Who are you?
「え、お披露目パーティー?」
宰相の言葉に、リンは瞳を瞬かせた。
「はい。領民並びにリキア諸侯の方々に、リンディス様のことを発表せねばなりません。
そこで舞踏会を開き、リキア諸侯やご子息、ご令嬢をお招きすることになりました」
「確かに、それは当然ね」
リンと共にいたイーリスはレーゼマンの言葉にうなずく。
「どういうこと?」
尋ねたリンに彼女は答えた。
「ハウゼン様はあなたをキアラン公女として認めたけれど、まだ領民やリキア諸侯の人たちは認めていないわ。
それだけじゃない。領民は発表されているから知ってはいるでしょうけれど、
諸侯はあまりリンの存在自体知らないのではないかしら。リキアに認知させるために、舞踏会を開くのですよね?」
「その通りでございます。一刻も早くリンディス様に、リキアに慣れていただくためでもありますゆえ」
「そうなの…」
ふむふむ、とリンは納得する。
「…でも、リン」
「? 何?」
「…大丈夫? 舞踏会だから、踊りが出来ないといけないわよ?」
「え? 踊り…?」
不吉な予感にリンは尋ねる。イーリスは答えた。
「俗に言う社交ダンスね。異性を相手に一緒に踊るの」
「え」
さあっと、顔が青ざめてきた。
「わ、私そんなのやったことないんだけれど…」
「…普通はそうよ。でもリンには課題が多いわね。貴族令嬢としての礼儀作法も身に着けないといけないし」
「嘘…」
肩を落とす彼女にイーリスはぽんぽんと優しく肩を叩いて言う。
「これは通過儀礼よ。仕方ないわ。世の貴族令嬢はみんなお披露目パーティーでデビューしたのよ」
「…」
リンにとって未知の世界が、今回の課題だ。
これは戦うことより難しいかも、と思った。
「では、お披露目のパーティーまで一月あります。その間リンディス様には特訓して頂くと…」
「そうですね」
あっさり言う二人にリンは慌てた。
「ちょ、そんな。私は…」
「ハウゼン様に恥をかかせていいの?」
祖父の名でリンが過敏に反応した。
「可愛い孫娘だからハウゼン様はいいでしょうけれど、他の諸侯があなたを見て、
ハウゼン様にひどいことを言ったら嫌でしょう?」
その通りだ。やっと会えた祖父なのだ。精神的に苦痛を味わせるわけにはいかない。
「…そうね。分かったわ。私、やるわ!」
「その意気よ、リン。頑張ってね」
他人事のように言っていたイーリスだが…。
「ねえ、イーリス。あなたもパーティーに出て!」
「え?」
今度はイーリスが瞳を瞬かせた。
「お願い。初めてのことだし、私一人じゃ不安なのよ。イーリスがいてくれれば私も安心してパーティーに出られるわ」
「え、で、でも私なんか出て…」
「イーリス殿なら何ら問題ありませんでしょう。服装さえ整えば貴族令嬢と通しても違和感ないでしょう」
「レ、レーゼマン宰相…」
うっ、と言葉が痛い。その間にもリンが懇願する。
「お願い! イーリス!!」
彼女の両手を自分の両手でがっちりと握るリン。懇願する瞳にイーリスもたじたじになっていた。
(…今回だけなら問題…ないわよね)
「わかったわ。リンのためだものね」
「! 本当!? ありがとう、イーリス!」
花開いた笑顔に、これでいいかな、とイーリスは思った。
そうしてリンの特訓が開始された。
踊りの練習に始まり貴族令嬢としての言葉遣いや礼儀作法について、教師が付いて教えられる。
「そうです。ステップは軽やかに、そして優雅に」
教師の言葉に従いながらステップを練習する。普段とは全く違う足運びに負担が大きい。
祖父の看護もしながらなのでリンは日々の疲労が激しかった。
始めて二週間。自分の部屋に戻ったリンはベッドに倒れこんだ。
「疲れたわ…。キアランの公女でいるのも、大変だわ…」
慣れないことをするのは疲れる。最初に比べたらだいぶマシになったのだが。
「リン、いい?」
そこにイーリスがやってきた。慌てて姿勢を整える。
「…ずいぶん疲れた顔してるわね。大変?」
「ええ。でも、イーリスこそ大丈夫なの?」
「私は平気よ。ステップの練習を少しするだけでいいって言われたし」
「そうなの!?」
驚いたリンに彼女はうなずいた。
「いいなぁ…。それだけで」
「ごめんね、リン。それよりも、明日は衣装合わせでしょう?」
「そうだったわね。宰相が言うには私たちらしいドレスだって。どうなのかしら」
「それは実物見ないと分からないわね」
確かに、とリンはうなずいた。
そして翌日。リンとイーリスのためのドレス合わせが行われた。
作られたドレスに袖を通し、鏡の前で侍女たちがコーディネートをする。
