〜調和を紡ぐ者たち〜 第19話
(こんにちわっ)
挨拶をするのは幼い自分。
(こんにちわ。今日も元気ね)
(はい! …なにを読んでいらっしゃるのですか?)
本を読んでいるから、問い掛ける。
(これは人竜戦役の時に活躍した英雄たちの話。『八神将』だけではない英雄たちの話もたくさんあるわ)
(おもしろそうなご本ですね。わたしも読んでみたいです!)
(あら。これは難しい本よ? イーリスに読めるの?)
(わたし、本はいっぱい読んでます。だからだいじょうぶです)
生意気な事を言う、六歳の私。
(はい。だったら貸してあげるわ。読み終わったら感想を聞かせてね)
(ありがとうございます! ぜったい読みますね!)
(終わったらアーヴェ様にも貸してあげたら? こういう本、喜ぶでしょう)
(はーい)
(イーリス?)
やってきたのは、まだ青年の頃の、兄。
今の私ぐらいの兄。
(にいさま。ご本をおかりしたんです)
(? …これは、面白そうだな。イーリス、ゆっくりでいいからきちんと読むんだよ)
(はい、にいさま!)
兄が大好きで、そして隣にいるこの方も、私は大好きだった。
(済まないね。妹の相手をいつもさせてしまって)
(よろしいですわ。私もイーリスは本当の妹みたいですもの。ねえ?)
(わたしも、ねえさまみたいですから大好きです!)
(おやおや。すっかり慕われているな。でも嬉しいよ。将来はどうせ本当に妹になる身だし…)
(フフフ)
まだ幸せだった頃の、記憶。
でも、それは一瞬にして悪夢に変わる。
信じることの出来ない絶望の記憶。
(…にい、さま?)
(イーリス…! どうして来たんだ…!)
(にいさま、おじさまは? おばさまは? ねえ……にいさま……)
(もう見るんじゃない!)
血の海に倒れたご家族。
ほとんど判別のつかない状態で死んでいた。
初めて見る、死体。
六歳の私には衝撃が強すぎた。
大切な人が――死んだ。
「!!」
イーリスはベッドから飛び起きた。
相部屋のプリシラを見る。ぐっすり眠っていて起きる様子はない。
薄くカーテンの間から日が差している。明け方のようだ。
脂汗を相当かいていることに気付いた。
「…久し振りだわ、あの夢…。一年ぶりかしら…」
以前に悪夢を見たのは旅に出て間もない頃。人を初めて殺めた時の夜だ。
眠ることも難しかったし、その悪夢に飛び起きたことを覚えている。
「……」
姉のように慕っていた人。家族のように大切に思っていた人。
でも、死んだ。
一夜のうちに誰かに殺されて奪われた。
あの時のことは記憶から消せない。
何があったのかと、こっそり現場に向かう馬車に乗り込んだのがいけなかった。
直に見てしまった。血の海に倒れる遺体の数々を。
葬儀の記憶はほとんどない。六歳の頃の事項で覚えているのは、その一家の人間の死。
あとは――プリシラとの出会いの記憶ぐらいだ。
「…プリシラ…」
イーリスは目を閉じた。彼女は昨日の記憶を呼び起こした。
きっとそれが悪夢の原因なのだろうと思って。
「ルセア。話してくれるわね。なぜレイヴァン――いえ、レイモンドと言った方がいいかしら。
どうして彼はあんなに憎しみに満ちた瞳をしているの?」
キアラン城の攻防を終えてほんの少し経った頃。イーリスはルセアを一室に呼んで話を切り出した。
「…こちらの方は?」
とその前にルセアが、彼女の隣にいたエリアザールを見て尋ねる。彼は答えた。
「エリアザールだ。君の名は?」
