バレンタイン・パニック! 前編
厨房は、戦場だった。
それもそのはず、今日は二月十三日。明日はバレンタインデー。
女たちが自分の想いを込めて、想いが届くようにと手作りのチョコレートを作る。
ある者は軽やかに。ある者は四苦八苦しながら。この日はまさに、女の戦いが繰り広げられていた。
それは新生「エトルリア軍」も例外ではなかった。
城に滞在しているときにこの日を迎えてしまった。
もちろん女性陣からバレンタインが終わるまで滞在させてくれとの意見が飛び交う。
戦争中だというのにそんなことは出来ないとロイは反論するが見事にあえなく却下されてしまい、
終わるまでは滞在することになる。
その中で、仲良く料理にいそしんでいる二人がいた。
エリミーヌ教団の修道女コンビ、エレンとステラ。
同じように神に仕える身として二人は仲がよく、今回一緒にチョコ製作にいそしんでいる。
二人とも料理上手なのでてきぱきとこなし、すぐに終わってしまった。
「後は、固めれば完成ですね」
「ええ。後は待つだけ…」
はあ、と二人はため息をつく。もちろん悩みはこれを意中の人がきちんと受け取って、喜んでくれるかに尽きる。
「喜んでくれるかしら、セレト様…」
「ツァイス…」
恋する女の悩みである。
と――。
ドカンッ!
厨房の奥から爆発音。何事かと思って見やると厨房の一部が燃え出していた。
「大変! 誰か水を――」
「ブリザー!」
声とともに飛ぶ冷気。あっという間に鎮火し、ほっと胸をなでおろす。
「一体何なの?」
「あっ、セシリア様」
振り返れば、そこにはブリザーの魔道書を持ったセシリアの姿が。
彼女はため息をついて、騒動の主を見た。
「何をしていたの?」
「え〜? ただお鍋でチョコを溶かしてただけですよ〜」
「普通はそれで爆発しないわよ? 気をつけなさいね」
「は〜い。ありがとうございま〜す」
と、彼女――ララムは元気よく答えた。
「あなた達も今日はバレンタイン用の?」
「はい。やっぱり…好きな殿方には…」
かあっと、顔を赤くするステラ。
「ふふ、幸せね、セレトも」
「セシリア様はどうしてこちらに?」
尋ねられると彼女はわずかに苦笑しながら答えた。
「クラリーネにせがまれたのよ。「バレンタイン用のチョコレートの作り方を教えてほしい」って」
「そうなのですか。セシリア様、お料理もお上手ですものね」
ピクン――その声に反応したのが一人。
「セシリア様、料理もバッチリなんですかぁ? だったらあたしにも教えてくださいよぉ〜」
ララムである。彼女は服の袖を掴んでせがんで来る。
「ちょっと、ララム。クラリーネと先約しているから、教えてからでいいかしら」
「は〜い。お願いしますねぇ」
ようやくパッと手が離れる。
「ふう…。じゃ、そう言うわけだから私は行くわ」
「はい」
言いながらセシリアはクラリーネのいる厨房へと行くのだが、すれ違うさいにステラは呟きを聞いた。
「クラリーネはともかく…ララムは真剣にならないといけないわね…」
「??」
その意味を、ステラはまだ知らない。
そして当日。
義理チョコと本命チョコが飛び交うバレンタインデー。
「あっ、たいちょー! おはよー!」
「だから隊長はよせって言ってるだろ!」
元気なシャニーに即座に言うディーク。朝から怒られて、しゅんとするシャニー。
「…」
「で、なんだ?」
「ちょっと口開けて」
「は?」
と、開いたその瞬間――シャニーはディークの口の中に目にも止まらぬ速さで持っていたものを押しこんだ。
「!?」
口を閉じて噛んでみる。すると甘い味と香り。
「お前…今入れたのチョコレートか?」
「あったり〜! やったー! 作戦大成功!」
「シャニー、お前なあ!」
はしゃぐシャニーを後ろから羽交い締めにするディーク。慌てたシャニーはじたばたともがく。
「どういう渡し方してるんだ、お前は」
「だってこうでもしないと食べてくれそうになかったんだもん」
「普通に渡せ! …食べてやるから」
