〜調和を紡ぐ者たち〜 第12話
時は、エリウッドたちが山賊退治をするより二日ほど前に遡る。
リキア一の大都市オスティアで、一人の青年が旅立とうとしていた。
「兄上! いるか!?」
バンッ!
騒々しい音を立てて重厚な扉が勢いよく開かれた。
ギッ、と目の前の人物を睨みつけるのは青い髪の、鍛えられた体を持つ青年。
彼こそオスティア侯弟ヘクトルだった。
「騒々しいぞ、ヘクトル。場所をわきまえんか!」
そのヘクトルを一喝するのは、たった一人の兄でありオスティア侯爵のウーゼル。
威厳を漂わせる雄大な体格と鼻の方に真一文字に走る傷痕は彼の戦いの歴史を示していた。
その兄にヘクトルは掴みかかる。
「騒ぎたくもなるぜ。エリウッドの親父さんが行方不明になってからもう一月だ。
ラウスが怪しいってのはわかってんだ! どうしてなにもしねえんだよ!! 兵を動かせば一発だろう!?」
「馬鹿者。オスティアでは今回の件、あずかり知らぬこと。
リキア同盟の領地内のことは原則として不可侵。それに証拠があるまいて」
「なんだと!?」
ヘクトルは怒りの目で兄ウーゼルを見た。
どうしてこの兄は冷徹なのだ。親友の父親が行方不明。それを見過ごす事など出来やしないのに。
「今の情勢を知らぬわけでもあるまい。だからこそオスティアがおいそれと動くわけにはいかんのだ」
これが、ヘクトルの逆鱗に触れた。
この兄は、国の方が大事だ。
「ああ、そうかよ。だったらその大事な玉座にずっと座ってろよ!!」
バンッッ!!
開けた時よりも勢いよく扉が閉められた。壊れる寸前だった。
「ヘクトル様!」
ウーゼルの傍にいた重騎士オズインが諌めるが、いい、と遮る。それから大きくため息をついた。
「…全く、あれは自分に正直だな」
「ヘクトル様も、情勢が分からぬわけではないでしょうに」
「だが、あやつはそこがいいところだ」
ふっ、と少しだけウーゼルは笑っていた。
侯爵としての顔ではなく、兄としての顔だった。
「おい、マシュー。いるか?」
オスティア城。離れにある部屋で重騎士並みの蒼い甲冑を着けたヘクトルは呼びかけた。
ここでヘクトルはあることを実行に移そうとしていたのだった。
「…マシュー? いねえのか?」
少し苛立って疑問を口にした瞬間、突然ヘクトルの傍に人影が現れる。
「――ここに」
跪いて、応える彼。淡い栗色の髪と赤いマント。そう、オスティアの密偵マシューだった。
「…お前なぁ。悪の親玉とその手下じゃねえんだから、もっと普通に出て来い」
「へ? 密偵らしくなかったですかね」
ジト目で言われながらも、立ち上がって陽気にカラカラ言うマシュー。
それから彼は大きな荷物をヘクトルに渡した。
「はい、若様。荷物に愛用の斧。それから離れの兵士に金掴ませて脱出が出来るようしておきました」
ヘクトルがこれからやる事――それはオスティアからの脱出。
親友エリウッドを助けるために、兄に逆らってまで行くことを決意していたのだ。
そのためにマシューには脱出工作を命じていた。
「ご苦労だったな。じゃ、俺は行くからしばらく兄上にばれないようにごまかしておけよ」
「? 俺もお供しますよ?」
瞳を瞬かせて言うマシュー。しかしヘクトルはきっぱりと言った。
「兄上の密偵のお前を側に置いたんじゃ、いつ裏切って報告に行くか分かりゃしねえ!
