「姉」と「妹」
クラリーネは、危機を感じていた。
思えば、話を聞いたときから、予感していたのかもしれない。
(エトルリア軍が、救援に来る)
この時から。
そして予感は現実となった。
―――姉にも等しい存在が、クラリーネの目に入っていた。
「……」
クラリーネはオスティア城の一角――西の塔の頂上から茜色の空を眺めていた。
「はあ…」
何度ため息をついたか分からない。
だが、恐い。
「あ、クラリーネさん」
「!?」
ビクンと肩が跳ね、振り返る。
クラリーネの姿を見つけて声を掛けたのは、栗色の髪をショートカットにした少女。
仲間のドロシーだった。
「ド、ドロシー…驚かせないでくださいまし」
「あ、す、すみません。でも、こんな所でどうしたんですか?」
「なんでもありませんわっ」
「は、はあ…」
クラリーネの強い口調にドロシーはうなずくしかなく、曖昧にため息をつく。
「あ、そうだ。夕食の時間が近いですから、そろそろ戻った方が良いですよ」
「分かっていますわ。
…ドロシー。私、部屋に戻っていますから後で夕食を持って来てくださいません?」
「え? あ、はい」
頼みを断る訳もなく、ドロシーはうなずいた。
「私…もう少しここにいますわ」
「…わかりました…」
言って、ドロシーは階段を降りて行く。
その姿を見送った後、クラリーネは再びため息をついた。
「…私…どうすれば良いのかしら…」
呟きも、誰も答えない。
暗雲で心は満たされていた。
次の日、周りの目をうかがって見つからないように朝食を摂ってから
クラリーネは負傷兵の手当てにいそしんだ。
オスティア内乱を巡る攻防で、被害は大きく大量の負傷兵が出た。
杖を扱えるクラリーネはその手当てに忙しい。同じように杖を扱えるシスターエレンや
サウル神父も同様に多忙である。
だが、今日は少し違っていた。
手当てに出ている人が多い。
疑念を抱いてよくよく見てみると、エトルリアの軍人達だ。
エトルリア軍所属の兵――トルバドールが手当てを手伝っている。
(どうしてエトルリアの人達が…まさか…)
クラリーネは理由を察した。察して、部屋の隅に行く。
隅の方で手当てを行う。
不安が広がる。
見つかるのでないかと…。
「これはセシリア将軍!」
「!?」
声に驚愕して、急いで奥に身を隠す。
…チラリと、覗き見る。
鮮やかな翠の長い髪。豪華な紫の軍服とマント。金の縁取りがなされた純白の甲冑に手袋。
間違いない。あの人。
「…リキアには、大きな痛手ね」
悲しみを含んだ声が聞こえると、また身を隠す。
カツカツとブーツの音が響く。
「だけれど、これでリキアはまた一つになれる。力が回復すればまた以前のようになるわね」
「はい。僕もそう思います」
答えた声は、リキア同盟軍指揮官ロイのもの。
近付く音が聞こえて、緊張が高まる。
(来ないで…来ないで…!)
「おお! なんとお美しい方!」
男の声が聞こえた。
エリミーヌ教神父のサウルだ。
「神が与えたまいし美とは、あなたを指すのでしょう。
この喜び…神よ、あなたに伝わるでしょうか!」
すごい文句。
本当に神に仕える身なのかと思ってしまう。
「…あら…あなたは?」
戸惑った声が聞こえた。
「おお、申し訳ありません。私はサウルと申します。セシリア将軍、以後お見知りおきを」
「よろしく、サウル」
足が止まっているのに、ひとまずクラリーネはホッと胸を撫で下ろすが…。
「…あれ? サウル神父、クラリーネは?」
「!!」
ロイの言葉に、飛びあがるほど驚く。
「…クラリーネって…クラリーネ=リグレ?」
「えっ、セシリアさん…クラリーネのことをご存知で?」
「ええ。最近屋敷から行方不明になったって聞いていて…
ご両親のパント様やルイーズ様もひどくご心配なされているの。ここにいるの?」
「…姿が見えないけれど…神父、見ましたか?」
「いえ、先ほど見かけたと思うのですが…」
探そうと、足音が聞こえる。
一旦、その音が止まったかと思うと…だんだんその音が近付いてくる。
(見つかる…!)