きょとん、と見上げてディークを見るシャニー。
「ホント?」
「本当だ。だからまだあるなら普通に渡せ」
「…うん! ありがとう、ディークさん!」
と、大はしゃぎのシャニーだった。
また一方で。
そわそわと落ち付かないのは、赤い髪の竜騎士ツァイス。
「…少しは…落ちついたらどうだ」
彼の隣で言うのはサカの遊牧民、シン。ハッと我に返るとツァイスはシンに謝った。
「あ、悪い。でも、今日はバレンタインだし、誰かがくれるとそれだけで嬉しくなるし…」
「バレンタイン? なんだ、それは」
素朴な疑問を抱いて尋ねる。ツァイスは「へ?」と思ったがすぐに事情を察して話した。
「女の子が好きな人に贈り物をする日なんだ。チョコレートが主だけど」
「……」
何も答えない、シン。
「淡白だなー。お前ももし、スーからもらったら嬉しくないのか?」
「……」
何も答えない。が、表情がほんの少し変化したことをツァイスは見た。
(やっぱり、嬉しいんだな)
そこに。
「シン」
噂をすれば影である。スーその人がシンを呼んでいた。
「スー様。どうかなされましたか?」
「これ、あなたに」
彼女が差し出したのは、可愛らしい袋で包まれたもの。開けていいのか聞くと彼女はうなずく。
許可を得て開けると、茶色のお菓子が出てきた。
「これは…」
「昨日、みんなで作っていたの。バレンタインという風習で大切な人に送るのだと」
「…スー様」
「私にとっては、あなたが大切だから」
「…ありがとうございます」
感謝してシンはチョコレートを受け取り、礼をした。
その様子を見ていたツァイスは心底羨ましかった。
「いいなぁ。…誰か俺にもくれないかな。…エレンだったら一番良いけど…」
「あの、ツァイス…」
「!!??」
後ろからの声に飛びあがるほど驚くツァイス。それに声をかけた本人も驚いてしまった。
「ど、どうしたのですか…?」
「あっ、エ、エレン。ごめん。いきなりだったから」
はあはあと平静を取り戻そうと言い聞かせる。そして努めて普通に話し掛けた。
「で、どうしたんだい?」
「こ、これを…」
すっ、とエレンが顔を紅くして差し出すのは、箱に入ったチョコレート。
昨日想いを込めて作ったものだ。
「…俺に?」
「は、はい…」
ツァイスは飛びあがるほど嬉しかった。チョコレートを、しかも思いを寄せている人物からもらえるとは。
中身を開けて一口ほおばる。ほどよい甘さと口解け。さすがエレンだと思った。
「美味しいよ。ありがとう、エレン」
「い、いいえ…ツァイスこそ…ありがとう…」
しっとりと、二人の世界になる二人――。
次に、また一方で。
「お待ちなさい!」
と、茶色の髪の剣士ルトガーを引きとめるのは、クラリーネ。
騒々しい、と思いながらもルトガーは足を止めた。
「あなた、今日が何の日かご存知かしら?」
「…知らん」
きっぱりと一言。
するとわなわなと体を震わせるクラリーネ。
「何てことですの!? バレンタインデーを知らないなんて…信じられませんわ。
いいですの、特別にわたくしが教えて差し上げますわ!」
びしっと、指を立てる彼女。いい迷惑と思いながらもルトガーは聞くことにする。
「いいですの。今日はバレンタインデーという日なのですわ。この日は女性が男性に贈り物をする日で、
それは…親愛の証でも…あるのですわ…」
途中から顔が赤くなるクラリーネ。続きを言おうとしているが、なかなか言い出せない。
「どうした」
続きを待つルトガーが尋ねる。言われてクラリーネは意を決した。
「そ・こ・で! わたくしを助けてくれた礼もありますから、特別にあなたにこれを差し上げますわ」
さっとクラリーネは小さな箱を差し出す。
「何だこれは」
「贈り物には一般的にチョコレートのお菓子を差し上げるのですわ。
わたくしが特別に作ったのですから、受け取りなさいな」
「…お前が、作ったのか?」
「え、ええ」
問われて答えるクラリーネ。
「慣れないのによく作ったな」
