016:長い夜






 夜が長いと、セシリアは思った。
 妙に寝つけない。
 夏の頃だが気温は涼しく快適に眠れるのはずなのに、目は冴えており眠れない。
(場所のせいかしら)
 と思う。
 今は夏で士官学校も休暇中。
 その時期に父が休みを取って伯父――母の兄――の家へと一家で訪れていた。
 伯父は、祖母の実家を継いだ。
 二十年ぐらい前、当時本家の人間が全員何者かに殺されるという凄惨な事件が起きた。
 だが幸いにも血筋は残った。セシリアにとって祖母に当たる人物が、嫁いでいたためだ。
 祖母には三人の子がおり、長兄が嫁ぎ先の家を継ぎ、次兄が祖母の実家を継ぎ、
 そして末娘にあたる母が父の元へと嫁いだということだ。
 次兄の伯父は母と双子で、今でも仲が良い。
 こうして訪れたのだが。
「…眠れない…」
 ふう、とため息をつくとセシリアは机の上に置いてあったランプに明かりを灯した。
 眠れないなら勉強しよう。
 荷物から魔道理論書を取り出して椅子に座ると、パラパラとページをめくり始める。
 男ばかりが通う士官学校でも彼女は上位の成績を誇っている。
 その理由がこうした日々の努力だった。
 決して奢らずに、謙虚に自分を見つめている。
 共に競える友人がいるのも理由の一つではある。
 しかし彼女自身の気質が大きく影響しているのも事実だった。
「…」
 だがセシリアは集中できずに本を閉じた。
 纏わりつくような気配がする。
 昔起きた凄惨な事件のせいなのか、この屋敷には普通ではない気配が漂っている。
 それは弟セレトも感じていたようで着いたすぐに「変です、ここ」と洩らしていた。
 気配のせいでもあるのだろうか。
 集中できないなら眠るまで横になるしかないと思ったセシリアは、ランプを消してベッドへと横になった。
 開けてある窓から風が入ってレースのカーテンを浮かび上がらせる。
 遮りを無くし、月の光が部屋に降り注ぐ。
(自然と極力常に関わるように。そうすることが、理の術者としての力になる)
 魔道の師、パントの言葉を思い出す。
 教えられて以来、セシリアはよほどの時以外部屋の窓を開けるようにした。
 閉鎖的な空間であるが少なくとも、風は感じられるから。
 風の精霊を感じられるから。
 彼女がどの属性も不得手ではないのに風を好むのはそれから来ている。
(私、眠りたい。眠らせて)
 思うが、眠れなかった。





 それからどれほどの時が過ぎたのか、半分眠っているような感覚の時。
 セシリアは外に気配を感じて起き上がった。
 人間のような気配だが、同時に精霊たちの気配を感じたのだ。
 湧き立つような感覚。
 窓から中庭を見れば人影が見える。その周りに精霊たちも。
 喜びを示すような気配。
 不思議な感覚に誘われて、セシリアは着替えてそっと部屋を出た。
 誰にも見つからないように注意しながら中庭へとやってきた。
「…」
 月の光を浴びている人物は、女性だった。
 夜だから判別し難いが、自分と同じ鮮やかな翠の髪。毅然とした物腰を持つ女性。
「あら、こんばんわ」
 気付いて振り返る。
 美しい女性。ただ顔立ちが母に似ている気がした。そして、自分に。
 自分は母親に似た。だから成長すれば目の前の人のような女性になるのだろう。
 未来図を見ている気がした。
「…こんな時間に、どうしたの?」
 問われてセシリアは我に返って、逆に尋ねた。
「それは、私も聞きたいです。こんな時間に何をなさっていたのですか? 精霊たちと…」
「…あなた、理魔道士なの?」
「え? はい」
 また問われて答える。すると女性は――笑った。
 見る者を魅了する笑みだった。
「なら、判るでしょう? 理の術者は精霊たちと触れ合うことでその力を高めると」
「はい…ですが、どうしてこのような時間に? そしてあなたは誰なのですか?」
 すると彼女は悲しいものを漂わせて答えた。
「こんな時間じゃないと、できないのよ。そして私はこの家の関係者――と、言っておこうかしら。
 私の名はジャンヌ。あなたの名前を、教えてくれる?」
「…セシリアです」
「そう、セシリアね。こちらにいらっしゃい。ここは精霊たちを感じるのにいい場所なのよ」
 ジャンヌが手招きして呼び寄せる。素直に従ってセシリアは傍へやって来る。
 見知らぬ人物のはずなのに、セシリアは目の前の彼女を警戒していなかった。
 なぜかは判らないが、この人は信頼出来る人だと無意識の内に判断していたのだ。
 それに精霊たちが彼女の周りに、楽しそうに嬉しそうにいる。
(精霊に愛されている人間は、悪い人間じゃないよ)
 師の言葉もあったからかもしれない。
 心を休めて周りと一体になるようにする。
 ――話そう。
 ――いっぱい、お話しよう。
 力を感じ、声が聞こえる。
「ほら、ね? だから理の力を高めるのにはいいのよ、ここ。
 理は調和の力。精霊たちと等しく触れ合う。それが大地より生まれた力をもっと強くする方法なの」
 その言葉に、ふとセシリアは思った。
 この人は、師にないものを持っているのでないだろうか。
「…さあ、もう夜も遅いわよ。部屋にお戻りなさい」
「…はい。あの、ジャンヌさん。明日もお会いしていいですか?」
「ええ。ただし、夜の間だけ。でないと無理なの。そして私のことは、内緒にして」
 なぜ、という疑問が浮かんだがすぐに打ち消して、セシリアはうなずく。
「あ、あと…私、弟がいるのですけど、私と同じように理魔法を学んでいるのです。
 明日の夜、一緒に連れて来てもいいですか?」
「ええ。どうぞ。ただし誰にも内緒よ」
「はい」
 笑って、セシリアはうなずいた。



 これからの夜は長いかもしれない。



 そう、思う。






精霊  戻る