〜調和を紡ぐ者たち〜 第20話
サアァァァ……。
キアランは生憎の雨模様。リキア地方は温暖だが初夏の今は雨が降ると冷える。
しかし城内は熱気が篭っていた。
ギイィィィ。
重厚な音を立てて会議室の扉が開く。
軍師と補佐のイーリスとエリアザールが出た。
その後、部隊の重要人物エリウッド、ヘクトル、リンが。補佐役のマーカス、オズイン、ケントも出る。
「やっと決まったわね、規律」
「私闘禁止と、無断離脱禁止…本当に最低限だね」
会議室に集まって議論していたのは部隊の規律作りのため。
長い間話し合われて決まったのは、私闘を禁ずること、無断で部隊を離脱しないことだった。
また新規加入者に対しては、まずはリキア公子女の三人か、軍師たちに紹介すること。
軍では考えられない本当に最低限。
「エトルリアの軍法書を見るとわかるけれど、考えられないな普通」
「そうよねぇ。でも仕方がないと思うわ。この部隊は出身がリキア中心で、他に私やエリアみたいにエトルリア。
フロリーナがイリアで、ギィがサカだし。ばらけているから」
「正式な軍ではないからね」
言葉を交わしながら角に入ろうとしたとき、ひょっこり顔を覗かせるフロリーナを見つけた。
「あら、フロリーナ」
「あ、イーリスさん…エリアザールさん…」
「リンに用? 会議が終わるのを待っていたの?」
「は、はい…。で、でも…用が、あるのは…リンディス様じゃ…ないです」
二人が首を傾げると、途切れ途切れでフロリーナは言った。
「あ…あの。私…その、ヘ、ヘクトル、様に…」
「ヘクトル様に? …もしかして、あの時のお礼?」
ピン、と閃く。
天馬から落ちたあの時、フロリーナを助けたのはヘクトルだ。
お礼を言えなかったから今言おうと勇気を振り絞ってきたらしい。
「は、はい…お礼、言えなかったから…」
「じゃあちょっと待ってて。ヘクトル様ー!」
まだそれほど遠くに行っていなかったヘクトルをイーリスが呼びとめる。
何事かと思いながらヘクトルがやってきた。
ビクリとフロリーナは縮こまった。
「なんだよ」
「申し訳ありません、呼びとめて。フロリーナが、用があると」
「? お前、リンのとこの」
「あ、は、はい…。あ、あ、あの」
身体が震えている。無理もないかもしれない。
ヘクトルは、小さいフロリーナからすれば巨大だ。しかも典型的な男だ。
男性恐怖症は治ってきているらしいが、ヘクトル相手では辛いだろう。
少し、時間が経つ。
「…あ、あ、あの……ご、ごめんなさいっ!」
耐え切れなくなったらしい。謝ると全速力でフロリーナは行ってしまった。
「なんなんだよ、あいつは。俺は化け物か!?」
「いや、ですからフロリーナは男性恐怖症なんです。これでもだいぶ治ってきたらしいですし」
「ったく…」
「ねえ、今フロリーナの声がしたけど」
そこでやってきたのは、リンだった。三人とも彼女の方を向く。
「ああ、今あいつが俺に何か言おうとしてたらしいが、逃げちまった」
「…何かひどいこと言ったんじゃないの?」
「誰が言うか! 俺はなにも言わなかったぞ! あいつが勝手に逃げたんだよ」
「どうせ、勝手に引きとめたんでしょ? フロリーナを怖がらせないでよ!」
また始まる口論。
だが、エリアザールは思う。
(この公女は…)
「違うって言ってるだろ! あいつが俺に用があったんだよ! そうだろ!? イーリス」
「ええ。フロリーナがヘクトル様に用があったのは事実よ。でも、怖くなっちゃったみたい」
「当たり前でしょう。こんなムサイ男…フロリーナが怖がるのは当たり前よ」
「あのな。でも、俺に用があるってんなら、話が出来ねーとな。リン、なんとかならねーか?」
「誰がフロリーナに近付けさせるもんですか! あんたみたいな奴が近付いたら、あの子が傷付くわよ!」
イーリス、エリアザール両名は思う。
思いこみが、激しいと。
「リン、抑えて。フロリーナとヘクトル様の問題なんだから、リンは口出ししない方が…」
「あの子の問題は、私の問題よ! 親友なんだから、放っておけないわ!」
そう言うリンにイーリスは疑問を感じ、冷静に返した。
「…でも、それとこれとは別だと思うわ。フロリーナはリンのお人形じゃないのよ?
