〜調和を紡ぐ者たち〜 第14話










 リキア地方の中央に位置し、リキア交通の要所である、ラウス侯爵領。
 河が流れ、緑多く肥沃な大地。
 だが美しいこの地で、暗黒の陰謀が進んでいる。




 ラウス城謁見の間に、一人の少女が通された。
 艶やかな薄紫色の髪。極上の紫水晶と見まごう瞳。整った目鼻立ちに薄く紅を引く唇。
 真っ白でキメ細かな肌。銀の髪飾りが煌いている。
 上目遣いに見上げるその少女は誰もが見惚れる美少女だった。
 少女は緊張しているらしく縮こまっている。
「…!」
 彼女は、しっかりと謁見の間にいる人間を見た。
 玉座に座るのは侯爵ダーレン。いかにも悪人――と言っては本人に失礼だろうが――な顔。
 すぐ傍には似た顔の青年。彼が公子エリックだろう。いかにも小心者の顔。
 あとは衛兵達がいるぐらいか。
「お主が行商の娘か?」
「はい。…お初にお目にかかります、ダーレン侯爵様、エリック公子様」
 恭しく礼をして、挨拶をする。
 しかし戸惑いを表情に表している。
「此度は我がラウスに有益な物品を持ってきたことに感謝しよう。
 すべてわしらで買い取ろう。全部で一万五千ゴールドでどうだ?」
「え、い、一万五千…!? そ、そのような大金…」
 驚きと困惑の混じった顔を浮かべる。しかしエリックがにやついて言った。
「有益かつ、上質の物を持ってきたことに対する感謝だ。礼には及ばん、受け取るが良い」
「…あ、ありがとうございます。父も喜びます」
 ペコペコと頭を下げる少女。
 その様子を見ながら、ダーレンとエリックは外で案内した兵士と同じように娘の美しさに見惚れていた。
 行商の娘には似つかわしい優雅さと気品を持つ美少女。
 しかも、奥ゆかしい雰囲気。
 こんな上玉を放っておくわけにはいかない――。
 それが彼女を謁見の間に通した理由でもあった。
「時に、娘。今日はこれからどうするのだ?」
「え、あ、これからですか? 父の薬を買って、村に戻ろうと思いますが…」
「なら、それは兵士達に命じておこう。最近このリキアは物騒だ。娘一人で戻るのは辛かろう」
「そ、そんな。恐れ多い…」
 小さく首を振るが、エリックとダーレンは意に介さず続けた。
「今宵はこの城に部屋を用意させる。明日一番で兵士の護衛をつけて村へ案内させよう。
 物品の報酬は今日、すぐに届けさせる」
 そこまで言われ、困ったような顔をする。
 けれどなにも言えないと了承の返事を出した。
「それでは、侯爵様と公子様のご好意に甘えたいと思います」
 彼女は礼をした。
「では、報酬を届けさせる。お主の父の名は?」
「マリナスと申します」
「そして、娘。――名は?」
 逡巡なく、彼女は答えた。



「私は、イーリスと申します」






「…酷いですね。ラウス領は…」
 ラウス侯爵領に入ったその日、どこの村も戦準備に明け暮れているのをエリウッドたちは目撃した。
 大量に作られる武器、防具。夜間用の松明や、保存食…。
 普段人々が従事すべきことそっちのけで、兵士たちが命令を下していた。
 いくら疲労困憊でも、許さない。レベッカの叔父が逃げ出すのも無理はなかった。
「…ラウス侯め、何を企んでやがる!」
 ヘクトルが憤る。ここまで人々をこき使ってまで進める戦準備。
 一体、どこと争う気なのだと。
「……」
 一方でエリウッドは沈んだ顔をしていた。
 その様子から感情を察したヘクトルが言う。
「…城に、行きたくないって顔だな」
 素直にエリウッドはうなずき、答えた。
「…城へ行って、真実を聞いたら――戦になるかもしれない」
「望む所じゃねえか!」
「…だが、僕は戦を好きになれない」
 目を瞑り、エリウッドは続ける。迷いを示すかのように。
「戦う僕らは目の前の敵を倒すことだけを考えればいい。
 だが、住処を荒らされる人々は? 家族を失う人々は?
 …そのことを思うと、戦が起こらずに済めばいいと、考えてしまうんだ…」
(…優しい人)
 イーリスは思った。
 戦を嫌い、常に民のことで心を痛める人。他人の痛みが分かる人なのだと。
 だから、分かる。その人達のためにも、戦を起こしたくないという、気持ちが。
「…エリウッド様の仰ることは、もっともだと思いますわ」
「イーリス」
 口を開いた彼女に反応し、エリウッドは顔を向けた。
「民のことを考えれば、エリウッド様のお心は当然です。
 ですが、相手側はおそらく何がなんでも戦を起こす気でしょう。
 …強欲な侯爵親子では…」
 イーリスは緩く首を横に振った。やっぱり――と言うような顔を、彼は浮かべた。
 彼女はエリウッドやヘクトル、それに村の人々からラウス侯爵親子についての情報を聞き出していた。
 それから得られた結論。戦を回避することは、おそらく出来ないだろうと。
 不甲斐ないな、とも思う。
「さて、これからどうする?」
 ヘクトルが、意見を求めてきた。イーリスがすぐに提案した。
 まずは拠点を決めて、そこに落ちつける。ラウス城から近い場所がいい。
 それから、一体どこと争う気なのか突きとめる必要がある。
「…と、いうことで潜入を図りたいと思います」
「潜入? マシューに潜入させるのか」
「まず、そうですね。オスティアの密偵である以上――これ以上の人材はないですし」
「任せてくださいよ」
 意気込むマシュー。
 しかし、次の言葉は全員を驚かせた。



