには好都合ね。敵が分断できる…」
「…みんな、行くわよ!!」
 うなずいてから、リンは全員に進軍の指示を出した。




「……」
 城の牢で、まだ幼い息子を抱える妙齢の女性。
(イーグラーは死んだ)
 哄笑と共にそのことを告げた男の顔が浮かぶ。
 そう、彼女はイーグラーの妻。そして息子。
(…あなたは、キアランのために戦いたかったのですよね…)
 軍人の妻である以上、夫の戦死は覚悟済みである。だが、不本意な戦での死は無念。
 けれどそれで公女たちを恨んではいない。殺したのは、無理矢理に従わせたラングレンなのだ。
 牢の中で、願う。
(リンディス公女…早く…こちらへ…)
 願いは声にもならないが、わずかに空気を震わせた。





 キアランに降りしきる雨。
 視界は不明瞭になり、地面はぬかるみ、進軍のペースが落ちる。
 しかし全員一丸となって戦っているリンディス傭兵団にはあまり関係がない。
 痛手を受けているのはラングレン側だった。
 敵の主力は騎兵。彼らが戦う上で最も有効な戦術は機動力を活かした波状攻撃なのだが、
 雨のせいで機動力が落ち、バラバラの攻撃になってしまっている。そうなればリンたちの敵ではない。
 視界不明瞭なのは両者同じだがこちらにはキケンを察知する能力を持つニニアン、ニルス姉弟がいる。
 敵が来る前にその存在を感じるので万全の準備が整えられるのだ。
 結果、確実に敵の数を減らし進軍する。
 キアラン城へ。キアラン城へ。
 ただ一つの思いに突き動かされている面々を止める術はない。
 そうしてキアラン城へ続く街道の途中、最後の橋に差し掛かる。
 予想通り最終防衛線を引いている。
「…行くわよ」
 リンの指示が出る。
「…気をつけろ…リン」
 そこで、ラスが彼女に声をかけた。
 同じく草原の民である彼の優しさはリンにとってこの上なく嬉しい。
「ありがとう。ラスこそ気をつけてね」
 言葉には出さなかったが、うなずいて承諾するラス。
 戦闘が始まる。前線がぶつかり、槍を交える音が響いてくる。
「ふははははっ!」
 ここでも半ばワレスの独壇場。橋の真ん中にドンと立ち、敵の攻撃を遮ってなぎ倒す。
 ああ、この人を止める術もないのか。
「…なあ、ケント。このままワレス殿…現役復帰って…有り得ないか?」
 ひそひそとセインがケントに向かって話す。
「可能性はあるな。この内乱は大きな痛手だ。ワレス殿のような方が騎士団を率いてくださるのは大きいと思うが」
「……また…あの兵士強化マニュアルが来るんだぞ……?」
「……」
 ケントも、黙ってしまう。どのような意味があるかは二人にしか解からない。
「二人とも何をしておるかっ! リンディス様のために立ち塞がる敵を倒せぇっ!!」
「は、はいっ!!」
 喝を入れられて慌てるセイン。
(…どうか…現役復帰しませんように…)
 と、心ひそかに祈っていた。
 一方ラングレン側は、リンディス傭兵団の快進撃に激昂していた。
「ええい! 敵はたかだか十人程度だぞ! なぜ倒せんのだ!!」
「し、しかし。この雨でこちらの進軍ペースは遅れておりまして…。しかも敵側はこちらを事前に察知しているようで、
 全員一丸のためこちらが逆に…」
「もうよい! …わし自ら出る!!」
 近くの兵士に命じるラングレン。
(わし自ら…息の根を止めてくれる…サカの小娘が…!!)





