034:契約
「ねえ、どうすればいいと思う?」
アクレイア王立士官学校の中庭にて、昼休み。
懇願する瞳で訴える友人に、フェレス=カーエルは戸惑った。
こんな風にものを頼む友人ではない。
しかし今回ばかりは、かなり切羽詰まった状況であるとも知っていた。
「セシルの父上は、ただ一点張りだろ? なんかおかしいなと思うんだが…」
「そうなの。でもお父様はなにも理由を話してくださらないの。
いくら士官学校を辞めさせたいと思っていらしたのは知っていても、こんな暴挙に出るとは思っていなかったわ」
憮然としながら特大のため息をつくセシルこと、セシリア。
成長途上ではあるが美しい顔が曲がる。
彼女がここまで頭を抱える理由はこうだ。
十五歳の誕生日――つまり、成人を間近に控えた彼女に突如父親が縁談を持ち出した。
しかも内々にではあるがかなり話が進んでいる。
相手は本当にその気らしくこのままでは結婚させられてしまう。
一方で全く話を知らされていなかったセシリアは憤慨し、父に白紙撤回するよう求めたが全く効果がないのだ。
士官学校内でもその噂が広まっているらしく、学校内でも非常に居づらい雰囲気。
アクレイアの屋敷にも帰りたくないし、学校にもいられない。
精神的にかなり参っている。
そのことを察したか、フェレスが優しく言った。
「…セシル。お前しばらく学校休んだ方が良いぞ? 授業は俺がお前の分まで書いておくし、
魔道や戦術は俺たちの方が進んでるからさ」
「…フェレス…ごめんなさい。ありがとう」
「いいさ。で、これからだけど屋敷に帰らない方がいいかもな。
リグレ家かユリエラ家――それかディナス家にやっかいになるか?」
「そうねぇ…」
リグレ、ユリエラ、ディナス――いずれもセシリア、フェレスの両名と親交がある。
魔道はリグレで教わり、ディナスで戦術を学び、ユリエラは昔からの交友がある。
事情を話せばしばらくの間は置いてくれると思う。
「…でも、おかしいの。お父様の顔、すごく苦しそうだったわ。本当に私を結婚させたいのかしら」
「…そうだよな。親バカで有名なヴェルナール公が、愛娘を政略結婚に使いはしないし…。
裏になにかありそうなのは確実だけどよ、話してくれないじゃん」
彼女の父ヴェルナールは愛娘セシリアを溺愛していることでも有名だ。
その昔彼女が「士官学校に入りたい」と言った時には
「危険に晒したくない」と、とてつもない大喧嘩になったこともあるし、
以前フェレスが課題相談も兼ねてお茶に招待された時は、激昂して斬りかかられたと言う逸話もある。
ヴェルナールの恐ろしさは、身にしみてわかっている。
「パント様やアーヴェ様にご相談してみるわ。お二方なら事情を聞けるかもしれないし」
「だな。それとエリアザール様にも言ってみるか。裏事情を調べてもらおうぜ」
セシリアはうんとうなずく。
父ヴェルナールの昔からの友人であるリグレ公パント、ユリエラ公アーヴェの二人なら
自分に話してくれないことを聞けるかもしれない。
それとエトルリアの裏事情に最も詳しい、ディナス伯エリアザールにも手を回しておくべきだ。
「打てる手は先手で打っておくべきね。じゃあしばらくどうしましょう。良い所は…」
「セシリア様、フェレス様」
声に二人とも振り向く。
薄紫色の髪の少年が二人の元へやってきた。士官学校の制服に留められているのは魔道学部の紋章。
一年生で見知った顔だ。
「ルティス、どうした?」
「いえ。お二人ともなんだかひどく考え込まれていたようなので、どうしたのかと思いました」
少年ルティスは素直に答える。
「いや〜ちょっとな」
曖昧に答えるフェレスだが、セシリアが次の瞬間。
「…ねえ、ルティス。しばらく私を屋敷においてくれない?」
『え!?』
爆弾発言。二人とも驚いた。
「一体、どうして…」
「お願い。しばらく屋敷には帰れないの。アーヴェ様には私からきちんと説明するから…」
彼ルティスはユリエラ公アーヴェの息子。セシリアにとっては幼なじみでもある。