「私も、合わせてラウス城内へ潜入します」



『なんだって!?』
 特に驚いたのがヘクトル。エリウッドも彼ほどではないが驚いている。
「イーリス、本気か!?」
「ええ。本気ですけど」
 唖然とする二人。すると「どうしてですか〜?」とのセーラの尋ねる声が聞こえた。
「…ラウス侯爵親子は、好色でも有名でな。城の中にハーレムを作ってるって噂だ」
「それに、このラウス領でめぼしい若い娘を城に連れて行ってるって話だぜ」
 ヘクトルとマシューが答えると、セーラは憤慨した。
「ちょっとー! なんですかそれ〜! 女の敵です〜!!」
 だが、次の台詞は。
「そんな奴は私の魅力で虜にしてやりたいわ。
 そうして私を巡る争いをして、女の心がいかに手に入りにくいものか、思い知らせてやるのよ!」
『……』
 全員が、沈黙。
 このズレだけはどうにかならないものだろうかと思うが、無理だとも思う。
「…話を元に戻しますね。そのハーレムに潜入できれば油断しているでしょうし、情報も手に入りやすいと思います。
 目をつけられれば城の中に入ることになるでしょうし」
 それは確かにそうだなと思った。
 エリウッドやヘクトルから見ても、彼女は可愛いし美しいとも思う。
 それに雰囲気は凛としていて時に優雅さも見える。
 謎の多い軍師が彼女だ。
 それに、ヘクトルは知らぬが一年前のキアラン内乱時で彼女が発揮したのは何も戦術だけではない。
 戦略もきちんと心得ているし、貴族や政治にも精通している。
 侯弟ラングレンの罠により窮地に立たされたときも、
 虚偽の情報を逆手にとって周辺諸侯の動きを封じた手腕は見事。
 言葉遣いは丁寧だし、リンディス公女のお披露目パーティーでは見事なドレス姿と踊りを披露した。
(本当に、彼女はただの軍師なのか?)
 ――違う。
 自問すると返る答え。
(…でも、無理に訊くわけにもいかないな。彼女自身が話したくなったら、聞けばいいんだ)
 と、エリウッドは打ち消した。
 今は真実を知ることに集中するべし。
「ねえ、イーリス。私も行っちゃダメ?」
「ダメよ」
 セーラの提案を即座に却下する。抗議の声を上げると彼女は返した。
「潜入はあくまで小人数よ。それに何が起こるか判らないし、修道女って目立つもの。
 特にセーラみたいな可愛い修道女は格好の的。自分で対処する力がないと」
「…分かったわ。じゃあ、イーリスだけ?」
 あっさりセーラは引き下がった。「可愛い修道女」で、気を良くしたのだろうか。
「そうね。レベッカも潜入は危険過ぎるし。私は魔法やそれ以外の力が使えるから自分で身は守れるわ。
 …それで、作戦なんですが…」
 構想を話すイーリス。エリウッドたちと意見を詰める作業に入る。
「基本はそれでいいと思う。でも君たちだけでは…」
「だったら、そこでこうしたらどうだ?」
「そうですね。対処しようとする侯爵たちの様子も見られますし……」
 意見を詰めて、エリウッドたちは作戦を開始した。





