028:カーニバル
エトルリアでは、一年を通して様々な祭事が行われる。
そのなかでも一番大きな祭事は秋に行われる国教でもあるエリミーヌ教の聖祭。
元々は国の収穫祭だったのだが、人竜戦役終結後に聖女エリミーヌがこの地に教団を創立。
収穫祭と同時に行われることになったのだ。国を挙げての祭事になるため盛り上がりは他とは比べ物にならない。
初めこそ、宗教的な祈りが行われたりするのだが、後はもう無礼講。
収穫祭も兼ねているので今年の実りに感謝し人々は踊り、食べ、飲む。
出店や芸人一座の数も、本当に多い。
「毎年毎年のことだけど、人が多いなぁ…」
その人込みの中を歩くのは赤い髪を長く伸ばした少年と、
鮮やかな翠の髪を肩より少し長いところで揃えた少女。
「私、この視点で見るのは初めてだわ。いつもお父様達と一緒に馬車の中から見るぐらいだったから…」
服装こそ、普通の人と変わりない感じだが、気品を持つ少女。
それはそうで、彼女はエトルリアでも名門の貴族令嬢。
隣の少年もエトルリアの貴族令息だ。しかし彼はこの場に慣れている雰囲気。
「セシル、初めてだっけ。俺は一昨年から来てるから大丈夫。
この通りは大体宝飾店の通りだけど、出店出して安売りとかしているし。
お、そこで大道芸やってるな。セシル、行こうぜ!」
「あっ、フェレス待ってよ!」
駆け出すフェレスをセシルこと、セシリアは追った。
もう何度も彼と一緒に街に行っている。
一般の人々と同じ視点でものを見る。これは彼女にとっていい経験。
士官学校に通い、人々を守る軍人になるために学ぶ自分にとって、その人々の生活を見るのは本当にいい。
「セレトも連れて来れば良かったかしら」
「ああ〜。ま、来年一緒に連れてくればどうだ? 万一もあるし、士官学校に入ってからがいいだろう」
「そうね。今年はお父様達と一緒に、と言うことで」
言い合う二人。
彼女の弟は今年十二歳。来年士官学校入学だ。
名門貴族の令息なので危険がやはり付きまとうため、
自分で身を守る術をある程度心得てからの方がいいだろうと判断したのだ。
二人とも万一に備えて魔道書を持っている。その辺のごろつき程度には負けない。
「お嬢さん。花をどうぞ」
と、大道芸人がセシリアの前に手を差し出す。
パチンと指を鳴らすと、ポン、と小さな可愛らしい花が一輪その手の中に現れた。
それをセシリアに手渡す。
拍手で芸人に技術を称える。
「手品か〜上手いな」
「楽しいわね。こんな風にするのは」
「だろ?」
お互い、楽しく笑いあった。
色々、出し物を見ていた。
菓子を買いながら見て、歩くのが少し疲れると休憩がてらに広場の長椅子に座る。
「ちょっと疲れちゃった。人が多くて」
「気圧されたかな?」
「少し、ね。でも本当に楽しいわ。誰か他の人も誘えば良かったわ。ソニア達とか…」
両親や友人達にはちょっと内緒の今日。
でもすごく楽しい。
「なら、誘って欲しかったなぁ」
「でもこれはお父様達に見つかったら…。え?」
無意識に受け答えをして、その後気付いて見上げる。
フェレスもその姿に固まっている。
『で、殿下!?』
慌てて二人は立ち上がって、軍人式の礼を取った。
殿下――エトルリア王太子ミルディンは手を下ろして礼を解くよう促した。
「やあ、二人とも。二人だけで出かけていて、逢引かい?」
「違います」
キッパリ否定するセシリア。瞳に怒りも込めながら。
「分かっているよ。冗談」
本当に冗談か? と二人は思う。
この王子は聡明で知られるが、他人をからかうのが大好きだという困った性格なのだ。
「どうして殿下もこちらに?」
「いや、なに。庶民の生活を見るのもいずれ国を継ぐ私の役目だ。
そういうわけで、今日は聖祭の式典に出席した後こうしてお忍びで来ているのさ」
彼の格好も一般人に見える服装。しかし王族の気品はまだ打ち消せていない。
「お一人でですか?」
「いや、もちろん護衛付き。――なあ、パーシバル」
彼の後ろを見てみれば、相変わらずと言うべきか。黒ズボンと蒼のシャツ姿のパーシバル。
剣は一振り持っている。
「パーシバル様」
セシリアが、心底嬉しそうな笑顔になった。
「二人とも、来ていたのか」
「もちろん。年に一度の聖祭だしな。楽しまなきゃ」
「そうだな、フェレス。良いことを言った」
ミルディンの言葉に「は?」と疑問符を浮かべる。
「よし、二人とも私と一緒に祭りを楽しもうじゃないか」
「え…殿下と、ですか?」
「それはそうだろう。それとも、私と行くのが嫌なのか? 悪いがこれは命令だ」
職権乱用だ、と二人は同時に思う。
しかも護衛に付いて来ているパーシバルの存在を全くもって無視している。
だが「命令」には逆らえないので二人も同行することになった。
(何事もありませんように…)
切実にフェレスが、そう願った。
「セシリア」
「はい、殿下」
「…今はお忍びだから『殿下』は止めてくれ」
「では、どうお呼びすれば?」
「マーリン。そう通している」
「わかりましたわ」