事情も話せるし、今頼れるのは幼なじみだと思った彼女は判断しきると頼みに話したのだ。
悟ったフェレスも言った。
「ルティス、俺からも頼む。しばらくセシルを置いてやってくれ。このままじゃ大変なことになるからさ」
「…わかりました、父に言伝します」
「ありがとう! もしものことも考えてセレトも連れて来るわ。
それでアーヴェ様にこう伝えて欲しいの」
セシリアはルティスに、内容を伝えた。
「セレト」
深夜、セシリアは隣の部屋で自室で眠っている弟を起こした。
「…姉上…」
「さあ、行くわよ」
「あ、はい…」
寝ぼけている目をこすって荷物を持つと、姉に着いて秘密の通路を進んだ。
実はセレトの部屋は、敷地外に出る秘密の通路が存在する。
姉セシリアの部屋とはまた秘密の扉で繋がっている。
そこを通って知られぬように弟の部屋へ行き、外に出る。
外には一台の馬車が止まっていた。
「二人とも急いで」
声をかけられて顔を上げる。
『!?』
なんと馬車の御者台にはユリエラ公アーヴェその人がいたからだ。
「アーヴェ様!」
「早く」
急かされて、二人は馬車に乗る。乗り終えたのを見届けてアーヴェは馬車を走らせた。
彼女がルティスに言伝したのは秘密の出口周辺に深夜馬車を止めてもらい、
ユリエラ公爵家邸宅へ向かってもらうことだった。
だが公爵自らが迎えに出るとは思ってもいなかったのだ。
「どうしてアーヴェ様ご自身が」
「秘密裏に事を運ぶならその方がいいだろう? 事情、聞かせてもらえるね」
うなずいて道すがら、御者台のアーヴェに事情を話す。
ちょうどユリエラ公爵家の邸宅に着いた所で話は終わった。
「ヴェル…本気なのか? 愛娘をどこの誰とも知らぬ男にやるのは。どうやら本当に裏事情がありそうだな」
「はい…。それでしばらく屋敷を出ようと思いまして」
「それが賢明だな。で、セレトも一緒かい?」
「もしもの時、この子に危害が及ぶ可能性もありますから」
「確かに。まあ、セレトが一緒ならルティスやステラが喜ぶ。しばらくはうちの屋敷でゆっくりするといい」
優しい笑顔でアーヴェは言った。ホッとしてセシリアは足取り軽く邸宅の中へ弟と一緒に入っていった。
すると、目の前には三人の少女少年。
「セシリア〜」
「ソニア! ルティスにステラも」
「セシリア様、セレト様、こんばんわ」
ユリエラ家次女のステラが挨拶する。
「こんばんわ、ステラ」
屈託の無い笑顔でセレトが挨拶を返した。
ステラはポッ、と顔を紅くする。
「どうしてみんな」
「セシリアとセレトが来るってお父様から聞いたから。だからこんな時間まで起きて待ってたのよ?」
ぱちん、と片目をつむってみせるソニア。ただ本当に眠そうだ。
「寝なさいと言ったんだが聞かなくてね。さあもう休みなさい。
特にルティスとステラ。明日も学校だろう?」
「はい、父上」
「は〜い」
「わかりましたお父様」
ユリエラの三姉弟は言われてそれぞれの部屋へ戻っていった。
「さて、二人にも部屋を用意してある。今日はもう休むといい」
「はい。ありがとうございます、アーヴェ様」
「ありがとうございます」
ペコリと礼をして――二人はアーヴェに感謝した。
「それにしても今回災難よね〜」
「本当よ。お父様ったら」
セシリア、セレト姉弟がユリエラ家に来てから三日。
昼下がりに二人は長女のソニアとお茶を楽しんでいた。
長男ルティスはいつも通りに士官学校へ。次女ステラはエリミーヌ教団の神学校に通っている。
「父上、姉上をすごく大切にしていらっしゃるはずなのに」
「そうよねぇ。ヴェルナール様はセシリアのこと溺愛してるのに」
「…半分迷惑だけど」
親の溺愛は子供にとって自由が無いことに繋がる。
事実士官学校に通い始めるまでほとんど家の領地か、父の友人の領地及び邸宅にしか連れて行ってもらえなかった。
他の地方など十年ぐらい前にリキアはオスティアに連れて行ってもらったぐらいだ。