 そうして、現在に至ると言うわけである。
 彼女がこのラウス城に向かう間に他のメンバーは近くの村を拠点にしているはずだ。
 行商の娘という触れこみで向かうとことにしたのでマリナスとは「親子」の間柄である。
「では、部屋を用意させ――」
「侯爵様」
 そこで、兵士が敬礼をしながら入ってきた。
「ええい、何用だ」
 不機嫌になったらしい声。美味しい所を中断させられてしまったからか。
「フェレのエリウッド公子の使者と名乗る者が、謁見を申し出ております」
「何? エリウッドだと」
 一瞬で表情が変わるのをイーリスは見逃さなかった。
(申し分なしね)
 おどおどした性格を演じているので表情は困惑を作っているが、見るべきものはしっかりと見る。
 知られたら困るという顔をしている。
「…父上。いかがなさいますか?」
「…いいだろう。連れて来い」
「はっ」
 敬礼を返し、去る兵士。
(どう出るのかしらね)
「さて、イーリスと言ったか? 済まぬが客が出来た。侍女に部屋まで案内させる。
 晩餐にも招待するゆえそれまで部屋でくつろいでいるが良い」
「…わかりました…」
 礼をして、入ってきた侍女について謁見の間を出る。兵士が荷物を回収した。
 出たところでエリウッドたちの使者役――ロウエンの姿を見つけた。
 彼はイーリスの方に顔を向ける。それに「えっ?」というような顔をして彼のほうを向く。
「お早く」
「あ、はい」
 侍女に急かされ、駆け出す一歩手前のような速度で追った。
 長い通路の先に、扉が。その部屋にイーリスは案内される。
「…っ…」
 入った瞬間、イーリスは眩暈にも似た感覚を覚えた。
 部屋の中にはむせ返るような甘ったるい匂いが充満している。棚の上方に香炉がありそれから焚かれているらしい。
 調度品は豪華だが、どこか派手過ぎるきらいがある。
 ベッドは――かなり大きい。三人は眠れるサイズだ。ご丁寧に枕も三つ。傍は引き出し付きの小さなテーブル。
 近くの壁には全身が映る鏡。しかもベッドから正面。
 …あからさまであろう…。
「では、ごゆっくりどうぞ…」
 礼をして侍女が部屋を出て、扉を閉めた。
 気配が遠ざかったのを確認すると急いで香炉の火を消してバルコニーに出られる窓を開けた。
 空気が浄化されるのを感じる。
「…ふう。気分が悪くなってくるわ…」
 はあ、とため息をつく。誰もいないのでいつもの自分に戻っている。
 内気な性格を演じているのは結構疲れる。
 曖昧な反応をすればいいだけの話なのだが、それでも誰にも気付かれてはいけない。
 さっきのロウエンへの反応は、どうして自分を見るのか――という疑問の反応だ。
 無視すればまた怪しまれる。だとすれば自然な反応をするのが一番。
 イーリスはそんな所でも頭が回る女だった。
 壁にかけられた時計を見れば、時間は午後の三時半。
 大体晩餐まではあと三時間…。
 下手には動けない。
「…大人しく待ちますか」
 と、イーリスはベッドに腰掛けた。
 右手の人差し指に精神を集中させる。バチッ、と音がした。
「…よし」
 だいぶこれもコントロールが上手く行く。
 以前発見したことで、加護を受けた属性の力を借りるものだ。イーリスはこれを「属性力」と呼んでいる。
 魂の力でもあるので体力と精神力がかなり必要だが、魔道とは違うので鍛えれば使える誰でも代物であろう。
 イーリスは理の加護を受けているので炎、氷、風、雷と複合が使える。
 たとえ魔道書がなくても、自分の身を守れる力だ。
 剣などはさすがにエリウッドたちに預けた。
「……」
 行動はマシューからの報告待ちだ。
 少し、休もうかな。
 イーリスはベッドに横になった。