「…きゃっ!」
 木の根に足を引っ掛ける。転びそうになったがそこを支える手。
「大丈夫ですか? イーリスさん」
「ええ。ごめんなさい、ウィル」
「…大丈夫かしら、みんな」
「大丈夫よ。どうすればいいかはワレスさんに任せたし、あの人なら一人でも敵を全滅させそうだし…」
 はは、と苦笑い。ただ、殺さないようにと念は押したが。
「そうっすね。ま、俺達は俺たちのやれる事をしましょうよ」
「その通りです。勝利をもたらすために、キアランの人々に平和と安息をもたらすために…」
 実は橋で部隊を二つに分けたのだ。
 戦闘に集中している時に、フロリーナで川向こうの森へと人員を輸送。この別隊がキアラン城へ直接侵入。
 ラングレンを討つ。
 メンバーはリン、イーリス、ウィル、マシュー、ルセアの五人。
 人選は軽装で素早く行けることから選んだ。
(フロリーナがなんとか男性恐怖症を抑えて運べたとも言う。それでもウィルは苦労した)
 先頭はリン。そのすぐ後ろはイーリスとウィル。そしてルセアとマシュー。
 五人一丸となって進んでいく。が、ウィルの歩くペースが速く、たびたび追い越しそうになっている。
「ちょっとウィル、待ってったら」
「あ、すいません」
 足を止めるウィル。それからきちんと元の位置に落ちついてから歩く。
「なんだか、あなた平然と森の中歩いてない? 木の根とか色々あるのに…」
「俺、故郷じゃ毎日近くの森で狩りしてたんで、森の中でどう歩けばいいか分かるんですよ。
 速く動けないと逃げられることありますから。まあ、ウサギが切株の上で寝転んでたってこともありますけどね」
 はは、と笑ってウィルは言った。
「なるほど、育ちのおかげってことね。そう言えばウィルってどこの出身なの?」
 リンが尋ねるとウィルはすぐに答えた。
「俺、フェレ領の出身なんです」
「フェレ…エリウッドの領地ね。キアランからは近いのかしら?」
「そうですね…間にサンタルス領がありますけど、近いですね」
「故郷に家族や友達は?」
「いますよ。親父とお袋が。隣の家には幼なじみの兄妹がいますし」
 さらっと答える。リンは、少し尋ねてみた。
「この戦いが終わったら、故郷に帰るの?」
 これには口篭もった。
「あー…どうしようか迷ってますね。俺、この傭兵団が気に入ってるんで。まあ、その内便りでも出しますよ。
 …今頃どうしてるかな、親父達にあいつら…」
 待っている家族がいる。気にかけられる人達がいる。
 …リンにとってそれはただ一人。祖父ハウゼン。
 勝たなければ。勝って、祖父に会いたい。
 それだけがリンの願い。決して爵位を望んでいるわけではない。ただ、家族に会いたいだけ。
「…リン、森を抜けるわ。キアラン城よ」
 森を抜けたその先には、大きな城がそびえていた。雨で少し不気味な感じがするが、存在感が大きい。
 リンとウィルはその大きさに圧倒されていた。ルセアも少し、驚きの顔を出している。
 一方でマシューとイーリスは平然としている。
 マシューなんかはオスティアの密偵なのでオスティア城を見なれている。リキアの中心で、ここより大きい城なのだ。
 そしてイーリスはエトルリアは王都アクレイアの出身だ。
 芸術大国の王宮を何度も見たことがあるので比べれば…と思ってしまったのだ。
「予想通り…ね。橋での攻防に気を取られていてこっちにはあまり兵がいないわ」
 最終防衛線をこのような形で突破されたとは思っていないだろう。チャンスだ。
 しかし門には何人か兵士がいる。
「増援を呼ばれたらやっかいね。別口から――」
 最後まで言葉は言えなかった。正門から人が出てきたのだ。
 豪華な重騎士用の甲冑を身に着けた初老の男だ。しかもどこか尊大だ。
「…あいつが、ラングレン…?」
「みたいっすね」
 リンの尋ねる声に同意するマシュー。
「…リン、私達が敵を引きつける。あなたがラングレンを討ち取るのよ」
「…イーリス、でも」
「ここまで来れたのよ? 私たちなら大丈夫。みんな、行けるわね」
 全員、それにうなずく。
「みんな」
「ウィル、ルセア。援護お願いね。私とマシューで前線を作るから」
 不安な顔をするリンに、イーリスは笑みを浮かべて言った。
「大丈夫。すぐに私達も合流するわ」
 聞き分けのない子供を諭すかのようにリンの肩をぽん、と叩く。それからイーリスは向き直って指示を飛ばした。
 リンも覚悟を決める。
「…母なる大地よ、父なる天よ! 私達に加護がありますように」
「神よ、聖女エリミーヌよ。どうか私達に、祝福を」
 祈りを捧げるリンとルセア。イーリスも軽くエリミーヌ式の祈りを捧げる。
「…さあ、大詰めよ!」
 駆け出す四人。見送ってからリンもラングレン目掛けて駆けた。




