072:エルフ
――まるで、エルフの姫様だわ――。
肖像画を前にして、ラーズハルトは亡き妻を思い返していた。
結婚した時に画家に描いてもらった夫婦の肖像画。
婚礼衣装を身に纏う豪奢な金色の髪と鳶色の瞳の男は自分。
その傍らで微笑むのは空色の長い髪に、瞳は深い青――夜の空色――の女性。
彼女こそ妻のルリアール。
王家に連なる家系の姫で、幼い頃からの婚約者であった。
決められた婚姻であったため、彼女は内心不服だろうと思っていた。
しかし彼女は言い切っていた……。
「私は、ラーズハルト様のお傍にいられて幸せです」
ニッコリと、ルリアールは微笑んだ。
「どうしてそう言い切れる? 決められた婚姻に逆らいたいとは思わないのか」
彼女は首を横に振った。
「確かに、この婚姻は決められたものです。
ですが、あなたと共に生きることに反対などしません。私はラーズハルト様をお慕いしていますから」
優美な笑み。
彼女は、どこか不思議な女性だった。
人間であるはずなのに、人間でないような存在感。
物語に出て来る人間の似姿をした妖精――エルフ――のような女性。
友人の幼い妹がそう言っていたのを思い出す。
「ルリアール…済まない。こんな男のもとに嫁ぐとは」
「いいえ、苦ではありません。あなたのお傍にいられれば…それで構いません」
ふわりと風が吹く。
彼女は華奢だった。
風に乗って飛べそうな雰囲気を持っていた。
事実、そのときラーズハルトは彼女の腕を掴んで、自分の傍にいさせていた。
いなくなってしまわないようにと。
本当の居場所に帰ってしまわないように。
だが彼女は息子を産んだ後、身体を悪くして病に冒された。
八方手を尽くしたが治る気配はなかった。
本当に、物語の姫のように…愛する人の傍に死にゆこうとしていた。
三年の時が経ち、いよいよ最終手段を講じようとしたがそれは彼女に咎められた。
「…ダメですよ、ラーズハルト様…。私などのためにあの力を使わないで下さい…」
「今使わずしてどうする。お前を失えというのか?」
ベッドの上の彼女は痩せ細り、白い肌は青くなっていて生気がなかった。
それでも彼女は微笑んだ。
「大丈夫です…。私は肉体という器から離れるだけ…。私の魂は、あなたとあの子の傍にいますから…」
「ルリアール!」
「…ラーズハルト様……私……これからは…姿は見えないけれど、
ずっと……あなたのお傍に…います……」
力のない、けれど眩しかった微笑み。
それを最期にして…ルリアールは息を引きとった。
(ルリアール)
ラーズハルトは、瞑目した。
(お前は…今でも傍にいるのだろう? お前は…エルフの姫だから…)
妖精は普段、姿を見ることはできない。
きっと奇跡だったのかもしれない。
人間に恋をしたエルフは、自らを人間に変じて現れたのだろう。
代償に、命は儚く短かった。
それでも彼の心に、彼女はいるのだ。
「ちちうえ?」
傍にいた六つになる息子が、父である自分を呼んだ。
「ああ、どうした?」
「ははうえ…わらってましたよ。心配ないって」
「! …そうか」
心配をかけてしまったか。
ふっ――と笑って、肖像画の彼女に済まないと答えた。
「さて、今日は剣の稽古でもするか? パーシバル」
「はい! ちちうえ!」
息子の瞳は、母親譲りの深い青。夜の空色。
今でもルリアールは傍にいる――。
そう、思わせてくれた。
――大丈夫です――。
今でも、そこにいる。
確かに――彼女は。
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