「まあ、キレイね! リン」
「これが…私? なんだか違和感あるな。でも、私のこと考えてくれてこのドレスにしたのよね…」
自分が着たドレスを見て、呟くリン。
「リンらしくていいじゃない」
「そうね。でもイーリスこそキレイ。本当にどこかのお姫様みたい」
「ありがとう」
リンはイーリスをまじまじと見る。
本当に美しい。これで微笑まれたら大抵の男は虜になってしまうのではないだろうか。
「でも、それはどうしたの?」
「私の要望。だって、ちょっと今までだと」
フフ、とイーリスは笑った。その微笑みは本当に美しく、貴族の姫に見えた。
そうして時間が過ぎて、いよいよパーティー本番。
シャンデリア煌く会場内には多くのリキア領地から代表が来ていた。
サカへと駆け落ちした令嬢の娘に対する興味関心からであった。
その会場内に、炎のように紅い髪の公子がいた。フェレ侯公子エリウッドだ。
彼は協力したリンディスのことが気になって今日、この場にフェレより代表として出席したのだ。
「やあ、エリウッド」
そんな彼に声を掛けたのは温厚な顔の青い髪の青年だ。
エリウッドは彼をよく知っていた。手を差し出した彼に握手して挨拶する。
「やあ、オルン。君も来ていたのか」
「ああ。トリアの代表としてね。サカ民族の血が流れている公女…やはり注目度は高いな」
「リンディスとしては、侮蔑されるのが嫌だけれどね」
それにオルンは「おや?」と首を傾げる。
「エリウッド、君は彼女を知っているのか?」
「今回の内乱で少し手助けをした。さすがはサカの民。誇り高い娘だった」
「そうか…。サカ、と言うだけで嫌な顔をする諸侯もいるからな…。その、リンディス、には問題も多いな」
「でも彼女は負けはしないよ。この内乱も乗り切ったのだから。
…そう言えば、オルン。ヘクトルは来てないみたいだが何か聞いているかい?」
尋ねられるとオルンは首を横に振った。
「いや。何も聞いていないよ。…ヘクトルのことだから面倒だ、とか言ったんじゃないか?
僕としてはエリウッドが何も聞いていないのが意外だな。親友なのに」
「僕は君のほうが意外だよ。従兄弟同士なのに」
オルンはオスティアと深く関わりがある。オスティア侯ウーゼル、並びに侯弟ヘクトルとは従兄弟同士なのだ。
母方の従兄弟だ。しかもトリアはオスティアの隣に領地が位置している。
「代わりに、文官は来ているようだけれどね。…おや…?」
ふと、オルンの視線がある一点で止まる。
「どうしたんだ?」
「いや、あそこの。…どこの姫君だろう。見たことがない」
言われてエリウッドはオルンの視線の先を見る。
光沢のある青いドレス。銀糸の刺繍がされており豪華だ。煌いて透けて見えるショールを上から羽織っている。
首には引き締めるようにドレスの上から黒のチョーカー。二の腕まで覆う白手袋。
美しい顔立ちと、白い肌の彼女はそのドレスを優雅に、そして毅然と着こなしていた。
肩にかかる薄紫色の髪。後ろには薔薇を模した髪飾り。シャンデリアの明かりに煌いている。
だが、注目間違いなしのその娘は隠れるように会場の隅にいた。
「…あれ?」
エリウッドは、娘の顔に見覚えがあると思った。が、おかしいとも思った。
…彼女の髪は、短かったはず…。
だが、髪の左側に着けている銀の髪飾りは彼女のものだったはず…。
気になってエリウッドはその娘の元に近付くことにした。
一拍遅れでオルンも近付く。
だが、それは途中で遮られてしまった。
舞踏会の始まりを告げるファンファーレが鳴らされたからであった。
「いよいよ始まるぞ」
「ああ」
宰相レーゼマンが、階上に姿を現した。
「皆様、長らくお待たせいたしました。キアラン公女、リンディス様のご入場です」
ファンファーレが鳴る。会場内の全員が拍手をして迎えるが、単なる社交辞令だ。
――彼女が、姿を現す。
全員からどよめきが起こった。
「…これは…」
リンの服装は、普通貴族令嬢が着るドレスとは一味違っていた。
袖のない緑のツーピースドレス。襟を片側で止めるタイプだ。スカート部分にはスリットが。
脚にはアンクレットをいくつか着けていて、歩むたびに音が鳴る。それ以外にも装飾品をいくつか着けている。
腕は二の腕まで覆う白手袋をはめ、黒に近い深緑の髪はポニーテイルに結わえられ、
髪に宝石をあしらった銀糸を編みこんでいる。
凛とした彼女は、そのまま階段近くに近付く。
その姿は美しい草原の姫君。
「…サカ民族の衣装をイメージしているな、あのドレス」
「リンディスらしいよ」
言い合っているとリンが口を開いた。