「あ、申し訳ありません。私はルセアと申します」
お互いが軽く自己紹介をする。
「大丈夫。彼は信頼出来るわ」
イーリスがそう言うとルセアはうなずいて話を始めた。
「…二年前、コンウォル家がリキア同盟資金横領の罪で爵位を剥奪されたことは、ご存知ですか?」
二人はうなずく。
「でも裏がありそうだと思うわ。おかしな部分があるから」
「そうです。爵位を剥奪された直後に、侯爵様ご夫妻は自害なされました。
お優しかった侯爵様ご夫妻がどうして横領、そして自害などされるのか…領内で様々な噂が飛び交いました。
……そのうちの一つの噂を、レイモンド様…今は、レイヴァン様ですが…信じておられるのです」
「一体、それは?」
エリアザールが尋ねる。ルセアはしばし躊躇い――口を開いた。
「……『横領、爵位剥奪はオスティアによる陰謀である』……」
『!?』
二人は驚いて顔を見合わせた。それから冷静にまずイーリスが尋ねる。
「噂の出所は?」
「…わかりません。ただ気がつけばかなり大きく…」
「…大きな噂は真実である可能性がある。それを彼は信じてしまった。
だが大きな危険であることは――考慮できなかったようだね」
エリアザールの冷静な分析。ルセアはうなずいた。
「はい。事の真偽も確かめず、レイヴァン様はただ憎み、信じて…。
オスティアを滅ぼそうとまで考えておられるのです」
「それって、大事じゃない!」
声を大きくして言ってしまい、イーリスは後で口を押さえた。
それからルセアや部屋の外をうかがうが、大丈夫のようだ。ホッと息を吐いた。
「……だからヘクトル様やエリウッド様に言うなってプリシラに言ったのね……」
「あ、そう言えば…。プリシラ様は私に何か仰りたいようでしたが…」
イーリスは沈黙した。
ためらったのだが、彼が話してくれたなら、話すべきだと思って話した。
「あのね、プリシラ…六歳でエトルリアに養女へ行ったでしょう? だから肉親の愛情に飢えているのよ…。
よくリキアにいた頃の話もしてくれたし。一方であなたは十年も傍仕えをしていたから、
あなたに…嫉妬しているのだと思うわ」
「…君、よく見ているね」
「十年来の親友ですもの」
フフ、とイーリスは笑った。
「え? プリシラ様と、十年来の親友とは…イーリスさん、あなたは一体…」
やっぱり質問されたか。
レイヴァンも知っているのだし、隠しても仕方ないと思って、イーリスは話した。
「エトルリアはユリエラ公爵家の姫。それが私の正体よ」
「! エトルリア名門貴族の姫君で…以前はとんだ失礼を」
「いいのよ。今の私は軍師イーリス。それで通して」
「…わかりました」
強い彼女の口調に逆らえるはずもなく、ルセアはうなずく。
直後エリアザールが口を開いた。
「話を戻そう。彼が僕たちと行動を共にする理由。一つはプリシラのためでもあるのだろう。
もう一つはヘクトル公子の、暗殺だね?」
「……はい、そうです……」
その通り――と、彼はうなずいた。
「内部に入りこんだ方がやりやすいだろうと仰られて…。私には一切黙っていろとも。
ですがこのままではコンウォル侯ご夫妻も浮かばれませんし、
レイヴァン様ご自身も哀しいことになってしまいます。
イーリスさん、どうか、どうかレイヴァン様をお止めするためにお力を貸していただけませんか?」
彼女の答えはもう決まっていた。
「ええ。ルセア。私も協力させてもらうわ。プリシラのためでもあるもの」
