信念の槍 第一話
信念。希望。
そんな言葉をくれたのは、一人の少女だった。
(あなた、自分が何をすべきなのか分かっているでしょう!?
死んだお兄様の分まで生きるのよ、あなたは!!)
繰り返す。
三年前に言われた言葉を。
繰り返して、見る。
言葉を紡いだ少女の姿を。
「……」
サカ、ベルン、リキア国境となっているタラビル山脈。
その途中を一人の青年が歩いていた。
深い、蒼い髪と瞳。整った顔立ち。
銀糸の刺繍が入った軍服に近い青の服。豪華な銀の肩当て、胸当て、篭手、具足。
その上から旅装用のマント。右手には銀色の弓。腰に下げたベルトには矢筒が下げられている。
青年は空を見上げた。
空はどんよりと鉛色。雨が降りそうだ。しかも時刻は夜近い。
近くに雨宿りと夜営が出来そうな場所を見繕う。
「…」
少し進むと古い砦を見つけた。
所々壊れてはいるが雨露は凌げる。
もう降りそうだと思った青年は誰もいないか気配をうかがってから中へ入った。
適当な場所を捜して荷物を置き、明かりにとカンテラを点ける。
「…ふう」
と、一息つくと雨音が外から聞こえ始めた。
やっぱり、雨になったか。
青年は荷物から本を一冊取り出して読み始めた。
題名は「無血開城」。パラパラとページをめくる。
(……今頃、君はどこにいるんだ?)
ふと考えた。
故郷を出たのは、父の命によるもの。
(お前は我が家を継ぐ者としてふさわしい強さを持たねばならん)
(承知しております、父上)
(影を知り、影を担う宿命だ。いつ誰が死ぬとも限らない。分かって、いるだろう)
(はい、父上)
(誰が死ぬとも、限らない…か)
失う辛さは、もう承知していた。血を分けた人間が、三年前凶刃に倒れた。
全力捜査で首謀者は明らかになったが、もう戻らない。
(…何を考えているんだ、僕は)
と、自嘲して天井を見上げた。
もう帰らぬ人のことを考えても仕方がないと言うのに。
思い出は大切にする。けれどすべてを縛られてはならない。
…しかし、その「思い出」が今の自分を作っているのも事実だ。
(…君は、今頃どうしている? 君は、どこにいる?)
記憶から一人の少女の姿を引き出した。
美しく、気丈で聡明な少女。彼女は今、故郷を出奔している。
相当の覚悟と逃避劇だったはずだ。彼女の家は知らない者などいないほどだから。
その彼女が、サカに行ったという噂を聞いた。
サカの娘と、リキアの騎士らしき二人と共にこのタラビル山へと向かったのだと。
足取りを追って、彼はここに来たのだ。
「…?」
不意に視線が下へ向く。
夜営の跡を見つけた。建物の中だからか風化して消えなかったらしい。
かなり時間は経っているように思われる。
「…まさか、な」
思いついた可能性をすぐに否定した。そんな偶然、あるわけがない…。
カラッ。
通路から音が聞こえ、即座に弓矢を持って構えた。
カンテラは入口に置き、敵をすぐに発見出来るようにする。
気配は一つ。…賊…か?
油断は出来ない。油断大敵が、家訓である。
カンテラで照らされ、影が見えた。見る限り屈強ではないようだが。
ひょこ、と影がこちらに顔を覗かせた。
しかしその人物は彼が弓矢を構えているのに気付き、慌て始めた。
「わ、わ、わっ。僕、怪しい者じゃないですよ」
アタフタする男性。全身が見えるようになる。
紫色の髪と瞳。左目には片眼鏡の男性。背は高く、黒いローブと手には本。
学者――といった格好だ。温厚そうな顔で、賊には見えない。
ローブが濡れているので、雨宿りにここへ来たのか。
「…雨宿り、ですか?」
「え、ええ。雨が降り始めたから困ったよ。本が濡れたら読めなくなるし」
本当に学者のようだ。持っている荷物は大きくその中にも本を詰めこんでいるのだろうか。
彼は、弓矢を下ろした。
「…申し訳ありません。失礼しました」
礼をして謝る。彼は大丈夫、と答えた。
「警戒するのは仕方ないよね。あ、じゃあ――ちょっと近くで本の整理をしても良いかな?」
「ええ、どうぞ」
カンテラを持って、荷物から本を出した。…大量に。
この荷物の中にどうやって入っていたんだ!? と疑問を浮かべる。
本の題名は「人竜戦役よりの人間の歴史」や「竜族の謎」など、人竜戦役にまつわるものが多い。
中には、古代魔法の理論書や魔道書もあった。
「…その量を持って、お一人でですか?」
「え? ああ。この量を持って旅をするのはちょっと大変だけどね」
ちょっとなのか? と思う。
「…?」
また、音が聞こえた。
ガシャンガシャンと、金属が触れ合って出る音。重騎士の甲冑がよく出す音だ。
反射的に弓矢を持った。
明かりを目指しているようで音が徐々に大きく、高くなる。
学者風の男性も様子をうかがう。
「――!」
