共にありたい(6)







「――この場合は、どう出る?」
「そうですね…一度、退く…と見せての反撃でしょうか」
 天幕の中、白と黒の遊戯盤と駒を出して動かしながらタニスは話し合っていた。
 その相手――オスカーは続ける。
「自分が有利だとわかっていて、相手が退く姿勢を見せれば油断を誘うことが出来ます。
 虚を突くのも戦法の一つ。勝つためには様々な機転も必要となりますから…」
「そうだな。先日君が言った戦いを実現させるのであれば、その場の判断は特に重要になってくる。
 傭兵ならではの戦い方では…か」
「はい。生き残るためには綺麗事だけでは実現できないこともままあります。
 卑怯と罵られようとも、先を見なければ勝ち抜くことは不可能です」
 静かに語るその口調には揺るがぬ意思が見え隠れする。
 これが傭兵と騎士の違いなのだろうかとタニスは思う。
 騎士が重んじるは名誉。
 傭兵が重んじるは生命。
「…そろそろ次の戦いになるが、解かっているだろうな」
「はい。補佐としてお傍で戦わせていただきます。未熟ではありますが、よろしくお願い致します」
「ああ」
 オスカーは丁寧に一礼すると、天幕を辞した。
 見届けてから、遊戯盤に目を戻す。
(所詮は傭兵だろうが…)
 置かれた駒を取り払い、タニスは遊戯盤を片付けた。
 国境を越えたクリミア軍は、進軍先にデイン軍が待ち構えているとの情報を得た。
 しかも前回の戦闘で確認したのだが、キルヴァスの部隊も展開されているらしい。
 前途多難だ――報告を聞いてタニスはため息を一つつく。
 このままで任務をまっとう出来るのか疑問に思えてくる。
 しかし激戦を乗り越えるには自分ぐらいの実力を持つ者がいないことには始まらないということも承知している。
 戦争は集団の戦い。統率する者は必要だ。
 神使サナキが動かせる人材のことも考えれば適任者は自分しかいない。
 隊長シグルーンはさすがに神使を守るため、帝都からそう動けない。
(最善を尽くすしかないか)
 軍の中核を成す傭兵団はセリノスの懸案解決に貢献した者たちだ。
 神使の期待もわかる。だからこそ任務を完遂せねばならない。
 もう一つの懸案事項もあるために。
 天馬の様子を見るため、タニスは天幕を出てあつらえられた馬場にやってきた。
 自分の天馬の調子は良好だ。これならば次も問題無く戦える。
「…うん?」
 外れの方で、一人の少女が飛竜に餌をやっている姿を発見した。
 癖のある赤い髪をポニーテイルに纏め上げている。
 戦闘中ではないので鎧は着けていないが赤い防寒具を上に羽織っていた。
(そういえば)
 前回の戦闘を思い出す。
 一人だけいた竜騎士は、赤い鎧を身につけていた。動きも悪くなかった。
 しかし国が擁する聖竜騎士団では見たことがない。
(デインの竜騎士か? なぜこの軍に…)
 疑問を抱いたタニスは彼女に話し掛けた。
「そこの君」
「あっ、はい!」
 呼びかけられて少女は餌籠を置いて振り返った。誰と認識したか真面目な表情には緊張がにじみ出ている。
「君は竜騎士のようだが…デインの者か?」
「……そうです」
 固い表情で彼女は答えた。聞いてタニスは続けて質問する。
「ならば、なぜ敵対しているクリミア軍にいる?」
「…始めは成り行きでしたが…今は、自分の目で真実を見るためにこの軍にいます」
 決意した者の声が聞こえた。
 祖国を捨ててまで見るべき「真実」とは。
「なるほど。だからデインを離れたのか。しかしかつての同僚たちと君は戦えるのか?
