080:自由市場






「セーシルっ」
 士官学校での授業が終わってすぐ、友人フェレスが自分に声をかけた。
「どうかしたの?」
「いやさ、一週間後の休みの日、予定空いてるか?」
「予定? 今のところは空いているけれど」
 答えるセシリア。するとフェレスは言った。
「ならさ、一緒に街に行かないか?」
「街…? 城下に出るの?」
「当たり! 市場なんか活気があるし、見ていて飽きないぜ。なあ、一緒に行こうぜ」
 彼の提案にセシリアは渋った。
 生まれてこのかた城下に出たことはない。父が言うには「危険だ」の一言。
 しかし、エトルリアの士官になる上で守るべき人々の姿を見ておくのもいい勉強になる。
「…うーん。行ってみたいけれど…」
「大丈夫さ。俺なんかもう一人で何回も行っているし。二人でいれば大丈夫だって」
「…でも、お父様達がどう言うかしら」
「……」
 苦々しい表情を浮かべるフェレス。
 実はこの前課題の相談もあって彼女の家に招かれた時、
 彼女の父に見つかってしまい逆上されて斬りかかられたという嫌な記憶がある。
 身の軽さを発揮してフェレスはなんとか命からがら逃げ出した。
 その後謝罪もかねて改めてお茶に招待はされたが思った。
 ――恐い。
 娘を溺愛する父親とはこんなにも恐ろしいのかと実感した。
「まあ、バレないように上手くやるから大丈夫さ。だから行こうぜ」
「…それって、お父様たちには内緒ということ?」
「そうなるな。……やっぱりえらい目に遭うかなぁ……」
 彼女の父が激昂した時の記憶は思い出したくもない。
 本当に恐かった。
 それほど娘であるセシリアを溺愛している証拠でもあるのだが。
 バレたら絶対とんでもない目に遭うのは目に見えている。
「なんとかお父様は説得してみるわ。だから返事はちょっと待っていてくれる?」
「…わかった。期待しないで待ってるよ」
 会った様子から多分、無理だろうなと思ったフェレスは、力のない声で答えた。




「フェレス! おはよう!」
 次の日、学校でセシリアから声をかけられたフェレスは挨拶をした。
「おはよう、セシル」
「昨日、お父様に城下に出てもいいかお話したわ。そうしたら、いいって!」
「…へ?」
 フェレスは目を点にした。
「ちょ、ちょっと待て! セシルの父上…了承したのか!?」
「そうよ」
「…よく、説得できたな」
 素直な感情で訊いてみる。
 あの父親をどうして説得できたのか、本当に疑問だ。
 すると彼女は。
「どうしても行きたいって、お願いしただけよ」
 とあっさり答えた。
(本当なのか!?)
 そう聞いても「そうよ」としか返ってこなさそうなので、心の中にのみ留めておくが。
「じゃあ、城下巡り…行ってみような!」
「ええ。今度の休みの日ね」
 笑顔で言った彼女に、フェレスは嬉しくなってうなずいた。




 そしていよいよ休みの日。
 フェレスの家、カーエル家に赴いてから、自分の足で街に出ることにした。
 街には数え切れないほどの人間。物を売り買いしている姿。
 交渉している風景も見られる。
 こんな人数の人間を初めて見たセシリアは左右を見まわすばかり。
「すごい活気ね。圧倒されそう」
「だろ? しかも今日は自由市だな」
「自由市?」
 セシリアが聞き返すとフェレスは答えた。
「普通は許可された商人しか市をやっちゃいけないんだけれど、
 今日のこれは申請無しで誰でも商売できるのさ」
「そうなの。初めて知ったわ」
「じゃあ、ちょっと見て廻るか。行こうぜセシル!」
「あっ、フェレス」
 手を引かれて、セシリアは市の真っ只中へと入っていった。
 フェレスが活気のある果物売りの所へ足を運んだ。
 売っているのは年配の女性だ。
「おや、いらっしゃい」
「おばさん、りんご二つ頂戴」
「あいよ。取れたてのりんごだよ」
 代金を支払って、りんごを二つ買ったフェレス。そのうちの一つを、セシリアに差し出した。
「ほら。食べようぜ」
「え? 皮は…?」
 瞳をぱちくりさせながらフェレスと受け取ったりんごと、交互に動かす。
 彼は笑って言った。
「皮ごと食べるんだよ」
「ええっ!?」
 驚くセシリア。一方フェレスは笑っている。
「大丈夫さ! 皮ごとの方が旨いんだよ。ほら」
 しゃこっ。
 いい音を立てて、フェレスは皮ごとかぶりついた。
 美味しそうに食べる。
「うん、旨い! 大丈夫だから食べてみろよ」
「……」
 じーっとにらめっこ。普通は皮をむいて食べるものだと思うが、皮も食べられるようだ。
 意を決して、セシリアは両手でりんごを持って食べてみた。
 しゃこ。
 皮は中に比べれば固め。しかしたしかに食べられる。
 少し苦めだけれど、甘さが引き立つ。
 これが本来の味なのかと思った。
「美味しい」
「だろ?」
 へへっ、と無邪気な笑み。
 二人はしばし近くの長椅子に座ってりんごをほおばっていた。
 大きく口を開けてかぶりつくフェレスに、小さく食べるセシリア。
 対称的だが美味しく食べる。
 一般の民はこんな生活をしているのかと知ったセシリアは、今日は来て本当に良かったと思った。




 それからも二人で市を見まわった。
 普段はあまり出ない珍しい交易品も出ているのでお土産に買った。
 面白そうな本も数冊買った。
 フェレスお勧めの店で食事もした。美味しかった。
 自由市の名の通り、人々の心は自由だとよく解かった。
 時間はあっという間に過ぎて、帰ることになる。
「今日は楽しかったわ。また今度――誘ってくれる?」
「もちろん。ちょくちょく行こうぜ」
「ええ」
 言った彼女の笑顔が、フェレスには眩しかった。






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