My Family
あの日も、こんな雨だった。
振りしきる雨を窓から見て、オスカーは思った。
二ヶ月前、自分と弟二人は故郷の村を出た。
父親が亡くなり、騎士団を除隊して彼は幼い弟たちのもとに帰ってきた。
けれど小さな村では収入が心もとなく、生活は苦しくなる一方。
王都の方なら二人と一緒にいながら出来る仕事も見つかるだろうと思っての行動だった。
しかし途中で盗賊たちに襲われてしまう。
弟たちを逃がして懸命に戦ったが多勢に無勢。
重傷を負ったその時に助けてくれたのが今所属しているグレイル傭兵団の団長、グレイルだった。
それが縁で雇われ、兄弟三人は団のみんなと一緒に暮らしている。
部屋の時計を見て、オスカーはしまったと立ちあがった。
今日、彼は砥ぎに出した包丁を受け取るべく街に出掛けることになっていた。
自分でも砥ぐことは出来るが職人の仕事にはかなわない。
早く受け取らねば夕食の準備に差し支えると急いで支度をする。
「ティアマト副長、今から街のほうに出掛けます」
「この雨で大丈夫なの?」
ティアマトが尋ねると。
「問題ありません。すぐに戻れます」
と微笑で答えた。それから一礼して彼女の部屋を出るとすぐに厩舎の方へ向かう。
「あれ? 兄貴出掛けるのか?」
「おにいちゃん…」
弟二人、ボーレとヨファが出口のところで遊んでいた。兄の外出姿に尋ねてくる。
「ああ。すぐに帰るからいい子にして待ってるんだよ」
にっこりオスカーは笑って、ヨファの頭を撫でた。
「ボーレも、アイクやミストと喧嘩するんじゃないぞ」
「なんだよそれ!」
「言った通りだ。じゃあ、行って来る」
ボーレの抗議の声を無視して、オスカーは砦を出ていった。
雨は強くなり、外套を着ていても身体を濡らす。
視界もかなり不明瞭だが、それでも街道に沿って馬を走らせる。
一刻ほど走らせて街に到着。すぐに包丁を受け取った。
「こんな雨の中大変だったろう。お茶でも出すから身体を温めたらどうだい?」
「いえ、お気遣いなく。すぐに戻らねばなりませんので」
「そうかい。身体には気をつけなよ」
その言葉に会釈をし、オスカーは砦に戻る。雨はさらに強くなって身体を濡らし、体温を奪う。
それでも構わずに馬を走らせて帰ってきた。
まずは厩舎に馬を引いて、濡れた身体を拭いてやる。それから毛布をかけて温かくする。
「おにいちゃん、お帰りなさい!」
砦に入ると末弟のヨファが明るい笑顔で駆け寄ってきた。一緒にミストもいる。
「お帰りなさい! オスカーさん」
「ただいま。ミストと遊んでいたのかい?」
「うん!」
屈託のない笑みでヨファがうなずくと、オスカーはホッとすると同時に少しちくりと胸が痛い。
「そうか。兄さんも遊んでやりたいけど、もう夕食の支度をしないといけないから、ごめんよ」
開いているのかわからない細い目で微笑みながら、外套をかけてすぐ厨房に向かう。
自分の濡れた身体も気にせずに、大量の食材と向き合う。
「さて…と、今日は冷えるからな…」
団員たちのことを考えて、夏の頃だが今日は温まるシチューにしようと思う。
慣れた手つきで食材を、砥ぎの終わった包丁で切っていく。
見事に砥がれた包丁は切れ味がよかった。
「…さすがに、冷えたかな…」
調理途中で身震いする。しかし休んでなどいられないとオスカーは続きをする。
下ごしらえなどを終えて、煮込みに入る。
ため息を一つついて、オスカーは椅子に座った。
彼はまだ団になじめていなかった。
二人の弟は団長の息子アイクと娘ミストの二人と意気投合したおかげもあるし、
まだ子供ということもあり輪の中に入っていくのにはそう時間はかからなかった。
しかしなまじ大人であるオスカーは、入りこむことが出来なかった。
いくら良くしてもらっても、雇ってもらっても、住まわせてもらっても。
所詮は他人なのだ。
一線を超えることなど出来ないのだとオスカーは思っていた。
