懐かしく 君を








「紅葉が美しいですわね」
 上官の、風景を愛でる声が聞こえる。
「そうじゃの。初めてクリミアには参ったが風光明媚じゃ。
 このような状況でなければ、ゆるりと物見遊山の旅でも…」
「――サナキ様」
 鋭く出した声に、肩をすくめる主。
「わかっておる。だからこのような状況でなければ、と言ったじゃろ。
 おぬしは毎回毎回なにかものを言わねば気が済まぬのか」
「サナキ様が妙な事を企みさえしなければ、私は何も申しませぬが?」
「……」
 切り返しに言葉を失う皇帝サナキ。二人のやりとりに神使親衛隊長シグルーンがため息をつく。
「…タニス、そこまでにしておきなさい」
「はっ」
 諌める声で止める親衛隊副長タニス。ほっとサナキは安堵のため息をついた。
「あなたもよくご覧なさいな。綺麗でしょう?」
 確かに――。
 初めて見る秋のクリミアは、木々の紅葉が美しかった。
 以前来たときは初春のため、まばらだった緑の風景。
 シエネにももちろん季節はあるが、大神殿の周辺は石造りの神殿が周りに多すぎるので木々が少なく殺風景なのだ。
 自然の風景と溶け込んでいる優美なクリミア王宮の美しさが新鮮に映った。
「あなたは三年ぶりにクリミアに来て、どうかしら?」
「…三年ぶりとは仰られますが、以前はすぐに本国に帰還しました故どうと尋ねられても」
 正直にタニスは答える。
 三年前のクリミア・デイン戦役ではベグニオンの援軍を率いて参戦したが、
 終戦すぐ報告のため帰還したためほとんど滞在などしていない。
 よって久々に来たという感覚がなく、初めて来たようなもの。
「あらあら。でも懐かしい人たちはいるでしょう?
 せっかくなのだから久しぶりに会ってらっしゃいな」
 隊長の提案に、タニスは目を丸くする。何故と窺うがシグルーンは笑顔をたたえるだけ。
「しかし部隊の編成などは…」
「それは明日以降で構いません。今日はゆっくりなさい。これは命令です」
 翡翠色の瞳は、見透かすように自分を見る。
 「命令」とも言われてしまいタニスは反論できず「承知いたしました」と答えた。
「ではサナキ様、まずはアイク将軍のところにでも参りましょうか」
「うむ」
 サナキとシグルーンは行ってしまう。
「さて、どうしたものか…」
 細い顎に指を添える仕草は考え事をするときの癖。
 一人残されたタニスはどうしたものかと思考を巡らせる。
 懐かしい面々に会えと言われても、クリミア王宮の構造をよく知らないのでどう動けばいいのか。
 誰かに道案内でも頼めればいいのだが、そもそも誰かに会うことに気乗りがしない。
「…?」
 視線を感じて振り返る。
 その直後周りを見回すが、視界にはだれもいない。
 …あくまでも、見えている範囲では。
「……」
 つかつかと大股で近くの曲がり角まで歩みを進める。
 一端息を殺し――機を見計らって一気に角を曲がった。
「!!!」
 急に現れた姿に驚きと恐れともつかない顔をするのは、桃色の髪を肩まで伸ばした軽装の女騎士。
 記憶の姿からは若干変わっているものの、タニスは目の前の騎士が誰だかはっきりとわかっていた。
「久しぶりだな、マーシャ」
「……お、お久しぶりです……副長……」
 言ったマーシャは、上目でタニスを見て怯えている。
「なぜ怯えている。その必要はないだろう」
 そうは言うものの、かつての部下は骨の髄まで沁み渡った「鬼の副長」の姿に畏縮してしまう。
「そ、そうですけど…」
「まあいい。なぜお前がここに?」
「あ、今は、クリミア騎士団に仕官させていただいてるんです。兄さんやステラさんも一緒に…」
 マーシャは四年前、兄マカロフの借金が元で聖天馬騎士団を置手紙だけ残して去った。