「! ありがとうございます!!」
「ただし、今の時点では周囲に内密に。できる?」
「…それが、あの方のためであるならば」
強くルセアは答えた。
(復讐…か)
イーリスは心の奥の記憶に少し心を痛めた。
(もし、あの方が亡くなられたのが、十年前でなく今だったら…きっと私は復讐に走っているわ)
それほど大切な人だった。
本当の姉のように慕った人だった。
殺した人間を今でも許せはしない。兄に「許せないよ」と言ったことが事実あった。
兄は「僕も許せない。でも――復讐なんて考えてはいけない」と言った。
意味をずっと考えた。自分の中で結論は出ている。
だから復讐なんて思いは今はない。
しかし、復讐に生きる人間が、仲間たちの中に二人いる。
一人はプリシラの兄、レイモンド。今は、レイヴァンと名乗っている。
そしてもう一人はかけがえのない友人である、リン。
友人たちが苦しむのは、イーリスは嫌だった。
「……復讐なんてしても、意味はないのよ……。その先の自分は、どうするつもりなのよ」
その言葉を呟いて、イーリスはハッと既視感を覚えた。
誰かに以前、言ったことがあるような気がする。
だが、思い出すことはできなかった。
悲しみの記憶に今一度イーリスは、大切な人の名を、呟いた。
しかし掠れてしまい、言った本人にも判別はできなかった。
「……さま……」
眠れないのでプリシラを起こさないように、こっそり着替えて部屋を出た。
ふと訓練場に足を運ぶと朝早くから掛け声が聞こえる。
マーカスとロウエンの二人が訓練に打ち込んでいた。
「おはようございます。マーカスさん、ロウエンさん」
イーリスが二人に挨拶をすると、二人は敬礼の姿勢を取った。
「これはイーリス殿。おはようございます」
「おはようございます!」
「あ、かしこまらなくてもいいですよ」
二人に止めるように促すと敬礼を解く。
「朝早くから訓練ですか? お疲れ様です」
「フェレ騎士たるもの、いかなる時も訓練は欠かしませんぞ」
「それに俺はまだ従騎士ですから、他の方々よりもっと訓練せねば追いつきません」
熱心な二人だと思う。
「イーリス殿はなぜこちらに?」
「朝早くに目が覚めてしまったものですから。散歩がてらに」
苦笑いで、イーリスは答えた。
「そうですか。しかしイーリス殿もご多忙でしょう。毎日戦術を学び、エリウッド様方と協議。
一方で魔道や剣術の修練にも励んでおられるのですから」
「私は未熟者です。人一倍努力しなければ皆さんの力にはなれません。
…あの。もしよろしければ少し剣術のお相手をしていただけますか?」
途中で閃いて提案する。マーカスとロウエンは一瞬顔を見合わせた。
だがうなずいて了承した。
「わかりました。ロウエン、イーリス殿のお相手をつとめるがよい」
「はいっ、マーカス将軍! よろしくお願いします、イーリス殿!」
「こちらこそよろしくお願いします、ロウエンさん」
かくして、模造刀を使った稽古が行われることになった。
お互い礼をして構える。
先制したのは、ロウエンだ。
力強い一撃を繰り出す。しかしイーリスは上手く力の流れを逸らして受け流した。
反撃にと鎧の継ぎ目を狙った素早い連撃。
これは身体を捻られて鎧に弾かれる。ロウエンの次の攻撃は右に避けた。
「……」
イーリスは右に左にしっかりと連撃。ロウエンは模造刀で受ける。
そして最後に突きを出すがまた捻られてかわされた。
しかしそこですかさず足払い!
