035:復讐





「それじゃ、行って来るね。姉さん」
「気を付けなさいね。盗賊に襲われるとも限らないし」
「大丈夫よ! 姉さんや義兄さんほどじゃないけど、魔法使えるんだし。
 それに隣街まで行って、頼まれてたやつを買って帰って来るだけなんだから。
 往復で二日あれば帰って来るわよ」
「ごめんなさいね。どうしても、心配で」
 心配性の姉に、緑の髪の少女は苦笑する。
「だったらその心配をニノやカイにあげなよ。あたしのことは心配ないからさ。
 もうあたしも十四なんだから」
 くすくす、姉は笑った。
「そうね。じゃ、気を付けて行ってらっしゃい、アリシア」
「うん。行って来るね、アイリス姉さん!」




 たわいもない会話で、姉妹は別れた。
 アリシアの家は、リキアでも指折りの名門魔道一族。
 三年前に結婚して、双子の姉弟をもうけた姉アイリスはリキア屈指の賢者として有名だった。
 義兄のユーグも賢者としてその実力は申し分ない。
 そんな二人の妹であるアリシアは二人を尊敬していて、
 早く自分も姉のように、義兄のようになりたいと魔道修行に精を出していた。
 そんな折、義兄から頼まれ物をされたので隣街まで行く事になった。
 家には何人もの使用人がいるのだが、自分でもなにかいい本を探そうかと思ったので引き受けた。
 そして用事を済ませ、自分の買い物も終わらせ、
 屋敷に帰れば、姉や義兄が笑顔で迎えてくれる――はずだった。



 だが、残酷過ぎる現実を――目の当たりにしてしまった。



 帰ったのは、明後日の夕刻だった。
 足早に屋敷へと急ぐが、扉が見えた所でへたり込む姿を見つけた。
 自分より若干歳上でとてもしっかりした侍女の、ナターシャだった。
「ナターシャ? どうしたのよ」
 アリシアの声で、ナターシャは青ざめた顔をこちらに向けた。
「ア…アリシアお嬢様…」
「どうかしたの。ねえ」
「…あ…あれ…を……っ」
 震える指が、半開きになった扉の先を示す。
 訝しげにそれを覗いたアリシアが見たものは……。
「……!!」
 一面の、血だった。
 広間が真紅に覆われている。床には無惨にも転がる使用人たちの遺体。
 夕日とあいまって、紅い世界がそこに出来あがっている。
「…なによ……これ……っ」
 目の当たりにした現実に、アリシアも恐ろしくなった。
 そして、一つのことに思い当たり駆け出した。
「お嬢様…!」
 ナターシャの声も耳に入らない。
 ただ一つを確認したく屋敷を駆けた。
「姉さん! 義兄さん!」
 声をあげても返事はない。
 アリシアは近くにあった居間への扉に手をかけた。
 鉄を含んだ匂い。紅く染まった床。
 手が震えていることに気が付く。
 しかしアリシアは現実を確認すべく、その扉を開けた。



 絶望への扉と知らずに。



「……うそ……だ……」
 血にまみれた部屋には無惨にも、無慈悲にも、横たわる二つの遺体。
 出かける前には笑顔で見送ってくれた。
 優しく頼みごとをした。
 かけがえのない家族として慈しんでくれた。
 姉と、義兄の、変わり果てた姿がそこにあった。
「……姉…さんっ…。義兄……さん…っ」
 駆け寄ったアリシアは姉の身体を抱く。
 すでに冷たい。生命は失われている。
「…カイ!?」
 姉の遺体の傍に、また横たわる甥の姿――。
 無事なのか見ようとしたアリシアはまた絶句した。
「……」
 幼い身体は喉の辺りを切り裂かれていた。
 何がどうかもわからずに死んでいった表情――。
「……あ……」
 感情が吹き出して来る。
「…ああ…っ…」
 誰にも止められない、悲しみと絶望の感情が。





「いやあああああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!」





 その後ナターシャがアリシアを引きずり出しひとまず落ちつかせた。
 それから生き残った二人で使用人と姉たちの遺体を埋葬する。
「…ナターシャ」
「はい、お嬢様…」
 どこか虚ろな目のアリシアは、壊れてしまう寸前のように見えた。
「書庫を見てみたんだけどね、古文書がなくなってたの…。
 我が一族が守っていた『竜』についての古文書が…」
「奥様達は、それで賊に…?」
「多分…。絶対に許せない…姉さん…義兄さん…カイを…殺したやつ…!」
 溢れんばかりの怒りを瞳に昇らせたアリシアは拳を握り締める。
「…ニノお嬢様だけ…見つかりませんでしたわね…」
「うん。連れ去られたんだと思う…。だから…だから…あたし、旅に出る」
「お嬢様!?」
 決意を持つ声にナターシャは驚く。
「…絶対に許せない…幸せだったあたしの家族を…姉さん達を殺して!
 絶対にそいつを見つけ出して仇を討つんだ…!!」
「……」
 なにも、ナターシャは言えなかった。
 いきなり家族を奪われた怒りが、憎しみが。
 あまりにも分かるからだった。
「ナターシャ、後は頼むね。あたし…絶対に…何年かかっても仇を討つから。
 姉さんのペンダントに誓って…」
 アリシアは姉のペンダントを開いた。
 姉アイリス。義兄ユーグ。双子の娘ニノに息子カイ。そして自分――。
 家族五人の肖像画だった。
 涙を流して、アリシアは決意をした。



 あたしは修羅の道を歩む。
 たとえあたし自身が救われなくとも、姉さん達の仇がうてるならそれでいい。
 姉さん達はかけがえのない家族だったから。
 その大切な人達のために。



 あたしは、復讐者になる―――。







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