 エリウッドたちは彼女がラウス城へ行った直後に、南にある村へ向かっていた。
 問題なく近くまで着くのだが、何かおかしいと思った。
 兵士が多い。まるで誰かを監視しているようだ。
「見張りを立ててるってことは、知られちゃまずいものがあるのか…」
「それとも誰か逃がしたくないのか…」
 推論が二つ出て来る。しかしこの状況ではそこまでしかわからない。
「情報収集と行きたい所だが、あまり時間を経たせると作戦に支障が出そうだしなぁ」
「確かに。さて、どうするべきか…」
 エリウッドとヘクトルが考えていたその頃――。
「何か見えないかしらね〜」
 部隊の後方で暇を持て余していたセーラはイーリスが預けた望遠鏡で遊んでいた。
 何か興味を引くようなものがないかなと、好奇心を全開にしている。
 口ゲンカ相手のマシューがいないのでそれも暇を持て余す理由になっているようだ。
「…ん?」
 と、何かを見つけたようでセーラはジーッと望遠鏡からの映像に注目する。
 魔道士風のローブを着た人物が、こちらの方に向かってきているようである。
「…魔道士ねぇ。そう言えばあいつどうしてるのかしらねぇ〜」
 ふと思い出すのは一年前に雇った魔道士の少年。
 文句ばっかり言っていた記憶がある(セーラにも原因があるが本人はもちろん気が付いていない)。
 好奇心を刺激され、セーラはその人物の元へ行ってみることにした。
 オズインが諌めるも無視してズンズカ行く。
 そうして後ろを向く魔道士風の人物に声をかけた。
「そこのあんた、何やってるの?」
 ピシッ――。
 相手の身体が強張る。そうして、おそるおそる後ろを振り向けば……。
「…セー…ラ…!?」
「あら! やっだ、エルクじゃないの〜! 久し振りねぇ〜!」
 明るく再会を喜ぶセーラに対し、エルクは愕然とした顔をする。
「……君にだけは、会いたくなかった……」
「え? なに? 私に会いたかったって?」
 しかし、エルクの呟きが小さかったのと相手がセーラだったことで、見事に勘違いされる。
「しっかし、こんな所で何やってるの? あ、仕事探してフラフラしてるんでしょ。
 だったら特別にいいコネあるから紹介してあげてもいいわよ」
「生憎、今は主人持ちだ。君こそなんでこんな所にいるんだ?」
「そりゃー決まってるでしょ! 我がオスティア侯弟ヘクトル様に付いて来てるのよ」
「オスティアの?」
「そうよ。忘れたとは言わせないわよ! 私がオスティアに仕えるシスターだって」
 忘れているわけではないのだけれど、と言いかけたがエルクは止めておいた。
(これはいい機会かもしれない)
 思考を巡らせ、判断するとエルクはセーラに言った。
「良ければ、力を貸してくれないか?」
「ふ〜ん…高くつくわよ?」
「…承知の上だよ。今の主人が、近くの村にいるんだ。
 ラウス兵が見張りを立てて、出られないようにしている。脱出するのに手を貸して欲しいんだ」
「村って、あそこの?」
「そうだよ」
 セーラの思考回路が高速で動いた。
 どうしたら自分に利が出るかすぐに考える。そうして考えた結果――。
「いいわよ。私からエリウッド様とヘクトル様に言ってあげる」
「本当かい? 助かるよ」
「で・も! その代わり、あんたしっかり働きなさいよね」
「……」
 やっぱり……変わってないなぁ……。
 エルクは心の中で涙を流した。