でもせめて恩を返すべくと一生懸命、彼はこの二ヶ月働いていた。
幸いにも料理は結構好評のようだが反応が少し薄いのが気になる。
きちんと反応してくれるのは弓使いシノンと、ミストだけか。
やっぱり、他人なのだ。
自分の求めているものは……手に入らない。
「……」
少し頭がぼうっとする。だがオスカーは料理を続けた。
それがせめてもの恩返しだと言い聞かせて。
次の日、目が覚めたオスカーは違和感を感じた。
身体が重いし頭は妙にぼうっとする。昨日と打って変わって天気は晴れているというのに。
「兄貴…?」
起き出したボーレがその違和感に気付いて声をかける。
大丈夫だと、オスカーは言った。
「でも、なんか顔赤いよ?」
一緒に起き出したヨファが心配そうに言う。それでボーレは自分の手を兄の額に当てる。すると驚いた。
「おい兄貴、熱あるじゃんかよ!」
「熱…? でも、少しなら平気――」
「そんなわけあるかよ! ちょっとティアマトさん呼んで来るからよ。ヨファ、行くぞ!」
「うん」
「おい、ボーレ! ヨファ!」
止めるも訊かない。ボーレとヨファは急いで部屋を出ていく。
その間に自分で額に手を当てると確かに熱があった。
すぐにティアマトがやってきた。
「熱があるんですって?」
「…はい」
こうなった以上は隠しても仕方がないと、正直に言う。
雑務ならともかく任務では体調が万全でないと命取りになる。
「なら、今日はゆっくり寝てなさい。任務がないのが幸いね」
「申し訳ありません…」
深深と頭を下げて、オスカーはティアマトに謝り横になる。
「ボーレ、ヨファ。ちょっとこっちに来なさい」
彼女の言葉に従って、弟二人は部屋を出る。
あとには一人残されて、思う。
「…迷惑ばかり、かけてるなぁ…」
まだ子供の弟二人を抱えて、このままでは周りに迷惑ばかりかけて負担になってしまうだろう。
そうならない内にここを出ることも考えた方がいいのだろうか、そんなことを思う。
横になっているうちに眠くなって、うとうとする。
不確かな感覚の中で外が少しどたばたしているのが聞こえた。
「オスカー、入るぞ」
どのぐらい時間が経ったのかわからなくなった頃、団長の声がしてオスカーは不確かな感覚から慌てて覚醒した。
半身を起こすとグレイルが中に入ってきた。
「団長…」
「お前とこうやって話すのは、助けたとき以来だな」
「あのときは本当に感謝しています。助けていただかなければ、私はもとよりボーレやヨファまで…」
「それはいい。少し話がある。身体は平気か?」
「なんとか」
真剣な団長の顔に、オスカーも気を引き締めた。
「じゃあ、本題に入るぞ。この二ヶ月、お前を見ていたがどうにも遠慮し過ぎで、気負い過ぎだ」
「……」
事実にオスカーは言い返せない。グレイルが、続ける。
「同じ団の仲間で、何を遠慮する? 集団を守るために規律は守ってもらわねばならんが、
それ以外で、なぜそこまで遠慮することがある」
「……どうしてですか?」
逆にオスカーは、グレイルに問いかけた。
何も言わないでいるのを見て、さらに問う。
「どうして、行きずりの者にそこまで気を遣えるのですか? 所詮は……他人なのに」
雇われたときからオスカーは疑問を抱いていた。
どうしてそこまで親身になれるのだと、この団長は。
他人のことなど無関心なのに、人間は。
「…他人、か。血の繋がりがない、というなら確かに俺たちは他人だ。
だが俺はアイクやミストだけでなく、団員全員を家族と思っている」
「…え?」
その言葉は、オスカーを驚かせた。
「小さな団だから言えることであるのは百も承知だ。だが俺達は共に暮らし、支え合って生きている。
それは「家族」そのものだとは思わんか?」
オスカーは沈黙して考える。
自分は「家族」と言うものがどんなものであるかよく解かっていない。
特殊な環境で育ったのが原因だということは自覚している。
父は複数の女性と関係を持ち、生まれたのが全員母親の違う三兄弟。