元々捻ったことでバランスが崩れた所に支点を失い、あっけなくロウエンは倒れてしまった。
チャッ、とイーリスが模造刀を向けて終了した。
「私の勝ちですね」
「ほう。さすがはイーリス殿、お見事です。情けないぞ、ロウエン」
「申し訳ありません、マーカス将軍!」
無残にも負けたので謝るロウエン。
「しかし、あそこで足を払うとは。いい判断ですな」
「実戦では騎兵も歩兵も変わりませんでしょうが、相手の体勢を崩すのは戦闘における基本ですし。
いかに体勢を崩せるような体勢へと相手を持っていくのに、判断力と洞察力が問われるでしょうね」
「その通りですな。…一つお聞きしたいのですが、イーリス殿は剣術をどなたに教わったのですかな?」
マーカスに問われると、イーリスは間を置いて答えた。
「…基礎は兄の友人の方から教わりました。ですが後はほとんど自己流です。
リンと稽古することが多かったですし…エトルリアとサカの剣術が融合した形ですね」
「なるほど。道理で型がしっかりしているのですな。ロウエン、良い勉強になったであろう」
「はい。ありがとうございました! イーリス殿!」
「いえ。こちらこそありがとうございました」
礼をしてイーリスは訓練場を後にした。
だいぶ日が昇ってきている。みんな起き出す頃だろう。
しばらく歩くと厨房の辺りに出た。中を覗くと料理人たちがせわしなく働いている。
だがそのなかで手伝いに働いているレベッカを見つけた。
「あら、レベッカ」
「あっ、おはようございますイーリスさん!」
「どうしたの? 朝からここで」
厨房に入って尋ねると彼女は答えた。
「料理人さんたちも手が足りないんだそうです。だから私も少しでもいいからお手伝いできればと思って」
「なるほどね。レベッカらしいわ」
世話好きで料理上手な彼女らしいと本当に思う。
「それじゃあ、私も手伝おうかしら」
「え、でもイーリスさん…」
「いいのよ。私、朝早く起きて暇だったし」
イーリスは笑って、手伝いに入ることにした。料理帽を借りて、髪の毛を入れながらかぶる。
材料の下ごしらえをレベッカと一緒に行う。
「あ、そう言えばレベッカ」
「はい? なんですか?」
ふと思い出した事を、イーリスは尋ねた。
「ウィルとは、仲直りできた?」
「あ…はい! 昨夜事情聞きましたから…」
良かった、と思った。
それからレベッカは詳しく話してくれた。
五年前、ウィルとレベッカの兄ダンは、家族にいい暮らしをさせてやろうと一攫千金を夢見て旅立った。
しかし村を出て一ヶ月で現実を思い知ったダンは、まだ旅を続けると言うウィルとバドンで別れたと言う。
だが兄は帰って来ていない。ウィルは帰っていたものと思っていて、安心していたらしい。
その食い違いが今回の件を引き起こしたのだ。
「ウィル…「ごめん」って何度も謝ってました。「一人にさせてごめん」って。
それで約束してくれました。勝手に一人でいなくならないって。
今まで一人にしていた分、傍にいるって」
「良かったわね」
「はい。それで、これからはバドンに向かうんですよね?」
レベッカは確認の問い。イーリスはうなずいて答えた。
「ええ。バドンでヴァロール島への船を探すわ」
「だからウィルと二人で、お兄ちゃんのこと捜してみるつもりです」
「…手がかりだけでも見つかるといいわね」
「はい!」
笑顔になってレベッカはうなずいた。
一つ問題が解決したのでイーリスの心も少しだけ、軽くなった。
だがまだまだ問題は、多い……。
朝食を終えて一息。
皆が思い思いにそれぞれの時間を過ごしている。
イーリスは買い物に出掛けようと思った。
(そろそろ魔法も中位のものを覚えないと…)
これからの戦いは厳しくなるだろう。
自分を向上させなければいけないと思ったため新たな理論書と魔道書を買おうと思ったのだ。
そのためにエルクを誘おうと思いイーリスは彼の部屋の扉を叩いた。
彼はギィとの相部屋だ。
「エルク、いる?」
扉が開いたが、出てきたのはギィだった。
「ギィ、エルクは?」
「エルクなら、さっきセーラに無理矢理連れてかれて街に行ったぜ」
「あ、そう…」
強引な彼女らしいが、なぜ、エルク?
