一人立ち
「……」
キアラン公女リンディス――通称リンは、不機嫌な顔をしていた。
誰もがその顔には、声をかけにくい。
草原にいた時から、親友として常に守ってきた存在。
男性恐怖症で、人見知りも激しく自分がいないとだめだと思っていた。
けれど、その彼女は今自分の傍にはいない。
ふと、声が聞こえる。
「おい、お前――荷物持ち過ぎだろ」
「え、で、でも…ヒューイに乗せますから…」
「限度があるだろ。いくらこの羽馬に乗せても、こいつがへばったら意味がねえだろうが」
「あ、じゃ、じゃあ…どうしたら…」
「貸せよ。俺が少し持ってやる」
「あっ、ヘ、ヘクトル様…そんな…」
「つべこべ言うな。行くぞ」
「は、はい…」
――ピキッ。
リンの額に青筋が走った。
わなわなと、肩が震える。
そう、こともあろうに親友フロリーナは、恋をしてしまったようなのだ。
しかも相手は、自分と犬猿の仲であるオスティア侯弟ヘクトル。
ヘクトルもまんざらではないらしく、それが余計に気に入らない。
二人の縁はキアランがラウス侯の軍に攻められた時で、伝令に行ったフロリーナは
弓兵の攻撃でバランスを崩し、天馬から落ちてしまったという。
しかし、落ちたフロリーナ(と天馬)をヘクトルが受け止めたのだそうだ。
リン自身は、その場面を見ていない。だがその後のフロリーナの態度から、
ヘクトルに対して特別な想いを抱いているのではないかと予想できた。
そして以前リンは「フロリーナと話が出来るようにしてくれ」とヘクトルに頼まれたことだってある。
もちろんその時は「大事な親友に近寄らないで!」と一蹴したが、確実に二人の距離は縮まっている。
この上なく、気に入らない。
「…リン、すごく不機嫌ね」
そんなリンに話し掛けたのは、軍師イーリス。
フロリーナと同じように、彼女にとって大切な友人である。
「当たり前よ。フロリーナがよりによって、あのヘクトルと…!」
ゴゴゴゴゴと、怒りのオーラが出ているような雰囲気に、イーリスも少し後ずさる。
「でも良いじゃない。フロリーナもこれで男性恐怖症が治れば…」
「それは別にいいのよ。でも、私の親友に手を出すなんて! 絶対に許さない!」
怒り全開のリン。
以前から、フロリーナに対してリンは親友ゆえか、色々世話を焼いていた。
だが、恋愛ぐらい見守っていてもいいだろうに。
相手がヘクトルというのもあるのだろう。
二人は何かあればしょっちゅう口喧嘩をしているのだ。
しかしそれでもイーリスはふと思う。
「…恋愛は当人同士の問題だし…リンが口を出すことじゃないと思うけれど。
フロリーナだって年頃なんだから恋もするわよ」
「でもあの子を一人にはしておけないわ。気が弱いし、私がついててあげないと」
その言葉に、イーリスは一つを確信する。
確信したことを、少し間を置いてからリンに告げた。
「――リン。あなたフロリーナに対して過保護よ」
「…!」
リンが目を見開く。怒りが滲む顔で、イーリスに問う。
「どうして、そう言えるの?」
「ちょっと最近、リンを見ていたんだけれど…フロリーナが他の人と話をしている
時のあなたの顔、不機嫌だったわ。ヘクトル様以外でもね」
「それは、フロリーナが心配だからよ。あの子を一人にしておけないわ」
「でも、戦闘中でもあなたはよく空を見てる。もう彼女だって一人前の天馬騎士よ。
親友ならもう少し信頼したらどう?」
「……」
イーリスから飛ぶ事実に、リンは黙ってしまう。
しかし、リンは怒りを込めて言う。
「いいじゃない。私とフロリーナはずっと一緒だったの。これからだってそうよ。
ずっと二人でやっていくのよ」
そう言ったリンに、イーリスは違和感を抱く。
この言葉回し、もしかしたら…。
「…ねえ、リン」
「…なに?」
思い切って、イーリスはリンに言った。
「あなた、フロリーナを一人にしておけないって言っているけれど、
本当はあなたが独りになりたくないんじゃない?」
リンが、沈黙する。
図星か、と思いイーリスは続ける。
「自分が独りになりたくないから、親友と言う立場を使ってフロリーナを縛りつけている。
それは本当の友情でもないし、お互いのためにもならないわ」