リンの知らない所で色々な経験もあるでしょうし、やりたいこととかあるのではない?
そう抑えつけるのは、私は感心しないわ」
「僕も同感です。あなたは彼女を所有物扱いしていませんか?」
「なっ!」
カッとなってリンがエリアザールを見る。
動じずに返した。
「そう見えると言うことです。彼女の意志をおざなりにして、自分にだけ従わせようとしている。
それは独裁者のやることですよ、リンディス公女」
「…!」
冷たい瞳。
心のすべてを射抜くような蒼の瞳にリンはなにも言えなくなる。
「少し、あなたは人との関わり方を学ぶべきだ」
「……」
リンは答えず、一瞥してから去る。後に三人、残された。
「お前、言い過ぎじゃねーか?」
「そうとは思いません。公女は他人に甘えすぎてますから」
「…エリア」
「…イーリス、少し僕の部屋に来てくれないか? 話がある」
「?」
首を傾げるイーリス。
しかしわかったと了承した。
エリアザールの部屋にイーリスは招かれた。
彼の部屋は個室で机に軍法書や戦術書などが乗っており、傍に愛用の弓クレセントが置いてある。
防具も置いてあった。
イーリスは勧められた椅子に座った。
見届けて彼が話を切り出す。
「一つ聞きたいんだ。リキアの公子たち――つまり、エリウッド公子、ヘクトル公子、
そしてリンディス公女のことを、どう思っている?」
「え? ……」
「私情は挟まないでくれ。客観的に見て、どのような人間だと思っているのか聞きたいんだ」
「…わかったわ」
だから部屋に招いたのか、と思う。
良い部分も、悪い部分も話すことになってしまう。それを誰かに聞かれては後々困ったことになる。
踏まえながらイーリスは三人の人となりを確認した。
普段の言動を思いだし、分析していく。
やがて結構な時間が経ってから、口を開いた。
「エリウッド様はとても良い方だわ。誰にでも平等に接することのできる方だと思うし、他人の痛みがわかる方よ。
けれど人の良すぎる所があると思うわ。…私も人のこと言えないけれど。
ヘクトル様は、言動が貴族らしからぬし短絡的だけれど、ものはしっかり考えているわ。義に厚いのね。
……リンは、いつでも誇りを失わないのは良いことだと思う。でも……」
そこで口篭もる。
友人の悪口になってしまうので迷う。
答えないでいると、エリアザールが言った。
「意固地で、我侭。しかも友人に対しては過保護――と言いたいのかな」
「…エリア…」
さっきのやりとりから、思った。
リンはどこか我侭だ――。
「僕も思っていたのさ。以前、キアランに少し滞在していたと言っただろう? その時に見ていてね。
フロリーナに対しては本当に過保護だった。しかも無理矢理置いているし我侭も自覚していないし、
ケント殿が公女を止められない。これは人に立つ人間になる上で多いに問題がある。さっき言ったようにね」
「…うん」
先ほどの言葉を思い出した。
(自分にだけ従わせようとしている。それは独裁者のやることですよ)
この一年で、リンはどう変わったのだろう。
変わったように見えないが、言葉の端々に見て取れるのは、甘え。
自分の傍に誰かいないと、自分の意見を誰かに通さないと、嫌だという我侭…。
「リンは…寂しがり屋だから。私もフロリーナに言ったことがあるわ。
「リンは過保護な気がする」って」
「ああ。言ってしまえば彼女は心が弱い。だから傍にいる人間を縛り付けようとする。
しかしそれは自分のためにもならず、相手のためにもならない。立場を利用した傲慢だ。
いくら大切な人間を殺されていたとしてもだ。
凄惨な経験をしているのは、自分だけではないというのに」
そこでエリアザールは暗く、悲しさを感じさせる顔になった。
「エリア…?」
ズキン。
急に胸が、痛くなった。
一瞬だけ、頭の中に映像がよぎる。
――棺の前で、泣く少年――。
「…」
「イーリス?」
「あ、ごめんなさい。…何でもないわ」
力なく彼女は微笑んだ。
一瞬のことなのでよくわからなかったが、心が痛い。
思い出せればいいのに、思い出せない。しかしそれを差し引いて考えて、エリアザールの言葉は共感できた。
自分も、十年前に姉と慕った人が殺されている。
大切な人を喪って、悲しい思いをしているのは同じなのに。