 敵は突然の四人に動いた。迎撃すべく命令を受けて走る。
 場にはラングレン、ただ一人。
 リンはその場に飛び出した。
「…あなたが、ラングレンね」
 マーニ・カティを構え、尋ねるリン。
 不快な表情で相手は答えた。
「貴様がリンディスか。どこまでもわしの邪魔をする忌々しい奴よ!」
 野心を抱いた人間には、たとえ兄の孫娘であっても邪魔者としか映らない。
 ギリっとリンが歯噛みする。
「あなたのせいで大勢の罪もない人が苦しんだ…許せない。私があなたを討つ!
 母なる大地と、父なる天の怒りを思い知りなさい!!」
「フン、逆にわし自ら貴様を血祭りにあげてやる!!」
 槍を構えるラングレン。
 先に仕掛けたのはリンだ。素早く懐に飛び込もうとするがその直前、槍が旋回され機会を逸する。
 反撃に突き出された槍をなんとか捻ってかわすと体勢を整えて攻撃に転じようとする。
 しかし槍は素早く防御、反撃に動くのでリンは隙が掴めない。
(こいつ…できる!!)
 これはリンにとっても不覚だった。武術など護身程度しか持っていないだろうと高を括っていたのが痛い。
 その辺の兵士など相手にならない。上級の重騎士並みの実力だ。
 リンは焦る。が、それで自分が死んでしまってはどうにもならない。
 荒くなった息を整えようとしながら反撃の時をうかがう。
 マーニ・カティの刀身を上手く使いながら攻撃を受け流し、回避しながらなんとか試みるが、
 それは叶わず逆にラングレンの槍にリンは捉えられてしまった。
 直前で回避行動を取ったので致命傷にはならず、脇腹にその槍を受ける。
「…くうっ…!」
 傷の痛みに必死で耐えながらリンはマーニ・カティを構える。だがこの灼熱感に意識がぼうっとする。
「ここまでだな、小娘。ハウゼン共々あの世へ行くがよい!!」
「!!」
 槍が突き出される。かわせない――。
「ウインド!!」
 風の刃が槍の軌道を変えた。リンには当たらず虚空を突くのみ。
「何!?」
「間に合ったわね。リン、もう大丈夫よ!!」
「…イーリス…みんな…!」
 リンディス傭兵団の全員が、そこに勢揃いしていた。
 橋での攻防も終結したようで、分かれた面々もいる。
「ここまでね。ラングレン」
「むうっ…貴様ら…!!」
「民を守り、導くはずの存在である侯爵家の人間が逆に民を苦しめた。
 その罪はいかなるものでも購うことはできないわ。あなたは裁きを受けるのよ」
 静かなイーリスの声。その存在感はこの場を半ば支配する。
 彼女の姿は気高く、また美しい。その彼女は大勢の人間を苦しめたラングレンに対して半端ではない怒りを見せる。
 静かなる怒り。
「ええい! このわしに…リキア貴族のわしに言うかっ!」
「そんなこと関係ないでしょう。腐った貴族はやがて己が身を滅ぼす。そこはどこも同じ」
「何だとっ!」
「そうよ…あなたはキアランの民を、おじい様を苦しめた!!
 キアランの民の、おじい様の、そして私の怒りを受けなさいっ!!」
 リンがマーニ・カティを手に突進する。それを迎え撃とうとするラングレン。
 イーリスが、援護する。
「ファイアー!!」
 前の戦いから得た経験から火球の二連発。
 一発目は地面に着弾。怯ませてもう一撃を食らわせる。重騎士は魔法攻撃に滅法弱い。
 それに鎧が熱を伝え身体にダメージを与える。
「ラングレン、覚悟っ!!」
 そこをリンが渾身の力を篭めて突撃する!!

 ズシュッ!!

 精霊の剣、マーニ・カティはその力をもってラングレンの鎧を貫いた。
 十分に手応えを感じリンは引き抜く。
「…貴様ごときに…サカ部族の小娘に…わしの…キアランを…」
 恨みがましい目でリンを見ながらラングレンは力なく倒れた。
 …討ち取った。討ち取ったのだ。
「…これで…終わった…」
 元凶を倒すことができた。これでキアランは、祖父は救われる…。
 カクン、とリンが膝をつく。
「リンディス様!!」
 ケントとセイン、イーリスがその場にやってくる。
「怪我のせいもあるけど、気が抜けたのよ。セーラ! ライブをお願い」
「は〜い」
 セーラが治療してくれている間、イーリスはケントとセインに頼み事をする。
「残りのキアラン兵に伝令して下さい。「逆臣ラングレンを討ち取った。直ちに戦闘を停止せよ」と」
 言葉を受け伝令に走る二人。それから治療の終わったリンの元へ向き直る。
「さあ、あとは対面よ。リン」
 力強く、リンはうなずいた。




