〜調和を紡ぐ者たち〜 第15話
「――誰か来る」
気配を察知してエリアザールが警告した。
「誰…かしら」
「わからない」
気配は次第に近づいて来るのがわかった。イーリスは二つの瓶を裾ポケットに隠す。
二人はお互いに顔を見合わせてうなずく。
コンコン。
扉を叩く音がした。
「はい…どなたでしょうか」
戸惑いを含む声で答える。するとなにも言わず入ってきたのはエリックだった。
とことん無礼な男である。
「……」
彼はエリアザールが室内にいることに、不満そうな顔を洩らす。
ポーカーフェイスも出来ないらしい。
(ボンクラな公子ですこと…)
ラウスの未来は暗いな、と思った。
「…あの、どうかなさいましたか?」
「いや、気分はどうかなと思ってね」
「それでしたら、だいぶ良くなりました。お気遣いいただきありがとうございます」
上目遣いで礼をすると、気分が良くなったようでにやついた顔を見せた。
「それは良かった。…さて、気分も良くなったのなら来て欲しい所があるんだ。
――エリアザール。君もね」
「…私も、ですか?」
一人称が変わっている。他者の立場などで変えているのだろうと察する。
「相談したいことがあるんだ。そのためにもね」
なにか仕掛ける気か。二人は一瞬だけ顔を見合わせるとうなずいた。
「…わかりました」
代表してエリアザールが答え、三人は部屋を出た。
だいぶ廊下の明かりも消えつつあり、暗い。
コツコツとブーツやヒールの音だけが響く。
「…」
イーリスは不安そうな顔を浮かべ、エリアザールのすぐ後ろを歩いていた。
(ここからが正念場。…イーリス、頑張るのよ)
自分に言い聞かせる。
やがて地下への階段へと、足を進める。カンテラが灯されていても暗く、足を踏み外しそうだ。
ゆっくり一段一段確かめるように降りて行った。
エリックが、階段の先にある扉を開ける。
眩しさに目を細めた。やがて光に慣れてくると彼女は言葉を失った。
「……」
だらしないような格好をした何人もの女性がその部屋の中にいる。
部屋から漂う匂いは自分の部屋の香炉から焚かれていたものと一緒。頭の感覚が麻痺してくるようだ。
ここがラウスのハーレムらしい。
「……」
エリアザールの方は表情を変えずにいるが、呆れていた。
…腐っている…。
「さあ、入るんだ」
「あっ」
腕を掴まれて、イーリスは強引に連れていかれた。
「遠慮は要らない。飲んでくれ」
ハーレムの女性達を下がらせ、エリックは二人をソファーに座らせ酒を振る舞った。
彼女のことを考慮してかそんなに強くない果実酒だ。しかしグラスに注ぐさい、不審な行動をしたのを見た。
それをイーリスに渡す。
「酒は初めてかな?」
「いえ、そうではないのですが…」
「なあに遠慮は要らない。さあ」
これは、飲むしかないか…。
思ったイーリスは口を付ける直前に判らないように青い瓶を出して一、二滴中身をたらす。
少しだけ果実酒と混ぜるように回してからくいっと飲んだ。
エリックがにやけた顔を見せた。
「ほう。いい飲みっぷりだ。エリアザール、君は?」
「…少しだけなら」
と、彼も口をつけて一気に飲み干した。
一方エリックはグラスの中身には少しだけ口を付けたのみ。
まだまだ中身は残っている。
「…では、本題に入る前に――」
「キャッ」
腕と肩を引っ張られて彼女はエリックの方へと引き寄せられた。
しっかり掴んで離さない。
「あ、エ、エリック…様…っ」
「私は君が気に入ったんだよ。どうだい? いずれ世界の王となるラウス公の妻となっては」
(誰がなるものですか!)
と、心で突っ込みを入れたが彼女が気になったのは「世界の王」という言葉だ。
抵抗するような動きを見せながらも続きを待った。
「我がラウスはじきにリキアを牛耳る。すごいだろう?