「…公女は、自分が悲劇の主役。だから見捨てないで、私に構って、と。そんな性格だと僕は思っている」
厳しい意見だが、冷静に考えてみた場合指摘は正解だ。
孤独が恐い。だから誰か傍にいて欲しいと心の奥底で願っている。
友人だから何か言いたいが、言い返すことが出来ない。
「……君には辛い話だったね。君にとってリンディス公女は友人だから」
「…いいの。私は、軍師だから。冷静に――客観的に人を見ないといけないから」
言いながら自分に言い聞かせる。
冷静に。客観的に見るべし。時には私情を切り捨てるのも大切なのだと。
「誰か、彼女を諌められる人間がいればいいんだけどね」
「そういうのが出来るとすれば…ワレスさんぐらいしかいないかしら」
「だね」
二人とも納得。騎士として長くキアランに仕えた身であるワレスなら、時には諌めることも出来るだろう。
ケントでは彼女に従順過ぎて暴走を止められない可能性がある。
「今ワレスさんって何しているのかしら。エリアは知っている?」
「もう少し実戦の勘を取り戻すと言っていたけれど…道に迷っている可能性が非常に高い」
苦笑するエリアザール。
彼の方向音痴にかなり悩まされた経験があるからだった。
「…だったら今頃、ベルン山中かしら」
「多分」
そこで二人はしばし沈黙した。
けれどイーリスが口を開いた。
「ねえ、そう言えば詳しく聞いていなかったけれど…タラビル山で山賊退治の手伝いをしたのよね、エリアは」
「ああ」
「…ワレスさんは、どうしてそのようなことをしていたの…あ」
そこでイーリスは気付いた。
「…タラビル山賊団…!」
「その通り。ワレス殿はリンディス公女のために、単身山賊団退治に赴いたんだ。
そこで僕や他の協力者方に会って一緒に退治をね」
「…リンの、ために…」
「復讐は、意味を成さない。後に残るのは、虚しさだけだ。ワレス殿は公女のためにあえて滅ぼした。
公女はタラビル山賊団が滅んだとは知らない」
「どうして?」
イーリスは問うた。
「口止めをされている。決して話さないで欲しいと。もう少し彼女が成長してから話すと、仰ったよ」
「…リンは、解かってくれるのかしら」
不安を口にするイーリス。
さっきの言動からすれば、ワレスの心を理解など出来ないのではないかと思えてしまう。
「時間が必要だね。最低でも、我侭を抑えられなければ」
「…そうね…」
「だから、君がリンディス公女をうまく導く必要があると僕は考えている。
君の言い分なら、まだ聞く余地があるようだしね」
「ええ…。でも、どうしてこんな話をしたの?」
エリアザールは答えた。
「僕たちは、この部隊を支える軍師だ。部隊を安定させるためには私情を切り捨てた見地が必要になる。
それを君がきちんと持っているかどうか気になったんだ。君は頭はいいが、私情で肩入れしすぎる傾向があるからね」
「…」
イーリスは言い返せない。軍師である以上、冷静に部隊を見つめなければならない。
誰かに肩入れしすぎれば反発を招いて崩壊する危機があるからだ。
部隊の主軸とも言えるリキア公子女の三人がいがみ合っていては(リンとヘクトルだが)、
維持など出来はしない。その調和を保つのが軍師の役目でもあるだろう。
だからたとえ友人であっても、厳しく言わねばならない時もある。
その心構えを持てと言っているのだ、彼は。
「ごめんなさい、エリア」
「どうして君が謝るんだ」
「だって、本当のことだもの。軍師としてそれは失格だわ」
「…けれど、人として周りを大切にするのはいいことだと思う。
軍師でありつづけて、人としての部分を失うのは本末転倒だ」
そうだね、とイーリスはうなずいた。
「ありがとう。エリアは優しいわね」
「……」
微笑んだイーリス。エリアザールの表情がほんの少しだけ変わった。
苦しいような、そんな顔。
「…エリア?」
「うん? なんでもない。気にしないでくれ」
「…そう」
昨日から少し様子がおかしい、と思うが聞けない。
彼に流れるディナスの血が問うことを阻んでいる。
肩入れしすぎれば、自分が危険に晒される。
こんな生活をしていて今更どうしたとも思うが、彼からすれば自分のせいで周りが傷付くのが嫌なのだろう。
だから距離を置く。
