009:竜の眠り
洞窟の中に身を潜め、眠りにつく存在。
淡い青緑の長い髪を持つ女性。
しかし本来は人間が「竜」と呼び、畏怖する存在。
冬の嵐を呼ぶ氷の竜。
しかし今、その竜は傷つき、傷を癒すため人の姿に身を変え、洞窟に身を潜めていた。
この竜は、今の大陸を嘆いていた。
共に暮らしていたはずの人間と今、大陸の覇権をかけて争っている。
はるか昔から極寒の大地にあり人間と共存していた自分からすれば信じられることではなく、
争いを嫌って飛び出した。
だが事情を知らぬ人間達は容赦無く自分を殺そうと襲い掛かってきた。
けれど追い払うだけでその場を逃げる。そんなことを長い間繰り返した。
一度は捕えられたが逃げだし、今こうして身を潜めている。
「――エイナール?」
自分に声をかける男の声。小さくうなずいて応える。
「傷が痛むのか? …すまない、出来るだけの手当てはしたのに」
「いいえ、平気です」
優しい声が響いた。
「…なぜ、君のような竜まで、人は殺そうとするのだろう。私は理解できない――」
「…竜の力は、人間からすれば強大だから…恐れてしまうのでしょう」
エイナールは答えた。それに男は口調を荒げて言った。
「しかし、竜は住処を侵さなかった。人間が侵略しなければ、君が傷つくことも無かった」
「そうですね。でも、人間はあなたのような人ばかりではないから…。
小さい存在は、大きな存在を恐れてしまう…」
その言葉に、男は悲しげな顔をしたがすぐに振り払った。
「…悲しいな。だが、私は違うぞ。共に過ごせると信じている。
現に、私と君は今こうしている…とても幸せなんだ」
「そうですね。私もあなたと共にいられて幸せです」
「エイナール。私は君を守ろう。絶対に守り通す。それから、子供達を迎えに行こう」
微笑んでエイナールは応えた。
「…ええ。ありがとう、ネルガル」
「さあ、もう少し眠るといい。ゆっくりここで傷を癒そう」
小さくうなずいて、エイナールは眠りについた。
確認してからネルガルも寄りそうように眠りについた。
足音で、ネルガルは目が覚めた。
誰かがこの洞窟に入ってきた――。
おかしい。結界を張って隠していたのに見つかった。
かなりの術者でなければ見破れるはずがない。
闇魔道を行使するための魔道書を手に洞窟入口へと向かう。
決して、エイナールを殺させやしない――その思いが彼を突き動かしている。
ゆっくりと息を潜めながら向かうと、姿が見えた。
逆光で見えないが髪の長い人間だ。
「――誰?」
自分に気づいて、相手が呼びかけた。
その声は、女だ。
「…お前こそ、誰だ」
ネルガルは怯まずに言い返す。
女は近付いて答えた。
「私はジャンヌ。あなたは?」
「…ネルガルだ」
名乗ったからには、名乗らなければならない。自分の名を名乗る。
「ここには、何の用だ?」
魔法の光を出してから問い掛ける。
鮮やかな翠の長い髪と、同じ色の瞳をを持つ女性ははっきり答えた。
「この辺りに、竜が一体隠れているという噂を聞いて来たの。
あなたはどうしてこの洞窟に?」
「……」
ネルガルは答えない。
ジャンヌはしばし考えてから口を開いた。
「…あなたね? ここの入口に結界を張ったのは」
「…!」
看破した女性に驚きの目を向けた。
ジャンヌは言葉を続けた。
「様子からしてそう思ったのだけれど、図星ね。かなりの術者でなければあんな結界張れないもの。
破るのに一苦労だったわ」
「何の用でここに来た!」
怒りを顕わにしてネルガルは掴みかかった。
なだめるように彼女は言った。
「話がしたいの。その竜と」
「…なんだって?」
思わぬことに、ネルガルは目を丸くする。
「そうでしょう? 噂で聞いただけだけど、その竜はイリアの氷山にいた竜で、人と共存していたと。
今この情勢でも決して人間を殺していないから、話をしたいと思ったのよ」
「……」
信用すべきなのか――ネルガルは不審に思っていた。
しかし嘘を付いている様子はない。
「あなたはその竜をかくまっているのでしょう? なら、はい」
するとジャンヌは持っていた理の魔道書をネルガルに渡した。
「な…」
「これで私はなにもできないわ。敵対する気はないわ」
「…分かった。付いて来るんだ」
ネルガルはジャンヌを先導するために歩き出した。