 もちろんそれは正式な手続きではないので脱走扱いになり厳罰に処される寸前だった。
 しかし状況を鑑みた隊長、折れた副長の温情にて不問になり兄の借金も何とかなったので戻ってきた。
 が、その平穏も長続きせず。
 兄がまた性懲りもなく借金。風来坊の性格もありベグニオンを去ってしまった。
 その兄を追いかけるがごとく、またマーシャ自身の性格も規律の厳しいベグニオンには合わなかったのもあり、
 今度こそ正式に除隊して聖天馬騎士団を去った。
 なぜか兄に思いを寄せる元貴族令嬢ステラも加え、流れ着いた先はクリミア。
 三年前の縁で王宮を訪ねたところ騎士団入りを勧められ、三人そろって今はクリミア王宮騎士団の一員である。
「なるほど。だが、どうして私の姿を見るなり逃げようとする。何かやましいことでもあるのか?」
「そ、そんなことありませんよ! もう勘弁してくださいよ…」
 厳しい表情にうなだれていくマーシャ。
 まったく、と思いつつため息をひとつ。
(変わってないな)
 見た目は多少変わっているけれど――三年という時間はそれほど変化をもたらさないのだろうか。
 いや、場合によりけりだろう。
 会議に列席した際、女王エリンシアの顔を久々に見た。
 四年前に初めて顔を見たときの頼りなさはなく、統治者としての凛々しい姿があった。
 つい先日起きたばかりだという内乱を乗り越え、一歩成長したのだろう。
 自分が天馬騎士としての戦闘術を教え込んだからか感慨もひとしおだ。
 それに比べれば、目の前の元部下は見た目以外なんら変わっていないように思え、
 情けないものだと思ってしまう。
「と、とりあえず副長、どうなされたんですか? 神使様やシグルーン隊長と別れたみたいですけど…」
「隊長の命令でな。かつてのクリミア軍の面々に会って来いと言われた」
 下された命令を思い返して、心の中でため息をつく。
「隊長、気を遣ってくれたんですよ。クリミア軍のみんなは一緒に戦った仲ですからね」
「しかし、やるべきことをないがしろにするわけにもいかんだろう」
「そうですけど、せっかく隊長が仰ってくれたんですから。誰か会いたい人っていないんですか?」
「言われてもな。特には…」
 問われてもすぐには思い浮かばなかったその時。
「えー、オスカーさんとかは? 仲良かったですよね、副長」
 ――トクン。
 顔には出さなかった。
 しかし心臓の鼓動をもって反応したのは知覚した。
「……近くにいるのか?」
「え、さっき訓練場のほうでケビンさんと一緒にいるの見かけましたから…まだいるんじゃないかな…?」
「……」
 タニスは何も言わない。
 その様子をマーシャはうかがうのだが、反応がない。
「案内…しましょうか?」
「……」
 返事はない。しかし沈黙を肯定と受け取った――受け取らないとまずいと判断した――マーシャは、
 訓練場までタニスを案内することにした。




 クリミア王宮騎士団の訓練場は、ベグニオンの訓練場よりはさすがに狭いものの手入れの行き届いた場所だった。
 今は訓練の時間帯ではないらしくそれほど人の姿はない。
 ただ慌ただしく動く兵士たちの姿がよく見受けられるのは出兵に向けての準備に追われているからか。
「ならば、よし!」
 耳によく響く大声が聞こえた。
 この声は――確か彼の元同僚の。
「ケビンさーん! オスカーさーん!」
 マーシャがまず声をかける。その声で二人が振り向いた。
 赤髪でクリミアの軍服に赤い鎧の男。そして緑の髪に緑の鎧。やたらと細いその眼――。
「おおマーシャ殿! それにタニス殿!!」
 赤髪の騎士が始めに口を開く。続けて彼も口を開いた。