一気に王妃の座を手に入れられるのだぞ」
(そんなのいらないわよ。私が誰だか分かったら絶対こんな態度じゃないわね)
彼女の実家はエトルリアでも名門の公爵家だ。そう、身分からすれば彼女の方が上なのだ。
けれど、秘密であるのでなにも言えないのだが。
「私は…」
「じっくり決めるといい。考える時間はいくらでもある…」
と、またにやついた。
ただ、王になる――リキアを牛耳るという言葉から、もう相手は確信が得られた。
「エリアザール」
「なんでしょうか」
イーリスを弄ぼうとしながら(本人は必死に抵抗している)、エリアザールに呼びかけた。
すぐにエリックは本題に入った。
「頼みがある。明日私はある人物との会見を行う。しかしそいつはとんでもない悪人で、
私たちを邪魔しようとしているのだ。君は弓に長けていると聞いた。そこで――」
「その相手を、射抜けと?」
その通りだとうなずくエリック。
「断る。暗殺なら専門家を雇えばいいでしょう」
「そうも言っていられない。それに――私たちの許可がなければラウスは出られない。
そっちが探している姫君の情報も、交換条件だ」
「…承知した…」
間を置いて、悔しそうな表情で彼はうなずいたが、芝居だと察した。
なぜなら、彼が捜していた人物こそイーリスだったのだからもう一応目的は達成されているのだ。
虚偽の情報でここに留めていたのだろう。
「これで、話は終わりだ。さあて楽しむとしようか」
不気味な瞳に悪寒を感じると這うようにエリックの腕が彼女の身体に伸びた。
「やっ! やめて…!」
もがくが男の力に抵抗できない。
「抵抗はしない方がいいぞ。痛いからな」
「…っ!」
危機を悟ったイーリスは精神を集中させ、手の平から属性力の一部、雷を少し放った。
痺れを感じ、手を離す。
「な、なんだ今のは…」
そこを、エリアザールが自分の元に華奢な身体を引き寄せた。
(エ、エリアザール)
(イーリス、睡眠薬をもらうよ)
わずかにうなずいたのを見て、エリアザールはそっと判らないように赤い瓶に入った睡眠薬を手に取る。
彼はエリックに向かって言った。
「…怯えさせるのはよくないのでは?」
「それはそうだが、今のは何が起こったのだ。何かしたのか?」
フルフルと首を横に振る。もちろん嘘であるが、涙目で訴えられてはそれ以上言えない。
「…。しかし、君がなぜそうしている?」
今はエリアザールがイーリスを抱き寄せている格好だ。それに不機嫌になっているらしい。
彼は――答えた。
「私も、彼女が気に入ったんですよ。話をしていて、お互い気に入ったようですし」
にやり――笑うと、彼女の顔を自分の顔に近づける。
(イーリス、済まない!)
「えっ?」
一瞬、何が起きたか認識できなかった。
しかし、すぐに感覚が戻る。
自分の唇に、彼の唇が重ねられていた。
「!!??」
頭の中が一瞬にしてパニックに陥った。
何かが流れてくるような感覚。初めての感触。
深く――口付けていた。
「な、な、な…」
パニックはエリックも同様だったようで、怒りのような顔をすぐに出した。
「なっ、貴様!」
「ああっ!」
強引に引き剥がされ、グラスの中身を飲み干した後ソファーの上にイーリスを組み敷く。
彼女が抵抗しようとしたその時、相手の力が抜けていくのを感じた。
もたれかかって、ズルズルとソファーから落ちる。
「…今の…は?」
「睡眠薬をさっきの隙に盛ったんだ。ずいぶんと効き目があるね、これ…」
赤い瓶をしげしげと眺めるエリアザール。
ソファーを立ったイーリスにそれから声をかけようとしたが、すぐに止めた。
唇に、指を沿わせる彼女の姿を目撃してしまったからだ。
「…ねえ」
「…済まない。君を…傷つけてしまった…」
「いいの。私を守るために、したんでしょう…?」
顔をまともに見ず、イーリスは首を横に振りながら彼に言った。
「いいのよ。気に…しないで。私…軍師ですもの。いろんな…経験しなきゃ…」