「…今宵はわたくしのためにお集まりいただきまして、真に感謝いたします。
わたくしがキアラン侯爵ハウゼンの孫娘、リンディスでございます」
リンの声には必死なものがあった。
(…緊張しているな)
(仕方ないさ。リンディスはこういう場、初めてなんだから)
小声で囁いているうちにも言葉は続く。
「皆様すでにご存知でしょうが、わたくしは、先日までこの生命を狙われました。
ですが、祖父に会うためにこの危険を承知でキアランまで参りました。
…今、祖父は病のためこの場には出席できませんが、その時の情熱をもって手助けをしたいと考えております。
私の中に流れる血は、誇りです。女の身ではありますがどうか皆様温かく見守っていただけたらと思います」
言って礼をすると、全員から拍手が起こる。
エリウッドやオルンも拍手をした。
「…さすがはリンディスだ。自分の血は、誇りなんだ、何よりも」
「リキア貴族だけでなく、サカの血も…だろう? 誇り高き草原の民…か」
凛とした公女の姿にこういう女性もいいな、とちょっぴり思うオルンだった。
「それでは、今宵はどうぞこの舞踏会をお楽しみ下さい」
そこで、挨拶は終わり場は少し砕けた感じになる。
あの娘のほうを見る。彼女は心底ホッとした表情でリンを見ていた。
エリウッドはやはり、と思った。そうして彼女の元へ行き、声を掛けた。
「済まない、失礼するよ」
「!」
エリウッドの顔に、困惑と驚きを混ぜた顔をする彼女。
「…やっぱり。久し振りだね、イーリス」
「…お久しぶりでございます、エリウッド様」
礼をしてイーリスは挨拶をした。それからエリウッドは疑問を口にする。
「君の髪、いつの間に伸びたというわけではないだろう? …着け毛かい?」
「そうなんです。ドレスを着るのに髪があのままでは格好がつかないと思いまして」
苦笑するイーリス。オルンがそこで到着する。
「エリウッド、知り合いかい?」
「ああ。彼女はこのキアラン内乱でリンディスを助けた軍師殿なんだ」
「軍師? これはずいぶんお美しい軍師殿で」
「お上手ですわ。光栄です」
彼女はフフ、と笑った。煌いた笑みは魅惑されそうな魔力がある。
「エリウッド様、こちらの方はどなたでしょうか。出来ればご紹介願えませんか?」
「あ、申し訳ない。僕は――」
「イーリス!」
リンが彼女のいる場にやってきた。リンはエリウッドの姿に笑顔になる。
「エリウッド! 来てくれたのね」
「ああ。元気そうで良かったよ、リンディス」
「ありがとう。…すごく緊張してしまったわ。あんなこと初めてだったから」
「ご苦労様。ちゃんと練習通りに出来たのだから上出来よ」
ホッと胸を撫で下ろすリン。
一方一人取り残されたようなオルンは三人に声を掛けた。
「僕を忘れないでくれないか?」
ハッとなる三人。しかしリンだけが首を傾げる。
「えっと、あなたは…?」
「僕はオルン。トリア公子のオルンだ。よろしく」
「よろしく。私がリンディスよ。普段はリンと呼んでくれれば良いわ」
握手を交わす二人。
「で、そちらの軍師殿のお名前は…」
「イーリスと申します」
ドレスの裾をつまんで礼をする彼女。その優雅な仕草にエリウッドとオルンはほう、と思った。
「よろしく、イーリス」
リキア公子の友人が新たに出来たことが、リンにとって一番の収穫だった。
だが、リキア公女たちを目にしていると、自分が少し場違いではないかと思えてしまう。
仲良くなりたいのに、出来ない。
「…ねえ、エリウッド、オルン。リキアの中で武術をしている公女はいる?」
即、二人は答えた。
「それはいないな」
「それに普段、貴族令嬢は城から出ない。出るのはこういった舞踏会のときや旅行の時ぐらい…だね」
「…そう…」
ガックリするリン。
「別領地に住んでいるから、なかなか気軽に遊びに行くのも出来ないのよ」
「でも、退屈じゃない? 何もしないで過ごすなんて…」
「そんな事はないわ。貴族令嬢は日々知性と教養を磨くために習い事を色々やるわ。歌や踊り、楽器演奏…。
挙げたらキリがないぐらい。そうして、いつか来る縁談に備えるの」
「縁談?」
オウム返しに尋ねた彼女にイーリスは答えた。
「結婚話よ。出来るだけ家柄が良い男性の所に嫁がせるの。そうすればその家と関係が出来るから有利になるわ」
「それって、本人の意思ってあまりないじゃない」
「政略結婚って言うの。一応本人達の意思による結婚もあるけれど、大抵は親が勝手に決めるのよ」
貴族たちの生活や社会について、話すイーリス。その知識の深さにエリウッドとオルンは内心舌を巻いていた。
(どうしてあの娘、そんなことを知っているんだ?)
