082:嘆きの歌





「こんな時間に、どこへ行くの」
 月も彼方へ沈んだ夜遅く、外へ出た影に蒼い髪の少女、ミリアナは問い掛けた。
「…君には、関係無い」
 山吹色の外套を羽織った紫髪の青年、ルシアはしまったというように一瞥すると、
 近くの森へ行こうとする。
 しかしミリアナはルシアの前へ出てそれを遮った。
「関係あるわ。今の私達は『仲間』よ。勝手にいなくなると皆が心配するわ」
「そんな心配は要らない。それに何で君はここにいるんだ」
「夜空を見てたの。悪い?」
 あっさりと言われてルシアは言い返せなくなる。
 憮然とした顔で振り切ろうと別の言葉を発した。
「…とにかく、心配は要らないから放っておいてくれ」
「そう。私も付いて行こうかしら」
「は?」
 意外ともとれる言葉にルシアが、眼を剥く。ミリアナは対してさらっと答えた。
「監視役がいるわ。貴方が勝手な行動を取らないようにね」
「…そんなに俺は信用が無いか?」
「そうは言っていないわ。けれどどこか危うい所が貴方はあるから」
 なんて女だ。ルシアはそう思った。
 何も自分の事を知らないくせに、なんで見透かしたようなことを。
 …でも、悪くは無いのは…なぜだ?
「…勝手にしろ。ただし、何かあっても守れる保証は無いぞ」
 舌打ちしながら、同行を了承する。ミリアナは微笑で答えた。
「心配無いわ。自分の身を守る術は心得ているから」
 そうしてルシアとミリアナは近くの森へと入っていった。