 エルクの提案はすぐに受け入れられ、部隊の一員を装うことにした。
 代表としてエリウッドが、村への滞在を兵士達に求める。
 迷ったようだが、フェレ公子の求めを断るわけにもいかず、彼らは村に入ることに成功した。
 まずエルクの案内でその彼の雇い主に会うことになった。
 村の村長宅で、面会する。
「あなたが、フェレのエリウッド様ですか?」
 尋ねたのは、少女だった。
 セミロングで切り揃えられた赤い髪に、深緑の瞳。羽の髪飾り。
 旅装束だが装飾は細かで、上等な布地を使っているのがすぐに分かる。
 それに優雅で、気品に溢れている。
 深窓の令嬢――という言葉がよく似合う少女だった。
「…君が、エルクの雇い主…?」
「はい。お初にお目にかかります。エトルリアはカルレオン伯爵家の、プリシラと申します」
 恭しく礼をしてプリシラは挨拶をした。
 一方、疑問を覚えたヘクトルがすぐに彼女にそれをぶつけた。
「なんでエトルリア貴族の娘が、ここにいるんだ?」
「…あなたは…?」
「おっと。俺はヘクトル。オスティア侯弟だ」
「…オスティアの…」
 それに、しばし考えるような仕草をするプリシラ。それから彼女は話し始めた。
「…ある事情がありまして、忍びでリキアへと参りました所ラウス侯爵たちの目にわたくしが止まってしまいました。
 しかし城への招待を拒みましたら、兵士を村の回りに置いて出られなくしてしまったのです。
 エルクは村を脱出して、ラウスから出る方法を探しておりました。
 そこに彼の知り合いの方が、あなた方とご一緒にいらっしゃるということで…」
 それはもちろんセーラのことである。なるほどとうなずく。
「では、君はこのラウスから脱出したいと言うことかい?」
「はい。ご迷惑でなければ、わたくし達をこのラウスから脱出させていただきたいのです。
 いきなりの願いで、申し訳ありませんが…」
 礼をして、プリシラはエリウッドたちに願った。
 それほど嫌だという思いが分かる。
 好色な侯爵親子のところに好きで行く人間はいない。
 今ここにはいない軍師は情報を入手するためにあえて潜入している。
 彼女であれば、どう言うだろうか。
 …いや、決まっているか。困っている人間を放っておけない、優しい人間だから。
「分かった。ひとまずは君を僕たちの部隊で保護しよう。
 ただ――ラウスの人間と一戦交えるかもしれない。構わないかな?」
 言葉の後半に、逡巡したものがある。
 戦いたくないとのエリウッドの思いの表れだった。
「はい。わたくし、多少杖魔法の心得があります。お役に立てると思います」
「そうか。ありがとう、プリシラ」
「いえ。こちらこそ無理なお願いを聞いていただきましてありがとうございます」
 優雅に礼をして感謝するプリシラ。
 貴族令嬢の手本と言っていい少女だった。
 それからプリシラはエルクと共に、他の面々に挨拶をした。
 一緒に戦う面々である。しっかり顔と名前を覚えなければならない。
 まず、セーラに挨拶をすることになった。
「私のおかげでここにいられるんだから感謝してよね〜」
「セーラ! プリシラ様にそんな失礼なことを」
「あらエルク、本当のことじゃないの。それに何よ! 私には「様」なんて付けなかったくせに」
「それは君は修道女だし、プリシラ様はエトルリアの貴族令嬢。立場が違うじゃないか」
「なんですって!? エルク、あんたねえ! 私は本当はエトルリアの伯爵家の人間よ!
 今は事情があってリキアにいるけれどいつか本当の両親が迎えに来てくれるのよっ!!」
 ピタリ――セーラの動きが止まった。
「…セーラ?」
 泣いている――そんな目に、エルクは戸惑った。
 初めて見る顔におかしなものが沸いて来るのを感じる。
「…泣いているのかい?」
「! 誰が泣くものですか! いい、だから私にも敬意を表しなさいよね!」
「だからどうしてそうなるんだよ!」
 二人のやりとりをずっと見ていたプリシラは、クスクス笑い始めた。
 それに二人は顔を見合わせる。
「プ、プリシラ様…?」
「ご、ごめんなさい。二人があまりにも仲が良さそうだったもので…」
「ち、違います!!」
「違うわよ!」
 即座に否定するエルクとセーラ。
 だが、ケンカするほど仲が良いと言うのは、この二人のためのような言葉かもしれない。
 実際あんなに喋るエルクをプリシラは初めて見たのだ。
 だから仲が良い、と思ったのだった。
「あの〜どうかしましたか?」
 ひょっこりと、そこで現れたのはレベッカ。
 見知らぬ顔の二人に瞳を瞬かせる。
「あらレベッカじゃない。紹介しておくわ。私の部下エルクと――」
「誰がいつ部下になったんだい」
「今よ。で、後はプリシラって子。一緒に戦うから」
「あ、はい。エルクさんにプリシラさんですね。私レベッカと言います! よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします、レベッカさん。……あら……?」
 ふと、プリシラはレベッカが首から下げているものに目を留めた。
 高価そうな首飾り。色とりどりの宝石がはめ込まれた銀の首飾りだ。
 似つかわしいその首飾りが気になったプリシラは、尋ねた。
「あの…その首飾りは?」
「あ、これですか? 今ここにはいない人の物で、預かっていて欲しいと言われたので、こうして下げているんです」
「…少し、見せていただいてよろしいですか?」
「これをですか? …どうぞ」
 戸惑ったがレベッカは首飾りを外して渡した。
 細かな装飾に、大粒の宝石が色とりどり。台座をひっくり返す。
「…!!」
 みるみるうちに彼女の表情が変わった。エルク、セーラ、レベッカは気になってプリシラの元へ集まる。
 覗いて見ると、台座の裏には何か紋章が彫られていた。
 太陽と、魔力と知恵を示す杖のような物が紋章として彫られている。
「……これをお持ちだと言う方は、一体どのような方で……?」
「私たちの軍師さんなんです」
「軍師?」
「エルク、彼女よ。イーリスの首飾りなのよ、それ」
『!?』
 エルクとプリシラ、二人が同時に驚いた。
「…イーリス…さん、が…ここに!?」
「そうよ。今は作戦でいないけど」
「……イーリス……」
 名を呟いて、首飾りを握り締めるプリシラ。彼女を心配そうに見つめるエルク。
 セーラとレベッカは、同時に首を傾げた。