いいかマシュー、ついて来るなよ!!」
「信用ないってことですか? つれないですねー。ま、仕方ないですね。それじゃ」
シュッ、とすぐに消えるマシュー。気配はない。
「…あいつ、やけにあっさり引き下がったな」
マシューの性格からしてもう少し食らいついて来ると思っていたのだが、肩透かしを受けた気分。
まあいいかと思って荷物を確認しようと見た。
「なんだよ、荷物やけに多いじゃねえか! 二人分にしても多いぞ!?
マシューの奴、なに考えてやがる…」
そこでヘクトルはおもむろに愛用の斧、ヴォルフバイルを左手に持って構えた。
右手には投擲用の手斧。
…。
沈黙が過ぎる。
「なあ、そこのお前――隠れてねえで出て来い!」
ヘクトルが手斧を背後の柱向かって投げつける!
手斧は命中し柱を破壊する。柱の影から黒衣に身を包んだ男が一人、短刀を手に殺気をみなぎらせて出てきた。
ヴォルフバイルを右手に持ち替えながら聞いた。
「お前、何者だ? 隙の無さから、ラウスのボンクラじゃねーな?」
「知る必要は――無い」
黒衣の敵はヘクトルを殺そうと駆ける。しかし短刀を左の小手で受け止めると反撃にヴォルフバイルを振るう!
直撃で敵は絶命した。
刹那、影が走る。新手かと思ったヘクトルはためらわずに攻撃をした。
薄紙一枚の差でそれを回避すると、抗議の声を影があげた。
「わーっ! ちょ、ちょっと、若様! 俺ですってば!」
影はマシューだった。
「なんだお前かよ。紛らわしいことするんじゃねえ!」
「若様こそちゃんと見てくださいよ。俺、下手したら真っ二つになって死んでましたよ!?」
「生きてるからいいじゃねえかよ」
それにしたって、もう少し状況などを見てくれとマシューは心の中で思った。
「…お前、あとなんか俺に言う事はあるか?」
「はい? なんすか」
ヴォルフバイルをちらつかせながらヘクトルは言った。
「お前、俺を囮に使っただろう?」
「え? なんのことですか?」
「しらばっくれるな! 主人の弟を囮に使うなんていい度胸してるじゃねえか!?」
今にも自分に振り下ろしそうなのでマシューは観念して答えた。
「すみませんでしたって。で、でもあいつら一人にならなきゃ出てきませんでしたよ?」
「ま、それはそうだな」
納得したようでマシューはホッと胸を撫で下ろす。
実は二人とも部屋の気配には気づいていた。気配――と言うよりも殺気を感じ取ったというのが正解か。
敵の気配断ちはほとんど完璧だったのだ。
「…まだ、敵はいるな?」
「そうですね。忍び込んでいる敵の気配は…大体七、八ってところですね」
「上等じゃねえか」
「でも、若様とほとんど戦力外の俺の二人だけじゃ厳しくないですか?」
その言葉回しにヘクトルは尋ねた。
「…お前、なにが言いたい?」
「どうですか? 脱出は諦めて兵士達に救援を求めるのは――」
「有り得ねえ!」
キッパリとマシューの言葉を否定するヘクトル。
一度決めたらその道を突き進む。
不退転がヘクトルの信条であり、性格を反映していると言ってよかった。
そんな人柄を、マシューは好んでいた。
「ははは。若様らしいや。じゃ、行きますか?」
マシューの問いに、ヘクトルは逆に尋ねる。
「お前、本当に着いて来るなら兄上じゃなくて俺の臣下になったと思っていいな?」
「ええ。何なら、騎士の誓いでもしますか?」
「いらねえ。自分の言葉に責任持ってりゃいい」
即座に却下されるも、マシューはほとんど冗談だったので気にも留めていない。
「了解っ。それじゃ敵を蹴散らして、脱出しますか?」
「おう! どっからでもかかってきやがれ!」
猛進するヘクトル。後を追うマシュー。
これが、後に猛将と呼ばれるようになる男――ヘクトルの旅立ちだった。
「ウーゼル様! ヘクトル様が…!」
報告を最後まで言わせず、ウーゼルは返した。
「分かっておる」
「で、ではすぐに一個小隊を編成して後を…」
「よい。あやつの好きにさせよ」
「は? …はっ」
一瞬疑問を抱いたものの、主の命令に兵士は従った。