「セシリア将軍!」
呼ぶ声に、足音が止まる。
「どうかして?」
「復興の件で、オスティアの文官が来ております」
「わかりました。すぐに行きます」
凛とした声で答えた後は、柔らかかった。
「ロイ、サウル。もし…クラリーネを見つけたら私のところに来るように言って」
足音が遠ざかっていく。
助かったと思った。
ヘナヘナと力が抜けた。
クラリーネは、身を隠しながら生活するようになった。
(見つかったら…絶対、叱られる。エトルリアに帰される…)
兄クレインに会いたい一心で屋敷を抜け出してきたのは良いものの、
リキアの裏切り諸侯に捕まった。だが、運が良かったと言うべきか同盟軍に助けられた。
それからは同盟軍に従軍しつつ西方に行く機会をうかがっていた。
アクレイアでの華やかな生活とは違った、互いの信頼がものをいう世界での生活は
窮屈ではあったものの退屈しなかった。
杖が使える。
しかし倦怠な生活では活用されることがない。
でも、この世界ではそんな自分が必要とされる。
自分でも出来ることがある。
それが嬉しかった。
家に戻りたい…それは、ある。
でも、以前の生活が…以前より魅力的に感じない。
ここにいたい。
だから見つからないように過ごしている。
二日が、経った。
相変らず西の塔でクラリーネはオスティアの風景を眺めていた。
ここが、クラリーネにとって安息の場所だった。
もう見なれた風景。だけど、心を慰めてくれる。
「…おい」
「!!??」
背後からの声に驚く。振り向けばいるのは剣士ルトガー。
捕まった自分を助けてくれた剣士だ。
「な、なんですの! 驚かせないでくださいまし!」
上ずった声で返す。本当に驚いてしまったのだから。
そんな彼女の様子を知ってか知らずか、ルトガーは一言。
「…悪かったな」
クラリーネは何も言えない。
それからルトガーは話を切り出した。
「…お前、なぜこの所コソコソしている」
「! …」
痛い指摘。
だがクラリーネはいつもの調子を保とうと答えた。
「私が何をしていようと勝手でしょう! 放っておいてくださいまし」
「…知り合いでも、来ているのか?」
「!!!」
ズバリと言い当てられて、動揺した。顔が赤くなるのが自分でも分かる。
「そ、そんな事、あなたには関係ありませんでしょう…!」
「…らしくない」
「え?」
ポツリと言った言葉に、クラリーネは瞳を瞬かせる。
「お前らしくない。俺の知っているお前は、コソコソ隠れるようなやつじゃない。
目立っていてやかましい」
「…ど、どう言う意味ですの!」
カッとなってルトガーを見る。
すると彼は――ほんのわずか…わずかに、笑った。
「ルト…ガー?」
そんな彼を、クラリーネはボーっと見る。
「正面切って話せ。恐れるな」
…正論だ。
恐いのだ。自分は。
誰にも何も言わずに屋敷を出て、数奇な運命を経てこの地にいる。
そこを見つかったら、どんなに叱責されるか…。
姉のように慕っていたから、嫌われるのが恐い。
兄に会えなくなることより、そのことのほうが恐かった。
「…お前の知り合いは話の分からないやつか?」
それは違う。
話の分かる人だ。自分のどんな話にも答えてくれた。
妹のように可愛がってくれた。
「…それは…違いますわ…」
「なら余計だ。恐れずに話してみろ」
短い言葉ながらも、自分を励ましてくれる。
それが嬉しくて。嬉しくて…。
ポロリ。
紫の瞳から…涙が一粒零れた。
「…っ…」
涙をこぼしたことに気がついて、クラリーネは慌てて拭う。
しかし言葉は素直だった。
「…わかりましたわ。お話…します」
「それがお前だ、クラリーネ。…!?」
ルトガーが剣を抜いて背後に向ける。
何があったかとクラリーネも不安になる。
「…気のせいか」
チン、と剣を収める。
「…俺は行く」
カツカツカツ。
ルトガーは踵を返し、階段を降りて行った。
「…ありがとう…ルトガー…」
階下に降りていく彼に、呟く声ながらも感謝した。
翌日。
クラリーネは意を決して堂々と人前に姿を現した。
「あ、おはようございます。クラリーネさん」
「おはよう。ドロシー」
ドロシーの向かいの席で朝食を摂る。
それが終わると自分の決意を確かめるように目を閉じ――それから彼女の元へ向かう。
(きっと…話をすれば、分かってくださる…)
部屋の前で、大きく息を吸って吐く。
手を、扉に伸ばす。
――コンコン。
「はい、どなた?」
声が返ってきた。いる。
「…失礼致しますわ」
目を閉じつつ、クラリーネは取っ手に手を掛けて開いた。
「…クラリーネ…」
ゆっくりと目を開ける。
心配そうに自分を見つめるセシリアの姿があった。
「……」
入ったはいいが、近づけない。
足がすくんでいる。
顔を床の方に向ける。
「――クラリーネ、いらっしゃい」
すると静かに呼びかけられた。
その柔らかな声に抗えず、おそるおそる近付く。
叱られると思って、顔はそのまま床に向けている。
わがままで尊大。周りを困らせつつも明るい姿はどこにもない。
小さくなって大人しくセシリアの言葉を待っている。
しかし、予想とは裏腹に言葉は優しかった。
