067:歌姫
エリミーヌ教団の若き女性司祭、ステラはエトルリア軍宿営地を歩いていた。
それぞれが思い思いの時間を過ごしている。
晴れ渡った空は青く、心を和ませてくれる。戦時中ということを忘れてしまいそうだ。
「空が…綺麗。本当に、私達は戦をしているのかしら…」
ポツリと呟く。
その瞬間風が吹きぬけ、ウェーブのかかった薄紫色の髪を揺らすと同時に、
添えられていた司祭の帽子が飛んだ。
「あっ」
気が付いて慌ててその後を追う。
けれど風はステラと遊んでいるかのように帽子を宙に舞わせる。
彼女が走るよりも早く行くと、ふと突然宿営地の一角に落ちて消えた。
「えっと…この辺りに行ったはずだけれど…」
落ちた辺りで周りを見渡しながらステラは自分の帽子を探す。
しかし予想に反して見つからない。
どうしたのかと、また別の場所に行って探そうかと思ったその時。
「あら…?」
一人、子供の姿を見つけた。
自分より濃い紫色の髪の少女――いや、幼女でも通るか。
額に不思議な紋様のあるこの子は、身体をゆったりと覆う服から覗かせる小さな両腕に
自分の帽子を持っていた。
「あ、その帽子…」
ステラの呼びかけに気付いて顔を向けるが、不思議といった表情。
「?」
少女の元に近付いて、身体をかがめてステラは尋ねた。
「ねえ、その帽子どうしたの?」
「これ? お空から落ちてきたの」
どうやらこの少女の頭に落ちてきたらしい。
見つかって良かったと、微笑して言った。
「そう。それ、お姉ちゃんのなの。返してくれるかしら」
「お姉ちゃんのなの?」
「ええ。私の大切なものなの。返してくれる?」
少女の目を見つめることしばし。
万年の笑顔で少女はステラに帽子を差し出した。
「はい! お姉ちゃんにかえすね」
「ありがとう。いい子ね」
帽子をかぶりながら、少女の頭を撫でる。
さらに少女は笑顔になった。
「うん。ファ、いい子にするんだもん」
「そう。ファはいい子ね」
屈託のない笑顔。どこまでも純粋な存在だろうとステラは思った。
「ねえ、お姉ちゃんの名前はなんって言うの? ファは、ファだよ」
「私? 私はステラよ」
「じゃ、ステラお姉ちゃんだ」
「そうね」
見知らぬ者でもこの笑顔で仲良くなってしまうのは、子供の特権だろうか。
自分も笑みが零れて来る。
「お姉ちゃんのかみのけ、ソフィーヤお姉ちゃんとおんなじ色」
「ソフィーヤ?」
「うん。いっしょ」
記憶を巡らせる。
確か彼女は人と竜の混血である巫女だったはず。
その巫女と仲が良いということは、と思い出した。
(この子は竜の少女なのね)
かつての人竜戦役で戦いを嫌った神竜の末裔――。
それなら少し耳が尖っているのも、額の紋様も納得いく。
でも、見ている分には普通の子供にしか見えない。
「ステラお姉ちゃん?」
ファに呼びかけられ、ステラは我に返った。
「あ、ごめんなさいね。そうね、同じ色かも」
「そうだよ。でもステラお姉ちゃんのかみのけ、ふわふわしてる」
「あら、ふわふわした髪、嫌い?」
「ううん、大好き! 風でふわーってなるから」
「ありがとう」
くすくす笑って小さなファの手を握った。
可愛らしい、あどけない少女そのものだった。
「そういえば、そのソフィーヤはどうしたの?」
「あのね。ソフィーヤお姉ちゃんね、レイのお兄ちゃんと一緒にお勉強してるの」
なるほど。闇魔道使い同士で研究をしているようだ。
あと、ふと思った。
「そうなの」
「うん。イグレーヌもね、今ロイのお兄ちゃんとお話してるって言うから、ファ、ひとりぼっちなの」
「まあ…寂しいでしょう」
こんな幼子を放っておくことは出来ない。
思い付いてステラは微笑み、ファに言った。