 騎士である以上は覚悟しているのだろうな」
「……それを仰られると、確証はありません。父上たちに迷惑をおかけしたくないというのも私の本意です。
 ですが、私の決意…見てきた事実は伝えなければと、思っています」
 彼女の紅い瞳は、真っ直ぐだった。
(まだ甘いがなかなか良いものを持っているな)
 タニスはそう思った。
 軟弱としか言えない騎士が最近ベグニオンでは多い。少しはこの娘を見習えと思う。
「そうか…。君の名を、聞いておきたい」
「あ、済みませんでした。私はジル。ジル=フィザットと申します」
「!?」
 予想外のことに、驚いた。
「フィザット…君は、シハラム=フィザット卿縁の者なのか?」
「は、はい…私の父ですが…」
 なんということだ――。
 巡り合わせに、数奇なものを感じる。
「道理で良いものを持っているわけだ…」
「…あ、あの。父のことをご存知なんですか?」
 何度も瞬きするジルに、タニスは答えた。
「ああ。とは言えど実際に会った事はないがな。噂話は聞いている。元ベグニオン聖竜騎士団の一部隊長の英雄譚を」
「…え?」
 今度はジルが驚く番だった。状況をよく飲み込めていないらしい。
「…父が、ベグニオンの騎士…本当なのですか?」
 彼女の様子を見る限り何も聞かされていないらしい。
 少し間を置いて話し始めた。
「フィザット卿は先代神使、ミサハ様崩御の後、汚職に塗れる元老院の体制を厭い抗議。
 理想を求め同志たちと共に新天地へと旅立って行ったという。
 今現在の聖竜騎士団――その一部では語り草になっている。若き竜騎士だちが理想とする聖竜騎士としてな」
「……」
 いきなり突きつけられた事実に、ジルは呆然とする。
 一方でタニスは思考を巡らせていた。
(まさか、ここでもう一つの懸案事項縁の者に会えるとはな)
 ベグニオンが気になっていた事、それは軍を抜けてデインへと亡命した聖竜騎士団の一隊だった。
 随一の実力を持っていた一隊だけに対策はきちんとせねばならない。
 それもあって今回の軍派遣の責任をタニスが負うことになったのだ。
 空には空の戦い方がある。
 おそるおそる、ジルが問いかけた。
「…父は、自分の信念の元に、ベグニオンを出たのですか…?」
「そうだと聞いている。君のほうがそれは解かるのではないか?」
「……そう、ですね。背中を見て育ちましたから……」
 瞑目してジルは父との記憶を思い返している。
 武人の娘、という点でタニスは共感を持つ。
 代々女神と神使に仕える聖騎士たちを輩出する名門の家系――それがタニスに流れる血筋。
 自分も騎士の父を見て育ったためこのような性格になったのだろうと自覚している。
 やがて彼女は瞳を開けて、言った。
「ならば、やはり私は父と一度話すべきなのでしょう。なぜ私には…ラグズのことなど、何も教えなかったのか。
 そして今何を思っているのか…目を逸らさずに向かい合いたいと思います」
 精一杯の新たな決意。流れる武人の血、育った心から導かれる言葉。
「そうか。ならば決意に恥じぬ行動を見せるのだな」
「はい!」
 大きな紅い瞳を見開かせて、ジルは応えた。




 白い空に見える、多数の黒い影。
 キルヴァスの鴉部隊とデインの竜騎士部隊。
 先の戦闘でも見た顔ぶれだ。
(どう出るか…?)
 地上の様子を見てみるとロングアーチが配備されている。地上と空中、両方の牽制にと思ったのだろう。
 あれらをいかに素早く制圧するか、そして鴉王ネサラもいるらしいキルヴァスをどうにかすることが
 どうやらこの戦いの鍵となるようだ。
 通常ロングアーチは天馬にとって脅威であるが、タニスはそれほどとは思っていない。
 なぜなら照準に時間がかかるので常に動き回っていれば実は直撃を受けることはそうないのだ。
 しかしそう思えるのは聖天馬騎士団随一の馬術を持つタニスだからであって、他の天馬騎士たちはやはり怖い。
 すぐ下で騎馬の嘶きと蹄の音が聞こえる。
 一瞥して相手がオスカーだと確認すると高度を下げて会話ができるようにした。
「では、よろしくお願いいたします」
「遅れるなよ」
 はい――その返事を聞いてから再び高度を上げる。
 心の中でタニスはため息をつく。
(傭兵風情が)
 彼女は、オスカーのことを完全に信用しているわけではなかった。
 まだ傭兵たちの中では信用できる方――という認識でしかない。
(どれだけやれるものかな)
 補佐の件は彼から言い出したこと。ならば精々着いてきてみろ――。
 いよいよ、戦端が開かれる。
「――出撃!!」
 愛用の魔法剣、ソニックソードを抜き放ち天馬騎士団に命を下す。
 自身は先頭を切って敵陣へと切り込んでいく。
 狙いはまず、地上の進軍を阻むロングアーチ。飛来する矢をかいくぐり懐へと飛び込む。
 一太刀のもとに射手を斬り捨て上空へ離脱。待ち構えていた竜騎士と交戦する。
 数は、四。
 空間で配置を把握しながら一騎目を風の刃で切り刻む。魔法に弱い竜騎士には致命傷で翼を失い落ちてゆく。
 続けて二騎目。槍と剣が空中で交差する。
 狙いを定めさせないように動こうとするが、残りの二騎がそれを阻む。
(この程度で私を止められるものか…!)
