045:人魚の声







 …ラー…ラーー……。


 ……ラララ…ラーラー……。



 森の中で迎えた夜。聞こえた歌声にエリウッドはなんだろうと思った。
「誰か、歌っているのかな…?」
 声の質からして、女性だと察する。歌というと、自分たちの軍師イーリスをすぐに想像する。
 だけど違う気がする。
 気になったエリウッドは、行ってみることにした。
 宿営地の外れ、深めの森の中からその声は聞こえて来る。
 一体誰だろう。
 惹き付けられる声。身体の自由が利かないかのように、声を求めて歩いていく。
 ふらり、ふらりと。まるで夢遊病者だ。
「おや、エリウッド様。どちらへ…?」
「…少し、周りを見て来る…」
 マーカスの言葉を返して受け流しつつ、エリウッドは森の奥へと足を踏み入れた。
 光もほとんど差さない森の中。それでも道を知っているかのように、歩みは止まらない。
 恐れなど微塵も感じない。
 ただエリウッドの中にあったのは、「声の主を知りたい」。
 その思いだけ。


 ラララ…ラーラー……。


 声が近い。
 エリウッドは無意識に早足になっていった。
 煌きが、見えた。
 どうやら開けた場所があって泉がある。その水面に月の光が反射しているらしい。
 誰か――泉のほとりに座っている。
 まだこの距離では誰か判らない。影が見えるだけ。
 女性。でも、足の部分が同化しているように見えた。
 足先の見えない、曲線を描く影。泉のほとり。
 まるで御伽噺に出て来る人魚。
 人魚は美しい声で他人を魅了すると言う。
 自分はこの魔力にすでに囚われているのか。
 でもどうして、こんな所に?
 相手を驚かせないように、様子をうかがいながら近付いた。
「…!」
 気配に気づいて相手が振り返った。
 薄い青緑の長い髪を持つ神秘的な美少女――。
 よく知った顔だった。
「あ…エリウッド…様?」
「…ニニ…アン」
 彼女はエリウッドがここに来る事を予想していなかったようで、驚きに手で口を押さえていた。
「…どうしたんだい? こんな所に一人で」
 エリウッドも驚いていたが、平静を取り戻して尋ねる。
 問われてニニアンは少し間を置いて答えた。
「少し、散歩したくなって」
「…そうか」
 エリウッドはそれ以上を追及しない。
 彼はニニアンの隣に座って全身を観察した。
 華奢な足先は泉に浸っている。それで見えなかったようだ。
 だが優美な曲線を泉に導いている彼女が一瞬本当に人魚に見えてしまった。
 だから、言った。
「きれいな歌だったね。まるで人魚の声だった」
「…人魚…?」
「あれ? ニニアンは知らない? 昔の御伽噺にこんなものがあるんだ」
 エリウッドは彼女に、御伽噺を聞かせた。

「かつて人間と竜が争う前――人間ではない生き物も多数共存していた世界の頃。
 上半身は人間で、下半身が魚の人魚たちがこの大陸にいたというんだ。
 ある時人魚の姫は陸に少しの間だけ上がっていた時、人間の男に恋をしたんだ。
 とある国の王子だった彼も、一目で彼女を愛するようになったそうだよ」
「…でも…結ばれなかったのですね?」
 ニニアンの問いに、エリウッドは驚いた。
 知らないと言ったはずなのに。だが隠して彼は続けた。
「うん。人間と人魚…相容れない存在と周りに頭から否定され無理矢理引き離された。
 結局その後は…お互い結ばれずに生涯を終えたんだ」
「……」
 彼女が、何も言わない。
 どうしたのかと顔を覗き込むと彼女は、泣いていた。
「ニニアン…?」
「…悲しい話ですね…。種族が違うからと言って、相容れないと否定するなんて」
「! …ニニ、アン」
 彼女の声音にわずかに含まれた怒りを、エリウッドは知った。
 普段彼女は滅多なことでは怒りなどしない。
 この話に思うところがあったのか。
 事情は判らないが、そんな彼女を見るのが嫌だったエリウッドは、そっと抱き寄せた。
「エリウッド、様…?」
「ニニアン」
 想いを込めて、名を呼ぶ。
 話の通りなら人魚と人間は相容れない。
 一瞬彼女が人魚に見えたエリウッドは不安に駆られてしまったのだ。
 いつか離れ離れになるときが来るのではないだろうかと。
 彼女は誰にも言えない「秘密」を持っている。
 その秘密のせいで離れ離れになってしまうのだろうか?
 嫌だった。エリウッドは――彼女の耳元で囁いた。
「前にも言ったけれど、僕は君の秘密がなんであれ、君に傍にいてもらいたい。
 ずっと君の笑顔を見ていたい。だから、お願いだから」


 何も言わないで、僕の目の前から消えないで欲しい。


「……!」
 嬉しさと悲しさに、ニニアンは目を閉じた。
 もし私の「秘密」を知ったら、この方はどう思うのでしょう?
 それを思えば、あなたの前から消えてしまいたい。
 でも、嬉しい。
 傍にいて欲しいと、消えないで欲しいと願うエリウッド様。
 私も傍にいたい。
 …けれど。


「……エリウッド様……」


 想いを口に出来ず、人魚の声は、弱弱しく彼の名を呼んだ。






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