Dark and Real(1)






 ――闇に、消える。




 私自身が。




 嫌。




 怖い。




 私を――闇に落とさないで。




 忌まわしいこの記憶を、二度と呼び覚まさないで。







「…まだ、目を覚ましませんか?」
「はい。相当の重傷でしたから…応急手当はあったとはいえ…
 いつ目を覚ますかは…わかりません」
「そうですか…わかりました」
 ロイはそっと天幕を出る。
 その顔は暗く、痛々しい。
「…ロイ、どうなの?」
 傍に来たリリーナが問いかける。ロイは首を横に振って答えた。
「…そう…まだ」
「うん…いつ目を覚ますかもわからないって」
 二人は天幕の入口に視線を向ける。
「…セシリアさん…」
 あの天幕には、二人の師がいまだ目を覚ますことなく横たわっている。
 ロイは自分を悔やんでいる。
 もう少し援軍が早ければ――こんなことにはならなかったのに。
 恩師であるあの人を、救うことが出来たのに――。
「ロイ…思い詰めないで。ロイのせいじゃないわ…悪いのは…ロイじゃないわ…」
「…リリーナ…ごめん」
 自分の腕を掴むリリーナの腕が、震えていて。
 申し訳なく思う。
「…そうだね。これじゃ目を覚ましたときに怒られるよ」
「そうよ。セシリアさん、厳しいからきっと怒るわよ」
 そこで、二人ともどちらともなく吹き出す。
 明るい笑顔に、二人ともホッとする。
「セシリアさんのことはシスター達に任せよう。今は…先に進むんだ」
「ええ」
 決意新たに、ロイとリリーナは歩き出す。
 しかし…未来のことなど、誰も予測は出来なかった。
 残酷な現実を、目の当たりにするなど。

 それはナバタの里で一時の休息。
 そこでロイは待ちかねた報を聞いた。
 全速力で、貸してもらった長老の家の一部屋へと向かう。
「…セシリアさん!」
 ロイは、確かに見た。
 半身を起こして、こちらを見る恩師の姿を。
 けれど――覚える違和感。
 自分を見つめる瞳が、不思議なものを見るような瞳。
 傍にいるクレインとクラリーネの表情も、暗い。
「……セシリア……さん?」
 おそるおそる、名を呼び掛ける。
 彼女は――戸惑いの声を紡いだ。