「失礼いたします。晩餐のご準備に参りました」
 入ってきた侍女に首を傾げるイーリス。すると数人の侍女が次々と入ってきた。
 持っているのは簡素なワンピースドレスに、装飾品。そして化粧箱。
 嫌な予感がした次の瞬間には、彼女は数人に取り押さえられ強制的に着替えさせられた。
 化粧も軽く施された。
「それでは」
 退室する侍女たち。
「……」
 強制的に着替えさせられ、鏡の自分を見て苦い顔をする。
 ほんの少し経って、扉を叩く音が聞こえた。
「はい。どちら様でしょうか」
「失礼するよ」
 ラウス公子エリックの声だ。緊張が走る。
 返事も待たず無礼にも入ってきた。
 だが椅子に小さく腰掛け、着飾った彼女には言葉を失った。
 奥ゆかしい雰囲気を纏い(演技だが)、上目遣いで見上げる美しい少女に揺らぐ理性。
「あの…エリック様…?」
 瞳を瞬かせて尋ねるとハッと我に返ったようで、本題を話し始めた。
「晩餐の用意が整った。君を迎えに来た」
「エリック様、自らが…ですか?」
「ああ。私は君を気に入ったんだ。女性をエスコートするのは男の役目だしね」
 気障な台詞に歯が浮きそうになるが、それをこらえる。
(似合わない台詞…)
「…あ、ありがとうございます…」
 差し伸べられた手を取ると、彼はイーリスを先導し晩餐の間へ連れて行った。
 時刻はもう夜になる。途中窓から見える外の風景は藍色。これからが本番か――と思った。
 晩餐の間へ入ると、眩しさに目を細めた。
 無駄に豪華に煌くシャンデリア。豪華な食事。長方形テーブルの上座的場所には侯爵ダーレンがすでに座っている。
 あと用意されている椅子は四つ。半分もうは着席している。
「…!」
 そのうちの一人に、イーリスは戦慄にも近い感情を覚えた。
 波打つ漆黒の髪。病的に青白い肌。男なのに不気味に赤い唇。あまりにも整った容姿。
 そして――金色の瞳。
 別の生き物のように光る瞳に、ビクリと身を震わせた。
(…同じ…!?)
 イーリスはかつてベルンで出会った面々を思い出した。
 そのうちの一人が、同じ特徴を持っていた…。
「…どうかしたのか? イーリス。早く座るといい」
「あ、も、申し訳ありません」
 エリックに勧められて、客人側の椅子に向かう。エリックの正面にあたる位置だ。
「失礼します」
 隣にいた、もう一人の客人に断りをいれる。 
「どうぞ」
 客人の青年が応える。イーリスは、彼の顔をよく見た。
 蒼の髪と瞳。整えられた容姿。身長は一般男性より高め。
 髪よりは淡い青の服は軍服に近いが、銀糸が入っておリ豪華だ。
 しかもこの豪華さはリキアではない――エトルリアだ。
(…どこかで、見たような…)
 ふと懐かしさがよぎる。
 だが、直後不安もこみ上げてきた。
「?」
 視線に気付いたか彼がこちらに視線を移した。紫の瞳に、蒼い瞳が重なる。
「…!」
 わずかに、彼の表情が変わったような気がした。
 一瞬のことであったし、気のせいかもしれないが、不安が心のどこかで拭えない。
 けれど躊躇するわけにもいかず――イーリスは着席した。
「それでは、今宵は客人お二人と共に晩餐を迎える。二人とも、ゆっくりくつろがれるといい」
 うなずいた二人。程なくして晩餐が始まった。
 しかし、イーリスは料理にほとんど手をつけなかった。
 色々な物を食べはするが、ごくわずか。
 食の細さにエリックが尋ねた。
「どうかしたのかね?」
「…あ、申し訳ありません。少し、気分が悪くて…」
 申し訳なく微笑む。すると隣の青年が声をかけた。
「気分が悪いなら、無理をしないほうが良い」
「はい。ご迷惑をおかけして申し訳ありません…」
 力なく、イーリスは微笑んだ。
 結局彼女はそれから晩餐には手をつけなかった。
 お開きになって、部屋へと戻る(エリックが送ろうかと言ったが、やんわり断った)。
 道はちゃんと覚えている。ゆっくりとした足取りながらも、確実に部屋へと向かっている。
(…あの金色の瞳…。それに彼は…)
 考え事をしながら歩いていると、足がもつれた。
「キャッ!」
 転ぶ――その直前、彼女は二本の腕に支えられた。
「大丈夫かい?」
 さっきの青年だ。きちんと彼女を立たせ、その手を離す。
「あ、はい…。ありがとうございます」
「…何か、考えることでもあったのかい?」
「…ええ」
 否定せずイーリスはうなずいた。すると――。
「……済まないが、少し話したいことがある。君の部屋へ行ってもいいかな?」
「え?」
 それには本当に疑問を抱いて瞳を瞬かせた。
「一体、何を…?」
「本題は君の部屋で話したい。済まないが、今は言えない」
「…わかりました」
 何かを隠している――勘がそう告げる。
 だが乗ってみるのもまた一興かと、イーリスは受諾した。





「お話とは?」
 宛がわれた部屋で、椅子に向かい合って座りながらイーリスは尋ねた。
 雰囲気には隙がない。油断できない相手だと、心の中で警戒する。
 年の頃は自分と同じぐらいか少し年上だろうが、修羅場を潜り抜けてきた鋭さを瞳に感じる。
「君は、なぜここに?」
「…行商のためですが…」
 「商人の娘」としての答えを提示したが、彼は納得がいかない様子。
「違うだろう? ラウス侯爵親子の噂は聞いているはずだ。
 なのに、なぜ危険を犯してここに来ているのかと聞いている」
(!)
 瞳を大きく開いて、彼を見た。
(見抜かれている…! なんて鋭いの)
 自分の予感が的中し、心の中で身構える。
 敵になるか、味方になるかわからないからだ。
「……」
 そうして答えないでいると、彼は衝撃の言葉を放った。


