10:ただ好きで、好きで、好きで
ただ、彼が好きで。
ただ好きで、好きで、好きで。
だから、私は行くの。
ザアッ…。
一陣の風が気持ちいい。
「…」
夏の暑さも和らいで秋の色が出始めた頃、エレインは馬を走らせ、街道を駆けていた。
半年にも及ぶ任務を終えメリオルに戻ってきた彼女は労いということで長期の休暇をもらった。
初日はゆっくり身体を休め、翌日から二日は教会などで過ごした彼女は、
いい機会だと思い馬を走らせて遠出することにした。
目的地はメリオルから徒歩で三日ほどの小さな村。
(いきなり来たら驚くわよね)
その場面を想像して笑みを零す。
彼女の目的は半年前に除隊したオスカーに会いに行くことだった。
故郷の村がどの辺りにあるかは聞いていたので、こうして会いに行くことが出来る。
(会ったら何を話そうかしら。ケビンがすごく怒っていたとか、駐留中の出来事とか…)
話したいことがたくさんある。
話だけは聞いていた、彼の弟たちにも会いたい。
どんな反応をするだろう。どんな子達なんだろう。
夢を膨らませエレインは馬を走らせる。
しかしその夢は、あっけなく壊れる。
ようやく着いたその村は、のどかな村だった。
村人たちはもうそろそろ迎える収穫に向けての農作業に余念がない。
馬から降りて、エレインは農作業をしている女性に声をかけた。
「すみません」
「うん? おやおや、綺麗なお嬢ちゃんで。どうしたんだい?」
「少し、お尋ねしたいんですけど…オスカーという人の家を探しているんですけど…ご存知ですか?」
女性が、困惑した顔になった。
何かまずいことを聞いてしまったのだろうかと、エレインも不安になる。
「お嬢ちゃん…オスカー君の知り合いなのかい?」
「え、ええ…」
そうだとうなずくと、残念そうに女性は言った。
「会いに来てくれたんだろうけど、もうあの子達…この村にはいないんだよ」
「え…?」
さあっ、と顔が青ざめる。
「ど、どういうことですか…?」
尋ねると女性は答えてくれた。
村に帰ってきたオスカーは、弟二人の面倒を見ながら必死に村で仕事をしていた。
けれど生活は苦しくなる一方でこのままではと思ったらしく三人は村を出たのだそうだ。
それが、三ヶ月前の話。
「三ヶ月前…どこに行ったか、わかりますか?」
「王都のほうに行くって言っていたよ。あそこなら出来る仕事もあるだろうって言ってたからね」
「メリオルに…」
でも――とエレインは思った。
休暇に入ってから二日はメリオルの街を見廻ったりしていたが、会うことはなかった。
すれ違ったのだろうか。
「しかし、残念だよ。父親のせいであんなに苦労したんだから」
「お父さん…?」
瞳を瞬かせる。女性は答えた。
「仕事はしていたけど、ろくでなしの父親でね。子供たちに全然構ってやらなかったんだよ。
弟たちの面倒を見てたからそのせいでオスカー君、友達もいやしなかったし…」
「そう、だったんですか…」
辛い思いをしてきていたんだ、彼はやっぱり。
胸が痛くなる。
「それに、あの父親女癖も悪かったみたいだしね…全員母親が違うんだよ」
「え!?」
思ってもいなかった言葉に、エレインは驚いて目を見開いた。
「…母親が違う、兄弟…」
「そう。でもオスカー君はよく面倒を見てたよ。ボーレ君やヨファ君も、そんなお兄さんのこと好きだったし」
「……オス、カー……」
母親の違う三兄弟――。
でも、弟たちを本当に大切にしていたのは知っている。
半分でも血が繋がっているのは事実なのだし。
彼の苦悩に比べれば自分の今までの悩みなど小さすぎる。
親に捨てられたけれど教会の司祭夫婦のもとで育ち、大勢の子供たちと一緒に仲良く楽しく過ごしてきた。
そして両親と再会もした。
それに比べれば。
だから、解かる気がする。
彼が除隊の際に引きとめようとしたエレインに告げた言葉が。
(君の幸せを壊したくない)
確かに今自分は幸福だろう。両親がいて、それ以外にも家族同然の者たちがいて。
でも彼にはもう弟二人しかいない。
もはや生きる世界が違うのだと……。
「…家は…残っているんですか?」
静かにエレインは尋ねる。女性は、彼女の反対側を指した。
「あっちの方にね。でも家財やらみんな引き払ったし…空家だよ?」
「良いんです。ありがとうございました」
丁寧に礼をしてエレインは馬を引いて教えられた場所に向かう。
玄関を開けると埃が舞った。
本当に家財やらすべて引き払ったらしくほとんど生活の跡は残っていない。
台所の方へ足を向けてみる。埃をかぶった竃があるぐらいだ。
でも、三月前までここで生活していたのだ、彼は。弟二人と共に。
「あら…?」
何か落ちている。拾い上げると質素だけれど丁寧に作った木彫りの玩具。
作った者の心が表れているようだった。
「これ…オスカーが作ったのかな…」
弟にでも作ったのだろう。危なくないように角やささくれもきちんと取り払っている。
優しい心が随所に表れていた。
「……オスカー……」
これ以上ここにいても仕方がない――。
エレインは玩具をそっと戻して家を出た。
メリオルに戻ってから、エレインは街を巡った。
各所の宿帳などを見せてもらい、彼がメリオルにいるかどうかを調べていた。
だが――見つからなかった。
「……」
教会に戻ってきて、エレインは祭壇で祈りを捧げていた。
同時に、考える。
(メリオルに彼はいなかった…だとすると…何かに巻き込まれたんだ…)
来れば挨拶ぐらいはするだろう。彼はそんな不義理者ではない。
教会にも来ていない。だとすれば答えは一つしか思い浮かばない。
道中で賊に襲われたと考えるのが一般的だ。
元騎士である彼一人ならある程度の賊は退けられるだろう。
しかし弟二人がいては話が違ってくる。守りながらでは複数を相手になど出来ない。
そして……最悪の事態を考えた。
だが、そうとしか考えられない。
――もう、彼らはこの世にいない。
「どうしてですか、アスタルテ様。彼に罪はありません…」
彼が願ったのはささやかな家族の幸せ。
普通の人と同じような生活……。
「もしこれがあなた様の与えたもうた運命ならば、私はあなたを恨みます。
あんなに優しい人を、どうして…!」
ただ好きで、好きで、好きで。
好きでしょうがない人を、どうして――。
そこでふと思う。自分は彼を中心にして生きてしまっていたと。
「…これは、私に与えたもうた試練なのですか? 本分を全うせよとのことなのですか?
だとすれば辛すぎる…罰であります…」
しかし。だがしかし。
「……過去には何があっても戻れません。ならば私の生きる道は、騎士としての道。
あなたがそれを望むと仰られるならば、女神の信徒たる私は従いましょう」
立ちあがったエレインは、浮かべていた涙を拭った。
「彼のことは忘れません。しかし私は前を行きます。大切な人たちを守ります」
――彼の成したかったことだから。
思いを私は守ります。
それが、彼を好きになった私の、唯一出来ること。
ただ好きで、好きで、好きでしょうがなかった。
「でも、私の恋は散りました。
だからこれからの私は騎士として、女神の信徒として生きます」
ゆっくりと教会を出たエレインの顔は、騎士としての顔だった。
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