「…やはり、と申すべきですか?」
「そうだな。――オズイン。ヘクトルのことを頼めるな?」
「はい。お任せ下さい。…ウーゼル様もお体にはどうか気をつけられますように」
「うむ」
胸の辺りを押えて、ウーゼルはうなずいた。
エリウッド一行は、サンタルス領へ入った。
まずはイーリスの提案でサンタルス城を目指す。
「直接ラウスに向かうのではなく、隣のサンタルスで侯爵様捜索への協力要請と情報収集…。
イーリス殿はお噂でお伺いした通り、なかなかの切れ者ですな」
「そんな風に仰らないで下さい。恥ずかしいです…」
マーカスの絶賛の言葉に、顔を赤くするイーリス。
「でも、イーリスはさすがだよ。一年前のキアラン内乱でも見事だったし」
「エ、エリウッド様…」
エリウッドにも言われて顔がさらに赤くなる。恥ずかしさで湯気が出そうだ。
「と、とりあえず――サンタルス城への進路はこれでいいですよね」
話を変えようと、地図を広げて見せた。
現在地は山と山の間に伸びる街道の入口。途中で分かれ道があり真っ直ぐいけばサンタルス城へ辿りつく。
「ああ。ヘルマン殿は僕を実の息子のように可愛がってくれた。だから力になってくれると思う。
この分なら明日の午前には着くと思うよ」
「では、賊たちを警戒しながらこのまま進路をとりますね」
エリウッドたちはサンタルス城へと進路を向けた。
途中昼を迎えたので食事作り。
担当はイーリス、レベッカ、そして…ロウエン。
なぜと思った二人が尋ねれば、彼の父がフェレ侯専属の料理人だったそうで、その父に習ったので得意だそうだ。
三人で食材とにらめっこした後に、調理にかかる。
「イーリスさん! こっち炒めますね」
「お願い。ロウエンさん、下ごしらえ終わってます?」
「はい、大丈夫です!」
「それでは投入!」
鍋に食材を投入。煮こんでいく。
三人の手際は見事なもので、限られた食材を最大限利用して料理を作っていった。
ロウエンなんかは食後にと焼き菓子も作っていた。
「出来ましたよ」
鍋からたちのぼる湯気と香りは食欲をそそるいい匂い。
人数分に分けて、食事に入る。
「むっ」
まず一口入れて、マーカスが唸った。
イーリスとレベッカがどうしたのかと顔を見合わせた後に、彼を見る。
「…マーカス、さん…?」
言葉を待つ。すると。
「これは美味」
と、お褒めの言葉をいただいた。それからマーカスは自分で評価を下していく。
「味付けも濃すぎず薄すぎず、炒め加減もちょうど良い。
このスープもオスティアにあるエトルリア料理店の味を思い出しますな。こちらはイーリス殿が?」
「はい。私は、エトルリアの出身ですので」
答えるイーリスに、なるほどとうなずくマーカス。
「へえ、君はエトルリアの生まれなんだ」
その話にエリウッドが、彼女を見て言う。続けて彼は尋ねた。
「もしかして、出身はアクレイアかい?」
「…ええ、そうですが…」
心の中に不安を感じながらも、イーリスは答える。なぜわかったのか、という顔をすると彼は答えてくれた。
「うーん、なんとなく、かな?」
「…なんとなく、ですか?」
「ああ。上手くは言えないんだけど、どこか雰囲気が、ね。気にしないでいいから」
そこでエリウッドは話を切った。
(……勘がいい人だわ、エリウッド様……)
心の中でイーリスは本当に思った。ハラハラする。
食事は進んで締めの、ロウエン制作の焼き菓子。これも美味で全員瞬く間に食べ尽くしてしまった。
片付けを終えて、サンタルス城向けて出発した。
進んで分かれ道に来たところで、数人の男が道を遮っているのに気がついた。
彼らが遮っているのはサンタルス城へ行く道だ。もう片方の道は他領地に行く街道で、近くに砦がある。
「フェレのエリウッドって――あんたのことか?」
リーダー格らしい男が尋ねる。警戒を強めながらエリウッドは返した。
「…そうだとしたら?」
「なら、ここで始末するまでだよ。あんたが生きてちゃ困るのがいるんでな!」
ピーッ!