「…何よ…! 解かったようなことを言わないでよ!」
カッとなったリンが、イーリスに掴みかかる。
「両親を失った私は独りだったのよ! 独りはもう嫌…。
フロリーナは私が言えば、ずっと私の傍にいてくれるわ…
私を独りにはしないわ!」
「それは思い上がりよ」
怒りに逆上しているリンに対し、イーリスは冷静だ。
冷静に反論する。
「フロリーナだって一人の人間よ。ずっとリンの言いなりになるわけが無いわ。
ましてや、恋もしているし…ずっと傍にいる――そんなの無理よ」
「それが許せないのよ! フロリーナを私から奪うなんて許さない!」
「――リン」
パンッ。
軽くも、高い音。
平手でイーリスは、リンの頬を叩いたのだ。
痛みと共に、涙が滲む。
「少し頭を冷やしなさい」
冷たく言い放ち、イーリスは踵を返して離れて行く。
リンはそんな彼女に対して怒りを覚えていた。
(いいわよ。フロリーナがいてくれればいい。あの子はずっと私の傍にいてくれるわ)
しかしリンは気付かない。
人は、何かから離れて一人立ちすることを。
それを思い知ったのは、イーリスとケンカしてから四日後。
リンは両手いっぱいに荷物を抱えるフロリーナを見つけた。
「あら、フロリーナ。どうしたのその荷物」
「リンディス様。これ、今からヘクトル様たちにお届けするんです」
ピクッ。
ヘクトルの名に過敏に反応する。
リンはフロリーナの手から荷物を取ろうとした。
「フロリーナ、私が持っていってあげる」
「あ、でも…」
「? なあに?」
言いかけた言葉に、リンは目を瞬かせる。
フロリーナは戸惑っていたが、勇気を出したようではっきりと言った。
「私が届けたいんです」
「…フロリーナ。無理しなくていいのよ?
あんな男どもの中に行ったら何されるかわからないわよ」
男性恐怖症の彼女を案じてリンは言うのだが、フロリーナは首を横に振った。
「大丈夫です。ヘクトル様はお優しいですから。
それに…私、いつもみんなの足手まといで迷惑掛けていますから…
リンディス様やお姉ちゃん達に心配かけないように、
自分でやれることはしっかりやりたいんです」
「……」
はっきりとした意見を言うとは思わなかった。
それに戸惑いと焦りを感じて、リンは声を荒げる。
「でも心配よ。私が持って――」
「私が行きます!」
両手の荷物を守るように身を捻り、大声を出したフロリーナ。
どうして、とリンの中に疑問が広がる。
「私…一人前になりたいんです。
弱虫のままじゃだめだから…守ってもらってばかりじゃだめだから…
頼らないで生きられるようになりたいんです!
だから私がやります!」
「あ、フロリーナ!」
リンの声も耳に入らない様子。
半ば全速力でフロリーナはヘクトル達の元へ荷物を持っていった。
「……どうして……あの子…」
一人取り残されたリンは、風が吹きぬける中呆然と呟く。
遠くを見れば、荷物を渡して話しこんでいるヘクトルとフロリーナが見える。
一瞬両名はこちらを見たが、すぐにお互いのほうへ向き直ってしまう。
本当に二人は仲が良さそうで。自分の入る余地がないようにすら思えてくる。
「……私……独りなの……?」
魂の抜けたような声が、リンの唇から出されるも誰も聞こえない。
誰もいないことへの恐怖が、リンを襲い始めていた。
「…これで、いいのかい?」
「いいのよ。リンは意固地な所があるから一度思い知らないと」
そう話しているのは、イーリスとエリアザールの二人である。
天幕の中にあるテーブルを挟んで座りながら、地図を広げている。
「両親や部族の人達を山賊に殺された過去があるとはいえ…フロリーナを縛り付けているんだもの。
それは甘えでしかないし、お互いのためにならないわ」
「とはいえ、彼女も堪えているんじゃないか?
「決して誰の手も借りずに荷物を届けてくれ。たとえそれがリンディス公女でも」
と言われたことを実行したとはいえ」
「それは覚悟済みよ。でもフロリーナも納得してくれていたわ。
以前から「みんなに心配かけないようになりたい」って言っていたもの」
行軍ルートを確認しながら、二人は言葉を交わしていく。
「なるほど。で、これからどうするんだい?