「…済まない…」
首を緩く振ってから、イーリスはここを出ようと歩き出す。エリアザールも追う。
(どうしてだろう)
不思議な感情に、イーリスは戸惑っていた。
温かいような、でも違う。不快じゃない感情。
(初めてのキスだったのに…嫌じゃなかった…)
どうしてそんなことを思うのか、自分がわからない。
でも、彼は優しかった。
自分を守ってくれた。
涙がポロポロ溢れ出した。
「…ねえ、エリアザール…」
「? …なんだい?」
「…あなたの名前――少し長いから「エリア」って…呼んでいい?」
「…ああ」
「…ありがとう、エリア」
その感謝の言葉の真意は、彼女自身でも分からなかった。
「さて、そろそろか…」
エリウッドは一人指定された場所で、エリックを待っていた。
木々や茂みなどが多く、敵が身を隠すには絶好の場所。
ヘクトルは「奴と会うのは嫌だ」と言うことで、周囲の見回りに行っている。
(彼女からの連絡は、「そのまま会見に臨んで下さい」だったな。
何か考えがあるのだろうけど一体何をする気なんだろう)
そんなことを待ちながら考える。
やがて馬の蹄の音が響くと、銀の槍と銀の剣などいう大層な物を持ってエリックがやってきた。
馬から降りて、挨拶をする。
「やあ、エリウッド。久し振りだね。昨日は済まなかったね、大切な用事があって」
「いや、それは構わない」
白々しい声に不快感を覚えるものの、なんとか顔には出さず答えるエリウッド。
「それにしてもどうしたんだい? オスティアに行く途中なのかい?」
彼が尋ねてくる。だが、ほとんど単刀直入な言い方でなっていない。
「…なぜ、そう思うんだ?」
「君は、侯弟のヘクトルと仲が良かったからだよ。…僕は彼が嫌いだったけれどね。
貴族にあるまじき行動や言葉遣い…本当にオスティア侯弟なのかな。
これではリキア貴族の品性が問われてしまうよ」
本人がこちらにいることを知らないからのこの言動。
親友を侮辱されたことに対し、エリウッドは怒りを覚えた。
「エリック、止してくれ。ヘクトルは立派な考えを持っている。
いくら学問所時代の学友だとしても、そんなことは言わないでくれないか」
「……分かった。…彼との付き合いはまだ続いていると言うわけだね。
最近はいつ会ったんだい? 連絡はどうやって取っているんだい?」
隠すとは無縁の言い方にエリウッドも呆れて嘆息した。
直後――エリウッドはキッ、とエリックを見据えて言った。
「エリック…一体何を企んでいる? このラウスはどこを向いても戦準備に明け暮れている!
一体君達親子は何を企んでいるんだ!!」
彼の反撃にたじろいだものの、すぐに邪悪な笑みをその顔に浮かべた。
「…オスティアと連絡を取ったかどうか聞き出そうと思っていたが…エリウッド!」
銀の槍を、彼に向けた。
「僕は昔からお前も大嫌いだった! この槍でお前の顔を苦渋に歪ませようとずっと思っていた!
やっとそれが叶う…」
狂気を含んだ顔。
はた迷惑な夢を叶えさせるわけにもいかないので、エリウッドはレイピアを抜いた。
「フン。抜くか。だが――勝ちは僕のものだ! 死ねっ!!」
槍を上に掲げ――エリウッドに再び向ける。
しかし直後に手斧がエリックをかすめた。
「!?」
「エリウッド! 無事か!?」
「ヘクトル!」
救援に現れたヘクトルにエリックは驚き、エリウッドは喜びを向ける。
「貴様…ヘクトル! まさか…もうオスティアと連絡を取ったのか!?」
「さあな」
トントン、とヴォルフバイルを右手の人差し指で軽く叩きながら言う。
「エリウッド。こいつあちこちにかなりの数、兵士を伏せてやがる。しかもラウスの正規兵ばかりだ」
エリックはそれでまだ勝算はこちらにあると勝ち誇ったような声で言った。
「その通りだ! 我がラウス騎兵隊の波状攻撃に耐えられるかな?
――その前に、貴様たちは死ぬことになるがな!」
再び槍を掲げ――向けた。
刹那。
ヒュンッ!!