口ゲンカをしつつも、仲が結構いいのだろう…。
それならいい、と答えてイーリスは一人で街に出かけた。
魔道書を取り扱っている店に行って、
理論書に中位の炎魔法エルファイアーと雷魔法エルサンダーを買うことにする。
精算をしようとしてカウンターを見ると、不思議な棒が並んでいる。
「すみません。これ――なんですか?」
店員が答えた。
「これ? 魔方陣を描く時の補助具よ。十本セットで千ゴールドね」
「売れてます?」
「ええ。そこそこ。まだまだ自分の力だけでは描けない人向けよ」
魔方陣は、魔力と術構築補助を主な目的とした魔道図形。
大体は自分で地面に描いたりするが、実力のある人は要となる部分を上手く定め魔法で描いてしまう。
描くこと自体には魔力はほとんど使わないので便利だが、技術が必要になる。
そこであの棒の出番のようだ。あれで要となる部分を上手く定め、描く時の補助とするようだ。
(魔方陣ねぇ。確か兄様、そっちの研究を主にしてたわね)
少しだけなら兄がすぐに魔方陣を描いていたことを思い出す。
そして確か、魔方陣の効果を何かに封じこめるという付与魔法の研究をしていたはず。
(持っていて、損はないわね)
買う予定の理論書には魔方陣のことも載っている。
「じゃあ、ください」
予想外の出費で結構高くついてしまった。
「魔道ってお金がかかるのね…。兄様もパント様も、よくやれるものね」
兄は現在文官ながらも魔道研究は欠かしていない。
友であり、エルクの師であるパントも暇があれば研究の毎日。
いくら名門の貴族とはいえ資金はどうしているのだろうかと考える。
そんなことを考えながら店を出てとぼとぼ歩いていると、武器屋の近くで見知った顔を見つけた。
「エリア?」
「イーリス…」
彼の顔は、驚きに満ちていた。
「どうしたの。…まるで、会いたくなかった人に会ってしまったって顔」
「……」
ふう、と彼はため息をついた。
「…?」
「いや…一人でいたかったから、つい」
「そう? でも…なんだか、寂しそうだったわ」
正直にイーリスは話した。
それを聞いたエリアザールは、顔を曇らせる。
しかし普通に戻って――言った。
「別に。僕は元々一人のほうが好きなんだ」
「…エリア」
イーリスは「違う」と思った。
普通過ぎる。無理に隠しているのではないだろうかと。
でも彼は答えてくれないから、無理には聞けない。
…そう言えば、と思った。
(私、彼のこと全然知らない…)
彼は自分を知っていて、事情も知っている。
けれど自分は、彼のことを全然知らない。
聞きたい――とは思ったが、イーリスは思い止まった。
(…彼は、ディナスの人間…)
エトルリア王国の影を知り、影を担う血脈を持つエリアザール。
常に、危険に晒されている人間。
だから…本当はこれ以上関わってはいけない。
下手に深く関われば、自分が死ぬ。彼はそれを解かっている。
でも、それなら。
「…ねえ、一つだけ聞いていい?」
「…なんだい」
了承を得られて、イーリスは尋ねた。
「どうして、私を助けてくれるの? ディナスの人間なのに」
「……」
顔が、苦いものになった。答えに詰まった顔だ。
「…だって、そうじゃない? あなたは優しいから、自分のことをあまり話さないのでしょう?
でも…どうして? どうして私を助けてくれるの?