現れたのは、禿げ上がった頭の、屈強な重騎士だった。
雄大な体格でかなり年齢を重ねているが、雰囲気は他者を威圧する。
「どうやら、先客か。お主らも雨宿りか?」
ゆっくりその問いにうなずく二人。
「この雨には参った。しばらくわしもここにいさせてもらおう」
鎧姿のまま、カンテラの明かりの近くに腰を落ちつける重騎士。
雨音だけの世界が再び訪れる。
気まずいような雰囲気だが、気にせず自分の本を開いて読みふける。
他の二人は本の整理と、武器の手入れだ。
「…」
しばらく経って、三人だけの世界が崩れたような感覚を受け、彼は本を閉じた。
意識を集中して周りを探ると雨音はしない。代わりに十人ぐらいの人間の気配。
弓矢を持つと気配を察したか重騎士が立ち上がった。
「ほう。気付いたか。どうやらわしらを狙う賊のようだな」
その言葉に反応して、学者の男性も整理の手を止めた。
「え? 賊…ですか?」
「ええ。…気配は十人…ぐらいですね」
「大した感覚じゃな。そのぐらいの数ならわし一人で蹴散らして見せようぞ!」
ふははははっ。
豪快な笑い声に呆ける二人。
「だが、油断は大敵です。降りかかる火の粉は払わねばなりませんし――
手を組んだ方が、早く済むと思われますが」
「それはそうだな。なら、わしと共に戦おうぞ! わしはキアランの重騎士ワレス!
お主の名を聞いておきたい」
わずかに、間があった。
そうしてから、彼は答えた。
「エリアザールです」
「ふむ。で、お主は?」
「あ、ぼ、僕はカナスといいます」
慌てながら自分の名を名乗る学者カナス。
「お主はここにいるがよい。わしら二人で蹴散らして見せよう!」
「あ、でも僕…少しなら魔法使えますよ」
二人が一斉にカナスを見た。
「僕の専門は古代魔法…俗に言う闇魔法ですけど、それなら少しは」
闇魔法――。
この暗い状況において、非常に有利と判断したエリアザールが、口を開いた。
「なら、手伝っていただけますか? カナス殿」
「ええ。自分の身は、自分で守ります」
エリアザールが周りを見る。
周囲の状況、構造を見て下手に打って出るよりここで迎撃した方がいいと思った。
そうして彼が、二人に提案する。
「ワレス殿。入口を塞いでいただけますでしょうか。その後ろから僕とカナス殿で援護を。
お願いできますでしょうか」
「…なるほど。お主なかなか戦術眼に優れていると見た。いいだろう」
「ええ、いいですよ」
ワレスが入口を塞いで前線を作る。その後ろからエリアザールとカナスが援護する形になる。
「…来るぞ!」
言葉と同時に敵が襲い掛かってきた。
だが、ワレスの重厚な鎧が敵の攻撃を阻み、反撃の槍で返り討ちにする。
エリアザールが弓矢で援護をする。
キリッ。
弦を引き絞り、狙いを付けて放つ。一連の動作の素早さにワレスが感嘆のため息を漏らした。
「いい腕をしておるな」
「得意分野ですから」
軽く答えるとまた放つ。
その間に、カナスも魔道書を開いて詠唱に入っていた。
――内より出でよ、忍び寄る闇――。
「ミィル!」
黒い球体が敵を飲みこんだ。この暗闇で敵はいつ魔法が襲いかかるか判らない。
だから今のような暗い場所や夜での戦いで敵の不意をつくのに有効だ。
しかも闇魔法が象徴するのは、恐怖などといった負の感情だ。
どこから来るのかわからない恐怖に敵が恐れをなす。
半分敵を片付けると残りは逃げ出してしまった。
「…まだ、外にいますね」
しかし気配は消えていない。そのことを察知したエリアザールは二人に言った。
「気配は一つ。おそらくリーダー格でしょう。油断させて、不意を突く――常套手段です」
「ふむ。ではお主なら、どうする?」
ワレスから問いかけられた。
どう答えるのかを期待する目だ。
敵の様子をここからでは窺い知ることは出来ない。
ただ、敵の位置さえわかれば。
しばし考えて答えた。
「敵の位置を知る必要があります。それさえ分かれば遠距離狙撃で仕留められます。
ワレス殿、申し訳ありませんが敵を引き付けていただけますか? 明かりを持てば的になります。
それに向かって敵は来るでしょう。そうして敵を引き付けてから隙をみて別の場所から射掛けます。
ただ殺す気はありませんから、手足だけを狙いますよ」
「それで良い。わしも賊たちに聞く事があるからな」
ワレスが了承して、エリアザールは思い描いた作戦を実行に移した。
まずは敵に気付かれない様に明かりを持たずにエリアザールとカナスが外に出る。
(カナスはもしもの時の援護を務める)
後にカンテラを持ってワレスが堂々と外へと出た。
読み通り、敵はワレスに目標を定め、向かってきた。明かりで敵の姿が見える。
気配を殺してエリアザールは敵の脚に狙いを定めた。
遠距離からの狙撃は彼の得意分野。
「――!」
ヒュン!