「やあ、マーシャ。…久方ぶりでございます、タニス殿」
 彼はそう言って穏やかに微笑み、丁寧に礼をした。
 礼儀正しい姿は変わらないものだなと、かつての記憶をよみがえらせる。
「ああ、久しぶりだな、オスカー」
 言って、自分でも判った。
 口の端が持ち上がっている。
 自分は、会えて嬉しいのだと。心がそう言っている。
「ケビンさん、部隊編成とかって大丈夫なんですか?」
 マーシャがケビンに尋ねる。それを聞くとおお、と彼は答えた。
「そういえば、ジョフレ将軍からそのことで後ほど来るようにと言われていた!」
「…忘れちゃだめですよ…」
 がっくりと肩を落とすマーシャ。
「君も大変そうだな」
「俺は副団長だからな! 今回の戦――ジョフレ将軍は国とエリンシア様をお守りするために残られる。
 ゆえに俺がクリミア軍を率いることになったからな」
「それは大役だ。適度に力を抜いて頑張ってくれよ」
「なんだと!? 大任を仰せつかったからには全力で――」
「力が入り過ぎると何かしらやらかすからだよ。ほら、それよりジョフレ将軍に呼ばれているんだろう?」
「そうですよケビンさん。早く行きましょう」
「そ、そうだな。では行くとしよう」
 漫才のごときやり取りが嵐の如く過ぎ、ケビンはマーシャに連れられて訓練場を去る。
 本当に彼がいなくなった後は嵐の過ぎ去った後のように妙に清々しい気がする。
 だがこの雰囲気は――。
「変わらんな」
 思わずつぶやくと、オスカーがそれに応える。
「さらに磨きがかかった気もいたしますが。副団長に任命されたせいでしょうか」
 かもしれない。…いや、あの情熱溢れる騎士のことだから、きっとそうだ。
 タニスはそう思った。
 その時、オスカーが自分の方へと向きなおった。
「改めまして――お久しぶりでございます。タニス殿」
「ああ。君は変わりないな」
「そちらは…少し、お疲れですか?」
 気遣う様子と言葉に、ハッとなる。
 この男はなんと。
「…君に隠し事は出来ぬようだな。そうだな、少し疲れている」
 そこでクリミアに来て初めて、疲労の色が濃いため息をついた。
「神使様幽閉に際し動向調査に始まり、救出作戦、追手をかいくぐりながらクリミアへの長距離行軍など、
 気の休まる時がまるでなかったのでな。
 だが私は親衛隊の副隊長だ。神使様や部下たちに不安を与えてはならない」
 厳しい表情は彼女の意志の強さを示すもの。
 だがわずかに見える疲労の色にオスカーは言った。
「仰られる通りです。ですが今後のためにも、今はしばしお休みになられたほうがよろしいのではありませんか?」
「…ああ」
「では…どうなさいますか? お部屋にでも戻られますか?」
「そうだな。悪いが案内してくれないか?」
 クリミア王宮の構造をまだよく理解しておらんのだ――。
 少し戸惑ったが彼女は正直にそう付け足した。




 気が利く彼は部屋に入った早々お茶を淹れ始めた。
 疲れているタニスを少しでも癒そうとしての行動だというのはすぐに判る。
 しばらくすると部屋の中にいい香りが漂い始める。
「どうぞ」
「済まんな」
 部屋の中央に備えられたテーブルを挟んで二人は座り、向かい合う。
 まずは一口紅茶を含み、一息ついた。
「…君の淹れた茶は旨いな」
「ありがとうございます」
 会釈して言葉に応えるオスカー。このやり取りは三年前と何ら変わらない。
 戦いの合間に交わしたやり取りだ。
 思い出して、ああ、と思った。
 ――懐かしい――。
 思い起こさせてくれたのは目の前の男。
 戦いを補佐し、共に語らい、自分ができなかった料理まで教えてくれた男。
 そして――心に深く想いを刻んだ男。
「…オスカー」
「はい」
