001:時計
……さらさら……さらさら……。
器から器へ落ちる、砂。
その流れは時を刻む。
過去の器より現在の管を通り、未来の器へ流れていく。
砂の器が、時を刻む。
返せは時は遡るのでは、ないだろうか。
辛い過去も、すべてを忘れ去ることも出来るのではないだろうか……。
「…砂時計、ですか?」
机の上に置かれていた砂時計をひょいと取り上げ、眺める。台座には古代文字が書かれている。
「過去と現在と未来を司る物なり」と。
「ああ。かなり古い年代物らしいのだが」
「どうなさったのです? このような物」
尋ねると彼は、答えた。
「父が昔、知り合いからいただいたらしい。いわれについてはよくは知らないが」
「でも、由緒ありそうですわ、これ」
細工が施された砂時計をしげしげと見つめてから、彼女は台にそれを戻す。
その際に、ひっくり返して。
「……」
「…? どうなさいました? 将軍」
ただ一点を見つめる彼に、尋ねる。
視線を動かさずに、彼は答えた。
「…時間が戻ればいいと、考えてしまう」
「?」
瞳を瞬かせる。彼が続ける。
「過去より、現在を経て未来を刻む。それが砂時計だ。返せば、時は戻る。
……忘れ去ることも出来るのではないだろうか……と」
「……どう、なさったのですか?」
らしくない――思って問いかける。
沈黙が場を、支配する。
どう答えようか迷っている証拠である。
だが、素直に答えてくれた。
「…辛いことがありすぎた。心が引き裂かれんばかりに痛む出来事が、多すぎた。
時が遡れば、それをなかったことにできる。辛い記憶も、無くなる」
「…それは分かりますが、現実逃避ではないですか?」
その言葉に、彼がピクリと反応する。
「確かに、辛いことがあってそれを忘れたいのは分かります。…私だってそうです。
ですが、そのような経験もあって、私達は進めるのではないですか?」
「……」
なにも言わない。彼女はそのまま続けた。
「辛い経験があってこそ、今の私達がある。前に進もうと――過ちを二度と犯さぬようにしようと誓える。
経験自体を無くしては、人は前に進めません。そうではありませんか?」
「……」
また、しばしの沈黙。
時間が意味するものはなにか。それを刻む時計が意味するものはなにか。
彼女の答えは、こうだ。
時は戻れぬもの。覆せぬもの。
その時々に起こったもの、経験したものが自分を、彼を、この世界すべてを構成しているのだと。
時計は、その覆せないものを人間に知らしめるもの……。
「…そう、だな」
やがてどのぐらい時が、過ぎたのだろうか。彼が口を開く。
しかし、砂時計が今だ時を刻んでいる。
そんなに経っていないのに、経っていると感じてしまうのは、人間の感覚のせいか。
「…この時計のせいか、感傷的になってしまっていたようだな。
憂う時間があるなら、私達のやるべき事をせねばならない」
「そうですよ。それでこそ、パーシバル将軍です」
ああ、そうだったな。
と、わずかに口の端を緩める。
「…さて、仕事の続きだな。セシリア、悪いが――」
「ええ。私もそろそろ自分の執務に戻ります。…ですが将軍」
「? なんだ?」
ニッコリと、笑顔で彼女は言った。
「しっかりと休憩だけは取ってくださいね? でなければ絶対倒れますので」
「……分かっている」
「それでは」
と、笑顔のままでセシリアが出ていく。
ふう、とため息を一つついてからパーシバルは机の上の砂時計を手に取った。
砂はとうにすべて流れ落ちている。
「…前へ、進む。何があっても…無にしないために。
そうだな、セシリア」
呟いてから砂時計をひっくり返し、執務に打ち込む。
さらさら……さらさら……。
砂が、落ちる。
時を刻む、砂が。
未来のために現在を戦う人間の姿を映しながら。
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