061:魔法使い
よく晴れた昼下がり。
アクレイアにあるリスティノイス公爵家敷地内の修練場から、掛け声が響く。
「やあっ!」
「踏みこみが甘い」
規則的な音が響く中、ヒュンと空を切る音も聞こえる。
そして指導の声も聞こえる。
「身体のバランスを整えろ。戦う時の基本だ。自分の間合いを常に取れ」
「はいっ」
タンッ!
模造刀を振るうのは翠の髪の少女。模造槍で受けて稽古をつけているのは豪奢な金髪の青年。
ヒュ!
一点の隙を突いて、模造槍を眼前に突きつける。驚きに少女は目を見開いた。
「…よし、ここまでだ」
「ありがとうございました。パーシバル様」
槍を下ろしたパーシバルに、礼をする。
「お前の場合、剣術はそこそこでいいがそれでも最低限は身に着ける必要がある。
万一魔法が使えない時などには、な」
「はい」
「セシリア、少し休んだら摸擬戦をやるぞ。魔道も使っていい、躊躇せずに来い」
「はい!」
真剣な顔で彼女は応えた。
彼女がパーシバルの「婚約者」になってから数日。
日々セシリアはアクレイアのリスティノイス公爵家邸宅で修行に励んでいた。
師匠パントが持ってきてくれた書物で魔道の勉強。
それ以外は騎士軍の仕事から帰ってきたパーシバルに稽古をつけてもらっていた。
今日は彼が非番なので一日相手をしていられる。
そんな事をする理由は万一首謀者のシュバルが襲ってきた時に自分を守るため。
彼女の扱う理魔道はシュバルの闇魔道に対して不利。なので元々士官学生必須の剣術の稽古をしている。
一応は対闇魔道に関する講義を受けたが彼女の実力では不安が残るためだ。
「…そう言えば、お前、魔道はどの辺りまで使える?」
休憩中に、パーシバルは尋ねた。
「…炎と雷の中位魔法なら扱えます。まだ、風と氷が…」
「そうか。ならば室内戦は少し厳しいか」
コクリ、セシリアはうなずいた。
城内などでは周りへの被害が少ない氷魔法や風魔法が好まれるが、
一方で戦術的見地から炎魔法や雷魔法をあえて使うこともある。
だがそれは破壊と足止めを主な目的としている場合だ。
今回足止めをするのは有効なのだが、その魔法を使える人間が目的なのだから意味がない。
戦闘も想定して造られている邸宅ではあるし、修理すればいいだけの話だがそれでも周りを巻き込む可能性がある。
「今、新しい理論書でエイルカリバーとアイシクルの勉強は進めていますけれど…」
「実戦では使えそうにないと。わかった」
「申し訳ありません」
「謝る必要はない。今回の件は不測も不測だからな」
そうは言ってくれるがセシリアは本当に申し訳なく思っていた。
いくら芝居とは言え、自分の「婚約者」になるとは…。
絶対迷惑なはずなのに。
本当にこれでいいのだろうかと思ってしまう。
他人に守られて。
彼は防衛術を教えてくれるがこれ以上世話になりっぱなしというのも気が重い。
だが自分一人ではどうにもならないのもよくわかっている。
「……」
「セシリア、どうした?」
「…私…強くなりたいです」
「? どうした、いきなり」
尋ねられるとセシリアは逡巡した後に答えた。
「…他人に守られるだけが、嫌なのです。軍人を目指すものとして、人間として守れる強さが欲しい。
自分だけでなく、他人も守れる強さが。依存するだけは…私、嫌なのです」
「…」
応えない彼に、続ける。
「最低限自分の事は自分でやれるようになりたいのです。
そうすれば、大勢の人に迷惑をかける事もないでしょうから……」
最後の言葉は一旦見つめてから暗い顔。
その言葉と表情でパーシバルは看破した。
迷惑を掛けてしまっているから、強くなりたいと。
きっと自分にも迷惑をかけてしまっているから。
「…セシリア」
「パーシバル様?」
彼がしっかりと両肩を掴む。一旦瞑目し、それから言った。
「私のことなら気に病むな。前も言ったはずだ、「大丈夫だ」と。
周りの方々もそうだ。お前を心から案じているから力を貸している。
無理に強くなろうとしなくていい。気ばかりはやっては逆に回りに迷惑をかける事になる」
「…」
「強くなりたいなら、焦らない事だ。じっくりと自分の力を見極め、育てる事だろう。
私は魔道の事についてはよくは判らない。だがリグレ公やユリエラ公がお前の力を認めている。
その期待に応えたいと思うだろうが決して焦らずにな。そんな事は望んでいないだろう、皆」
「…はい」
優しい。
なんて優しいのだろう。
どんなに舞踏会や、パーティーでたくさんの贈り物をされても。
格好つけた男達の言葉よりも。
自分の心が動く。
真に思った言葉は、口下手でも思いは伝わる。
普段感情をほとんど出さない人であっても。
まるで、魔法のように。
不安や葛藤が嘘のように消え去り――決断する力を得た。
「…申し訳ありませんでした。私、頑張ります。無理をしない程度で」
「…それで良い。よし、そろそろ模擬戦を始めるぞ。魔道書も持って来い」
「はいっ!」
真剣にセシリアは答えた。
そうやって稽古をする中でも、セシリアは貴族令嬢らしいことも忘れてはいなかった。
あまり使われていないがピアノの演奏をすることはあったし、