一本の矢が飛来――エリックの銀の槍を、接続部だけを正確に射貫いて破壊した。
「!?」
「な、なんだと…!?」
飛んできた方向を三人とも見る。
「これはどう言うことだ!」
「――と、言われても、こう言うこととしか答えられない」
結構な距離にある木の間から出てきたのは、蒼い髪と瞳の青年。
その手には銀色に輝く弓が握られていた。
「エリアザール! 貴様、裏切ったな!」
「裏切る? 違うな。そもそも僕を騙そうとしていたのはそちらだろう。
それに戦争を起こそうとする人間に貸す力はない」
ギン、と鋭くエリックを睨みつける。
歳からは考えられぬ威圧感に後ずさる。
「それと、一つだけ言っておくわね」
聞こえた声に二人とも目を見開く。そして木の間から出てきたのは――。
「駆け引きがなっていないわよ。もっと勉強したらどう?」
と、悠然とした笑みを浮かべた我らが軍師イーリスだった。
『イーリス!』
エリウッド、ヘクトル両名が同時に彼女の名を呼んだ。
「ま、まさか…」
「その通り。昨日ラウスに近付いたのは探りを入れるため。
思った以上にあなたが有頂天になってくれたおかげで助かったわ」
愕然とするエリック。
「女はしたたかな生き物よ。決して男に従うだけではないわ。覚えておいた方が、良いのではなくて?」
クスッ――悠然とした笑みをエリックに向けるイーリス。
「あ、そうそう。あなたたちが昨日払ったお金はこちらで有効利用させてもらいますので」
止めの一撃。真っ白になったような顔になったエリック。
「…なんて女だ…」
ヘクトルがポツリ呟いた。
「さて、覚悟してもらいましょうか? 詳しい事情を聞かせてもらわないと」
愛用の剣、ソードオブイーリスを抜く彼女。
エリアザールも弓に矢を番えて構える。
エリウッドも、ヘクトルも、武器を構えエリックに向く。
「…フ、フフ、フハハハハハッ!!」
突如あげた哄笑に一同は面食らった。だが、それで警戒は解かない。
「だが…お前達で勝てるのか? 戦は数だ! 我々の方が圧倒的に有利なのだぞ!」
「――それで?」
その声はエリアザール。彼が、続けた。
「戦争は数だけじゃない。数があっても指揮官次第で瓦解する。
逆に言えば少数でも指揮官次第で最強の軍になる。貴様はその器ではない」
冷徹なる声は他者の戦意を失わせる力がある。
しかしエリックは悪あがきですぐに騎乗し、攻撃命令を出しながら後退した。
「全軍攻撃! すべて始末しろ!!」
「やっぱりこうなったわね。でも――負けはしないわ! こちらも応戦開始!!」
空に向かってイーリスは雷を放った。
すぐに戦闘の音がそこかしこから聞こえてきた。
味方が応戦しているらしい。
「イーリス、どう言うことだ?」
ヘクトルが聞くと彼女はすぐに答えた。
「マシューに頼んで他の人たちに言伝をしてもらっていたのです。合図があり次第攻撃に移るようにと。
エリウッド様とヘクトル様には申し訳ありませんでしたが黙っているようにとも。
「敵を欺くには、まず味方から」という言葉もありますし」
完璧エリックより彼女の方が上手だ。手玉に取られている。
感嘆する二人だった。
彼女が武器を持っているのも、マシューに持って来てもらい、伝言をその後で頼んだのだ。
「…それで、君は一体?」
エリウッドがエリアザールに問うた。彼はすぐにこう答えた。
「ご事情は後ほど。今は敵を退ける方が先決です」
「分かった。イーリス、頼むよ」
「はい!」
てきぱきと指示を出し、すぐにその通りに隊形が組まれる。エリアザールは連携の取れているいい部隊だと思った。
(いい手腕だ。一年以上の軍師修行は伊達ではない…)
強い彼女の助けになりたく、エリアザールは言った。
「イーリス、敵方は中央の陣形が厚い。一点突破より撹乱で削って機会を待つべきだと思う」
彼女はその意見にすぐうなずいた。
「そうね。数は向こうが上だからその分戦い方で補う必要があるものね。
――マーカスさんとロウエンさん二人は先陣を切って撹乱! 直後ドルカスさんとバアトルさんは左翼から!
