069:精霊
「こんばんわ、二人とも」
月明かりの中、女性は微笑んだ。
「よろしくお願いします、ジャンヌさん」
「お願いします」
礼をしたのは王立士官学校魔道学部三年生のセシリアと、弟のセレト。
二人は夜な夜な部屋を抜け出しては中庭で教えを受けていた。
セシリアの勘は当たっていた。
この人はやはり違うものを持っていた。
魔道の師、パントに似た感性は持っているが、彼女の方がより自然に精霊たちとの対話を楽しみ、共に生きている。
師は『魔道』そのものに貪欲な人なのだ。
精霊たちと解け込んで理魔法を行使するが、
一方で闇魔道に対する興味も、光魔法に対する興味も並々ならぬものがあり、屋敷の蔵書はほとんどが魔道関連だ。
普段は優しい師なのだが、時々恐いと感じてしまうときがある。
研究に没頭していると誰の声も聞こえない。自分だけの世界に入ってしまう。
知的探求心旺盛と言えば聞こえはいいが、
ひたすらに知識を求める姿は人ならぬ世界へ行ってしまうのではないだろうかという錯覚すらある。
奥方のルイーズは「決して道を誤ったりはしない」と見守っている。
確かに家族もいるのだし、大丈夫だろうとは思うが。
「さあ、いらっしゃい。今夜も精霊たちが喜んでいるわ」
声で我に返った。
炎のファーラ。氷のニニス。風のセチ。雷のトォル。
大地を創造したという理の力――その女神――より生まれた精霊たち。
その存在を感じ取り、彼らの言葉で語りかけ、自然と心を通わせる。
「おいで」
セシリアは理の加護を受けているため各精霊たちとの相性は良く、どの属性もバランスよく扱える。
四属性の精霊たちと調和を保ち、対話する。
「みんなおいで。大丈夫…」
その一方で弟のセレトが少し苦戦気味だった。
彼の属性は「氷」。ニニスとの相性は抜群だがファーラとの相性が良くないのだ。
対話を試みているが、難しいようだ。
「あの子は、ニニスに愛されているのね」
クスクス。少女に見える笑みでジャンヌが言った。
「弟は氷の加護を受けていますから。魔道の師も氷の加護を受けていますから、教えやすいと言っていました」
「そうなの。ではあなたは――理ね?」
えっ――。
言っていないのに見抜かれてセシリアは驚いた。
どうして、と視線を送ると彼女は言った。
「様子を見れば分かるわ。あなたはすべての精霊に愛されている。等しく触れ合い、調和を保ち心を通わせて。
大地の力――理の加護をその魂に受けているのが分かるわ。私だってそうですもの」
「ジャンヌ…さんも?」
「ええ。分かるでしょう?」
そうだ――と、セシリアはうなずく。
等しく精霊たちと触れ合い、心を通わせる姿は理系の四属性の人間では難しいと言われている。
だが彼女は自然のままにその身を委ね、対話している。
理の加護を受けている証拠だった。
ジャンヌは言葉を続ける。だが、悲しさも秘めた言葉だった。
「…理の加護を受けた、理の術者は大成する可能性を秘めているわ。理由はわかる?」
「…複合魔法の問題、ですか?」
ゆっくり、ジャンヌがうなずく。
「複合魔法? 姉上、以前教えてもらいましたよね」
と、そこにセレトが入ってきた。両者瞳を瞬かせるものの、うなずいてから続けた。
「そう。理の加護を受けた者は、属性のバランスが取れるために異なる属性の力を合わせることが容易に出来るわ。
他の属性加護を受けている人でも出来ないことはないけれど、かなりの術者でなければいけない。
上手く行かなければ、力は暴走する。そうすれば、惨事になってしまうのよ」
『……』
真剣に二人は話を聞いていた。
自分たちが扱う力の恐ろしさを、すぐ近くに感じていたのだ。
「精霊たちの力が、未知数ゆえなのだけれどね。
…だから逆に言えば、均衡を保った力同士の複合は未知数の力になる。
…あなたたちは知っているかしら。そんな力を持つ魔道書の存在を」
『え…?』
姉弟は顔を見合わせた。だが直後にセレトが言った。
「ジャンヌさん、それって――『神将器』ですか?」
言葉に一瞬だけ、どこか懐かしいような顔を、彼女が見せた。
だがすぐに頭を振って答えた。
「違うわ。…四属性の複合魔法よ。名は『理の四重奏』――ロウ・カルテット」
名を聞いた瞬間、セシリアはなんとも言えぬ感覚にその身を奪われそうになった。
魂に響く、その名。
「潜在能力はひょっとすればフォルブレイズ以上。ただし…扱える人間は限られているわ。
完全な力を求めなければまだ使える人間は増えるけれど、相当の術者でなければ使えない」
「…最高位に属する魔法…と言うことですか?」
セシリアが尋ねるとそうだ、とジャンヌは答えた。
「ええ。…『業火の理』フォルブレイズ、『終末の理』カタストロフに続く魔法。
完全な力は、理の加護を受け、認められた者でなければ発揮されないの」
「姉上ならひょっとしたら完全な力を、使えるかもしれないですね」
無邪気に言ったのはセレト。こら、とセシリアは弟をたしなめた。
「セレトっ。私では無理よ。そんな実力、私には…ないわ」
「ですけど、いずれは…」
「魔道書もないのにそんなことを言わないの。
もしその魔道書が手元にあったとして、実力を伸ばしても、使える保証はどこにもないでしょう」
「…わからないわよ」
発せられた言葉に、二人はやりとりを止めた。
「あなたは理の加護を受けている。そして、精霊たちに愛されている。
もしかしたら、ね」
ジャンヌは、セシリアに向かって微笑んだ。
だがどこか…寂しさをうかがえる笑みだった。
「今日はおしまいにしましょう。だいぶ時間が経ってしまったわ。さあ部屋に戻りなさい」
打って変わって優しく二人に語り掛ける。
二人は素直にうなずいて中庭を後にしようとした。
しかし屋敷内に入ろうとしたとき、まだ今日のお礼を言っていないことに気付いて、振り返ろうとした。
「今日はありがとうございました。また明日――」
だが、二人は唖然とした。
その姿は忽然と消えてしまっていたのだ。
魔法の気配もなかった。
『……』
しばし姉弟はその場に立ち尽くしていた。
精霊に問いかけても、答えてはくれなかった。
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