(僕に聞かないでくれ。僕も彼女についてはよく知らないんだ)
「? 何か、仰いましたか?」
問いかけられ、ふるふると首を横に振る二人。
まずいと思ったオルンは、ある提案をした。
「そうだ。一曲、お相手できますか? どちらか」
「え?」
なんのことかわからないリンはイーリスに小声で尋ねる。
(今の、どういうこと?)
(ダンスのお誘いよ。一曲の間踊るからそう言うの)
(なるほど)
わかったが、リンは不安だった。一通り練習はしたが上手く踊れる自信がないのだ。
その様子を見て取ったイーリスは言った。
「ではオルン様、私でよろしければご一緒に踊りませんか?」
「君が? わかった。それでは」
オルンはイーリスの手を取ってダンス会場に連れだって行く。
ちょうどその時、曲が終わった所だった。貴族令息、令嬢はパートナーを変えていく。
「リンディス、君はいいのかい?」
エリウッドの質問に、リンは苦笑して素直に答えた。
「私、上手く踊れる自信がないの」
「でも、君なら覚えれば上手く踊れると思うな。どうだい? 僕もあまり上手くはないけれど一曲」
「え、私…でも…」
リンは怖かった。
失敗して恥をかくのが、祖父に恥をかかせるのが嫌だった。
だから普段のようにはいかず、弱気になっている。しかし、エリウッドは。
「大丈夫。出来ると信じればいいんだ。弱気になってしまってはダメだ」
そうだ、と思った。弱気になったら本当に失敗する。気を強く持てば成功を導くと信じられている。
自分がキアランの公女として、祖父の傍にいるためには色々なことが出来なければならない。
一歩を、踏み出さねばならない。
「そうね。エリウッド…ありがとう。よろしくお願いするわ」
本当に申し訳なく、そして感謝してリンは言った。
曲が、始まった。
おそるおそるリンは一歩を踏み出す。大丈夫、とエリウッドがリードする。
軽やかなステップ。リンも合わせて軽やかに。上手くいっている。
「まあ」
他の令嬢や令息たちが注目する。
次第に気分が乗ってきた。
このようなダンスは踊ったことがないが、部族に伝わる踊りならよく踊ったことがある。
その時の気分を思い出す。
(気を楽にすればいいのよね)
踊りは何時の間にかリンがリードしがちになっていた。エリウッドはそれに合わせていく。
時折激しさも見せるが、まさに風のように軽やかな踊りは見る者たちを魅了していた。
そして、もう一組が会場の注目を集めていた。
ゆったりとスローテンポながら、遅さを感じさせない。
貴族たちの踊りの手本となるような、優雅な舞いを披露していたのはオルンとイーリスの二人だった。
「とても上手だね」
「光栄ですわ、オルン様」
微笑んでイーリスは彼の賞賛に応えていた。
貴公子として有名なフェレとトリアの公子二人。パートナーはキアランの姫と、見知らぬ姫。
この四人が会場の主役となっていた。
「今日はありがとう、おかげでキアランの公女としてうまくやっていけそう」
パーティーがお開きになって招待客が帰りだした頃、エリウッドとオルンに、リンは感謝の言葉を述べた。
「いや、リンディス。君の元々の力だよ、それは。君は紛れもなくキアランの姫なんだ」
「そう。自信をつけたから大丈夫になっただけだ」
「…ありがとう、二人とも」
謙虚な二人に、リンは笑った。
そう、自分はサカの民で、キアランの姫なんだ、と。
「それより、イーリス。君もすごかった。あれだけの踊りを披露出来るのだから」
「確かに。踊っていた僕も驚いた。君は――何者なんだい?」
少しだけ、間があった。でも彼女は笑って、言い切った。
「私はただの、軍師です」
パーティーから二日後、彼女は修行の旅へとキアランを発った。
あの問いに対する胸の内は、彼女しか知らない。
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