しかもそれは新侯爵即位式典に、エトルリアからの代表として両親が出席したためだった。
セレトは幼いためであったがほぼ同様。
視線を合わせてからはあ、と二人ともため息をつく。
コンコン。
「はい?」
扉を叩く音にソニアが声をかける。
すると入ってきたのはソニアと同じ薄紫色の長い髪の女性。
三人とも顔を明るくした。
「叔母様!」
『イーリス様!』
「ソニア、元気? セシリアとセレトも」
ニッコリと彼女――イーリスは微笑む。
「叔母様どうなさったんですか? 今日は」
「兄様とフェレスからセシリアたちがここにいるって聞いたから様子を見に来たの。
とりあえずは元気そうで何よりだけど」
「はい。アーヴェ様には本当に良くしていただいております。あの…父の様子は…」
そこでイーリスは苦笑した。
「もう血眼になって捜してるわよ。フェレスが一昨日、散々聞かれたって言っていたわ。
それに昨日はパント様にも行方の心当たりを聞いたわ。
合わせて兄様や私、エリアにも昨日聞いたけれど大丈夫。ごまかしておいたわ」
「ありがとうございます」
「裏事情は今調査中よ。情報網を総動員して探っているから、じきにわかるとは思うわ」
自信満々のイーリス。
ユリエラ公爵の妹でありながら、裏情報に詳しいのは昔取った杵柄である。
今彼女は実家を出て暮らしている。
「相手に裏がありそうだし、芋づる式に色々出てきそうよ。うまく行けはその線で破棄に持ちこめるかもね」
「だといいのですが」
いろいろしてもらって言うのも気が引けたが、どこかまだ不安なのだ。
何か、臭うのだ。
心の中が洗われない。
「…あら? 叔母様、蹄の音が…」
ソニアが声をかけた。セシリアたちにそこにいるように言ってからイーリスは窓から覗く。
金髪の、黒衣の騎士が馬から降りるところだった。
「…叔母様…あの人って…パーシバル様?」
「みたいね…」
「!!」
ビクン、とセシリアが過剰に反応した。
「…セシリア?」
様子に気付いてソニアが心配そうに彼女を見る。青い顔をしていた。
「…まずいわ…! パーシバル様、お父様の部下なのよ!」
「! そりゃまずいわ!」
ソニアも顔を青くする。
士官学校を卒業して騎士軍に入った友人パーシバル=リスティノイス。
セシリアの父ヴェルナール直下の部隊に配属されたと聞いた。
今の状況で彼がここに来る理由はただ一つ。
父の命令でセシリアを探しに来た――。
「セシリア、セレト、あなたたちは隠れなさい! 私とソニアで何とかしてみせるわ」
「はい! セレト、行くわよ」
「あ、はいっ。姉上」
大急ぎで部屋を出る二人。見届けてから二人は入口広間に向かった。
背に純白の十字架を模した槍を抱えているパーシバルと鉢合わせした。
「…ソニア嬢、イーリス殿」
相変わらず何を考えているのか読みにくい目で二人を見る。
これでも以前に比べればだいぶ情緒豊かになったのだが。
「何か、ご用でしょうか?」
「…セシリア・セレト両名の行方について尋ねたく来た」
下手に隠しても意味がないと知っているからか、単刀直入に言った。
「あら。ヴェルナール様には先日父が回答したはずですけれど」
「それは承知の上だ。ここには私個人の判断で来ている。身を隠すとすれば…友人の所であり、
家族も一役買っているだろうと」
やっぱりそう来たか。士官学校始まって以来の天才と謳われた男だ。鋭い。
しかしイーリスが反論した。
「あなたの言うことはもっともだわ。けれどあの子はいないわよ?」
「…イーリス殿、あなたがここに来ている時点で疑わしいのですが。
彼女たちと親しいあなたが――」
「あら。ここは私の実家よ? 可愛い姪っ子に会いに来てはいけないのかしら?」
負けじと反論するイーリス。パーシバルは少時鋭く見て――。
「エトルリアの裏事情に詳しいあなたが彼女たちの行方を存じ上げないことも不可解だ。
…これ以上反論するなら、強行手段も辞さぬ構えです」
「ずいぶんと物騒な物言いね。…あなた、彼女の気持ちを考えてあげたことはある?