男が口笛を鳴らす。すると周囲の木々から敵が現れた。かなりの数だ。
「くっ! イーリス、応戦しよう!」
「はい!」
このままでは、周囲を囲まれて不利――。
「全速力で街道を抜けて!
その後エリウッド様、マーカスさん、ロウエンさん、ドルカスさん、バアトルさんたちで防衛ライン形成!
私とレベッカが援護をします!」
指示に従ってまずは全速力で他領地に行く街道の方へと抜ける。
追って来る敵はレベッカの弓矢とイーリスの魔法で足止め。
騎兵のマーカスとロウエンが援護に入り手助けをする。
街道を抜けてから防衛ラインを形成。
賊たちの手数を減らし、少なくなった所で攻勢をかける――とイーリスは戦況を描いていた。
しかし敵の数は思った以上だった。
自分やレベッカの援護もあり防衛は今の所上手くいっているがこのままでは疲れてしまう。
そうなれば実力を発揮することも出来ず数に押されてしまう。
一方で疑問も抱いた。
なぜ、こんな近くで戦闘が起きているのに兵士が来ない。
まるで見て見ぬ振りをしているよう。
自分たちで、対処するしかない。
(短期決戦を仕掛けるしかないわね。敵のリーダーは奥のほうにいるわね。
だとすれば援護をした上で誰かに一点突破をはからせるのがいいかしら)
適材は一番実力あるであろうマーカス。援護は他全員。
よし、と思ったイーリスが指示を出そうとしたその時。
カシャン。となにかが落ちる音。
エリウッドがレイピアを取り落とした。敵の一撃に手が耐えられなかったようだ。
彼を助けようとファイアーの魔法を唱えようとした――刹那。
ヒュヒュヒュン!
投擲用の手斧がエリウッドと対していた敵に命中し、絶命した。突然のことに誰だ――と思う。
そこに立っていたのは、重騎士並みの蒼い甲冑を身に着けた、大きくガッチリとした体格の青い髪の青年。
持ち替えたのか、右手に斧を持っている。
誰だろう、と思う。ただ、その青い髪は一年前キアランで出会ったトリア公子とよく似た感じだ。
傍にはこれまた重騎士が一人。鍛え上げられた身体を持っており、目は鋭い。
歳は…四十代か?
「よお、エリウッド。無事か?」
青い髪の彼が、エリウッドに呼びかけた。
「…ヘクトル!!」
振り返ったエリウッドが驚きと嬉しさを同時に彼の名で表現した。
(ヘクトル!? …彼が、オスティアの侯弟…!?)