マシュー、ギィは右翼から遊撃!」
指示に皆が従って攻撃態勢に入る。中央を混乱させ、両翼を攻撃して中央を薄くする。
そして――。
「敵陣形が薄くなった所で、エリウッド様、ヘクトル様、私とエリアで突入!
エリック公子を捕虜にしてラウス城を制圧します!!」
戦法としてはそれが確実だ。公子を人質にとって城を制圧。真実を聞き出す。
相当に頭の回る切れ者振りにエリアザールは感嘆のため息をついた。
「さすがだな…」
その呟きは彼女には聞こえていなかった。指示を続けて飛ばす。
「援護はレベッカで――」
「イーリスさん、僕もいますよ」
その声に、懐かしい声を彼女はあげた。
「エルク!」
「お久し振りです。縁がありまして、もうお一方共々エリウッド様の部隊に身を置くことになりました。
またよろしくお願いします」
「ええ。こちらこそ。それではエルクも魔法で援護をお願い」
「はい。あれから魔法の腕も上がりましたし、頑張ります」
そこで三人の所に敵数人が襲いかかってきた。
だが接敵前にエリアザールの矢で射抜かれ、イーリスは魔法で倒す。続けてエルクも――。
「エルサンダー!」
サンダーよりも強力な雷系中位魔法のエルサンダーで一撃。あっさり倒された。
「中位魔法…。これは私も負けていられないわね。オズインさんは輸送隊達の護衛を続けて!
合図次第突入します!!」
応戦しながら時を待った。
一方、その輸送隊方面では――。
「せいっ!」
オズインの槍にまた一人、敵兵が倒される。
厚い鎧は攻撃を阻み、正確に突き出される槍に敵は成す術もない。
じきにこちらに回す戦力がいなくなったのか、敵は来なくなった。
「大丈夫ですか? オズイン様」
プリシラがライブの杖で受けた手傷を癒す。
セーラは輸送隊のテントで疲れたので休憩中…らしい。
「ありがとうございます、プリシラ様。…もし、お尋ねしてもよろしいですかな?」
「はい。なんでしょうか」
質問の許可を了承する彼女。
オズインは、尋ねた。
「あなたはもしかして、コンウォル家のプリシラ様ではないでしょうか?」
「!! …なぜ、私のことを…?」
驚きに目を見開いて逆に尋ねるプリシラ。
懐かしい目で彼は答えた。
「以前…もう十年以上前になります。任務でコンウォル領の方へ赴いた事がございました。
侯爵ご夫妻や、幼い御兄妹にお目にかかった事があります。
その時のあなたは、兄君…レイモンド公子の後ろで私を見上げておりましたな」
「…そうでしたか。申し訳ありません、覚えておらず…」
「いえ。まだあなたは幼かった。覚えていないのも無理はございません」
申し訳ないプリシラに対し、オズインは優しげに言う。
それで少しはホッとしたようだった。
「…戦況は、どうなっているのですか?」
「数は向こうが多いですが、戦況自体はこちらが有利です。さすがはイーリス殿。
よく状況を踏まえて指示を出していらっしゃる」
「……。あの、オズイン様。その…イーリス様はどうしてこちらの部隊に…?」
尋ねるプリシラに、オズインは疑問を持った。
「なぜ、そのようなことを?」
「……オズイン様は、ご存知ないのですか……? あの方のことを…」
「…あなたは、イーリス殿のことをご存知で?」
ゆっくり――彼女はうなずいた。
「…ですが…イーリス様ご自身が話されていないなら…私には何も言えません…」
オズインに一つのことを想起させるが、これはしまっておくべきかと思って、それ以上は彼も口を閉ざした。
「――どうやら、あなたにはリキア攻略というのは荷が重過ぎたようですね…」
言ったのはフードを目深にかぶった男。
ラウス侯爵ダーレンは待ってくれと、慌てて声を出した。
「ま、待ってくれ! 今度はネルガル殿に満足いただける結果を出す! だから…」
ニヤリ――男が、笑った。
「わかりました。ではすぐに残りの兵と共に撤退の準備を」