無理矢理に、顔も知らぬ者と結婚させられる、そんな気持ちを」
「男からすれば、妻を迎え後継ぎをもうけるのは義務です。妻の方もそれを承知なのではないですか?」
「承知じゃないから問題なのよ。…あなた、嫌われるわよ?」
はあ、とため息。
それをよそにパーシバルは視線を二階の通路影に移していた。
そこから覗いたのは、まだ小さめな翠の影――。
「セレトっ!!」
大声で言われて驚き、逃げが遅れたセレト。
イーリスやソニアは一歩及ばずに、彼は駆け出したパーシバルに捕まえられてしまった。
「…セレト、お前がいるということは――セシリアもいるな?」
威圧される声にセレトはおそるおそるうなずいてしまう。
続けて彼女を捜そうとするパーシバルを、イーリスが止めた。
「そこまでよ、パーシバル!」
中の人間を縛する魔方陣を発動させ、動きを封じようとする。
しかし魔方陣は彼が背負った槍が光った瞬間に消えてしまった。
呆気に取られた瞬間に彼は全速力で駆け出した。
「しまった…! なんでこんな任務でロンギヌスなんか持って来るのよっ!」
悪態をつくイーリス。
ロンギヌス。
「神殺しの槍」の異名を持ち、リスティノイス家当主の証でもある家宝の槍。
魔力に対する防御能力を持っており、しかもそれは大抵の魔法なら弾いてしまうほど強力だ。
それの存在を失念していたイーリスは自分を恥じながら追いかけようとした。
しかし――。
「イーリス、ソニア」
「…!」
後ろからかけられた声に二人は驚いた。
「セシリア、こっちへ来い!」
「嫌です!」
二人は決死の鬼ごっこを展開していた。
セシリアが逃げこんだのはなんと三階の窓の外。わずかな足場を伝って逃げているのだ。
窓から身を乗り出してパーシバルは説得を試みるも抵抗されている。
「くっ…」
髪がたなびく。
今日は風が強い。いつ風に煽られ、足を踏み外すかわからない状況だ。
それならともしもの時のため、彼女のいる地点の真下に移動した。
「危険だ、降りて来い!」
「降りたらお父様の所に連れ戻すのでしょう!? 嫌です!」
パーシバルの鋭い瞳に負けじと睨み返す。
「足を踏み外すのかも知れんぞ!」
「だったら、ここから飛び降りて死にます!」
堂々めぐり。
それほど彼女が嫌がっていると言うことがわかるのだが、生憎パーシバルはどう説得すればいいのかわからない。
「とにかく、まずはそこから戻って来るんだ。話はそれからだ」
「私は嫌で――ッ!」
ズルリ。
嫌な事態が起こった。
さらに奥へと移動しようとしたところ風に煽られて踏み外したのだ。
まっ逆さまに落ちる。
「キャ――ッ!」
「セシリア!」
ドサッ!!
「……?」
衝撃はあったものの、どこかを痛めた様子が無い。
おそるおそる目を開ければ、目の前には金髪の黒騎士。そして地面。
「パーシバル…様?」
彼が受けとめてくれたのだ。衝撃でさすがに倒れてしまったが落ちた自分を受けとめてくれた。
「……」
少し頬を赤らめた瞬間、袖を強く掴まれ彼女は我に返った。
「…セシリア」
「い、嫌ですっ。私、結婚なんかしたくないです!」
少しでも離れようともがくが、力の差で無意味になる。
一応立たせてはくれたが逃がそうとはしてくれない。
「ヴェルナール将軍が心配なさっていたのだぞ。お前はそれを考えているのか」
「お父様の方こそ、私の気持ちを考えていないわ! 何も言わずにただ結婚しろだなんて!
私は嫌だと申し上げたのに……!!」
「セシリア、聞き分けが無いぞ」
鋭い瞳。
でもただ抑え付けるような声にセシリアの怒りが、頂点に達した。
――パンッ!!