でも、自分を守って、助けてくれる。
(君を助けたいと思ったから……共に行こうと思った)
言葉が思い出される。
理由が知りたい。でも聞けない。ならば――。
「エリア。何か困ったことがあったらいつでも相談して。
あなたは私を助けてくれるのだから、私もあなたを助けたいの。
たとえディナスの人間であったとしても…私達は、一緒に戦う仲間だから。自分だけで抱え込まないで」
「…イーリス…」
「ね?」
とても切ない表情。心から案じる彼女にエリアザールは心を痛める。
「…善処するよ」
「そうして」
どうしてこんなに優しいのだろうか。目の前の姫は。
自分の周りの人間を慈しめる。
それがたとえ、影に生きる定めを持つ人間であったとしても…。
「…っと、もうこんな時間か…」
耐え切れずにふいに見た時計。結構な時間が経っていた。
「そろそろ、約束の時間か」
「約束?」
尋ねられると彼は答えた。
「昨日、ウィルと手合わせの約束をしていてね。そろそろ時間なんだ」
「そうなの? なら早く訓練場に行かなければ駄目なのではないかしら?」
「ああ。…君はこれからどうするんだ?」
急いで椅子から立ちつつ尋ねるエリアザール。
イーリスは答えた。
「私は、新しい理論書を読んでいるわ。中位の魔法を覚えないといけないし」
「そうか。それじゃ出ようか」
「ええ」
二人は部屋を出て、そこで別れた。
エリアザールを見送ってから、イーリスは呟いた。
「…エリア。お願いだから…苦しまないで…」
首飾りを握り締めて、彼女は祈った。
雨は小康状態になっていた。
訓練場に来るとすでに体操をしながらウィルが待っていた。
そして傍にはエリウッドの姿もあった。
「エリウッド公子?」
「やあ、エリアザール」
「あ、どうも!」
姿を見つけてウィルがはしゃいだ。それに軽く手を上げて応える。
「どうしてエリウッド公子、こちらに」
「手合わせの審判を頼まれてしまってね」
「駄目もとで頼んでみたらいいって言ってくれたんですよ。本当にありがとうございます」
「構わないさ」
笑ってエリウッドは大丈夫と示した。
的はすでに用意してあるので、あとは身体を動かして温め勝負に入る。
お互い持つのは変哲もない鉄の弓。条件を同じにして純粋に力を測る。
二人とも集中する。
待つのは――エリウッドの合図。
「――始め!」
ダンッ!
二人が同時に動いた。矢筒から矢を引き出し的に射掛ける。
間隔も距離もバラバラの的一つ一つを素早く、そして正確に射貫く。
ただ、まだ雨で地面がぬかるんでいる。足を取られないようにと神経を余計に使う。
「!」
エリアザールはしまったと思った。わずかに矢が的の中央から外れた。
時間で取り返すべしと、気を切り替えて狙いをつける。
そうしてすべての的を射貫いて勝負は終わった。
「…」
「時間はほとんど同時だったね。あとは的だけど…」
不甲斐ない、と目を閉じ自分を戒めながらエリウッドからの結果を聞く。
「……これは、ウィルの勝ちだね」
「やったーっ!!」
勝利の宣言にウィルは大はしゃぎ。
わずかに逸れた一本が命運を分けたのだとエリアザールにはすぐに解かった。
「前の結果はどうだったんだい?」
「前はエリアザールさんが勝ったんですよ。良かった〜今度は勝った〜!」
子供のようにはしゃいでいるウィル。その姿がエリアザールには羨ましかった。
競い合えたこと。勝利した喜び。
それらを素直に表現できる彼の姿は眩しくすらある。
彼の傍にいると、自分が虚しくすらあるように感じる。
「いや、でも焦りましたよ。もしかしたらまた負けるかと思いましたから。
今度またやりましょうよ」
「…悪いが、これきりだ」
「え?」
ウィルとエリウッドが同時に彼を見る。彼は続けた。
「これ以上、不用意に僕に関われば命の保証はしない」
「…エリアザール、さん?」
彼の瞳は冷たくも哀しみを秘める瞳。
「エリウッド公子はご存知のはずです。僕に流れる血…ディナスの血は影の宿命。
不用意な関係は…自身の生命を脅かす」
「…!」
「だから…これ以上は僕に関わらない方がいい。そうすれば、誰も…傷つくことはない…」
エリアザールは二人に背を向けた。
離れなければ、ならない。同じ部隊の人間であったとしても。