「な、なんだと?」
顔が青ざめる。それは自分の息子を見殺しにするということだ。
「城も…エリックも見殺しにしろと?」
「あなたは世界の王となるべき方だ。一時の感傷にとらわれていては目的を達成させることなど出来ませんよ。
子など、また作れば良いのです。…さあ」
不気味な金色の瞳が、ダーレンを捉える。狂気にとらわれ、正常な思考をもう、失っている。
「そうだな…。では、すぐに言う通りにしよう」
放棄・撤退指示を出し始めるダーレン。それを見て彼は。
「…操りやすいな、人間とは…」
含み笑いを洩らしながら呟いた。
エリックを捕虜にして、城内に突入したエリウッド達は、唖然とした。
ラウス城はもぬけの殻だったのだ。
「おい、エリック! なんで城がもぬけの殻なんだ!?」
やっと起きたエリックにヘクトルが聞く。もちろんエリックは手足を縛られている。
「父上が、そんな事をするはずが…。まさか、エフィデルが!?」
聞き慣れない名に、エリウッドが尋ねる。
「それは、何者なんだ?」
「……」
答えないでいると、再び尋ねた。
「エリック。答えてくれ。僕は父上のことを知りたいだけなんだ」
そう言われ、エリックは話し始めた。
エフィデルは、一年前に突如ラウスに現れた。魔道の腕と話術にダーレンはすぐにその男の虜になる。
以前からオスティアがリキア同盟をまとめていた事に不満を洩らしていたが、
奴に煽動され、反乱を決意するに至ったと言う。
「反乱…だと?」
ヘクトル、エリウッド両名は驚くが、イーリスとエリアザールはわかっていた事なので驚かない。
世界の王になる。その上でます邪魔なのがリキア同盟をまとめるオスティアだからだ。
エリックが続けた。
最初は渋っていたダーレンも、エフィデルが強い切り札を持っている事を知ると反乱を決意し、
するやいなや、周辺諸侯に賛同者を求めた。
だが、次の言葉は誰もが信じられなかった。
「――フェレ侯は、反乱に賛同した一人だ」
誰もが予想しえなかったことに、一瞬言葉を忘れる。
初めに反論したのはもちろんエリウッドだった。
「バカな! 父がそんな事をするはずが無い!!」
父を信じているエリウッドだ。違うと思っている。だが。
「事実だ。最初にサンタルス侯。次にフェレ侯が返事をよこした。
半年前にここに来たのも反乱意思の最終確認だったんだからな」
「…」
半年前、確かに用事で出かける父を見ている。だが、よりにもよって反乱に荷担するとは。
話は続く。
「…あの日、父とフェレ侯は言い争いをしていた。フェレ侯はエフィデルが気に入らなかったようで、
奴が連れてきた暗殺団『黒い牙』とも手を切るように言った。しかし父はそれを拒否した。
…フェレ侯はそれで帰った。その直後にこの失踪だ。生きてはいまい…」
「てめえっ!!」
ヘクトルがエリックの胸倉を掴む。しかし臆せず言う。
「エリウッドが聞きたいと言ったから話したまでだ。…父上は奴の言いなりだ。
奴の言うことなら実の息子を見殺しにすることも平気でやる。そんな奴らだ。
反抗したフェレ侯を生かしてはいまい…ハハ、ハハハハ……」
自虐的にも取れる哄笑が木霊する。エリウッドは耐えられず、その場を飛び出した。
「エリウッド!」
ヘクトルが後を追う。
「エリウッド様!」
イーリスも後を追おうとしたが、エリアザールに止められた。
「エリア…」
「ヘクトル公子に任せておけばいいと思う。…それより、こっちだ」
「そうね…」
親に見捨てられた子の姿は哀れだ。しかしこのようなことをしたのだから同情の余地はない。
一室に軟禁するように指示を出した。
「オズイン! エリウッドを知らないか?」
親友を探す途中で見つけたお目付け役に、ヘクトルは尋ねた。
「先ほど、中庭の方に」
「そうか! ありがとうな」
「――ヘクトル様」
エリウッドの後を追おうとするヘクトルを、オズインは止めた。