甲高い音が、空に木霊する。
思いきり平手でパーシバルの頬を叩いたのだ。
「……」
「あなたも私の事なんてわかってくれない!」
怒りと、悲しみの瞳で睨みつける。
そして――。
「あなたなんて、あなたなんて――大嫌いっっ!!」
「!!」
力いっぱいにセシリアは引き剥がす。
パーシバルは止めようとしなかった。いや、できなかった。
彼女はそれから駆け出して――目の前にイーリスとソニアが立っているのを見つけて止まった。
「イーリス様っ」
「よしよし」
抱き止めて軽く背中を叩き、なだめる。だが彼女に見えないところで、イーリスはパーシバルを睨む。
「姉上」
「セレト」
心配そうに覗き込む弟が傍にいる。「ごめんね」と姉は目線で返した。
「そこまでだね」
声がかかったので見れば、アーヴェの姿。傍にはリグレ公パントの姿も。
そしてもう一人傍には――。
「セシリア」
「! …お父…様」
父親のヴェルナールの姿もそこにあった。
予想外の登場にセシリアは見を縮こませるが何も行動が無いのに呆ける。
「事情は把握したよ。セシリア、ヴェルは本当に結婚させたいわけじゃなかったんだそうだ」
「本当ですか? パント様…」
「ああ。事情は話すよ。ただ少し落ち着いてからと、フェレスとルティスが帰って来てからだ」
「……」
コクリ――セシリアはうなずく。
「パーシバル。君にも事情を話す。準備が出来たら呼ぶから部屋で待っていてもらえるか」
「…承知しました」
上官であるヴェルナールの顔を見て、彼が「そうしてくれ」との意思を確認してからパーシバルもうなずいた。
「…」
与えられた一室でパーシバルは椅子に座って物思いにふけっていた。
目を閉じればさっきの光景が鮮やかに蘇る。
(――大嫌いっっ!!)
心に突き刺さった、言葉。
言われることには慣れていたはずなのに。
昔から容姿と才能を妬む人間は多く、加えて常に冷静で表情を変えずにものを言う彼は嫌われていた。
士官学校に在籍していた時は陰口を叩かれ「嫌いだ」という言葉を何度も耳にしていた。
別に好かれたいわけでもなく、むしろ嫌われていた方が気が楽だと思っていたパーシバルは、
気にもせず日々を過ごしていた。
それなのに。
「……セシリア」
彼女に言われた一言が、どうしてこんなに心を痛ませる。
どうして、彼女の言葉が痛い。
深呼吸して考えてみた。
彼女は、大切な友人だ。
今こうしているのもその縁だ。彼女がいなければ今の友人たちも有り得なかった。
自分のために涙したあの姿が忘れられない。
だから傍から離れていくのが怖い。
自分を嫌って、離れていくのが。
――それが、怖い。
「…謝るべきか」
椅子を立ち、パーシバルは部屋を出て歩き出した。
このままではいけない。
いくら上官であり、彼女の父であるヴェルナールの命令であったしても、
無理強いをしてしまった自分にも非はある。
彼女は許してくれるだろうか。
不安を抱えながらも彼は向かう。
しばらく歩いて部屋を見つけ扉を叩く。
(どなたですか?)
尋ねる彼女の声。少しだけ躊躇したがパーシバルは言った。
「私だ。話がある。…入っても、いいか?」
すぐに答えは返ってこなかった。
やはり嫌われたのだろうか。そう考えると心が重く感じる。
(……どうぞ)
しばしして了承の返事。取っ手に手を掛けて、中へ足を踏み入れる。
「……」
一瞬だけセシリアは顔を上げてパーシバルを見た。
しかしすぐにうつむく。
その一瞬の間で、パーシバルは彼女の瞳が赤く充血しているのに気が付いた。
(泣きはらしていたのか…?)