誰も傷付けたくない……。
「…でも、それで…いいんですか?」
ウィルが口を開いた。
「エリアザールさん、イーリスさんとはよく一緒にいるじゃないですか」
「昨日も言ったはずだけれど、戦術議論をする――それだけだ」
「俺からすれば、二人とも仲いいですよ。…独りって、寂しくないですか?」
「これが、僕だ」
独りなのが宿命。守る力も、影からのもの。
誰もいない、孤独こそ定められたこと。
「…エリアザールさん、寂しそうに見えますよ。友達もいなくて…たった独りで…。
俺たち仲間じゃないですか!? 仲間だったら――」
「仲間だからだ」
強く返したその言葉は――彼の本音だった。
「誰も、傷付けたくない。今はいいかもしれないが、将来命を狙われればそれは間違いなく僕のせいだ。
仲間だと思うから、君たちを争いに巻き込みたくない。
だから、これ以上、僕に関わらない方がいい」
「エリアザール…」
二人は彼の心を知った。
影の宿命ゆえに、彼は悩み続けてきた。
大切だと思う人たちを守るためにはあえて離れるしかない。
そうすることでしか守れない不甲斐なさも。
だが、わかっているのか、いないのか…。
「…でも、俺たちなら平気ですよ! 自分のことはなんとかなるし、友達すら作れないのは悲しすぎますよ。
少なくとも俺はエリアザールさんのこと、いいライバルだと思ってますし…友達になれれば最高ですよ」
「ウィル…」
あくまでも明るい口調と顔。
ここまで裏表のない人間も珍しい。
明るく人懐っこく誰とでも打ち解けられる――。
人間関係とは難しい。
特に貴族社会などでは腹の探り合いが多いし、自分は育ちのせいで人を疑うことが多い。
だが彼はそんなものとは無縁。
他人を信じ、共に行ける。
「俺も強くなります。エリアザールさんと一緒に。だったら、心配いらないでしょう?」
「しかし、いいのか君は。自分が狙われても…」
「それはその時考えますよ」
ははっ、とウィルは笑う。
仲間なら一緒に強くなればいい。
たとえ危機になったとしても、友のためならと割り切ってしまうだろう。
底抜けの明るさにエリアザールは観念した。
拒みつづけても、きっと彼は同じだろうなと。
(騎士ならば守るのだ。大切な人間を)
言われたことを思い出した。
失うのを恐れていては何もできない。
一歩を踏み出さねばならない――。
「…君は…危機感がないな。でも…嬉しいよ」
「え? ってことは…」
「……君が良ければ、僕の友人になってくれるかい?」
勇気のいる言葉だった。
友を求めてはいけない。それが影に生きる人間の宿命。
けれど、影にあっても大切な人がいる。
だから戦いたい。自分の宿命と。
「もちろん! いや〜俺、感激ですよ」
「エリアザール、いいのかい?」
エリウッドが尋ねると彼は答えた。
「…構いません。大切な人がいるのなら守るまでです。
争いは好みませんが、もしも友が危機にさらされれば、この手を血で濡らしてでも守ります」
決意を示す言葉。
元々彼女を守るために力を付けようと思っていたのだ。
焦がれる姫を守るためならばと。
今また、一歩を踏み出し彼は守るべき人間を得た。
自分の力で守るべき人を、守ろう。
「もしかしたら、僕らも気が合うかもしれないな。他人を傷付けることは、僕も嫌だ。
でもそれでは守れないものも、あるからね」
「エリウッド公子」
「え、あれ? エリウッド様ともいい感じ? 俺どうしよう」
二人が和んでいるのに危機感でも持ったかウィルが少しうろたえる。
それを見て…エリアザールは、笑った。
「はははっ」
『……』
彼の笑った顔に二人は驚いて顔を見合わせる。
「大丈夫だよウィル。僕と君はライバルで――友人だ。もう…それは変わらないよ」
「…エリアザールさんの笑った顔…初めて見た…」
「えっ…ああそうだね。こんな風に笑ったの…初めてかもしれない。友人なんかいなかったし。
それよりウィル。友人ならその言葉遣いは止めて欲しいな。僕のほうが年下だし」
「友人」にエリアザールはずっと憧れていた。
気軽に話せて、気軽に付き合えて、自分も相手も楽しくなれる…。
そんな人間を、心の奥底で求めていた。
「あー…だったら…「エリア」って、呼んでもいいかな?