母ディアンヌやルイーズ、イーリスに料理を教わっていたので遊びに来たソニアと二人で
軽食やお菓子を作ることもあった。
そんな中でまた数日過ぎ、今日はフェレスが学校の帰りに遊びに来た。
「よお、セシル」
フェレスの顔にははっきりと疲労が浮かんでいた。
授業内容の写しを渡された後、どうしたのか尋ねると彼は答えた。
「ここ最近は特訓だよ。対闇魔法の。パント様も、アーヴェ様も、イーリス様も一緒になってさ。
おかげで授業中も眠い眠い。今日は本気で寝そうになったからやばかった」
「大丈夫なの?」
「ああ。実戦でこういうのは役立つだろ? だったら平気さ。
本当は闇魔道士の人と実際に対してみるのが一番いいんだけど、あいにく周りにいないからな。
前は一人いたらしいけどその人、亡くなったて言うし」
「まあ」
驚くと、お茶菓子をほおばりながらフェレスは続けた。
「イリアの人で、雪崩に巻き込まれたって。その年は大吹雪だったらしくてな」
「…アクレイアではそんな事ないものね。自然の力は恐ろしいわ」
同時にその力を行使する自分達、魔法使いも恐ろしいのかもしれない。
セシリアはそう思った。
精霊と自然の力を使う理魔法。
神の奇跡と言われる光魔法。
そして、人間の内側に抱えるものを具現した闇魔法。
いずれの力も暴走すれば、甚大な被害をもたらすものだ。
本来人間には制御できない力を使っているのではないだろうか…そう思えてくる。
「…とにかく、シュバルのやつに対抗するにはこっちも力をつけるしかないからな。
セシルの方はどうだ? 魔法の勉強進めてるか?」
「ええ。エイルカリバーとアイシクルは勉強中。他にも理論書はパント様たちが貸してくださったから。
万一のためにも剣術もやっているわ」
「俺も同じく。少しでも魔道は使えておかないと苦労するしな。この先どうせ力は必要なんだからさ」
「フェレス…」
彼は力を欲する少年。生まれが生まれで、打破するために力を欲している。
以前聞いたことがある。
――闇の根底にあるのは「欲望」だと。
何かを求める心。
それが力であれ、誰かであれ、物であれ。欲する心が闇への資質なのだと。
闇の加護を受けた彼は、闇への資質が高いのかもしれない……。
少し怖くなった。
「それじゃ、俺はこれで帰るよ。って言ってもこれからまた特訓だけどな」
ははっ、と苦笑いしながらフェレスは帰って行く。セシリアは少し複雑な顔で見送った。
後は、暇になった。
今日はパーシバルもちょっと遅くなるらしい。
それまで何をしていようかなと思う。
閃いたセシリアはパウンドケーキを作ることにした。
疲れて帰ってきた彼に軽食代わりに出そうと思い、準備に入る。
彼は甘い物は好まないが、今作ろうと思っているケーキは香辛料を使う。
身体にも良いと聞いたのできっと喜んでくれるはずだ。
粉と卵と、無塩バター。香辛料やハーブ、少しブランデーも入れてしっかりと混ぜ合わせる。
「よし、後は焼くだけね……」
型に生地を流し入れて焼く。出来あがりを待った。
騎士軍の仕事から帰って来ると、もう夜も遅かった。
執事に帰りを告げると、軽食を用意してあると言われた。
「セシリア様が、お帰りになるのが遅くなるだろうからとお作りになったそうです」
「セシリアが? そうか」
そう言えば、自分で料理もすると聞いた事がある。
お茶菓子などは自分で作って客をもてなすのが彼女流だとも。
「あ、パーシバル様」
二階に上がった直後、窓から外を見ていた彼女に出会った。
「セシリア、まだ起きていたのか」
「あ、はい。お帰りをお待ちしようと思いまして」
「待っていなくても良かったのだがな」
「…待って、いたかったのです」
そこで彼女は目を少し伏せた。
「私のために、様々なことをしてくださっていますから…少しでも、パーシバル様にご恩を返したいと」
「…律儀だな」
「そうでもしないと、本当に…」
――悪いんですもの。
セシリアはそこだけ口をつぐむ。
「…だから自分が悪いなどと思うな」
ぽん、と手が頭に軽く乗せられる。
どうして、と彼女はパーシバルを見た。
すぐに彼は答えた。
「今までのお前の言動を見ていれば分かる。前にも言ったはずだ、気をはやらすなと。
お前は今まで通りでいいんだ」
「…パーシバル様…」
「作ってくれたことにも、待っていてくれたことにも感謝する。
しかしお前自身の調子をそれで崩すのは私の本意ではない」
彼女は真面目で優しいだから相手のことを気遣うあまりに自分を顧みない所がある。
だがそれで苦しむのは見たくない。
それは彼の本音だった。
「……申し訳、ありません……」
うつむいた彼女。
暗い顔のセシリアに、パーシバルは視線を合わせて言った。
「だが、私を待っていてくれたことに感謝する。ありがとう」
「…」
みるみるうちにセシリアの顔は困惑から赤くなった。
「あ、は、はい…!」
まるで魔法だ。
本当にセシリアは思った。
この人の言葉はどんな魔法よりも強い。
まるでこの人自身が、魔法使い。
本気で彼女はそう思った。
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