「状況を踏まえていないわけではないだろう? エトルリアきっての聡明なる才女である君が。
 どうして今ここいるんだい? ――イーリス=ユリエラ」


「!!!」
 いきなり自分のフルネームを言われ、愕然とした。
(私を、知っている…!)
 芝居は止めにしてイーリスは立ち上がり、彼を見据えて尋ねた。
「…あなた、何者なの」
 彼は間を少しだけ置いて、答えた。


「エリアザール=ディナス。僕の家を知らないわけは、ないね?」


 目の前が真っ暗になったような感覚を覚えた。
 とうとう、この時が来てしまった。
 自分は鎖に繋がれた。
 観念した声をあげた。
 それは今まで彼女を知る人間には信じられない声だった。
「…そう。ディナス伯爵家…。お父様からの依頼なのね?」
「…否定はしないのかい」
「したって意味がないでしょう?
 ディナス家の人間に見つかってしまったからには、これ以上逃げるなんて出来やしないもの…」
 自虐ともとれる声。目を閉じて顔を押さえる。
「…確かに君の捜索はノイアス様とアーヴェ様からの依頼だ。
 しかし――相当の覚悟で君は国を出奔したはずだ。その強い意思を曲げることは僕には出来ない」
 これには、イーリスは頭に疑問符を浮かべる。
 依頼されたはずなのに、連れ戻す気が、ない…?
「…あなた、どういうことなの?」
「君の父君と兄君からは「捜索し、発見次第連れ戻してくれ」と依頼を受けた。
 ただ、それで君自身の意思をないがしろには出来ない。
 聞きたい。君はなぜ家を――ユリエラ公爵家を出奔したんだ?」
 家を、出た理由。
 不自由ない生活から、過酷なる生活へと足を踏み入れた理由。
「…助けたかったからよ」
 ポツリ――イーリスは心の内側を語り始めた。
「本家と分家の確執が大きくなって、これ以上は両方にとっても危機になる…。
 けれど、私は何もしないでいい? ただ、お父様とお兄様が対策を講じるのを見ているだけ?
 それが私は嫌なのよ! 私だってれっきとしたユリエラの姫。
 家を、家族を守りたい――助けたい思いは一緒なのに!!
 …なのに…お父様も…お兄様も……分かって、くれなかったのよ……」
 怒りと悔しさと、家族を思う気持ちと。様々なものが入り混じり、彼女に涙を流させた。
 ただ、家族の助けになりたい。守られるだけでなく守りたい。
 純粋な気持ちが覚悟をさせた…エリアザールはイーリスの深い家族への愛情を察した。
「…だから、私は守る――助ける力を身に付けるために旅に出たのよ。
 戦術の基礎は本で知っていたから、軍師として有利に戦う術を学ぼうとしたの…」
「…」
 戦いを有利に導く術は様々なことに展開、利用できる。
 回避する術にも、戦以外のことにも。
 守るために、助けるために戦う術を学ぶ彼女。強い意思と行動力の持ち主。
(全く変わらないよ、君は)
 エリアザールはそう思った。
「…そうだったのか。……ならば僕も同行しよう」
「!?」
 さすがに予想していなかった言葉に、イーリスは涙を止めて驚いた。
「…それは、監視?」
「違う。君の目的達成のために協力したいということさ。僕も父から武者修業をしろと言われていてね。
 おかげで士官学生の身で旅だよ」
 その言葉に「へ?」と思った。
「あなた、士官学生なの?」
「ああ。王立士官学校弓騎士学部、四年生だ。けれど今は父の命と依頼もあり、正式に許可を得て旅に出ている」
「そうなの…。でも本当に、あなた、一緒に来てくれるの?」
「僕自身の名誉にかけて誓う。信じて欲しい。これは僕個人の考えだ」
 蒼い瞳は真摯な輝き。
 偽りなき言葉だとイーリスには分かった。
「…ありがとう。なら、協力して欲しいことがあるの」
「? 何を、だい?」
 エリアザールが尋ねると、イーリスは答えた。
「今私達はラウスの陰謀を探りに来ているの。どう言う事情であなたがこのラウスに来たかは判らないけれど、
 客人と言う扱いなら何か聞けるでしょう?」
「…ああ。奴らは僕に利用価値を見出してここに留めている。十分にそれは出来ると思う。
 ……! 誰だ!!」
 窓の気配に気づいてエリアザールが声をあげた。