イーリスさんは普段そう呼んでるし…友達なら、あだ名で呼ぶのがいいだろうし」
「…ああ。それでいいよ」
「じゃあ決定! これからもよろしくな、エリア!」
すっ、とウィルが右手を差し出した。
同時に――エリウッドも右手を差し出した。
「公子」
「僕も、君と友でありたい。共に行く仲間として…これからも、一緒に戦っていこう」
「…はい。よろしくお願いします、エリウッド公子。ウィル」
エリアザールは二人の手を握り返した。
二人の心が、彼には嬉しかった。
共に歩んでいこうという心が――。
「ありがとう、エルク。おかげでずいぶん参考になったわ」
「いえ。お役に立てて幸いです」
イーリスはエルクの部屋で魔道理論を勉強していた。
新しく買った理論書を読み進めながらエルクと二人で新たに学んでいく。
と言っても、エルクの方が理論的にも進んでいるので教わっている状況だった。
ちなみに同室のギィは稽古中。
「イーリスさん、理論覚えるの早いですね」
「そう? 昔から本を読んで育ったからかもしれないわね。内容はすぐ頭に入るの」
「さすがですね。僕は大変ですよ。先生みたいな魔道の使い手になりたいと思っているのですが…」
「パント様はエトルリア屈指の賢者ですもの。追いつこうとするだけで大変ではない?
それに、いくら理論は頭に入っていても実戦で発揮できなければ意味はないわ」
いくら理論を覚えても、それを活かせなければ意味はない。
魔道の実力など、自分はまだまだ駆け出しから少し抜け出したぐらいだろう。
「でも、キアランのあの時は一体…。魔法が融合されたようでしたけれど」
「うん。私もあれは気になっていたの。多分複合魔法になったのだとは思うのだけれど、
あれは扱いがとても難しいのでしょう? よく成功したわ…」
キアランでの一戦で同時に放ったエルクの雷魔法に、イーリスの風魔法。
途中で合わさって威力が飛躍的に上がり敵を一掃した。
書物を紐解くと、「複合魔法」なるものが存在することが分かった。
理魔法の異なる属性を組み合わせて、別の魔法にする技術。
しかしこの複合魔法は人間が持つ属性のせいでほとんど存在していない。
人間は魂に受けた加護によって理魔法の適性が違ってしまうため、魔法のバランスをとるのが極めて難しい。
一歩、バランスを崩せば暴走して死に至る。
そのため複合魔法の研究をしている魔道士など存在しないも同然だ。
複数の人間で放てばまだ成功確率は引き上げられるが、卓越した実力が必要になる。
本当にあれは奇跡的だった。
「ですが、先生…複合魔法に関する研究をしていたような気がします」
「え!? …でもパント様なら大丈夫ね。どうせ兄様と一緒に研究しているでしょうし…」
「そういえば、アーヴェ様の研究は主に何をされているのですか?」
「魔方陣と、付与魔法の研究よ。でも私ほとんど見たことないの…邪魔しちゃいけないと思って」
苦笑するイーリス。
兄の研究はきちんと見ておくべきだった。
そうすれば役に立っただろう…。
「付与魔法…あ」
と、思い出したかエルクが荷物から一つ、石を取り出した。
紅く透明だが宝石としての価値はない。しかし中心に魔方陣が封じられているのを発見した。
「エルク、これは?」
「プリシラ様の護衛に出発する直前に、先生からいただいたのです。
相手に投げつけて解放すれば、相手の魔法を一定時間封じられるそうです」
「魔封結界陣…多分、兄様が作ったんだわ、これ…」
「おそらくは。先生のご友人が研究で作ったそうですから」
「すごいわ、兄様。ちょっと魔封結界陣、書き写しましょう。これから役に立つかもしれないから」
エルクから借りて大急ぎでイーリスは結界陣を書き写した。