「! 何ですの、その言い方は! せっかく…わたくし…教えてもらって…」
途中から言葉にならなくなる。それは泣いている証拠だった。
また泣かせてしまい、罪悪感を感じるルトガー。
クラリーネの手にある箱を受け取ってから、こう言った。
「…悪かった。泣くな」
「…ルトガー…」
「食べてやる。それでいいだろう」
「……」
顔を赤くしながら、クラリーネはうなずいた。
そしてまたまた――。
「あっ、チャド!」
「よお、ルゥ」
孤児院の仲良し少年たちは城の廊下で出会った。
ふとチャドはルゥの手にあるものに目が留まる。
「それ、どうしたんだ?」
「あ、これ? ミレディさんにもらったんだ。「トリフィンヌにお菓子ありがとう」って、お礼に」
万年の笑みでチャドにチョコレートを見せる。と、ルゥは彼の手にも箱があることに気がついた。
「あれ? チャド、それどうしたの?」
「これか。キャスのやつがくれた。いきなり」
「よかったね、チャド」
「何だよルゥ。まあ、もらえないよりは…いいけどよ」
顔をちょっぴり赤くするチャド。
「お前ら、そんなところで何してるんだ?」
振り向けばルゥの双子の弟、レイ。ルゥは二人ともチョコレートをもらったことを話す。
「ふーん。ま、俺には関係ないな」
「おいおい、そんなこと言いながらよ、しっかりもらってるじゃんか」
チャドがレイに小さな青い箱を見せる。
「! チャド!」
「どうせソフィーヤさんからだろ?」
「関係ないだろっ!」
顔が真っ赤になったレイ。チャドから箱を取り返す。
「魔道書と一緒にもらったんだよ。別に俺は…チョコなんていらなかったのに」
「でも嬉しいんでしょ? レイ」
笑顔でレイにルゥは言った。
「あのな、ルゥ…」
「これでみんなチョコもらったんだね。よかったね、みんな」
『……』
この天然兄にはかなわない――。
これで、めでたしめでたし。
一方で、もらいすぎて困ることもある。
「はあ…」
大量のチョコを抱えたクレインはどうしようかと思っていた。
朝から、女性兵士たちから大量にもらってしまっている。
これをどうしようかと思う。せっかくもらったのだから食べないといけないと思うが、この量では。
しかし他の人にも渡すわけにもいかない。その人の気持ちを裏切ることになる。
「さて、どうしようかな…」
「あっ…」
短い声に、振り向く。
両手を後ろに隠したティトがそこにいた。
「やあ、ティト」
「クレイン様…それは…」
「ああ、これ? たくさんもらってしまってね。どうしようかと思ってるんだけど」
「…そ、そうですか…」
もじもじしながらチラリ後ろを見る彼女。「??」と首を傾げる。
「…ティ…ト?」
「…あ、あの、クレイン様っ。こ、これ…」
意を決したように顔を赤くしながらティトはクレインにラッピングしてある小さな箱を差し出す。
「…僕にかい?」
「は、はい…。よろしければ…」
「ありがとう、ティト。すごく嬉しいよ」
「えっ?」と、彼女はクレインを見る。
微笑して彼は言った。
「今までもたくさんもらったけれど、君がくれたのが一番嬉しいよ。
僕の好きな人が、くれたんだからね」
「あ、あ、あの…私…」
火が出そうなほど顔を真っ赤にして何か言おうとしているティト。
けれどあまりの嬉しさに声も上手く出なかった。
やっと、少し落ちついて声を出せる。
「…私も…嬉しいです…そんな風に仰っていただけて…」
目尻が少し濡れている。
そんなティトをクレインは優しい微笑で見守っていた。
「ノア殿…」
「フィルさん…」
別の場所で、もう二人の世界に入っている二人がいた。
赤面しながらのチョコ渡しになった後、ずっとこの状態だ。
「…フィルさん」
「は、はい。ノア殿…なんでしょうか」
「これから一緒に近くの街に買い物しに行かないか? お礼に…なにか、フィルさんに贈るよ」
「そ、そんな。私は…」
「いいんだよ。俺の気持ちだから」
「は、はい…」
そんな二人の様子を遠くから見ているのは、エデッサ城主で傭兵騎士団長のゼロットと、妻ユーノ。