「なんだよ」
「…これ以上の、フェレへの干渉は危険かと思われます。すぐにでもオスティアに帰還すべきかと」
ピキッ。ヘクトルの顔に怒りが走った。
「なんだと…?」
「フェレ侯爵に反乱の疑いありと判明したのです。オスティアの今後を考え――」
「今の言葉、取り消せ」
険しい顔で、オズインを睨みつけるヘクトル。怒りが現れているのがオズインにはよく分かった。
「俺はエリウッドの親父さんをよく知っている。その俺が、あの人は信頼に足る人だと言っている。
だから俺はエリウッドに力を貸す。オズイン、お前も騎士なら忠義を示すべきだろう?」
衝撃が全身に走った。
この侯弟は、乱暴で貴族にあるまじき考えを持っているが、気高い。
信じた相手を最後まで信じ、信念を持って行動する。
その義に厚い、人の上に立つべき心をオズインは今知った。
「……なんてな。お前は兄上の臣下だ。言いすぎたな。お前だけでも、オスティアに帰れ。
今まで世話になったな。礼を言う」
その言葉にオズインは首を横に振った。そしてヘクトルに跪いた。逆にヘクトルが慌てた。
「お、おい! オズイン! 跪いたりするな!」
「いえ。フェレ侯爵に対する非礼を心よりお詫びいたします。
そして――ヘクトル様、この槍をお受け取り下さい」
差し出したのは、オズイン愛用の槍。まさか、と思った。
「お前」
「私がこれまで忠誠を誓ったのは、ウーゼル様ただお一人でした。
しかし…今、心からあなた様にもお仕えしようと思います。どうか、祝福を」
その意図を察したヘクトルは、騎士の誓いの際にする武器への祝福を与えた。
イーリスとエリアザールが様子を見に中庭に来ると、エリウッドとヘクトルの二人が佇んでいた。
「…エリウッド様」
呼び掛けに彼は答えた。
「イーリス。…色々考えたんだが、父上は生きていると思う。反乱に荷担するなど有り得ない。
何かあったに違いない」
「そうですわね…サンタルス侯の今わのお言葉も考えると…
きっとこの内乱の裏にあるものを感じ取ったのではないでしょうか」
「それを確かめるためにも、か?」
「おそらくは…。ですが、推論です。ダーレン侯と、エルバート侯ご自身にすべてを聞くしかないでしょう…」
「だな。真偽を確かめねえといけないし、兄上への報告はその後になるな」
うなずくエリウッド。周りを見て、そこで。
「…そう言えば、君はどうして」
エリアザールの姿に、エリウッドは事情を尋ねる。
彼は人探しをしていたがラウスで足止めされていたことを話した。
そこでイーリスと出会って事情を聞き、協力することにしたのだと。
ただ、彼女がエトルリアでも名門の出身である事。エリアザールの探し人であることは伏せた。
「ここまで関わった以上、無関係ではありません。僕も協力します」
「そっか。いい弓の腕してるしな。よろしくな。…そう言えば、名前は?」
「…エリアザール=ディナスと申します」
『!?』
エリウッド、ヘクトル両名は驚愕とも言える表情を浮かべた。
「ディ、ディナス…! エトルリアの、影の重鎮じゃねえか!」
「裏でエトルリアを支える家…その家の人間が…どうして」
「ご事情は先ほどの通りです。それと、今回の件は僕個人としての行動です。
家とは関係ありませんのでその辺りをご理解下さい」
礼をすると、まあ、と顔を見合わせて納得した二人だった。
「…では、これからよろしく。エリアザール」
「よろしくお願いします、エリウッド公子」
互いに握手をする二人。これで自己紹介は済んだ。
「…では、これからはダーレン侯の捜索でしょうか」
「ああ。……すべての謎を明らかにする。そして、父上の無実を証明する…!」
エリウッドは固く誓う。
けれど、黒い雲は確実に彼らを覆おうとしていた。
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