 城内に入ってすぐ、リンたちは一人の壮年の男性の出迎えを受けた。
「リンディス様ですね。お待ちしておりました」
「あなたは…?」
 尋ねると彼はすぐに答えた。
「キアランの宰相を務めておりますレーゼマンと申します。ケントとセインの二人から報告を受けておりましたが、
 ラングレンに見つかり今まで監禁されておりました」
 確かに少し頬がこけており、痩せた感じがする。それでも物腰はきちんとしておりさすが宰相だ、とリンは思う。
(…雰囲気、似てるわね)
 と、一方でイーリスは思う。
「それで、おじい様に会えるの?」
「はい。ラングレンが侯爵のお食事に毒を盛っていたためだいぶ弱られておりますが…」
「…」
 なんて奴だったのだろう。自分の肉親すら手に掛けようとして…。
 でも、生きている。それなら、会いたい。そのためにここまで来て、苦しい戦いを乗り越えた。
「…案内してください」
「かしこまりました」
 レーゼマンの案内で二人はハウゼンの寝室前までやってきた。
 リンはその足が止まっているが、イーリスが励ます。
「行ってらっしゃい、リン。せっかくのご対面なんだから」
「…うん。行って来る」
 意を決してリンは扉を開いて入った。それを見た後にレーゼマンに尋ねる。
「…レーゼマン宰相。…イーグラー将軍の奥様とご子息はどちらに…」
「…こちらです」
 イーリスの様子から事情を察知したのか。レーゼマンは彼女を案内する。
 やがて一室が見えた。ここだと言われ、彼女は扉に手を叩いた。
 中で誰だか尋ねる声がする。リンディス公女の臣下、と答え彼女は中に入った。
 …妙齢の女性と、幼い息子。この二人がイーグラーの妻と息子…。
 イーリスは、彼女に布に包んだ剣を差し出す。
「…イーグラー将軍の剣です。…あなたに、お返しします」
「……」
「…私が、将軍を殺めました。…決して許されることではありません。ですが真実を隠すわけにはいきません…」
「…そうですか。ありがとうございます」
 思わぬ言葉に瞳を瞬かせるイーリス。
「…なぜ…」
「あなたたちのように正しい人たちにあの人の遺志が伝わり、叶えてくださったからです。
 確かに戦死したことは無念で、悲しいことです。ですが…あなたたちを責めることはできません」
「……」
「キアランの平和を願っていたあの人に代わり、ラングレンを討ち取ったのです。…お礼を言わせていただけますか。
 …ありがとうございます」
 その言葉に、イーリスの方が涙ぐんだ。
「…いいえ…私のほうこそ、ありがとうございます…」
 大粒の涙を、彼女はこぼした。
 そしてその頃、リンは――。
 真っ暗な、光のほとんど差さない部屋。そこの中央に、薄手のカーテンで仕切られたベッドが一つ。
 人の入った気配に半身だけ身を起こしていた影が向く。
「…誰じゃ? わしは誰にも会いたくない。出てゆけ」
 ズキン、と心が痛む。
 実の弟に暗殺されかけたのだ。人間不信に陥っても仕方がない。
 痛む心に涙を流しかけたが抑えてリンは、ハウゼンに声をかけた。
「あ、あの! 私…リンディス、です」
 名乗ったその名に、ハウゼンが反応した。
「リ、リンディス…じゃと?」
「はい。…父の名はハサル。母の名はマデリン。十五の歳まで、草原で育ちました」
 自分の素性を話すリン。それは、ハウゼンへの手紙にあった内容と一致する。
「…ほ、本当にリンディスなのか? こ、こっちへ来て、顔をよく見せておくれ」
 はやる声でハウゼンが手招きする。それに従いリンはベッドへと近付いた。
 カーテンを開けて中へ入る。
「……」
 二対の瞳が交差する。
 毒によって病に冒され、痩せこけているがこの人が、自分の祖父。
 一方ハウゼンも、サカ民族の特徴を持ちながらも娘に瓜二つの顔に感極まり、至福の涙を流した。
「…おお、マデリンによく似て…。リンディス…よく…よくぞ生きてここまで…」
「…おじい様…っ!」
 感極まったのは、ハウゼンだけではなかった。リンも祖父の姿を目にした途端、嬉しさに涙が溢れそうになっていた。
 今、リンはベッドの祖父に泣きついた。唯一の家族に会えたことに対する喜びが、リンの瞳から涙を溢れさせる。
 華奢なリンの身体を抱き締めながら、ハウゼンは言う。
「…ラングレンは、娘は死んだと言っていた。孫のお前も…死んでしまったと…」
「…父と母は、八月前に山賊に襲われて亡くなりました。私だけが…こうして生きて…」
「そうか。…リンディスよ。愚かなわしを許してくれ。わしが反対せねば、マデリンは幸せに生きただろうに…」
 リンは、首を横に振った。
「いいえ。その不幸があるまで、私たち本当に幸せでした。家族三人で…本当に…」
「…そうか。マデリンは幸せに生きたのだな…。孫のお前にも会えた。…もう、思い残すことはない…」
「!? おじい様!?」
 不吉な言葉にリンは顔を上げる。
「わしはもうダメだ。毒によって長く蝕まれた体は元には戻らん…お前に会えたことが何よりの幸せじゃ…」
「ダメよ、おじい様!」
 すくっと立ち上がり、リンはハウゼンの手を取った。
「気を、心を強く持って、信じるの! 治るって!
 草原では心の強さが病を払うと言うわ。だから信じればきっと治るわ!!」
「しかし…」
「私、いろんな事をおじい様としたい。お庭を散歩したり、本を読んだり、音楽を聞いたり…。
 それに、元気になったらおじい様にも草原に来てほしいわ。母さんが愛した草原を見て欲しいの」
 リンの力強い言葉に、ハウゼンの心にも小さな火が、灯る。
「マデリンの…。そうだな、わしにはまだやらねばならんことがたくさんあるな」
「その調子よ、おじい様! 私が傍にいるから、一緒に頑張りましょう!!」
「ああ、そうじゃな」
 そこでハウゼンが、笑顔を見せた。リンも嬉しくなって、笑顔を見せる。
 いつのまにか雨は止み、青空が広がっていた。