図形の組み合せ方と魔道文字。それらが魔封じの力を作り出している。
「ありがとう。さて、もうこんな時間なのね。それじゃ、エルク」
「いえ。イーリスさんこそ。それでは」
エルクに礼を言って、イーリスは部屋を出た。
時刻は夕方。雨は上がって沈みかけた夕日が差していた。
「雨、上がったのね。…あら、綺麗…」
近くの窓から、様々な色の輝きが見えた。
窓を開けて外を見ると、雨上がりと太陽で虹が出ていた。
水と光が織り成す神秘。
イーリスは虹が好きだった。
もちろん、自分の名前が虹の女神と言うこともあるのだろう。
そうでなくともこの神秘性に惹き付けられる。
大地の調和が生み出している現象に心から感動する。
「イーリス?」
「あ、エリア」
声を掛けられたので振り向けば、エリアザールの姿。
その顔はどこか明るさを見せていた。
「…エリア、良いことあったの?」
「ん? ああ」
「そう。良かった。ねえ見て、虹が出ているの」
「本当だ」
二人は寄り添う形で虹を見る。
「綺麗よねぇ。私、虹は大好きなの」
「ああ、綺麗だね」
エリアザールは、優しく笑った。
その笑みに、イーリスは不思議なものを感じた。
「…エリア…何があったの? そんな顔、初めて見たわ…」
「友人が出来たんだ。僕の、初めての」
「良かったじゃない! だからそんなに嬉しそうなのね」
「そう見えるかい? 参ったな」
はは、と笑う。表情が多彩になってイーリスも嬉しかった。
自分のことのように、彼の喜びが伝わった。
「明日から…また戦いね」
「ああ。でも、僕たちは勝って生き残るんだ。僕たちは独りじゃない。
仲間が、大切な人たちがいるから」
「…うん。そうよね」
イーリスは、思った。
(私はエリアにとってどんな人間なのかしら。私は…彼を、どう思っているの…?)
彼にとって自分は「捜索依頼をされた姫」のはず。
しかし意思を尊重してくれている。自分を支えてくれる。
そんな彼を、自分はどう思っているのか。
初めてまともに考えた気がする。
彼は優しい。冷静で、時には非情とも取れる言葉も発するが、それは彼なりの優しさがあって。
ディナスの血に、深く悩んでいる人間…。
その時、イーリスの脳裏にまた、映像がよぎった。
――どうして、泣いているの?
「イーリス?」
「! あ…ごめんな、さい」
彼の声で、我に返った。
「…どうかしたのかい?」
「…あのね、一瞬だけ…頭の中で何かがよぎったの。
私は誰かに尋ねるの。「どうして、泣いているの?」って…。
実を言うとね、午前中にも一瞬よぎったの。棺の前で、誰か…男の子が、泣いているの…」
「…!」
エリアザールの表情が、変わった。
難しいものを考えるような、顔。
「エリ、ア…?」
「……思い、出せないのかい?」
「ええ。それが何なのかはわからないの。でも、私…どうしたのかしら。
何か大切なことを忘れている気がするの。どうして……」
「ゆっくり思い出せばいい。無理はしない方がいいよ。これからまた大変なんだし」
「そうね。ありがとう」
窓の虹を背景にしてイーリスは微笑んだ。
理の女神――虹の女神の名を冠する通り、それはとてもよく似合った。
夜半、イーリスはあの映像について考えた。
「…私…何かを忘れてる……。一体…何を…?」
荷物から、小さな箱を取り出して中身を見る。
杖と太陽の紋章が刻まれた銀の指輪。
ユリエラ公爵家の家紋を刻んだ、「誓いの指輪」。
この指輪は、もとは兄の物だったが意味を成さなくなってもらった物だった。
「…教えてください…私に…何かあったのですか…?」
指輪を握り締めて、イーリスは兄と姉と慕った人の名を呼んだ。
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