これもすべて自分のせいなのか。
たとえ許してくれなくとも、謝っておかなければ。
これ以上傷付けたくなどない。
彼女の傍へ近付いて、言った。
「…さっきは、済まなかった」
「……」
「確かに私はお前ではない。お前の心をすべて理解することは出来ない。
だが…本当に済まなかった。無理強いをしようとして、傷付けて」
「……」
「許してくれとは言わない。私が悪いのだから。ただ、本当に後悔しているんだ。
お前を傷付けたことに。本当に、本当に…済まない」
震えてくる声。それに耐えかねたように――セシリアが顔を上げた。
「…パーシバル様。あまりご自分だけを…責めないで下さい。私も、悪いですから…」
予想外の言葉にパーシバルは驚いて彼女を見た。
セシリアは続きを話した。
「私、お父様の仕打ちにずっと怒っていました。それで…あなたから聞き分けが無いと言われて、
つい……あんなに怒ってしまって……。だから私も悪いんです」
「セシリア、自分を責めるな」
「いいえ。私が悪いんです。感情に任せて、あんなことをしてしまって……。
私のほうこそ謝らないといけないんです。ごめんなさい。あなたのことを嫌いだなんて言ってしまって。
許してとは言いません。でも、せめて、私を嫌わないで……」
翠の瞳から大粒の涙をこぼし始めたセシリアを、パーシバルはなだめようとする。
「セシリア、私ならいい。私の方こそ悪いんだ。だから泣くな」
「……私のこと……嫌わないで、くれるのですか……?」
ゆっくりと、その問いにパーシバルは首を縦に振る。
「誰が嫌うものか。…私のほうこそ、問いたい。
あんなことをしてしまった私を――お前は嫌わないでいてくれるのか?」
すぐに、大きくセシリアは何度もうなずいた。
「パーシバル様は、お優しいですもの。私、解かっていますから」
涙がまだ溜まっている瞳ながらも、溢れんばかりの笑顔。
どうしてこの娘は、心に温かさを与えてくれるのか。
傍にいてくれることに、どうして安らぎを感じるのか。
「…ありがとう、セシリア」
安堵した顔で、パーシバルは感謝した。
ようやくお呼びがかかり、二人は他全員が待つ部屋へと通された。
椅子に掛けたのを見届けてから、アーヴェが話を切り出した。
「今回の件なんだが、仕掛けたのはシュバル=ドーリンと言う男だ。聞いたことのある者はいるかもしれない」
「ドーリンって…確か、伯爵家でしたよね」
「その通り、フェレス。でもこの男は貴族であるということよりも、闇魔道士として有名なの」
フェレスの答えに、イーリスが補足する。
それに驚く子供たち。
『闇魔道士!?』
「そう。理魔道士の天敵…しかも上級のドルイドよ」
「ゲッ」
さあっ、と顔を青くするフェレス。
「それでだ、こいつの研究が「他者より力を得る」と言うものなんだ」
「??」
ルティスとセレトは首を傾げるが、セシリアはハッと気がついた。
「もしかして…私の魔力を!?」
「その通り」
言葉にパントがうなずく。
「奴の狙いは十中八九、君の魔力を奪うことだろう。フェレスもそうだが、君の潜在能力は高い。
内側に眠る魔力を奪って自分のものにするのが目的なのだろう」
「それだけのために、姉上に結婚を迫っているのですか?」
「そうだよ、セレト。魔道ギルドでもこいつは有名でね。行動が目に余るから追放の恐れがあるんだ」
「危険人物という訳だ」
一旦、全員が押し黙る。それから口を開いたのはセシリアだった。
「それで、どうやって私に結婚を迫ったのですか? お父様すら言いなりにするような。
どう言うことなのですか? お父様」
「…済まないが、私からは答えられないんだ。アーヴェ、済まんが…」
「解かっている。で、どうやってヴェルですら言いなりにさせた理由は――これだ」
アーヴェが一枚の紙を見せる。
書いてある文面を見ると娘を、つまりセシリアを妻として差し出す契約書だ。
「まさかお父様! これに署名を…?」
父は答えない。代わりに答えたのはアーヴェだった。
「その通り。これを見せられた時は…巧みな話術にしてやられたと言うのもある。
あとこれは契約内容の写しなんだが、本当の契約書は魔道契約書なんだ」
「…魔道契約書?」
疑問を呟いたのは、パーシバル。アーヴェが続いて答えた。