主君に仕える臣下としての態度で答えるセシリアに、ミルディンは肩をすくめる。
「そういう態度もよしてくれないか? 今日はせっかくの聖祭だぞ」
「申し訳ありませんわ。ですがマーリン殿。それなら他人を困らせる言動は控えてくださいね」
ニコリ、笑みを浮かべる。
だがその裏に恐いものを感じたフェレスが少しだけ後ずさる。
「これは手厳しいな」
冗談混じりにミルディンは答えた。
それから二人は軽口の応酬。冗談だと知りつつもなかなかにきわどい会話を進めていく。
両者その様子を楽しんでいる節も見えた。
歩いているうちにふと、横を見れば。
「……」
憮然とした表情のパーシバル。完全に置いてけぼりを食らっているのが分かる。
だがそれ以上におかしなものを感じた。
「……」
彼の視線の先は少し前にいて、話をしながら歩くミルディンとセシリア。
目を、顔を、フェレスは感覚すべてを働かせてパーシバルの様子を観察する。
これは、もしや。
「…パーシバル…?」
「なんだ」
憮然とした声で返事が来た。
「…二人とも、結構仲良いな」
「…そうだな」
声音が少し変化したのをフェレスは知覚した。
常人には解からないであろう変化を、普段から精霊達と耳を傾ける彼は察知したのだ。
そして、確信した。
「…そう言えば、知ってるか? 去年のあの二人」
「…いや、知らん」
聞きたくない――そんな風に取れる声だ。
だが「大丈夫」と視線を送って続けた。
「殿下は成人して早々、セシルに求婚したの」
一瞬、完全に彼の行動一切が停止したように見うけられた。
これはまずいと思って続けた。
「でもセシルは、あっさり断ったって」
この話は去年セシリア本人に聞いたから子細を知っている。
去年ミルディンは十五の歳を迎えて成人した。
その直後に、セシリアは王宮に呼ばれて彼から秘密裏に求婚されたのだ。
普通の貴族令嬢なら、王太子からの求婚を断る者はいない。
国王妃になれるのだ。貴族の姫にとってこれ以上の名誉はない。
しかし彼女は即断った。
「今だ私は成人を迎えておりません。今後は軍人になります。
それに私は共に歩み、支え合い――ただ依存するのではなく、
対等に、そして大切にしてくれる方の妻になりたいのです」
その言葉で断ったそうだ。
「…そうか」
しばししてこの受け答え。
だが声音はホッとしたような雰囲気。やっぱりと思う。
(こりゃ惚れてるな…)
士官学校時代でも、今年入隊した騎士軍士官内でも有名なパーシバル。
実力はもとより『無表情』『無愛想』『朴念仁』の三拍子。
感情自体ほとんどないんじゃないか――そう裏で囁かれていた人間。
だが、彼女の紹介で会ったとき、その噂は嘘だろうと思った。
確かに表情はほとんど変えないし、愛想はよくない。女性の噂も無い。
けれど感情は確かにあった。彼女の傍にいる彼の穏やかな顔は印象に強く残っている。
でも会う前の彼を知っていた戦術の師に聞いたことがある。
「おそらく、彼女と出会って変わったと思う」
その意見には自分も賛成だった。
彼女の傍でだけ、あんな顔を見せるのだ。絶対なにか心境の変化があったとしか思えない。
ただ、それに本人が気付いているのか。おそらく気付いていないだろう。
自覚していないで、二人が仲良さそうに話しているのが気に入らない。
変な感情をもてあましていることだろう。
それは『嫉妬』。恋をする人間がよく持つ感情だ。
この感情は分かる。
自分だって…。
「ねえ、フェレス」
セシリアが後ろを振り返った。
「?」
すると小声で彼女は彼に近付いて言う。
(殿下のお話し相手になってあげてくれない?)
(え? どうして)
小声でフェレスも返す。セシリアは言った。
(なんだか、パーシバル様…寂しそうな感じがして…。
だから少しでも私、お話し相手になって差し上げたいのよ)
(…わかった。じゃ、頑張れよ)
(ええ)
そうしてセシリアとフェレスが交替し、話はがらりと変わる。
「――フェレス」
「なんでしょうか」
今度はミルディンが憮然とした声。その後ろではセシリアがしきりに話しかけている。
パーシバルが受け答えする声も聞こえる。
「二人、仲が良いのか?」
「ええ、いいですね」
あっさり答えると不吉な言葉が聞こえてきた。
「なんとか引き裂けないか」
「…人の恋路を邪魔すると馬に蹴られて地獄行きですよ」
「解かっている。冗談だ」
「本当に冗談なんですか」
どこまで本気でどこまで冗談なのかこの王子はわからない。
しかも、結構本気で彼女を見初めているらしいし…。
(なんでこんなカーニバルの日に、こんなことになるんだか)
恨むなら、そこまで他人を虜にするセシリアか。
見初めて求婚までしたミルディンなのか。
自覚せずに嫉妬しているパーシバルなのか。
はたまた、そんな彼らに挟まれている自分なのか…。
フェレスは大きく、ため息をついた。
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