「君とこうして会えたことを、嬉しく思う」
「……私もです。もしやと思う時も……ありましたから」
 顔をわずかに暗くしたオスカーに、タニスはその理由をすぐ察知する。
「確かに、聖天馬騎士団にも散々出撃命令があった。聖十字騎士団、聖竜騎士団――両者が出ているのに
 なぜ聖天馬騎士団のみ出撃しないのか…とな」
「やはり、そうでしたか」
 彼の危惧は、戦場で彼女と武器を交えるのではというものだった。
 ベグニオン二大空挺戦力の片翼である聖天馬騎士団。
 ラグズ連合への対処に中央軍――聖十字騎士団――が出撃してきたのだ。
 聖竜騎士団も出撃している中で、彼女たちにも出撃命令が下されていてもおかしくはない。
 オスカーは傭兵ゆえ覚悟はしていたが、激突を避けられたことに対して正直安堵している。
 その心情を、タニスはすぐに理解した。
「だが我らは神使様をお守りする立場でもある故に――と断り続けていた。元老院の思惑はすぐに見て取れたのでな」
 彼女は一呼吸置いて、続けた。
「我らを戦場で捨て駒にし、サナキ様をその後亡き者にするのだと」
「…そこまで…元老院は…」
 なぜ、と問いかけるとタニスはため息ののちに答えた。
「奴らは表向き、サナキ様に従っているだけだ。それはこの反乱ですでに明らかだろう。
 自分の地位と権力のためには仕えるべきである神使様にすら、刃を向ける…それが元老院だ」
「だから、この戦争も起きた…自分たちの罪を認めたくないばかりに」
 罪から目を背ける愚かな者たち。
 それがこの戦を引き起こした。
 いや――すべての戦はそのような者たちが引き起こすのだな、と。
 二人は心に重く思う。
「…君たちを巻き込んで、済まないと思っている。
 本来はベグニオンと鳥翼族の間のことだというのに、ガリアやクリミアをも巻き込んでいる。
 私たちに力があれば、元老院の暴挙を止められたのだろうが…」
 悔しさに、タニスの顔が苦渋に満ちる。
 だがオスカーは優しく言った。
「ご自分をお責めにならないでください。
 今は確かにこのような状況ですが、これから良い方向へと導くこともできますから」
「…そう、だな」
 優しい微笑から紡がれる優しい言葉は、傷ついた心を癒してくれる。
 怒涛の日々で実は身も心も疲れ切っていた彼女の緊張の糸が、切れる。
「…どうやら、疲れが出てきたようだな。済まないが少し休ませてもらう」
 タニスは言うと立ち上がり、寝台の方へと歩みを進める。
「そうですか。なら、お邪魔でしょうから私はこれで――」
「待て」
 言われて、オスカーは扉へと向かっていた足を止める。
「…傍にいてくれ。私が休むまででいい」
 その言葉に、彼は呆気に取られた。
 話をしているだけならともかく、休む時まで男女が同じ部屋にいるというのは問題がある。
 それをもちろんタニスは理解していた。
 だが、彼女はいてほしかった。
 安らぎを与えてくれる目の前の男に、傍にいてほしかった。
 しばし時は過ぎ、彼は――。
「…わかりました。あなたがお望みなら」
 寝台に横になったタニスのすぐ側に椅子を持ってきて、座る。
 細身の自分の手に、そっと重ねられる彼の両手。
 温かい感触は優しい心を反映しているかのようだった。
「…君は、温かいな。いつも…そうだ。三年前も…」
 三年前もこうして、手を触れあったことがあった。
 その時もとても温かな手だった。
 変わらぬ心がタニスには嬉しかった。
 ほどなく、彼女は眠りにつく。
 オスカーはずっと、微笑をたたえながら彼女の傍で見守っていた。









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