「あなたは…私を知っているの…?」


「…え…?」
 一瞬、理解できなかった。目を見開き、クレインとクラリーネの二人に視線を移す。
 間を置いて、クラリーネが答えた。
「…セシリア様…記憶喪失になられていらっしゃいますの…」
「!!」
 そんな馬鹿な――。
 残酷な言葉を否定したかったが、様子からすれば事実だ。
 ギュッと、拳を握り締める。
「…私やクラリーネのことも、全く覚えておられないのです。ご自分の名も…初めは」
 クレインが目を閉じ、悲しみを抑えながら話す。
「そんな…」
「…ごめんなさい…私…本当に何も覚えていないの。今まで自分がどうだったか…すべて」
 うつむきがちにセシリアが謝る。
 ロイは首を横に振った。
「セシリアさんが謝る必要はありません! すべては――」
「失礼します」
 言いかけたその時、後ろから声が聞こえた。
 振り向けば、いるのは吟遊詩人で軍の参謀を務めるエルフィン。
 柔らかな笑みを浮かべ、歩み寄る。
「お目覚めと聞いてうかがいました。お加減はいかがですか?」
「…あなたは…どなた?」
 戸惑った声で、尋ねる。
 エルフィンは表情を崩すことなく答えた。
「吟遊詩人のエルフィンと申します。以後お見知りおきを」
「私は…セシリアと申します」
 簡単な自己紹介。もちろん、セシリアの声は戸惑いがある。
「――ロイ様」
 ふと、エルフィンが振り返ってロイに部屋の隅へ来るように招く。
 したがってロイが行くと、エルフィンは小声で囁いた。
(セシリア将軍は、記憶喪失なのですか?)
(うん。僕のことも…何一つ覚えていなくて)
(…ならば、しばらくは下手に情報を与えず、刺激させない方がよろしいと思います)
(それは…なぜだい?)
 尋ねると即座に彼は答えた。
(下手に情報を与えると混乱する恐れがあります。
 無理に呼び覚まそうとすると、かえって良くありません)
(…分かった。そうするよ。他の人達にもそう伝えるよ)
 ロイの答えに満足したようで、微笑を称えながらうなずく。
 それから彼はセシリアの方へと向き直った。
「気分が優れないようですね。それならば癒しの調べを一曲いかがですか?」
「え…? あ、はい…お願いできますか」
「もちろん」
 うなずくとエルフィンは近くの椅子に腰掛け、
 持っていたハープの調子を確かめてから奏で始めた。
 緩やかで、彼女を気遣う思いが表れている優しい旋律。
 目を閉じて聞きいっているセシリアに悪いと思って、三人はそっと部屋を出た。
「…あの…ロイ様…」
 そこでかかる声。
 ソフィーヤだ。こちらを心配そうに見つめている。
「どうしたの?」
「あの…あの方は…どう…なされていますか…?」
 誰のことを言っているかは分かる。
 セシリアだ。
 少し戸惑ったが、ロイは素直に事実を打ち明けた。
 それを聞いたソフィーヤはうつむいてしまう。
「あ、ソフィーヤ…?」
「…実は…そのことで…お話があるのです…」
「? …ここじゃなくて、別の所で話をしようか。
 クレイン将軍とクラリーネも、話を聞いておいたほうがいいかな」
 二人がうなずくと、ロイが先頭になって近くの部屋に行く。
「…実は…」
 四人が椅子に掛けると、ソフィーヤが話を始めた。
 彼女がセシリアを見つけた時、相当弱っていた。
 傷は応急手当を施したがそれ以上に生命力が弱っていた。
 このままでは死んでしまう――そう思ったソフィーヤがとった手段は
 里に伝わる神秘の品、「竜の涙」を使うことだった。
 生命力を一瞬にして回復させるものであるが副作用――代償もある。
 それが、記憶。
 転生に近いらしく、それまでの記憶が封印されてしまうのだと言う。
「じゃあ、「竜の涙」を使ったから、セシリアさんは…」
「はい…今までの記憶、すべてが…封印されています…。
 誰のことも…覚えていません…」
「…そうか。ありがとう、ソフィーヤ」
 その言葉に、ソフィーヤは不思議と言わんばかりに瞳を瞬かせる。
「…なぜ…です…? 私の…勝手なことで…セシリア様が…」
「けれど、君がそうしてくれなければ、セシリアさんが助かることはなかった。
 いいんだ。記憶は…思い出はまた、作ればいいんだから」
「…ロイ様…」
「その通りですわ! 私…セシリア様がご存命でいらして何よりも嬉しいですもの」
 クラリーネが、力説。
 それを受けてクレインも言う。
「そうだよ。何もしないよりはその方がいい。
 生きていてくれる…それは、何よりも嬉しいことなんだ。
 何よりも心の支えになるんだ」
「……ありがとう……ございます……」
 三人の心遣いが嬉しくて、ソフィーヤは涙ぐんでいた。
 そして深々と、お辞儀をした。





 その頃、二人きりになっていたセシリアとエルフィンは…。
「ありがとうございます。素晴らしい演奏でしたわ」
 わずかに、彼女は微笑んでいた。
「いいえ。あなたのお役に立てれば何よりです」
「…あの…そのように、かしこまることはないと…思うのですが…」
 少し困った様子で、セシリアはエルフィンに思ったことを言う。
「どうして、ですか?」
「…いえ、私は…そのように言われる立場ではないと思いまして…」
「なるほど。では――セシリアと呼んでよろしいと」
「はい。お願いします」
 柔らかな口調で、エルフィンに頼む。
 その仕草には、軍人としての強さはなく――貴族令嬢としての、たおやかさのみだった。
「――セシリア」
「はい、エルフィン…様」
「何も心配することはないよ。私は、君を大切にするから」













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