狙いは正確で右足を射貫いた。続けて左足も射抜いて戦闘不能状態に持ちこむ。
こうなっては敵は敵わず、三人に降伏した。
「さて、お主に聞きたいことがある」
「…なんだあ?」
縄で縛られ、威圧されながらも返す賊のリーダー。ワレスはこう問うた。
「タラビル山賊団のアジトを知らぬか?」
「し、知らねえよ! 俺達はガヌロン山賊団だぜ?」
「違うと言うか」
「本当だ! この辺りは俺たちの縄張りだけどよ、タラビルの連中はもっとサカ方面の山だぜ?」
なるほどなるほど――大きくうなずいてから、ワレスは考える仕草をした。
「そうか」
「…ちくしょう…。たった三人に負けるなんて、一年前の再来だぜ…」
ポツリ、呟いたリーダー。ほう、と反応して再びワレスが質問をした。
「一年前とは?」
「……一年前、たった六人、しかも半分は女の一団にコテンパンにやられたことがあってよ。
えらく戦い方が上手くてよ。確かリーダーはサカの小娘で、どっかの騎士みたいな奴が二人、
ペガサスの女一人。弓使いの男が一人いて、魔法と剣を使う女もいたな」
サカの娘と、騎士二人――。
傍で聞いていたエリアザールが反応した。
今度は彼が質問をした。
「…特徴は覚えているか?」
「は? …女の特徴しか覚えてないぜ? いい女たちだったからな」
「それでいい」
不快感を表しながらも答えるエリアザール。リーダーが答えた。
「サカの娘はだいたい分かるだろ。特徴ありすぎるからな。気の強い女だった。
ペガサスの女は気弱な感じだったな。
もう一人、魔法と剣を使う女は美人だったな。あの顔はエトルリア方面だろうな」
エトルリア。
間違いない、と思った。
故郷の娘。サカの娘と、騎士二人と行動を共にしている。
話では二人増えているが、途中で一緒に行く事になったと考えればたやすい。
「どの方面へ行ったかはわかるか?」
「リキアだぜ。そこまで追ったけどよ、結局逃げられたからな」
「…リキアか…。よく分かった」
手がかりはリキアか。
エリアザールは判断した。
「さて、どうする? お主は。二度と賊行為をしないと誓えば見逃してやっても良いぞ」
凄みを見せながらワレスが問う。
槍をちらつかせながらなので半分脅しだ。
その恐怖に耐えかねてわかったとうなずいく。見て縄を解いてやった。
脚を射貫かれたものの、歩けないほどに射貫いたわけではないのでおぼつきながらも逃げていった。
「……エリアザールと言ったか? お主、なぜ先ほどリンディス様たちのことを聞いていたのだ?」
「…リンディス…? キアランの姫ですね?」
問い返しながらもエリアザールは思い出す。
エトルリアを出る前に聞いた。
サカ地方に駆け落ちしたキアラン公女マデリンの娘が、
侯弟ラングレンの妨害に遭いながらもキアランに辿りついた。
その姫の名前がリンディスだとエリアザールは知っていた。
どうやら姫一行がこの道を通ってリキアに行ったようだ。
そして目の前の重騎士はキアランの騎士。だとすれば。
「その通りじゃ。サカよりリキアへとこの山を通って参られたと聞いている。
途中山賊団の妨害を受けながらも、見事撃退したそうだ!」
「…なら、お尋ねしたいことがあります。
リンディス公女一行の中に、イーリスと言う名の少女はおりませんでしたか?」
予想が正しければ、と思っていた。
彼の予測は――。
「うむ。リンディス様をお助けした軍師の娘の名がイーリスと言ったな。
なかなか若いのに優れた戦術眼を持っておった」
当たっていた。が、同時に驚いた。
(軍師!? 彼女が…!?)
他人の命を預かる役目。それを彼女がこなした。
彼女は聡明とよく知られていた。それをいかんなく発揮したのだろう。
戦う術を学ぶ。おそらく問題と向き合うためにだろう。
人が死ぬ戦いで他者の命を預かる職業。
その道を選んだ彼女の覚悟が分かった。
「…そうですか」
「お主、もしかしてイーリスの知人か?」
「…ええ。一応」
答えると、ワレスは彼に希望を見出した表情で、言った。
「ならば、頼みがある!