自分の母が亡くなり、ボーレの母が亡くなり、ヨファの母が出ていったあと、
仕事はしていたものの子供たちには無頓着であまり構ってくれなかった。
弟たちは無邪気に長兄を慕ったが、常にオスカーは寂しさを感じていた。
普通の子のように、父と母と兄弟で楽しく暮らしたいと――心の奥底で、彼は常に願っていた。
騎士団にいた時、同僚の一人が親のいない子だった。
だがその人物は孤児院も兼ねた教会で育ち、大勢の孤児たちと暮らしていた。
寂しい時はあるものの、みんなが家族だと言いきっていた。
それが疑問を抱きつつも羨ましいと思ったときもあった。
「…私には…わかりかねます…」
自分にはそんなことはできない――思っていると、グレイルが言った。
「これを見ても、そう思うか?」
「?」
グレイルは、つかつかと部屋を歩いて扉に手をかける。
そして一気に開いた。
『どわあぁっっ!』
雪崩のように倒れこむのはボーレとアイク。その上にミストとヨファ。
セネリオ、シノン、ガトリー、そしてティアマトもいた。
「…みん、な…?」
「ミスト、早くどけよっ!」
「あ、ごめん」
ミストとヨファは倒れている二人から降りた。
「オスカーさん。私と、お兄ちゃんと、ボーレと、ヨファと、セネリオで洗濯物全部やったよ。
あとこれ、早く良くなりますようにってみんなで摘んできたの!!」
彼女が差し出したのはいっぱいの花。昨日が雨だったからか露に濡れて煌いている。
そのまま、花瓶に差して寝台近くの机に置く。
「オスカー、街に行って薬買ってきたからよ! 早く飲んで良くなれよな!」
「ほらよ。玉子酒でも飲んで早く寝ちまえ」
ガトリーとシノンからは薬と玉子酒を渡される。
「どうして…?」
「やっぱり、同じ団の仲間を放っておけないじゃんか。それにさー」
「お前のメシ、わりと楽しみにしてるんだぜ? それにこいつらが余計に心配するしな」
素直なガトリーと少しひねくれてるものの心配しているシノン。
「はい。今日のお昼。精をつけて早く眠って、しっかり体調を万全にしなさいね」
そしてティアマトからは温かいスープ。
「…ありがとう、ございます…」
受けとってオスカーは感謝の言葉を口にする。
「お前がどう思っているかはわからんが、こいつらはお前を仲間と認めている。
だとすれば、どうする?」
しばしの間言葉はなかった。
「………少し、一人にしていただけますか………?」
やっと出せた言葉にグレイルはわかったとうなずき、全員出るように促した。
扉が閉められ一人になる。しかし孤独感はなかった。
色とりどりの花と、薬に玉子酒。そして温かなスープ。その温もりがオスカーにはこの上なく嬉しかった。
「…ここにいて…いいんだ…。……僕は……」
とても温かい。なんて温かな人たちなんだろう。
欲しかった温もりはここにあった。
「…っ…」
目から、涙が溢れ出て来る。
心から泣いたのはいつ振りなのだろう。父が亡くなったと聞いた時にも、なぜか泣くことはなかった。
だが今は止まらない。周りの温かさが彼の心を震わせる。
皆が自分を認めてくれるならば、自分に出来ることはここを護ること。
傭兵団すべての者を――自分の「家族」を護ることなのだ。
自分の居場所はここにある。
「私は…やっと解かったよ…」
求めていたものが、今――理解できた。
自分の家族が、ここにいる。
<後書きと言う名の突発・6>
某所用に書いた長男SSです。
オスカーは家族からの愛に一番飢えていたんじゃないかなと思っています。
大人だから表には出さなかったけれど、誰よりも愛されたかったのは彼なのではないだろうかと。
そんな思いからのSSです。
受け入れて、愛してくれたから。だから、傭兵団は自分の家族なのだと。
読んでいただいでありがとうございました。
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