驚きに目を見開く。リキア同盟の中心であるオスティアの侯弟がわざわざこちらに来るとは…。
どのような意図で来ているのだろうと考える。
「どうして君がここに」
「話は後だ。まずはこいつらを蹴散らすぞ! オズイン!」
「はっ!」
重騎士オズインが呼び掛けに応え加勢に入ってくれた。
槍は斧に不利だがリーチを活かした上手い戦い方をする。攻撃は厚い鎧が阻んで寄せ付けない。
これなら――いける。
判断したイーリスは即座に指示を出した。
「一点突破をはかります! マーカスさんが突撃してリーダーを討ち取ってください! 他全員で援護!!」
彼女の指示に従って、突撃するマーカスを他の全員が援護した。
ドルカスやバアトルが道を開き、イーリスとレベッカは魔法と弓矢で突撃援護。エリウッド、ロウエンが後方を守る。
ヘクトルとオズインも手伝ってくれて、見事敵のリーダーを討ち取ることに成功した。
それに敵は恐れをなして逃げ出した。ようやく戦闘がそこで終了した。
後処理を終えて、エリウッドは彼の元へ駆け寄った。
「ヘクトル。まさか君が来てくれるなんて」
「水くせえんだよ、お前」
「え?」
瞳を瞬かせるエリウッドに、ヘクトルは言った。
「親父さん、捜すんだろう? 俺も手伝うぜ」
「しかし…オスティアはいいのか? ウーゼル様の元、体制作りで大変な時期のはずなのに」
それはそうだな、とイーリスは口に出さずとも思った。
話は聞いたことがある。前侯爵が病に倒れて亡くなり、現侯爵ウーゼルが即位したのが二年前ぐらいだったはず。
しっかりとした体制を作るには時間がかかるはず。少なくとも一年以上はかかる…。
「兄上、俺が動くのを分かってて見逃してくれたみたいだからな…。
オスティアなら大丈夫だ。兄上はそんなにやわじゃねえ」
「…なら、ウーゼル様のご好意に甘えよう。ありがとう、ヘクトル。君が来てくれてとても心強い」
照れくさく頬を掻くヘクトル。良い友人関係なのだな、とイーリスは思った。
「お久しぶりでございます、エリウッド様」
そこに、オズインが挨拶をした。
「! オズイン。君も来てくれたんだね」
「はい。ウーゼル様よりヘクトル様のお目付け役を命ぜられました」
「ははは。大変だろう」
「おい、エリウッド!」
ちょっと待て、と言わんばかりのヘクトル。「冗談だよ」とエリウッドは謝る。
非常に砕けた感じでイーリスもクスクス笑ってしまった。
「? そう言えば、お前は?」
ヘクトルがイーリスを見て聞いてきた。エリウッドが代わりに答えようとする。
だが、しかし。
「ちょっと、ヘクトル様〜っ!」
大きい声が場に響いた。この、場を読まない声は…。
「もう、戦闘が終わったなら呼んで下さいよ〜っ!!」
「済みません、お話中。これ以上止めておけなくって」
謝るのは赤いマントの盗賊。騒いでいるのはツインテールに髪を結った修道女。
懐かしい面々に、イーリスは二人の名を呼んだ。
「セーラ! マシュー!」
その声に、二人はイーリスの方を向いた。
「あ、イーリス! ひっさしぶり〜!!」
「イーリスさん! 久し振りですねぇ!」
「二人とも元気だった?」
「もちろんよ!」
片目を瞑って答えるセーラ。相変わらずだ。
「なんだお前達、知り合いか?」
ヘクトルが尋ねるとマシューが答えた。
「ええ。去年知り合ったんですよ」
「去年?」
「あ〜、ヘクトル様ったら! 去年散々話したじゃないですか! 私の大活躍!!」
「知るか」
「ひっどーい!」
怒って抗議するセーラだが、ヘクトルは無視してマシューに尋ねる。
「あっ…と、去年ってなんだ?」
「…若様、俺の作った報告書読みました?」
考える仕草をするヘクトル。しばし時間がたってから答えた。
「見た気はするが、ざっとしか読んでなかったから忘れた」
……。
全員が、沈黙した。
オスティア侯弟とあろう者がそれでいいのだろうか。いいや、良くない。
ゴホン、と咳払いをしてオズインが言う。
「…ヘクトル様。報告書は今度からきちんと読まれますように。そちらの方…イーリス殿でよろしかったですね?」
「はい」
「昨年のキアラン侯爵家に起こった内乱で公女リンディス様をお助けした軍師殿…でしたな。
マシューからの報告では才能溢れる天才軍師であるとか」
「ちょ、あの。私、そんな大層な人間ではないです。マシューったら…」
抗議の目でマシューを見る。はは、とマシューは苦笑いしていた。
「なるほどな。で、その軍師がどうしてエリウッドと一緒にいるんだ?」
「旅立つ時に偶然再会して、知恵を借りているんだ。彼女は本当に状況を見るのが上手いよ」
「ふーん。ずいぶん若いな。オスティアにも何人か軍師はいるけどお前ほど若い奴いねえぞ?