変わった女だ。
竜と話がしたいなどと…。
「あなた、竜と人間は共存できると思っている?」
途中でジャンヌが話し掛けた。
「…お前はどう思っている」
彼女は即座に答えた。
「共存できると思っているわ。だってそうじゃない? イリアの竜は共存していたわ。
住処を侵すことなく生きてこられていたのよ。共存できたはずではない?」
その意見に、ネルガルは共感を覚えていた。
そうだ。竜と人は生きてこられたではないか。
なのにどうして…。
「私は、調和を重んじているわ。むやみに傷つけるようなことをしなければ、私は殺さない。
襲い掛かって来るものだけと私は戦ってきたわ」
「…それで、他の人間は納得したのか?」
「そんな事ないわ。いろんな意見も飛んで来るわ。「竜は皆殺しにすべきだ」とか
「人間のみがこの大陸に立てばいい」とか、過激な意見もある。
けれどそれで戦争が泥沼化してはいけないわ。少しでも共存が出来るようにと私は戦っている」
変わった女だ。ネルガルはそう思った。
思っている間に、エイナールの元へと着いた。
「あなた…その人は…?」
目が覚めていたエイナールが問い掛ける。
ジャンヌが自己紹介した。
「私はジャンヌ。初めまして」
「エイナールです」
礼をして紹介をすませる。
「あの…あなたは…一体」
「竜であるあなたと話がしたくてここに来たの」
エイナールの表情が変わった。怯えるようにネルガルのほうを見る。
「武器は私が持っている。おかしな行動をすれば即座に――」
「分かっている。傷つける真似はしないわ」
脅す声にもジャンヌは臆することはなく、エイナールの方を見る。
「それで…どのような話を?」
「人間と竜が共存出来るか…その話をしたくて」
彼女は目を丸くした。
「イリアの氷山にいて人を守り、敬われて過ごしていたのでしょう?
そんなあなたなら、この話にどんな回答をするのだろうと思ったのよ。
どう思う? 人間と竜は共存できると思う?」
ジャンヌの問いに、エイナールは即座に答えた。
「ええ。出来ると思います」
「…どうして、そう思うの?」
「私は、現に人と共に暮らしていますから…」
チラリ、ネルガルのほうを見る。
それでジャンヌはすべてを理解した。
「なるほどね…。そうね。それなら絶対共存出来るわ」
くすくす、ジャンヌは笑った。
照れたかネルガルが声を荒げた。
「笑うなっ」
「ごめんなさい。でも、素晴らしいわ。あなた達の想いは。
人間同士でも叶わぬ恋だってあるのに…」
少しジャンヌの顔に影が落ちた。
「ジャンヌさん…」
「ありがとう、ネルガル、エイナール。私はあなた達の味方よ。なにか困った事があったら言って。
決してここのことは誰にも――」
足音が、複数。
ネルガルとジャンヌは入口へと向かう道を向いた。
「誰か、来た?」
「ネルガル…行ってみましょう」
ジャンヌの声に応え、ネルガルも入口へと向かう。
入口付近には、数人の人間がいた。
「あなた達…」
「ジャンヌ様! この洞窟には何が?」
一人が尋ねると、ジャンヌは首を横に振った。
「いいえ。調査したけれど何もなかったわ」
「その男は?」
「調査の手伝いをしてくれたの。だから安心して」
「わかりました」
「私もすぐに追いつくわ。近くの町で待機していて」
「はいっ」
人間数人は、ジャンヌの指示に従って洞窟を離れて行った。
「…ジャンヌ、君は…」
「私は人間の中では「戦乙女」と呼ばれている。実際はそんな人間じゃないけれど」
「…君があのヴァルキュリア」
噂は知っている。
味方に勇気を与え、敵には絶望を与える理の術者。
それが、彼女か…。
「話は誇張されるのよ。それじゃあ私はもう行くわ。結界は責任を持って張り直すから。
魔道書を返してくれる?」
「ああ」
ネルガルは魔道書を返す。ジャンヌはすぐに結界を張った。
「エイナールによろしく伝えて。私は決して、竜の眠りを妨げないって」
「分かった。ありがとう」
「こちらこそ、ネルガル。それじゃあね」
ジャンヌは踵を返して去って行く。
ネルガルは見えなくなるまで見送り、それからエイナールの元へと戻っていった。
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