私や、あなたのことを考えればあの時すぐにエトルリアに連れ帰れば良かったのに」
もっともな話だった。
お互いが傷付かない最善の方法は、あの時に連れ帰ることだった。
そうすれば最低限の関わりだけで済んだ。
なのに、彼は共に行くことを選んだ。
その理由が、知りたい。
彼は口を閉ざしていた。そして、口を――開いた。
「……済まない。答えることは……出来ない」
迷った末の答えに、イーリスは構わないと思った。
しかし直後。
「ただ……これだけは、言っておくよ。
僕は……君を助けたいと思ったから……共に行こうと思った」
「…エリア…」
胸が痛くなった。振り絞ったその顔に、尋ねた事を後悔した。
「済まない。もう、一人にしてくれ」
踵を返して彼は去って行った。
イーリスはそれを追うことはできなかった。
キアランの街を見渡せる丘で、エリアザールは一人佇んでいた。
「……くっ……」
ギリッと歯噛みする。
あんな問いをされるとは思わなかった。
でも答えるわけにはいかなかった。
(こんなこと、知られるわけにはいかない)
苦悩の末の答えだった。
(ディナスの男が、名門の姫に焦がれているなんて)
彼女はきっと覚えていない。
でも、自分には何にも代えられない大切な記憶を残してくれた。
しかし知られるわけにはいかないのだ。
影に生きる貴族としては。
守るためにはこのような感情を消さねばならないのに。
「…イーリス」
理の女神の名を持つ姫。
調和を尊び、光と闇の間に入り世界を安定させる女神。
我ながら馬鹿だと思っている。
影に生きる自分と相容れることなどなかったはずなのに。
運命なのかもしれないが、その道を選んだのは自分なのだ。
愚かな選択をしたと思っている。
「…兄上。僕は愚かです。決して相容れることのない人を、愛しているのですから」
「あれ? エリアザールさん」
声に驚いた。振り向けば、レベッカとウィルの二人。
自分の世界に浸っていて不覚を取ったと思う。
「どうしたんですか? 今日、一人なんですね」
「…僕は元々一人が好きなんだ」
「でもエリアザールさんって、イーリスさんと一緒にいることが多いですよね」
「彼女とは、戦術論議でいることは多い。ただそれだけだよ」
それ以上の関係を否定するエリアザール。
本来なら決して深く関わってはいけない人間なのだから。
納得したような、していないような顔でうなずく二人。
「ふ〜ん。あ、今暇ですよね? だったらまた一勝負しましょうよ!
今度は負けないですからね!」
閃いてウィルが勝負の提案をし始めた。面倒が始まったとエリアザールは思った。
「…悪いが断る」
「えーっ!? なんでですか!? あれから俺、弓の訓練欠かしませんでしたし
絶対良い勝負できると思うんですけどねぇ」
「勝負?」
レベッカが尋ねるとウィルは答えた。
「前――エリアザールさんがキアランに来た時、俺と手合わせしたんだ。結果は俺が負けたけど、良い勝負だったぜ」
「えっ、ウィル…弓で負けたの?」
「ああ」
「すごい…」
感嘆のため息を漏らすレベッカ。驚きに目を丸くしている。
「やっぱり、大陸って広いんだね…。ウィル、村で一番弓が上手かったのに」
「なんだよ。キアランの師匠もすごいって思ったけどエリアザールさんはもっとすごいもんな」
「…あまり誇張しないでくれるか…?」
冷ややかに抗議の視線を向ける。だがウィルは止まらない。
「年上ってのもあるんだろうけど一回一回に無駄が無いもんな。
俺、早射ちには自信あるけどちょっと無駄がまだあるって言われたし…遠射ちじゃ敵わない」
本人を無視したその言葉に、疑問を抱くエリアザール。
なので尋ねることにした。
「…ちょっと、待ってくれ。ウィル…君…今いくつだ?」
「え? まだ誕生日来てないから十六だなぁ。俺秋ごろの生まれだから」
「と、すると今年で十七と」
「ああ」
少しだけ、唸る。
それからエリアザールは口を開いた。
「悪いが…僕は君より年下なんだが…」
……。
二人が、沈黙。その後。
『ええぇぇぇぇぇぇっっっ!!??』
と、特大の驚きを大声で表した。
「う、嘘!?」