 ポウッ…。
 ミリアナが短く魔道の言葉を紡ぐと、光の玉が手の平から現れ辺りを照らす。
 二人はそこそこ奥へ進むと開けた場所を見つけた。
「この辺りでいいか」
 周りを見渡してルシアは言う。と言っても周りは暗闇そのもので全く何も見えないのだが。
 彼はごそごそと持っていた荷物から、魔道書を取り出した。
「魔法の練習? だったらここでしなくても良かったんじゃない?」
 目的を知ったミリアナは驚いたように聞くが、ルシアは意に介さずといった様子で言った。
「新しい魔法の訓練に、周りは巻き込めないだろう」
 なるほど。ここに彼の優しさがうかがえる。
 普段はぶっきらぼうで回りのことなぞお構い無しといった風なのだが、本当はそうではないようだ。
 ただ、何か深い理由があってそのような態度をとっているのだろうと、ミリアナは生来の鋭さから察知する。
「…君は、誰に魔法を教わったんだ?」
 ふと、ルシアが聞いてきた。それに意外だなと思いつつもミリアナは答えた。
「お母様よ。なかなか魔道にも優れた人だから。
 それに剣術とか、身を守る術はすべてお母様とお父様から教わったわ」
 これには多少なりともルシアは呆気にとられる。
「…君の家は一体なんなんだ」
「…エトルリアの貴族よ」
「エトルリアの!?」
 オウム返しに荒い口調で尋ねるルシアに、ミリアナは戸惑いながらもうなずく。
「ええ。…どうしたのよ」
「…別に」
 ルシアは否定するがそれが嘘だとは容易に知れた。
 だからミリアナは話題を戻した。
「でも、いつ誰が死ぬかわからない。そんな家に生まれたの」
 少々憮然として、ミリアナは語る。
「クルーだって、いつ命を落とすかわからない。お父様やお母様も、いつ死ぬかわからない。
 だから自分を守る為に幼い頃から護身術を叩きこまれるの」
 皮肉めいた口調ではあったが、物悲しさがある。
 気取ったルシアは言った。
「悲しい家だな。…俺の家も、似たようなものだな」
「…ルシアの家も?」
「ああ」
 うなずいた後、ルシアは口を開いていた。
 自分でも判らないけれど。
「俺の家は代々ベルン宮廷魔道士の家系だ」
「ベルンの!?」
 驚いてミリアナはルシアを見る。
「なんだ」
「少し驚いただけよ。続けて」
 言葉を受けて彼は続けた。
「もちろん家督とかを巡った争いもよく起きるから親類が死ぬのは当たり前だった。
 それでも俺の姉は優秀な魔道士として宮廷仕えをしていた」
「貴方、姉様がいるの?」
 一瞬の沈黙。
 それからルシアは言った。
「二年前の戦争で死んだ」
「……」
 聞いてはいけない事を聞いてしまった――。
 ミリアナは目を閉じた。
「…ごめんなさい、ルシア。聞いてはいけなかったわね」
「…いいさ」
 緩く首を横に振って構わないとの意思を示す。
「…二年前ってことは…あの戦争?」
「ああ。あの大陸中を巻き込んだ戦争さ」
 酷く苦々しい声。
 二年前にこの大陸を巻き込む大戦争があった。
 大陸に君臨する二大国――エトルリアとベルンの大戦争、「ベルン動乱」
 結果大地は荒れ果て、今はその復興に人々は力を尽くしている。
「姉はかなりの魔道の使い手で、俺が知る限り姉以上の使い手はいなかった。
 だから戦死したと聞いたときは信じられなかった。だが本当のことで、だから…」
「…復讐のためなのね。魔道修行の旅は」
「…」
 何も言わずにルシアはうなずいた。
(そうさ。エトルリアのあの――)
「…嘆きの歌」
「どうかしたのか?」
 呟いたミリアナに、ルシアは訝しげな顔をする。
「貴方の心の中は、嘆きの歌を歌っている。そんな気がして」
「なんだ、それ」
「死者への思いで揺れる者が歌った歌よ。死者に対して嘆き、復讐か、許容か。
 その苦しみの心を綴っているわ」
「…ずいぶん深い心の歌だな」
「私もお母様から教わった時、怖かったわ。死者への思い。けれど拒む倫理と間際の言葉。
 その生と死の間を表した歌を…ね。でもなんとなく分かる気もするのよ。
 もし家族誰かが殺された時、私もああなるのかなって」
 言葉に見える寂しさ。
 ルシアは思った。
 …寂しがり屋なのかもしれない。
 いつもは冷めた態度をとっているけれど、家族を、誰か大切な人を失うのが怖いのだと。
 自分と、似ている。
 争った国の女なのに。
 魔法の光に照らされた横顔は、どこか悲しかった。
「ルシア」
「な、なんだい」
 呼びかけられてハッと我に返る。
「こんなこと話したの、貴方が初めて」
「……」
 ふっ、とミリアナが笑った。
「私、お父様やクルー、あと親交の深い方々以外の男って嫌い。…でも、貴方は嫌いじゃない」
 照らされた蒼く長い髪と、深い色の瞳。白い身体。
 月の精霊のような儚さと美しさがそこにあった。
 思わずルシアは顔を背ける。
「? ルシア?」
「…俺も、こんな事話したのはミリアナが初めてだ」
 ごまかすためにも言葉を紡ぐ。
「あの戦争が終わってから俺、旅に出て…魔道の腕を磨いていて、安らぐ時は、無かった。
 君が言った嘆きの歌をずっと聞いていた。けれど――」
「あっ」
 小さくミリアナが声を洩らす。光が消えた。暗闇に包まれ、互いの顔も見えなくなる。
「ごめんなさい、もう少し持続するようにすればよかったわね。今また出すから待ってて」
 助かったと思った。自分でも持て余すような変な感情がぐるぐる回っている。
 混乱している自分の顔を見られないのは幸いだと思った。
 思っているうちに光が再び灯った。
「で、なに? 続きは聞かせてくれるの?」
 容赦無い言葉だ。ルシアは心の中でため息をついてから口を開いた。
「最近はそうでもない気がする。こうやって皆といるせいか」
「良かったじゃない。嘆きの歌なんて、本当は誰も聞きたくないものよ」
「…そうだな」
 確かに。かみ締めてうなずく。
「あ、魔法の練習するんでしょう? 私も手伝ってあげるわ」
「…じゃ、助手を頼む」
 久し振りに笑って、ルシアは魔道書を開いた。




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