「契約書に魔法をかけて、契約内容で人間を縛るというものだ。
重要な契約書類に使われることもあるんだが、悪質な詐欺などにも使われたりすることがあってね…。
ヴェルはそれに引っかかったんだ」
「契約内容には契約の事を口外してはならないとあったんだけど、文面に書くことはできたから
それで私とアーヴェは今回の裏を知ることが出来たのさ」
最後の補足がパント。道理でなにも言わないはずだ。
「で、こうしているわけなんだけれど…今後の対策をしなければならないわ」
イーリスが今後の提案に入る。
「まずはあいつの裏の行動を暴くこと。これはエリアに頼んで探ってもらっているわ。
魔道ギルドでも情報収集するわ。もう一つはこの契約を白紙にすること」
「…なにかいい方法、ありませんか?」
セレトが尋ねる。イーリスはすると――笑った。
「あるわ。契約には、契約で対抗するの」
『??』
子供たち(と、パーシバル)が首を傾げる。
イーリスは説明に入った。
「魔道契約書には、必ず無効にする事項を記さねばならないの。
そうしなければ魔法が発動しない仕組みになっているのよ。
この契約書の無効事項は『相手側に正式な婚約者がいることに限り、無効とする』とあるわけ。
それにこの契約はまだ途上なの。相手が求婚した時に差し出す契約だから」
「前に手を打てば良いと言うわけなんですね」
「その通りよ」
甥の言葉に満足そうにイーリスがうなずく。
「では、無効にするためには誰かがセシリアの婚約者にならないといけない。適任者は……」
他全員の視線が一点に集中した。
視線を受けて彼は言った。
「なぜ、私なのですかっ」
彼女の隣に座っていた―――パーシバル。
珍しく狼狽を表に出している。
フェレスが言った。
「俺だとまだ成人してないから契約には父上の許可がいるし」
「ルティスなら――」
「相手側が何か仕掛ける恐れがある。その場合彼女を守れるぐらいの力量を持つ人間が必要になる」
アーヴェがすぐさま切り返す。妹イーリスもさらに。
「それにあなたの上官はどなただったかしら?」
「! ……」
そうだった。自分の上官は彼女の父だった。
喋る気力を失う。
「君は成人しているし、ヴェルの部下であるからなにかと動きやすいだろうし、
ラーズの息子でもあるし不自然じゃない。もちろん婚約の契約は秘密裏にするけれどね」
「……」
迷いに口を閉ざすパーシバル。
しかしそこでヴェルナールが口を開いた。
「頼む、パーシバル。娘を…助けてやってくれ」
「…ヴェルナール将軍」
自分が愚かであったことを悔やむ心。そして自分はどうなってもいいから愛する娘を救って欲しいという思い。
短い言葉にも、心は伝わる。
それにこれ以上彼女を苦しませたくもない。
「……セシリア」
隣の彼女に呼びかけた。困惑のような、複雑な顔だった。
「……お前はいいのか? 芝居とはいえ私で…」
「えっ、あ…はい。私なら構いません。パーシバル様こそ」
「大丈夫だ」
言い切ったパーシバルにセシリアの心が跳ねる。
嬉しいような、そんな感覚。
「…では、ふつつかな娘ですが――よろしくお願いします」
笑顔で礼をして彼女は言った。
「じゃあ決まりね。それじゃあさっさと契約書に署名してしまいましょう」
取り出したのは一枚の紙。ざっと目を通せば二人を婚約者として認め、将来婚儀を挙げるという契約書。
紙に魔力を感じるので、魔道契約書だ。
「無効欄も、見てね。『本人たちの承認、そして成人していない者については後見人の承認も得て無効とする』とね」
この無効内容なら白紙にするのは簡単だが、三人の同意が得られなければ無効にならないと言う堅牢さもある。
「セシリア、あなたは今後パーシバルの邸宅にやっかいになりなさい。
一応婚約者って立場になるし、その方が安全だわ」
「はい」
「パーシバル、セシリアを守ってあげてね」
「…承知しました」
彼は強くうなずいた。
「…パーシバル様」
「ああ」
二人が契約書に署名し、親指をナイフで傷付けて契約の血判を押す。
そしてヴェルナールも署名して血判を押した。
契約が、結ばれた。
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