「俺より年下って、マジ!?」
「…僕は誕生日が来たから、十六なんだ。君より一つ下」
大げさな反応に呆れながら返す。
「み、見えねー…」
「良く言われる。二十歳越えているだろうと言われたこともある」
「俺、そのぐらいだと思ってた…」
「私も…」
ハハハハハ、と渇いた笑い。
はあ、とエリアザールはため息をついた。
「とにかく、断る。悪いが他あたってくれ。彼女と手合わせしても良いだろう?」
「え、でもレベッカだとなぁ」
ぽりぽり頬を掻くウィル。それを睨みつけるレベッカ。
「なによ。…でも、私だとウィルに全然勝てないんです。昔から村で一番弓が上手かったし」
「お願いしますよ。俺――こいつと約束したんです。「傍で守ってやる」って。
だからもっと俺…弓の腕を磨かないと。エリアザールさんと手合わせすればもっと上手くなるだろうって思うんです」
「……」
言葉は彼の心をぐらつかせた。
大切な人を守りたい――。
そのために強くなりたい。
それは自分も同じ。
愛する姫を、守りたい。
(確かに彼となら自分の向上にも繋がるかもしれないな…)
エリアザールは思った。
弓の天才と故郷で謳われているものの、最近は伸び悩んでいると思っている。
競い合える人間がいないからだと思っていたが、彼は深く他人と関わるのが嫌だったため親しい友人はいないし、
彼の弓術に対抗出きる人間がいなかったからでもあった。
キアランでの手合わせは先ほどウィル本人も言ったがエリアザールも大陸の広さを思い知らされた。
結果は自分が勝ったが渡り合える人間はいなかったのだ。
自分のためにも、これは受けるべきか――結論を出した。
「わかった。今日は乗り気じゃないから明日にでも手合わせしよう」
「! 本当ですか!?」
「ああ。悪いが負けないよ」
「今度は勝ってみせますからね!」
闘志を燃やすウィル。この情熱と明るさがエリアザールは羨ましかった。
素直に傍にいて守れるということが。
城に戻ったイーリスは、入口でエリウッドの迎えを受けた。
「あら、エリウッド様」
「イーリス、少し話があるんだが…」
「? なんでしょうか」
「歩きながらでいいか。提案があるんだ」
「わかりました」
二人は並んで城の中へ入って話をはじめた。
「先ほどマーカスとも話し合ったんだが、部隊の人数も増えてきた。
個性豊かな仲間達だが、部隊を維持するために規律を設けようと思ってね」
「規律、ですか」
「ああ。その規律の作成を手伝って欲しいんだ。個性を殺してしまってはなんにもならないし、
正式な軍隊ではないし最低限でいいんだが…」
「それは良いかもしれませんね。勝手な事をする人も出てしまうでしょうし」
「…そうだな…」
そこでエリウッドが暗い顔。どうしたのか尋ねると答えた。
「…実はね、君が城下に出ている間のことなんだがね。ヘクトルと新しく入ったキアランの傭兵…」
「レイヴァン、ですか?」
まさかと思って顔が青くなる。
「彼だね。二人とも手合わせしてたんだ。けれどその内に私闘寸前にまでなってしまってね。
僕や修道士のルセアが止めてその場は収まったんだけど…」
「……」
早速やってくれたかあの男は…!
頭が痛い。
「手合わせは良いけれど、私闘はさすがにまずいだろう? だから規律を作った方が良いと思ってね…」
「賛成ですわ。では私やエリア…エリウッド様、マーカスさん、オズインさん。
それとケントさんあたりで作成したほうが良いですかね」
「そうだな。その旨は僕が伝えるよ。明日にでも話し合いたいから君は案を考えておいてくれないかな」
「わかりました。エリウッド様」
礼をするイーリス。エリウッドを見送った後にため息をつく。
「…少しでも抑止になれば良いけれど…頭が痛いわ…」
問題が多すぎるなぁ、この部隊…。
でも頑張るしかないか、とイーリスは開き直ることにした。
(みんなのためですものね。…大切な人を、救うために頑張らなきゃ)
胸を押さえてから、イーリスは瞑目して心に誓った。
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