まあ、これからよろしくな」
「はい。よろしくお願いします、ヘクトル様」
恭しく礼をして、イーリスは正式な挨拶とした。
「ヘクトル、そこの二人を紹介してくれないか?」
「おお。このうるさいのがセーラ。見えねえだろうが、シスターだ」
「セーラでーす! よろしくお願いしま〜す!」
「で、こっちがマシュー。裏の仕事をやってもらっている」
「どうも」
ピッ、と指を上げて挨拶するマシュー。一方エリウッドは疑問に尋ねた。
「裏の仕事…?」
「情報収集、各種工作。扉や宝箱の鍵開けもやりますよ」
「…それは、盗賊行為なんじゃ…」
「エリウッド。この先はいろいろ厳しくなるだろう。キレイごとだけじゃ、生き残れねえぜ?」
「えっ?」と、エリウッドは疑問を新たに抱いた。
ヘクトルの様子が、どこかおかしい…。
「…どうか、したのか?」
「? いや。最近名のある賞金稼ぎや傭兵が失踪していたり、ベルンの暗殺団がリキアでおかしな動きをしているとか」
(ベルンの、暗殺団)
きっと彼らだ――イーリスは思う。
「いろいろあるからよ。なっ」
「…そうか。じゃあ、これからはどうする?」
意見を求められて、イーリスはハッとなる。少し考えた後答えた。
「…サンタルス城へ、急ぎましょう。さっきの賊の言葉が気になります。
エリウッド様が生きていては困る人間がいる…。それに、砦の兵士達が一切動かないのもおかしいです」
「言えてるな。俺達あっちを通って来たが、貴族のお前が襲われてるのに助ける気配がなかった」
「急ごう。ヘルマン殿になにかあったのかもしれない」
新たにオスティア侯弟一行を加えて、エリウッド達はサンタルス城に向けて急いだ。
途中、マシューがイーリスに話し掛けてきた。
「どうも。軍師修行の旅――してたんですよね」
「ええ、そうよ。どうしたのよ、急に」
「…イーリスさんには、話しておいたほうがいいと思ったんで。
実は俺達、オスティアを出る際に変な連中に襲われましてね」
「変な連中?」
オウム返しに尋ねると、マシューは小声で言った。
「…それが、去年カートレーであの姉弟を追っていた連中と気配がそっくりなんですよ」
「!」
マシューの顔を見る。うなずいて、続けた。
「…そいつらがなんで若様達を襲うのかはわからないんですけれど、なんか妙に引っかかったんで」
「…そう。ありがとう」
どういう、こと?
ヘクトル様を襲った連中が、ニニアンとニルスを追っていた連中と同じ…?
心に引っかかる。
(一体、何が起ころうとしているの? このリキアに)
「あ、あとそうだ」
「?」
「…イーリスさんのこと、色々調べさせてもらいましたよ」
「!!!」
一瞬、止まる。だがすぐに、平常心を取り戻す。
「…マシュー」
「分かってますって。正体――バラしたくないんでしょう? 前の一件も黙っててもらいましたからね。
俺だって、ウーゼル様の命令なきゃやってませんって」
「…そう。…お願いよ? 私は、私なんだから」
「はい」
はあ、とため息をつく。
気が重い。
先行きは不安で、何も見通せない。
未来と、同じで。
NEXT BACK 戻る