 目的が達成され、傭兵団も解散となった。
 ケントとセインは今回の功績からキアラン騎士隊長と副隊長になり、騎士隊の立て直しに奔走している。
 フロリーナは侯爵家に雇われ、修行を積んでいる。課題の男性恐怖症を克服しようと努力しているそうだ。
 ウィルも今回の件でキアランに仕官することになった。ドルカスは報酬をもらって、妻の待つベルンに帰った。
 エルクとセーラは当初通り、オスティアへ。イーリスとセーラのみ知ることだがマシューもオスティアへと帰っていった。
 ルセアはしばらくキアランで修行をしていたが、ある知らせに血相を変えて飛び出したという。
 ニニアン、ニルス姉弟は数日キアランに滞在してから旅立った。
 行方がわからないのは、ラス。リンが礼を言おうと思ったそのときにはもう彼の姿はなかった。
 しかし、またどこかで傭兵をしながら生きているのだろう。そう、リンは信じている。
 ワレスは現役復帰かと思われたが何処かへ旅立った。
 かなりの方向音痴との噂なので戻って来るにはかなり時間がかかるだろう。



 そして、初めから苦楽を共にした、彼女とも別れは来る…。



「…行ってしまうのね」
「ごめんなさい、リン」
 首を軽く横に振りながらイーリスは謝った。
「いいのよ。この一月、私が無理を言って留まってもらったんだし」
「…リン…」
 実は、彼女は一月の間キアランに滞在していた。
 理由は公女リンディスのお披露目パーティーがあり、貴族の礼儀作法や教養などを一切知らないリンが、
 いてくれると安心するとのことで補佐をしていたのだ。
 そのパーティーも先日終わった。やるべきことは済んだと、彼女も旅立つことにしたのだ。
「…本当に、イーリスには感謝してる。あなたがいてくれたから、私達は生き残って来れた」
「いいえ。私もリンたちには助けられたわ。みんながいたから…私も生き残れたのよ」
 本当に思う。自分だけでは絶対今ここにはいない。良き仲間達と巡り会えたからこそ、生き残ってこれた。
「このまま、軍師修行の旅をするんでしょう? これからの予定は?」
「そうね…リキアも廻るけれど、一回はベルンに行こうと思っているわ」
「ベルンに?」
「あそこは軍事大国よ。色々学べると思うの」
 なるほど、とリンはうなずく。
「イーリスなら立派な軍師になれるわ。相棒だった私が保証する。
 本当なら一緒に行きたいけれど、おじい様のこともあるし…」
「仕方ないわよ。でも、またキアランには遊びに行くわ。そうしたら、旅の話を色々聞かせてあげる」
「ええ。また…いつか会いましょう」
「ええ。いつか…また…会えたら」
 さよならの言葉を言わないで、イーリスも旅立つ。
 涙をこらえて、リンはそれを見送った。
 それからリンはハウゼンの看病に努めた。結果、医者も驚くほどの回復を見せ、庭を散歩できるまでになったという。
 時々、彼女はサカのある方向を見る。草原に思いを馳せているのか。
 別れ別れになった仲間達の事を思っているのか。


 キアラン侯爵家の騒動は、これで解決した。
 しかし、リンも、イーリスも。
 後に、大陸を揺るがす戦いに身を投じるとは、知る由もなかった……。






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