「あなたが無事で良かったわ」
手が頭に乗せられた。思わず顔を上げてセシリアを見る。
微笑を称えた「姉」の姿があった。
「……」
「けれど、あまり周りに迷惑を掛けてはダメよ。いいわね?」
優しく、諭すような言葉。驚いて…疑問を抱いてクラリーネは問いかけた。
「…怒って…いらっしゃいませんの?」
すると不思議そうにセシリアは目を瞬かせた。
「怒る? どうして。あなたが無事だった…それで良くなくて?」
「…セシリア様…」
「今のあなた…すごく良い瞳をしている。良い経験をしたのね。
他の人達に聞いてみたら溶け込んでいるようだし、本当に良かったわ」
華やかな微笑み。
いつも自分に向けてくれていた微笑みだ。
「…っ」
今まで溜め込んでいたものが、あふれ出て来る。
「――セシリア様っ!!」
叫ぶなり、クラリーネは抱き着いて泣いた。
大粒の涙をこぼして姉にすがるような妹――いや、母にすがる娘のように泣いている。
他の者には見せない姿を晒し、クラリーネはずっと泣きつづける。
そんな彼女をセシリアは、慈しむように抱き締めて見守った。
「クラリーネ、あなたはどうしたいの? エトルリアに帰るなら私と来る?」
「いえ…私、もう少しこの軍にいたいです」
申し出に首を振る。
それは前から決めていたことだった。
「そう、分かったわ。あなたの好きにしなさい」
良かったと思った。
自分のことをわかってくれている「姉」が、嬉しかった。
「――ただし、パント様とルイーズ様にお手紙を出して、無事だということを知らせること。良いわね」
「はい。セシリア様」
そしてしばらく経って、セシリアがアクレイアに帰るときが来た。
見送りに、ロイやリリーナ、クラリーネが来た。
「ロイ。なにかあったらすぐ連絡して。力になれることがあれば協力するわ」
「はい。セシリアさん」
「リリーナ、大変だと思うけど頑張るのよ」
「はい」
まずはロイとリリーナにアドバイス。
それからクラリーネの方に向き直る。
「クラリーネ、みんなと仲良くするのよ」
「分かっていますわ」
当然といった顔でうなずく。
「…あと、そこにいる剣士――ルトガー…だったかしら?」
「え?」
驚いて後ろを振り返る。すると柱の影からルトガーが出てきた。
「…俺に気がつくとはな…」
「エトルリアの軍将は伊達ではないと言うことよ。
あなたに少々頼みたいことがあるのだけれど良いかしら」
「…なんだ」
セシリアはクラリーネに視線を移した。
「クラリーネのことよ。あなたを信頼しているようだし、面倒を見てくれると助かるわ」
「セ、セシリア様…!」
顔が赤くなる。これ以上言わないで欲しいと言わんばかりにセシリアを見る。
「手がかかるかもしれないけど、私にとっては妹のような子だし…
あなただって悪くは思っていないでしょう? 励ましていたものね」
「え…!?」
「…」
クラリーネとルトガー。二人の表情が変わった。
「あの時のは…あんただったのか」
「偶然よ。クラリーネを探していたら声が聞こえてきて、悪いと思ったから去ったまで。
それに自身で来る方がいいと思ったから」
そう言ったセシリアの微笑み――少々意地が悪い。
完全にしてやられた気がする。
さすがはエトルリア三軍将の一人である。
「とにかく、クラリーネのことをお願いするわ」
「……」
表情は変わらない。
変わらないが…肯定の意志が、かいま見えた。
満足したように、セシリアはうなずく。
「それではもう行くわ。元気でやるのよ」
馬を走らせ始めた。
あっという間にその姿は小さくなって、見えなくなる。
「……」
ボーっと、いつまでもクラリーネは街道を見つめる。
それを制したのは、他ならぬルトガー。
「行くぞ。クラリーネ」
「あっ…待ってくださいまし、ルトガー!」
踵を返して歩き始めたルトガーを一歩後からクラリーネは追う。
途中で、クラリーネは街道の方を振り返る。
(ありがとうございます…セシリア様)
姉にも等しい人の心が嬉しい。
幸福感をかみ締めて、クラリーネは彼の後を追った。
<後書きと言う名の論文>
終了!
メインはセシリアさんとクラリーネ。しかしルトクラ風味。
セシリアさんとクラリーネが姉妹のような間柄ということは支援会話から出来たんです。
兄との会話で「セシリア様のような魔道軍将になりますわ!」の台詞から…。
ということはセシリアさんを知っているということ。
加えて軍将のは抜きにしても憧れているんじゃないかと。
セシリアさんの影響があるからナーシェンをコテンパンに言い負かせたのでは…(地も含めて)
何で支援会話ないんだ? リグレ兄妹とセシリアさん…(ソフィーヤともだけど)
みんなのお姉さんですよね〜。この方は。包容力のある人だし。
みんなに慕われているんじゃないかなと。
やはり私はクラリーネにはルトガーです。イベントでならずしてどうする状態。
湯気立ち状態の支援会話にKO。最初に好きになったカップリングはこれだったりします。
ルトガー…書くのが難しいなぁ。これから頑張ります。
ありがとうございました。
戻る