 二人は身構えて窓を向く。
「何者だ…」
「…待って」
 窓に向かおうとした彼を制し、イーリスが窓へと近付く。
 そして、おもむろに窓を開けた。
「! イーリス」
「大丈夫…味方よ」
 その言葉は真実だった。直後窓から入ってきたのは、マシューだった。
「どうも、イーリスさん」
「…マシュー、あなたさっきの話全部聞いていたでしょう…」
「…ええ、重要な部分はほとんど。すいませんね。本当は聞くつもりなかったんですけど…」
「いいのよ。いずれは話さなければならないことですもの。
 でも…今はまだ黙っていて。…エリウッド様や、ヘクトル様にも…」
「…承知してますよ」
 マシューの言葉にイーリスは黙って「ありがとう」の意味を込めたうなずきをした。
「…イーリス、もう少し事情を話してくれないか?
 今の二人の名はフェレとオスティアの公子達だろう。君は今、何に関わっているんだ?」
「…えっと…そちらの方は?」
 マシューが尋ねるとイーリスが答えた。
「あら、マシュー。オスティアの密偵であるあなたが知らない? ディナス伯爵家を」
「!!」
 マシューの顔が青ざめていった。
「…まさか、あの?」
「そうよ。エトルリアの影を知り、影を担う…エトルリアの密偵たちを取り仕切る家系。
 表向きは別の役職に付いているけれど、裏で国内外の情報を集め、影で国を支える家。
 裏の仕事が多いから爵位は伯爵だけど扱いは公爵と変わらないわ」
「ひえ〜っ。こりゃ裏の重鎮も良いところじゃぁ…」
「ふふ、そうね。でも頼りになるでしょう?」
 振り返って彼に微笑む。苦笑いをしてエリアザールはうなずいた。
 その後イーリスはかいつまんでだが事情を話した。
 そうして今は真実を知るためにもあえてラウス城内に潜入していることを話した。
「…どうりで、戦準備が領内で進んでいるわけだ。他のリキア諸侯領でもラウスはだいぶ噂になっている」
「その噂があるから、私達もこのラウスまで来たの。サンタルスで、すべてはラウス侯が知っているとも聞いたわ」
「なるほど。…だが、大体戦争相手には察しが付く」
「あなたも察しが付いているの?」
 尋ねるとエリアザールはうなずいた。
「イーリスさん、予測つけてるんですか?」
「ええ。前から考えてはいたのよ。一体どこと争う気なのかと。
 あまりにも大規模な戦準備、周囲との外交状況、そして侯爵親子の欲望――答えは一つ」
「…なるほど…」
 察しが付いたようでマシューもうなずいた。
「そうだわ。エリウッド様達の状況はどうなっているの? 状況を詳しく聞かせて」
「了解!」
 マシューからの報告を受ける二人。
 エリウッド達は現在近くの村を拠点にしている。
 ロウエンの謁見は上手く行ったようで、明日に公子エリックとの会見を行うことになった。
 ただし――ラウス城ではなく、拠点の村近辺だ。
 わざわざ出向いての会見になるという。
「…罠の可能性が高いわね…」
「それはエリウッド様も若様も仰ってました。多分罠にかける気でしょう」
「その裏をかく必要があるわけね。続けて」
 マシューは続けた。
 会見の位置や、エリック一人だけということ。あとは兵士達の様子などを話してくれた。
 一部の下級兵士は今回に不満を少し持っているらしい。
「一応、リキアは平和ですものね。わざわざ破る理由が不可解だという事でしょうね。
 これで報告は全部?」
「そんな所ですね〜。あ、そうだそうだ。イーリスさん、これ。厨房から少しくすねておいたんで」
 マシューは荷物から食糧を出して渡した。
「ありがとうマシュー。お腹空いてきちゃったからちょうど良かったわ」
 あぶり肉やパンを食べ始めるイーリス。
 疑問を抱いたエリアザールが問うた。
「なぜ、さっきはあまり食べなかったんだ?」
「…あの好色親子のことですもの。食事に薬を盛っているだろうと思ったのよ」
 なるほど、と思う。
「確かにやりかねないな…」
「でしょう? だからよ。…まあ、これからハーレムに潜入しようとしている人間が言う台詞じゃないけれど」
「!?」
 心の底から驚いた顔を、エリアザールは向けた。
「…君、本気かい?」
「ええ。でなければこんな所に潜入しないわ。…女の敵としか言えない侯爵親子なんて、大嫌いよ」
 本音をぶちまける彼女。少々の沈黙の後、マシューが食事を終えた彼女に小さな瓶二つを手渡した。
「じゃ、これ薬です。青い瓶が解毒剤――大抵の薬の効果はそれを入れれば中和できます。
 赤い瓶が睡眠薬です」
「ありがとう、マシュー」
「…ご武運、お祈りしてますよ。それじゃまた後で経過聞かせてくださいね」
 マシューが窓から消える。見送った後、エリアザールは思った。
(……なんて度胸のある……。さすがだよ、君は)
 感嘆にも似たため息を、ついた。






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