あの状態だとキアラン騎士隊が黙っていない」
「それはもう手を打ってあるわ」
あっさり答えた彼女に、まさかと思いつつエリアザールは訊いてみる。
「…イーリス。まさか君…」
「ええ。リンにはもう少しだけ、苦難を味わって頂くわ。
そして気付いてもらうわ。本当の信頼をね」
笑顔だが、有無を言わせない圧力がある。
エリアザールはさすがだなと思いながら、地図に視線を落とした。
リンは、独りだった。
キアラン騎士隊の面々はいつもと変わらずに接してくれるが、本当に変わらない。
自分が苦しんでいるのにも気付かない。
いつものように振る舞っているからかもしれないが。
それでもケントやセインは気付いてもいいような気がする。
しかしなにも言ってこない。
自分で言おうとも思うが、あくまでも彼らは臣下として自分に接している。
以外は、離れて自分の時間を過ごしている。
それが腹立たしくなる。だから言えない。
腹立たしくなっていてリンは、夜一人で野営地を歩いていた。
親友は傍にいない。
彼らはあくまでも臣下。
軍師とはケンカしてしまった。
誰も頼れない――思ったリンの頭に、一筋の光が見えた気がした。
すぐ実行に移そうとしたその時。
シャン。シャラン。
鈴の音と、細い金属が触れ合う音が聞こえる。
こんな音を立てるのは、ただ一人。
踊り子のニニアンだ。
どうしてこんな時間に踊っているのだろう。
気になったリンは聞こえる方向へ行ってみた。
少し林になっているところから、音が聞こえている。
ぼうっと明かりもついているのが分かる。気付かれないようにそっと、気配を殺して近付いてみた。
「…」
ランプの明かりと、月明かり。
二つに照らされた中でニニアンが舞っている。
いつも見る踊りではない。祈りを捧げるかのような動きの入った神秘的な舞い。
これが神に捧げる舞いなのだろうか。
周囲の木々も、ニニアンの舞いに喜んでいるような気がする。
「…?」
ふとリンが視線を動かすと、彼女の前で踊りを見ている人物がいた。
赤い髪と、青い瞳。
自分が求めた人物――エリウッド。
ニニアンの舞いが終わると、座っていた彼は立ち上がって拍手をした。
「素晴らしい踊りだったよ。済まなかったね、あつかましい願いをしてしまって」
「いえ…。これでも足りないぐらいです。エリウッド様に受けた恩を思えば…」
「気にしなくていいよ。僕が好きでしたことなんだから。
ニニアン。今のが、神に捧げる舞いなのかい?」
「はい。本来は祭事の時にのみ、舞うものですが…エリウッド様のために特別に…」
「そんな特別なものを…ありがとう、ニニアン」
リンは、二人の周囲を取り巻く空気を敏感に感じ取っていた。
二人の間には立ち入れない――その空気。
そっとリンは立ち去る。
やはり誰にも頼れない――そう確信して。
「…」
リンの周囲には、いつもの面々がいる。
しかし、リンは孤独を感じている。
ずっと傍にいてくれる人などいない。
支えてくれる人などいない…そう思って。
「――リン」
そんな彼女の元に来たのはイーリスだった。
少しだけ睨むように見たあと、尋ねる。
「…何か用?」
「…まだ、気付かないんだなと思って」
「何をよ」
遠回しな言い方に、リンは声を荒げる。
ため息をつくと、イーリスは木陰に座ってリンを招く。
合わせて座ったところで彼女は答えた。
「本当の信頼ってやつよ」
「…なによ…それ…」
「前にも言ったけど、親友なら縛り付けずにやっていることを見守ることも大事よ。
一人立ちしようとしているなら、なおさらよ」
「それは私がフロリーナの邪魔をしていると言いたいの?」
「ええ」
はっきりと肯定するイーリス。
あまりにも早い答えに、リンはかえって戸惑ってしまう。
「この前、フロリーナが私のところに来たのよ。
「みんなに迷惑を掛けてしまってばかりいるから、一人立ちしたい」って。
私は「それなら、まず自分に出来ることをしっかりやるようにすればいい」と言ったわ」
「…あの荷物のこと、あなたが仕組んだのね」
「人聞きの悪いことを言わないで。
…だいたい、一番傍にいたあなたはそんな彼女になにをしたの?