 次の瞬間、一騎の翼が矢で貫かれた。風を受けられなくなった翼はバランスを大きく崩し、墜落する。
 驚いたもののすぐに平静を取り戻し陣形を崩れたところをかいくぐり、切り捨てた。
 地上に目をやると緑の鎧を纏う騎馬が弓矢を構えていた。
(早いな)
 予想以上の速さだった。無理して追いついたのでは――と考えたが、落ち着いた様子を見るにそうではないらしい。
 それなりの馬術はあるようだ。
(このぐらいは追いつけるということか。だが、な…!)
 天馬の手綱を握りなおし、上昇させる。
 さらに敵を倒すべく竜騎士の一団へとその刃を向けた。
「止められるならば…止めてみろ!」
 ソニックソードの纏う風が、天馬全体を包み込む。剣を向け一呼吸し――突撃する。
 だがその速さは疾風――いや、まさに光の如く。
 風の魔法剣の力を受けたその突撃は他の天馬では到底追いつけない。鷹の民や鴉の民も驚くほどの速度。
 敵は迎え撃とうとするが抑えることができずに陣を崩され、成す術なく倒されていく。
 だが、敵もやられているだけにはいかない。
 数にものを言わせ、上空を取り囲むような陣形を作る。
 機動力を殺せば、攻撃力と防御力自体は竜騎士のほうが上。加えて数は敵のほうが上。
 誰の目にも見て危険な状況になってきているのがわかる。
 だが理解してもタニスは怯まない。怯んでしまえばそれこそ倒されてしまうのを解っているからだ。
 すぐさま突破口を開くべくまだ陣形の薄い所を探し、そこへ向かって突撃する。
 切り結んで間合いを一回取った直後、囲まれる。
 予想していた敵が陣形を整えて包囲したのだ。
(しまった!)
 槍や斧が向けられる。
 ――だが、またもや地上より放たれた矢が目の前の飛竜の翼を射抜く。
 まさか、と思い地上へと視線を落とすと――いた。
 続けざまに矢を竜騎士たちに放つ姿を確認できる。緑の鎧の傭兵騎士が。
(…まさか、あの速度についてきたのか?)
 さすがに驚きを隠せないタニス。
 そんな彼のもとへと、竜騎士が襲いかかろうとする。
「――くっ!」
 タニスは手綱を引き天馬に急降下の指示を与えた。
 槍を構えたオスカーの目の前で、タニスは敵を切り――直後に致命傷を彼が与える。
「あまり前に出すぎないでください。ご自身が危険です」
 反論は確かにできない。
 確かに助けてくれなければ危機に陥っていたかもしれない。
 だが、誇りを傷つけられたような気がして――それには応えない。
 助けを借りずとも戦えるのだと示したいように、再び敵の中へと突撃しようとする。
 相当の数がまだいて、危険であるが構わないと言うように。
 そこをオスカーは弓矢で援護する。
 数を減らし、または戦いやすいように牽制する。
 天馬は空を駆け抜け、敵を斬り伏せた。




 戦いは勝利に終わった。
 セリノス王子リュシオンの説得でキルヴァスの鴉王ネサラが兵を退いたのだ。
 それによる敵の混乱を逃さず、攻めに転じ勝利を掴んだ。
「……」
 部下からの報告を聞き終えたのち指示を出し、それから一息つく。
(私は、何をしているんだ)
 子供じみたものにしがみついたあの瞬間。
 自分の危険を何も考えなかった。
 一歩間違えば本当に危険だったのを、救ってくれたのは彼だというのに。
 そこまで誇りにしがみつく者であったのかと思い、自己嫌悪する。
 確かに自分は栄光あるベグニオン帝国の二大空挺戦力である聖天馬騎士団の副長であり、
 女神の代理人である神使サナキを護る神使親衛隊の副長でもある。
 その事実を胸に抱き、騎士としての誇りは誰にも負けないほど持っていることは自覚していた。
 誇りにしがみつくあまりに大事なものを見落として、身を滅ぼすことが愚かであるとも頭ではわかっていた。
 ――だが、誇りを傷つけられたような気持ちになって。
 本当はそんなことないのに。