わしはこれからタラビル山賊団を退治しに行くのだが、一人ではちと心もとないと思っていてな。
力を貸して欲しいのだ」
「…それは…命令で、ですか?」
騎士が動くとすれば主の命令だ。確認のためにも尋ねたのだが。
「いや、わしの独断だ。リンディス様のためにもな」
これにはエリアザールは驚いた。
なぜ、と尋ねるとワレスは答えた。
「…リンディス様はご家族をタラビル山賊団に殺されておる。ご自分で復讐を考えておられるのだ。
だが、復讐の後にはなにも残らぬ。空しいだけだ。そのような思いをリンディス様にさせたくないのだ」
(復讐の後には、なにも残らない…)
エリアザールは心から共感していた。
大切な人を殺されて、復讐を遂げたとしてもその後の自分はどうなる?
喪った人が還ってくるわけでもない。復讐は自分の無念を相手に押し付けて発散させる手段なのだ。
相手が自分を大切に思ってくれていたのなら、相手のことを考えるべきだ。
もし自分が殺されたとして、相手に復讐を望むのか?
答えは否。憎しみと空しさで大切な人を染め上げたくない。
復讐の後には、なにも残らない。
エリアザールは、それを知っていた。
だからこそワレスの心情が理解できた。
この人は大切な主君に憎しみと空しさを味わって欲しくないのだ。
そのために独断で憎しみの元を断つ決意をしたのだと解かった。
(…君ならこの話を聞いてどうする? …決まっているか)
瞑目して心の中の彼女に問う。だが、すぐに愚問だと思った。
彼女は周りを大切にする。この話を聞いて黙っているわけはない。
答えは決まっていた。
「わかりました。僕などの力でよければお貸しいたします」
「おお、やってくれるか」
「…ただ、一つだけ代わりに頼みがあります。
彼女が――イーリスがリンディス公女の下で、
どのような様子であったのかお教えいただきたいのです」
「…理由が、ありそうだな」
ええ、とエリアザールはうなずく。
事情を話さねば答えてくれぬだろうと判断した彼は、他言無用を言ってから話した。
「彼女は、エトルリア名門家の姫です。現在揺れている家を救うために、出奔しているのでしょう」
一瞬だけワレスが驚いた顔をした。しかしすぐに納得した顔になった。
「なるほど。道理で普通の娘とは違う雰囲気を持っていたわけだ。
…一つだけ聞こう。お主はイーリスを探しているようだが、連れて帰るのか?」
ワレスに問われる。
間を置いて、エリアザールは答えた。
「いえ。僕は彼女を連れて帰る気はありません。少なくとも、無理には」
エリアザールは始めからそう決めていた。
よほどの決意をした人間を止めることなど出来るだろうか。
否、できない。
答えに満足したように、ワレスは豪快に笑った。
「ふははははは。そうかそうか。なら教えてやりたいが、生憎わしは長い間はおらなんだ。
リンディス様に聞くのが一番だ。この一件が終わり次第キアランへの紹介状を書いてやろう」
「ありがとうございます、ワレス殿」
エリアザールは丁寧な礼でワレスに感謝した。
「……あの〜〜」
間延びした声で二人はハッとなった。
完全に置いてけぼりを食らったカナスが様子をうかがっている。
「そう言えば、お主――カナスと言ったか。お主の魔法も役に立ちそうだ。
良ければ手を貸してもらえぬか?」
確かに闇魔法の使い手は戦力になる。だが強制は出来ない。
だから「良ければ」と言っている。
カナスは少し考えたようで、しばし間があってから答えた。
「構いませんよ。先ほどはお二人がいたからなんとかなったようなものですし。僕なんかで良ければ」
「よろしいのですか? カナス殿」
彼はうなずいて、言った。
「それに、人ごととは思えないんですよ。僕の妻も…復讐を一時考えていた人でしたから」
「奥方が…?」
「昔、家族を殺されてからずっと、妻は復讐だけで生きているような人だったんです。
空しさを知って、思い止まってくれました。復讐をしても何の意味もないって。
たぶん、妻がこの話を聞いたら手を貸すと思います。同じような人を放っておけませんから」
そこではは、と苦笑いをした。
この人も、復讐の空しさを知っている。
同じ思いなのだと。
「では、手を貸してもらえるかな」
「ええ。ではこれからよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
挨拶を交わして、了承とする。
「それではタラビル山賊団のアジトを突きとめるために、山のサカ方面へ足を運びましょう」
二人は、うなずいた。
こうしてエリアザールは出会いを経て復讐を止める戦いへ身を投じる。
ただ、この出会いも運命に導かれたものだとは、今は知らない。
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