彼女がやろうとすることを強引に奪っていただけ…。
それは本当の友情――信頼とは言えないわ」
「……」
静かながらも、反論できない強さもある声。
リンは大人しく黙ってイーリスの話を聞いていた。
「今、フロリーナはリンのため…みんなのために頑張っているの。
ずっと泣き虫で…迷惑ばかり掛けていて…このままじゃいけないって。
気の弱いあの子が、勇気を振り絞って頑張っているの。
あなたはどう応えるべきと思う?」
「……あの子が、成長するように見守ること……」
「そう。それでいいの」
聞き分けのない子供を諭すように語りかけるイーリス。
幼子のようにリンは答え、満足そうに彼女がうなずく。
「そのためには、寛容になることが必要なのよ。
私なんか、軍師として皆に指示を出すけれど…彼らの意見も積極的に取り入れているわ。
自分の思い描いた戦術しか認めない軍師は、的確ではあるだろうけれど信頼は薄いわ。
仲間を認めることが、信頼の第一だと私は考えているの。
今のリンは、それが出来ていない。そのくせ、安易に誰かに助けを求めてしまっている。
心当たり…あるでしょう?」
痛いぐらいに的確な言葉。
心が痛むもその通りであり、反論できない。
ゆっくりとうなずく。
「決して、傍にいるだけが友情や信頼ではないわ。絆というのは、離れていてもあるものよ。
本当に親友であると考えるなら、信頼していると思うなら、あえて離れることも重要よ。
その人のためになると思うなら、あえて苦難を与えることもね」
「…? ――イーリス、まさか!」
ハッと目を見開き、リンが確認を求める。
不敵な笑み。
その通りと、口には出さずとも示していた。
「キアラン騎士隊の面々にはね、「あくまでもいつもと同じように接するように」と
言っておいたの。特にセインさんとケントさんには「甘えさせないように」と
釘を差しておいたから。もちろん反論されたけど、リンのためだって言って納得させたの。
人の上に立つ立場として依存するのではなく、信頼をもって指示できるように…って」
「…どうして、そこまで私のために…?」
疑問を口にする。
いくら軍師と言っても、自分の、そしてフロリーナのためになることまでするとは。
不思議な顔をするリンにイーリスは、当然といった顔で答えた。
「決まっているじゃない。友人だからよ」
あっさりとした答え。
けれど十分な答え。
「イーリス…」
「少なくとも、私はリンをかけがえのない友人だと思っているのだけれど?」
訝しげに目を細める彼女にリンは首を横に振った。
「いいえ。…私だって…イーリスは大事な友人よ。
…だから…いなくて…苦しかったわ。
裏切ったようにすら思った。でも…そうじゃなかったのね。
私のために…ごめんなさい…」
「いいのよ。私も実を言えばリンの姿…見てて苦しかった。
私こそごめんなさい」
「…イーリス」
その先は、少し照れていて、口には出せなかった。
けれどイーリスにはその先の言葉は分かった。
――「ありがとう」と。
それから数日後…。
「待ちなさい! ヘクトル!!」
「馬鹿! 剣を振りまわすんじゃねえ!!」
決死の形相でマーニ・カティを振りまわすリンから必死に逃げ回るヘクトル。
その場面を目撃したイーリスとエリアザールは、はてと首を傾げる。
「ちょ、二人ともなにをやって…」
「あの…イーリスさん…エリアザールさん…」
と、後ろからの声に振り向けば、フロリーナだ。
何があったのか、彼女に尋ねてみる。
「私と…ヘクトル様がお話している所に…リンディス様が来て…」
「それでああなの? …リンー! 寛容になったら!?」
少しため息をつくと、大声でリンに呼びかける。
その声を聞いて、リンは振りかぶった剣を止めた。
「イーリス!」
「温かく見守ることも必要よー!」
その言葉にはたじろぐものの、すぐにヘクトルへと向き直る。
「確かにそうかもしれないけれど、やっぱり癪に障るのよね!」
「だあぁぁぁっ! よせって言ってるだろ!」
「ああっ、リンディス様…ヘクトル様…」
必死の追いかけっこを再開する二人。
それを呆然と見つめる三人。
…いや、五人。
「全く二人とも…仲がいいのやら、悪いのやら」
「あら、エリウッド様。ニニアン」
「やあ、三人とも。…最近、リンディスは明るくなったね。前はどこか暗かったけれど」
「そうですね。リンディス様…影が消えた感じです」
言ってニニアンはわずかに微笑む。
「本当の信頼が分かったからよね、フロリーナ」
「はい。リンディス様…ずっといい顔になってます」
顔を向き合い、イーリスとフロリーナも微笑む。
「あとリンディス公女への課題は…恋愛を見守られるようにすることかい?」
「…かもしれないわね」
エリアザールからの問いに、わずかに肩をすくめて答える。
そして視線をリンとヘクトルに戻した。
「成敗っ!」
「だから待てよっ! おい、リン!」
「問答無用!!」
本当の信頼を知ったリンだが、
まだまだ、寛容になれるには時間がかかるようだ…。
<後書きと言う名のリンと軍師>
初烈火SSです。
へクフロ前提、エリニニ風味でリンとフロリーナ、そして女軍師イーリスとの友情もの。
なんか、リンって過保護だよなぁ。と思ったことからこの話が出来ています。
時間軸としては、バドンからオスティアに向かう途中です。
だからラスがいない。
男性との支援会話を見ていて、リンは甘えたがりな傾向との印象を受けたので、
親友を過保護なまでに傍に置いてしまうのかなと思いました。
家族を一気に失った反動なのかもしれないけれど、
イーリスはこのままではいけないと思って行動に出たという。
私のところは男性と女性、両方軍師がいます。
メインはイーリスで補佐にエリアザール。
彼女に何かあった場合、彼が指揮を執るようになってます。
設定はこちら。
気丈な娘と物静かな青年の好対照軍師たち。
これからこの二人を出しつついろいろ書こうとも思うので見てやってください。
それではありがとうございました。
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