 傭兵風情と侮って、一人だけで先行し、危機を招いた。
 責は自分にある。
 ならば謝りに行かねばならない。
 あの温厚な性格からすれば、自分にそこまで抗議するなどできそうにない。
「――タニス殿」
 すると声がした。記憶した声なので誰なのかはすでにわかりきっていた。
「…オスカー」
 何用だ――と口を開く前に、彼は一礼し言った。
「先に、これよりの非礼をお許し願います」
 驚きに青の瞳を瞬かせる。直後の彼は、強い口調で言った。
「それほど私は信用なりませんか」
「!!」
 心を抉る、一言だった。
 違う。違う――。
「確かに、ベグニオンの貴族であられるタニス殿からすれば、
 私のような得体の知れぬ傭兵などは信ずるに足りぬのかもしれません。
 ですが私たちにも誇りがあります。共に戦う仲間を信じる――そうして、私たちは生き抜いてまいりました」
 心が痛い。ちりちりと炎で焦がされるがごとく。
 オスカーの言葉は、続く。
「ご自分の身も、お考えください。タニス殿はベグニオンにとっても大切な方です。
 無理にとは申しませんが、もう少しだけ、私を信じていただけませんか。
 到らぬ身ではありましょうが、あなた様のために、私は戦います」
 跪き、礼を示す。
 耐えられずにタニスはいったん目を閉じ、息をゆっくりと吐く。
 やがて開かせ、言葉を紡ぐ。
「…君は――何も悪くない」
 その言葉に、オスカーが顔を上げる。彼女は続けた。
「正直言えば、私は君を侮っていた。傭兵ごときと見くびり…この結果だ。
 頭ではわかっていたはずなのに、自尊心にしがみついた私に責はある」
「…タニス殿」
「済まなかった。そして――君に頼みたいことがある」
 オスカーは緊張を滲ませる。
「これからも私の補佐についてほしい。私を助けてはもらえないだろうか」
 驚きのような顔をして、しかし直後にはいつもの微笑でその願いに応えた。
「――はい。私などでよろしければ」
 答えを聞いて、安堵する。
 無謀ともとれる戦いをした者の我儘な願いを聞き届けたこの男の度量にも同時に感服する。
「君でなければ無理だろう。私の天馬についてこられた者など、
 聖天馬騎士団にも聖竜騎士団にも、そして聖十字騎士団にもそういないのだぞ」
「…そうなのですか?」
「ああ。天馬の扱いには誰にも負けぬ自信があったし、
 実際ベグニオンでも私に馬術で勝てる者がそういなかったからな。
 さすがに大陸は広いということだな」
「光栄です」
 恐縮したような顔で答えるオスカー。タニスは少しだけ眉を緩めてさらに言う。
「謙遜するな。君の腕は大したものだ。私が保証する」
「…ありがとうございます」
 まだ苦笑いだったものの、一礼する男。
「では、先程の無礼を…お許し願えますでしょうか」
「もちろんだ。私に非があり、それを指摘するのは当然のことだ。君は悪くない」
 ベグニオンにいるときの自分なら、一傭兵の言葉など無礼だと聞き入れなかったかもしれない。
 だが彼の実力を見て、戦いの現実を見て。
 そのような気持ちは微塵もなくなっていた。
 素直に聞き入れている自分に少し驚きつつも、大部分は自然に受け入れていた。
「では、これからも頼むぞ。用がある時は遠慮せずに来るといい」
「はい。ですがタニス殿はお忙しい身、なるべくお暇な時を選ばせていただきます」
 気遣いを忘れないこの男は本当に自分の思っていた「傭兵」とは違う。
 元騎士ということもあるのだろうが、好感が持てる。
 真に信用に足る男だと、彼女はそう認識する。
 言うとおり、足並みをそろえて歩んでみよう――。
 いつもしかめがちな眉が、自然と緩んでいくのをタニスは自分で感じた。
 そして彼に対して何かを感じ始めたことも。







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