「ノアもなかなかやるなぁ。可愛いお嬢さんと恋に落ちるとは。
君と出会った時を思い出す」
「まあ、あなたったら」
くすくす笑いながら妻は応える。
「そうですわ、あなた。これを」
「? 私の分…か?」
差し出されたものに尋ねるゼロット。うなずくユーノ。
「ええ。もちろんでしょう。あなたは私の大切な夫なのですから」
「あ、ああ…そうだな。ありがたくいただくとするよ」
と、この二人は夫婦円満なのである――。
「…どうしようかしら」
手のなかにある小さな箱を、イグレーヌはもてあましていた。
昨日はファのために作っていたのだが自分でももう一つ作った。
自分で食べてもいいのだが、そんな気分ではない。かと言って誰かに贈るのも気が引けている。
さてどうしようと思っているその時。
「どうしたんだい? そんな顔しちまってよ」
「…アストール…」
オスティアの密偵、アストール。行方知れずになった自分の夫によく似ている人――。
「バレンタイン用のチョコレートか? 誰かさんにあげるのか?」
「…あなたには、関係ないわ」
「つれないねぇ。あげるような相手がいないのか?」
「!!」
反射的に平手で頬を打とうとするが難なく回避されてしまった。
「悪い悪い。なんなら俺がもらってやろうか? あんたの旦那は、俺にそっくりだって言うしな」
その言葉に、動きが止まる。
「…」
「やっぱいいか。あんたの旦那は旦那で、俺は俺だしな。それじゃな」
答えないのをそう解釈したのか。アストールは手を振って去ろうとする。
しかし――。
「待って! アストール」
反射的に、イグレーヌは彼を呼びとめていた。
「ん? どうしたんだい?」
「…これを…受けとってもらえるかしら」
躊躇したものの、イグレーヌは彼に小さな箱を差し出した。
「俺でいいのかい?」
「ええ。あなたに…受けとってほしいのです。あなたの優しさに…感謝したいのです」
「…そういうつもりじゃ、なかったんだけどな。ま、受け取っておくか」
うなずいて受け取るアストール。イグレーヌは見届けると顔を伏せて、一粒だけ涙を流した。
セレトは、自分の部屋に戻る途中だった。
そこかしこで見かけるチョコ渡しの風景に苦笑しながら。
「今日はやっぱりみんな楽しみだったんだな。クレインなんかもらいすぎてたけど…どうするんだろ」
朝から大量に渡されていた親友の姿に少し笑みがこぼれる。
ただ、自分の部屋はその彼と相部屋。部屋に大量に置かれているとなるとどうしようかなと思う。
「絶対クレインのことだから悩むだろうなぁ。僕もあんなにもらったら絶対悩むけど…」
ふう、と息をつく。
そこに。
「あ…セレト様…」
「やあ、ステラ。どうしたの?」
にこやかに微笑みかけるセレト。ステラは眩しさに顔を赤くした。
「あ、あの…こちらを…」
おそるおそるステラはリボンのついた小さな箱を差し出す。
「? これ…もしかして、バレンタインの?」
「は、はい…」
「ありがとう、ステラ。久しぶりだよ、君の手料理食べるの」
「…セレト様」
彼はずっと故郷エトルリアを離れていた。家族とも、友人とも離れ離れで、自分とも…。
懐かしさが表情に出ている。
「君の作ったものは何でも美味しいからね。喜んで食べるよ」
「そ、そんな…それほどでは…」
「君は作ってるときに味見しなかったの? はい」
中身を出して、軽く割る。自分で一口。そうしてからステラにも一口。
程よい甘さと口解けが広がる。
「美味しいでしょう?」
「あ…はい…」
コクリとうなずく。笑顔の彼に、幸せでいっぱいになったステラはぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「わっ、ステラ!?」
「…ごめんなさい…でも…すごく嬉しいんです…私…」
ぽろぽろ流れる彼女の涙を、そっとセレトは指で拭った。
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