「じゃ、お姉ちゃんと遊ぶ?」
「いいの?」
驚いたように目を見開いたファが尋ねると、うなずいて了承を示した。
「わーい!」
全身で喜びを表現するファを見てから、ステラは立ち上がった。
「何をして遊ぶ? でも鬼ごっこやかくれんぼは、他の人の迷惑になるから止めておきましょう」
「はーい。それじゃね、いっしょにお歌歌おう!」
「歌?」
今度はステラが目を見開く。
「このまえ、教えてもらったの。えっとね…だい…ち…と…」
「もしかして、「大地と風」?」
「お姉ちゃん、知ってるの?」
ニッコリ、ステラは微笑んだ。
「ええ。良く知ってるわ。じゃ、一緒に歌いましょうか」
「うん!」
近くの木の傍に腰を下ろし、ファに言い聞かせる。
「それじゃ、一、二、三、で行きましょう。一、二、三…」
大地を駆ける風
優しく見守る
生きるもの すべてを
愛しく見つめて
「あれ…? この声…」
ロイが、不思議に思って聞こえる方を向く。
「ファと…誰かしら」
イグレーヌも首を傾げる。すると少し微笑んだ顔で、近くにいたセシリアが答えた。
「ステラだわ、この声」
「分かるんですか?」
「ええ。友人の妹ですもの。すぐ分かったわ」
美しい声。
まるで天使が歌っているかのような澄んだ歌声。
うっとりと三人は聞き入る。
「綺麗な声ですね…」
「彼女はエリミーヌ教団きっての独唱者で、王宮でも有名なの。
家の女が代々歌に長けているからでしょうけど、中でもステラは一番の才能を持っているわ」
「へえ…」
うなずきつつロイは、聞こえてくる歌に聞き惚れていた。
「お姉ちゃん、すごくお歌じょうず」
「ありがとう、ファ。あなたも上手だったわよ」
「ほんと?」
「ええ」
「わぁい」
はしゃぐファに笑みを零しつつ、ステラはゆっくり深呼吸する。
「お姉ちゃんって、歌ひめさまだね」
「え?」
突然の言葉に、ステラは驚いて目を丸くした。
「うん。あのね、このまえ聞いたの。
むかし、すごくお歌のじょうずなおひめさまがいたんだって。
おひめさまの歌で、みんなたのしくなったんだって。
それが歌ひめさま」
「あら、それでは私は、歌姫様を救った魔法使いと結婚するのかしら」
御伽噺を思い出してステラは応えた。
昔、たいそう歌の上手なお姫様がいました。
皆がその歌を聞けば楽しくなり、心が弾みます。
歌姫様と呼んで、親しまれていた姫はしかし、
焦がれていた隣の国の王子と無理矢理結婚することになってしまいました。
悲しんだ姫は、歌を忘れました。
国も悲しみに沈みました。
しかし一人の魔法使いが歌姫様を励まします。
何度も、誰も入れないような姫の部屋に来て。
そしてとうとう再び歌えるようになったのです。
国は喜び、結婚の話をなかったことにしました。
それから姫は、魔法使いと愛し合い、結婚しました。
歌姫は、幸せに歌を歌って暮らしました。
「そうねぇ、ステキな魔法使いの方がいれば、結婚するかも」
言いつつ、ステラは当てはまる人がいるということで、にんまりと笑みを浮かべた。
ずっと焦がれている人は騎士様ではなくて、魔法使い。
けれどこの御伽噺を聞いてからは嬉しかったことを覚えている。
「ステラお姉ちゃん、なんだかうれしそう」
「ええ。私、今ね、そのステキな魔法使いの方を思い浮かべていたの。
きっと結婚したら私、幸せなんだろうって」
「じゃ、また歌うの? 歌ひめさまみたいに」
「そうね。幸せな歌姫様はその幸せを歌うのよ」
ステラはまた、深呼吸をしてから歌い始めた。
幸せな気持ちが伝わるような、そんな歌声だった。
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